第2話 プロローグ -1- 絶たれた夢

 歓喜の顔がテレビ画面いっぱいに映っていた。


 世界柔道選手権東京大会、女子五十二キロ級で優勝した、国民の誰もが知る柔道界期待の星、弱冠二十歳の満面の笑顔がそこにあった。

 彼女の礼儀正しい立ち居振舞いや飾らない人柄、競技中に見せる鋭い顔付きと、普段の愛くるしい笑顔とのギャップが人々を惹きつけ、インスタグラムのフォロワー数は、若い女性を中心に五十万人を超えている。

 また今日の試合は昨年練習中に負った大ケガによる、再起不能と言われた大逆境からのドラマチック過ぎる復活劇でもあった。


 たった今一本勝ちで決勝戦を制し、畳を下りてきたばかりの彼女にアナウンサーがマイクを向ける。

「優勝、おめでとうございます!」

 声を上ずらせた若い男性アナウンサーは、涙があふれてきているのか、メガネの片方のレンズを曇らせている。

「ハーハー、はい、ハー、ありがとうございます!ハーハー」

 彼女がきっぱりと、そして潤ませた目を輝かせて答える。十五分を超える死闘に息が荒い。

「最後は目が覚めるような、見事な大外刈りによる一本勝ちでした」

「はい、ありがとうございます。ハーハー、ずっと、ハー、大切にしてきた、ハー、技で勝てて、ハー、本当に嬉しいです。ハーハー」

 ショートカットの前髪から汗が滴る。

 流れ落ちる額の汗を何度も指先や道着の裾で拭った。赤く擦れた右頬が痛々しい。


「昨年あれだけ大きなケガを……うぅ、されて、復活に向けての苦労も……言葉では表せませんよね」

 アナウンサーの方が感情を高ぶらせたのか、時折、言葉につかえている。

「いえ、……フー、フー、本当に多くの方々に支えていただきました。フー、私ひとりではここまで来れませんでした。フー」

 大粒の涙が頬をつたう。その汗と涙にまみれた顔が一際美しい。

「これで、夢だったオリンピック出場に手が届きましたね!」

「はい、正式な発表を待ちたいと思いますが、フー、私はそのつもりです。フー」

 しっかりとした表情できりりと前を向いた。


「今日のこの日までを振り返ってどうですか?」

「三歳で柔道を始めて、オリンピックで金メダルを獲ることをずっと目指してきました。今日その夢に一歩近づけたと思います。フー

 日本中の、いや世界中の多くの方々から応援をいただいて、私は本当に、本当に幸せ者です!」

 心の底から絞り出したような言葉から、喜びの大きさが画面越しに伝わる。

 懸命に堪えようとしても溢れ出てくるその涙には、彼女にしか分からない様々な意味があるのだろう。

 彼女が発する言葉とその表情に、こちらの心が強く揺さぶられる。


「本当におめでとうございます!最後にテレビの前の皆さんに一言お願いします!」

「はい、そうですね。えー、どんなことがあっても、決して諦めずに、フー、大●●な柔道を続けて……」


 その瞬間だ。


 例の、神経を逆撫でするような、キュルキュルキュルキュルという警告音が大きく響き渡った。

「あっ、なんで!それはダメ!」

 アナウンサーが悲痛に叫ぶ。

「えっ、あっ、ウソっ、ワタシ……」

 取り返しのつかない言葉を口にしてしまったことに自分でも気づき、さっきまでの満面の笑顔が一瞬で固まった。


「中継、切れ!切れ!」

 ディレクターらしき男の怒声が響く。


 テレビ画面は音声が消え、音のない映像だけになった。

 両手で口元を押さえて目を見開いた、柔道着姿の女子選手が茫然と立ち尽くしている。


 すぐに画面の右側から黒スーツ姿の二人組の男が現れ、女子選手を取り押さえるように両脇を抱えて、画面から消えていった。

 恐らく叫び声を上げているのだろう。連行されていくその歪んだ表情。皮肉にも無音の映像が彼女の恐怖心と絶望感をより一層際立たせていた。

 そして画面はCMに切り替わった。


 その日の夜の七時のニュース番組の冒頭で、速報ニュースが読み上げられた。


 本日夕方、日本武道館にて国家安全禁句法違反で逮捕された女子柔道選手は、本人も発言を認め、一年間の矯正措置が確定し、直ちに横田プリズンへと移送されました。

 これにより、半年後に開催されるキーウ五輪への同選手の出場は不可能となり、日本柔道連盟は改めて代表選考を行うと先ほど声明を発表しました。

 地上波全国ネットの生放送中の違反行為、また社会的影響力を持つ立場などが、一年間収監という厳しい罰則判断に至った模様です。


 原稿を読み終えた女性キャスターは顔を上げ、何か言いたげな表情を一瞬見せたが、思いとどまったように唇を噛んだ。

 その目にはうっすらと涙が浮かんでいた。

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