憑依 ー もう、あの頃には戻れないのなら ー

 画面が付き、椅子に座った日笠千鶴ひかさちずるの姿がうつる。


 「体調不良という理由で1週間ほど学校を休んでから『何もなかった。全て悪い夢だった』と自分に言い聞かせて、学校に行きました」


 淡々と語る日笠千鶴ひかさちずる

 

 「1週間も休んでいましたので、仲の良い友達から心配されましたが、私が『大丈夫』と伝えると何事もなかったように、日々の生活が始まりました」


 そこまで話してから日笠千鶴ひかさちずるが、身体を震わせ始める。


「でもね駄目なんですよ、思い出しちゃうんです、あの夜の事。忘れよう、忘れようと何度思っても、まるで生け贄の烙印のように……目を瞑ると必ず」


「何日もまともに眠れない日々が続いて、味覚障害も重なって、私の体重はどんどん減っていきました」


「母親にも心配されて『無理にでも食べなさい』と色々な料理を作ってもらったんですが、何の味もしない料理を食べる事がどうしても出来なくて……食事はウィダーinゼリーとビタミン剤だけになりました」


「母と一緒に心療内科で不眠症の相談をしましたが、睡眠導入剤を処方されるだけで、症状は何も変わりませんでした」


 …………


「ある日、親友のみさきにお昼を一緒に食べようと誘われました。私は食事を見られるのが嫌で、最初は断ろうとしたんですが『どうしても聞いてほしい話がある』と言われて、仕方なく一緒にお昼を食べる事になりました」


 画面が切り替わり、小動物を連想させる可愛らしい感じの女の子が画面に映る。


千鶴ちずる~食事それだけなの?ダメだよ~身体壊しちゃうよ、ホラこれ食べな、あ~んして、あ~~ん」


 みさきが自分の弁当箱からタコさんウインナーを箸で詰まんで、日笠千鶴ひかさちずるにあ~んを求めてくる。


 あ~~ん、パクリ。


「タコさんウインナーは、何の味もしませんでしたが、みさきには『美味しい』と伝えました」


「よかった」と笑顔のみさき


「それでさ、ほら前に話してたサッカー部の菅谷すがや君っているでしょ……実はさ……付き合うことになったんだ」


「菅谷君はみさきが1年生の頃から片思いしている、サッカー部の男子でした。私は出来る限りの笑顔でみさきに『おめでとう』と伝えました」


千鶴ちずるには一番最初に伝えたくて、本当にいつもありがとね」


 みさきが幸せそうな笑顔で、感謝を伝えてくる。


「私は涙が止まりませんでした……」


 そこで画面が消える。


 …………


 1分ほどしてから画面が付き、椅子に座った日笠千鶴ひかさちずるの姿がうつる。


 日笠千鶴ひかさちずるは泣いていた。


 みさきちゃんの恋が上手くいった事を祝福して、涙を流せる。


 日笠千鶴ひかさちずるは本当に優しい子だな、僕は心からそう思った。


「……違うんです……あの時、私の心に宿った感情は、どうしようもない苛立ちでした」


「だってそうじゃないですか、私は獣のような男たちに無理やり犯されて、食べ物の味が分からなくなって、眠れなくなって、なんで私だけって思っちゃうじゃないですか、それってそんなにおかしいですか?」


 日笠千鶴ひかさちずるが声を荒げる。


「わたし何か悪い事しましたか、こんな酷い目に合うような事なにかしましたか……わたし……わたし……あのとき無意識の内に思ったんですよ。みさきの恋が実ったお祝いに『おめでとう』って必死に作り笑いで伝えたあのとき。心の中で……『死んじゃえ』って」


「最低ですよ、 みさきは幼稚舎からの友達なんです。一番の親友なんです。大切な親友の幸せを喜べないなんて、みさきは何も悪くないのに……」


号泣する日笠千鶴ひかさちずる


「わたし気付いちゃったんです……あの夜。あいつらに犯されたあの夜。身体と一緒に心の中まで穢されたって事に、もうあの頃の私には……何があっても絶対に戻れないんだって事に」


「それに気付いたら、涙が止まりませんでした」

 

「もう、あの頃には戻れないのなら……それならもう……死ぬしかないじゃないですか」


 …………


 僕も涙が止まらなかった。

 

 泣けると話題の映画を観ても、ほとんど泣いた事がなかったのに。


 …………

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