渋谷区にある事故物件の話

浴槽交換

 渋谷区で浴槽交換の修理依頼がメールで入って来た、依頼の備考欄には『大至急対応、本日中』と書いてある。


 「チッ」依頼内容を見て、僕は軽く舌打ちを打つ。


 浴槽交換という事は、浴槽の手配が必要であり、工事に最低でも二人、大きな浴槽の場合、四人必要な場合もあるので、それに応じた作業員の確保も必要になる。


 依頼を受けるオペレーターの子が悪いわけではないのだが、その辺の事情も知らずに大至急と言われても、無理なものは無理なのだ。


 僕は軽い溜息を洩らしながら、施主の板橋さん(仮)に電話をかける。


「もしもし、浴槽交換の件でお電話いたしました、太陽建設(仮)のアカバネです」


「……はい」


「板橋様でよろしかったでしょうか?」


「……はい」


 何処か暗い感じのする女性の声だった。


「今日の何時に来てくれるんですか?」


 まいったなぁ、依頼の内容から危惧していた通り、今日中に浴槽交換ができると思っているらしい。


「板橋様、訪問は可能なのですが、本日は下見のみの訪問となってしまいます。

 下見のあと御見積り、問題がなければ、それから浴槽の手配となりますので、大至急で手配しても工事は来週になってしまうかと思います」


 「……ない」


 「すいません板橋様、よく聞き取れなかったのですが……」


 「話が違うじゃなぁぁぁぁい」


 人が変わったかのように、突然大声で叫びだす板橋さん。


 「板橋様、落ち着いてください、どこの工事店に依頼しても浴槽交換の当日対応は、難しいと思われますが……」

 

 「お金ですか?お金なんでしょ、いくら欲しいんですか?お金だったらいくらでも払いますけど」


 「板橋様……お金の問題でもありません……板橋様の希望される対応は、わが社では難しいかと思われます。ネットの口コミなどを参考に、違う工事店を探してみてはいかがでしょうか?」


 板橋さんには悪いが、とてもまともな人とは思えない……僕はやんわりと依頼の拒否を伝える。


 「……」


 「板橋様?」


 「……下見でいいから来てください」


 本当は依頼自体を断りたかったが「下見でいい」と言っているのを無下に断るのも難しい。


 話がこじれて、ある事ない事クレームの電話を入れられてもおもしろくない……。


 「承知しました、本日の15時頃の訪問はいかがでしょうか?」


 「……大丈夫です」


 「それでは後ほど訪問いたしますので、よろしくお願いいたします」


 「……はい」


 『バン、ガチャン、ツーツーツー』何かに叩きつけたような音がしたあと、通話が切れる。


 最悪と思ったが、僕はあきらめて、板橋さんの依頼を受ける事にした。


 神経質なキチガ〇ババアか……考えるだけで、胃が痛くなってくる。


 …………


 14時50分、板橋さんの自宅マンションに到着する。


 1Fエントランスにある呼び出しパネルに部屋番号を打ち込み、呼び出しボタンを押す。


 『ピンポーン』


 少ししてから、電話で話していた女性の声がモニターから聞こえる。


 「……はい」


 「板橋様のお宅でよろしかったでしょうか、太陽建設のアカバネです、浴槽の下見に伺いました」


 何の返事もなかったが、オートロックの自動ドアが開いたので「失礼いたします」と声をかけてから、マンション内に入る。


 部屋の前に到着、チャイムを鳴らす。


 『ピンポーン』


……


 『ガチャリ』


 鍵が開く音がした後、玄関ドアが開く。


 中から出てきた女性は、想像とは全く違い、とても奇麗な人だった。


 「太陽建設のアカバネです、本日はよろしくお願いいたします」と頭を下げる。


 「……こちらです」


 「失礼します」持参したスリッパを履き、家の中に入る、廊下を歩きながら浴槽搬入の導線に問題がないかを確認する。


 洗濯機や冷蔵庫の搬入と同じで、浴槽交換も経路に十分なスペースがないと搬入できない。


 無理に運んで壁紙に傷でも付けたら、とんでもないクレームになりそうだ……。


「……ここが浴室です」


 脱衣所に入る直前、キッチンにゴミ袋の山が見えた。


 僕の訪問に合わせて急ぎ片付けたのだろう、神経質な性格の割には、ズボラだなと思いながら、ユニットバスに入る。


 ユニットバスに入ってすぐ、塩素の匂いが鼻に付いた、ユニットバスも慌てて掃除したらしい。


 浴槽を調べるが、ピカピカで傷ひとつない状態だ。


 「見た感じ問題なさそうですが……」と僕が言うと。


 「交換したいから交換するじゃいけないんですか?いちいちいちいち、お金は払うって言いましたよねぇ?」


 何かのスイッチが入ったかのように、声を荒げる板橋さん。


「失礼なこと言ってしまい、申し訳ございませんでした………………」振り返り板橋さんに謝罪する。


「浴槽交換問題なく出来そうです」そう伝えると。


「そうですか、良かった」人が変わったかのように笑顔になる板橋さん。


「納期が分かり次第、すぐにご連絡いたします」


「分かりました、出来るだけ早くお願いします」と笑顔の板橋さん。


「承知しました、本日はこれで失礼いたします」


 玄関を閉めたあと、僕は全力で走り出す。


 エレベーターもこの階で待つのが嫌で、全力で階段を駆け降りる。


 「はぁはぁはぁはぁ」


 息を切らしながら、何度も何度も後ろを振り返りながら、必死に階段を駆け下りる。


 マンションを出て車に乗り込む「助かった……」僕は心から呟いた。


 ……


 振り返り、板橋さんに謝罪をした時。


 洗面台の鏡越し、後ろ手に血の付いた包丁を持っているのが見えた。


 ……


 会社に理由を説明し、受付のオペレーター経由で、依頼のキャンセルを伝えてもらった。


 キャンセルする事を伝えると、人が変わったように発狂し、僕を電話に出せと何度も叫んだらしいが、通話内容を録音してある事を伝えると「もういいです」と言い残し、通話は切れたらしい。


 ……


 それから1か月後、板橋さんがテレビに出ていた。


 ……

 

 お昼のニュース。


 東京都新宿区の路上で、ビニール袋に入った上半身だけの遺体が見つかる。


 東京都渋谷区内の空民家の庭で、下半身のみの切断遺体が発見される。


 この下半身遺体と、新宿で見つかった上半身遺体のDNAが一致し、この遺体は不動産投資会社の男性と判明した。


 ……


 死体遺棄容疑で板橋さんは逮捕された。


 ……


 あの日、浴槽交換をあれほど急いだ理由は、これだったのだ……。

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