第3話 黄泉竈食(ヨモツヘグイ)②
どういうことだろう? ……もしかしてアマルテイアさんが毒か何か入れたと思っているのだろうか? それはさすがに警戒しすぎじゃ……。
「大丈夫か、と申しますと?」
不思議そうに問い返すアマルテイアさんに、姉ちゃんは一瞬気まずそうな顔をしたが、すぐにキリッとした表情になると言った。
「いや、だって得体の知れない魔法で出したヤツだし。……それにこれを食べたら家に帰れなくなるとかないよね?」
このサンドイッチを食べたら家に帰れなくなる? なんで?
と僕は首を傾げるのだが、アマルテイアさんはその意味が分かったのか感心したよう顔をした。
「なるほど黄泉竈食(ヨモツヘグイ)を警戒しているのですね?」
「ヨモツヘグイって?」
「簡単に言いますと、この世の物ではない物を食べた結果、元の世界に戻れなくなるという逸話のことです。ペルセポネーが冥界のザクロを食べた結果、冥界で暮らさなくてはならなくなったように、異界の物を食べた結果その世界に囚われることになった、という逸話は世界中にあります。たしか、この国でも似たような話があったかと」
「イザナギとイザナミの話ね」
婦警さんが言った。
「妻であるイザナミを亡くしたイザナギは、奥さんに会いたくて冥界……黄泉の国まで行くのだけど、イザナミは黄泉の料理を食べてしまったから帰れないと言うの。でもやっぱり愛する夫が迎えに来てくれたから一緒に帰りたいと思って、黄泉の国の神様を説得して帰れるようにするから待ってて、と言うのね。そして、その話し合いの最中は、絶対に中を見ないで、と。イザナギは最初は大人しく待ってるんだけど、あんまり遅いものだから結局は中を見ちゃうの」
「……それで、どうなるの?」
「中を覗いたイザナギが見たのは、腐って醜くなった奥さんの姿だった。それでイザナギは怖くなって逃げ出してしまう。それに怒ったイザナミは夫に次々と追っ手を出して、イザナギはそれをあの手この手で躱してなんとか地上に戻る。地上に逃げ帰ったイザナギは地上と黄泉の国の道を大岩で塞いで、恐ろしい奥さんに離婚を宣言するの。そしたらイザナミは『お前の国の人間を一日に千人殺してやる』と言って、イザナギは『なら俺は一日に千と五百人生まれるようにする』と言い返す……ってお話」
……色々とヒドい話だな~と思いながら僕は言った。
「つまり、このサンドイッチを食べたら僕は帰れなくなるってこと?」
「いえ、それは大丈夫です。これもある意味、異界の物と言って間違いありませんが、マスターを縛り付ける力はありません。そもそも我々カードは、マスターに危害を加えられませんので」
「……それが本当なら良いんだけどね」
姉ちゃんがポツリと呟く。
そこを疑ってもどうしようもないと思うけど……どうにも姉ちゃんはカード、というかアマルテイアさんに思う所があるように見えた。
「ふぅん……」
僕はじっとサンドイッチを見つめ、そしてパクリと食べた。
「あ、コラ! なんで食べちゃうの!」
「だって美味しそうだったんだもーん。ってか、めっちゃ美味い!」
「あ、あ、あ……あ~」
そのままむしゃむしゃと食べてゴクリと飲み込むと、姉ちゃんがガクリと項垂れた。
「もう、このおバカ……」
「大丈夫だって。っていうか、食べなかったら帰れるってわけでもないんだから。食料とか尽きたら、逆に食べないと帰れなくなるんじゃない?」
「……まあ、それもそうか」
姉ちゃんは諦めたように言うと、自分もサンドイッチを一切れ摘まむと、パクリと齧りついた。
「うわ、めっちゃ美味い……」
「姉ちゃんも結局食うんじゃん」
と笑いながらからかうと、額を小突かれた。
「もしアンタが帰れなくなったら、アタシだけ帰るわけにはいかないでしょーが」
……………………。
「ねぇ、ショウくん、私も食べて良い?」「わ、私も……」
「良いですよ。アマルテイアさん、もっとサンドイッチ出して貰えますか?」
「かしこまりました。よろしければスープや総菜などもお出ししますか?」
「あ、お願いします」
あっという間に、机にはサンドイッチにサラダ、スープや唐揚げなどのおかずが並ぶことになった。
すると、その美味しそうな匂いに釣られてクラスの人も集まって来た。
「美味そうだな。……それどこから出したんだ?」「カードのスキルで? へー、そういうのも出来るのか」「美人で飯も出せるとか、マジで羨ましい」「ね、ねえ、一口くれない? 今日、弁当持ってこなくてさ」「あ、俺も一口食べたい!」
「あ~……」
まあ、十人分出せるし、いいか。
「アマルテイアさん、お願いできる?」
「かしこまりました」
僕は、アマルテイアさんに数人分のおかずを出してもらうと、それを少しずつ姉ちゃんのクラスメイトたちへと配った。
美味い美味いと喜ぶクラスの人たちを見ていると、姉ちゃんがこっそりと問いかけてくる。
「いいの? たぶん、毎回タカられるわよ?」
「うん。まぁ、食べ物の恨みは怖いから」
この昼はみんな弁当があるから良いとしても、夜からは味気ない携帯食料が続くことになる。
この状況が明日にも解決して家に帰れるなら問題ないが、何日も解決しない可能性もある。
そんな中、一人だけ美味しい物を独り占めしていたら、面白い思いはしないだろう。
僕が逆の立場だったら、確実に恨みに思う自信がある。
それが僕に来るなら問題ない。でも、それが姉ちゃんに行くようなら……。
皆のカードも、アマルテイアさんも、降って湧いたものだ。
それがみんな同じくらいの能力ならともかく、能力に大きな差があるのなら、この状況はただでさえ恨み妬みを買いやすい環境と言える。
ならば、できる限り妬みを買わないようにするべきだ。
ちょっとしたきっかけがイジメに繋がることを、僕は嫌と言うほど思い知っているのだから……。
「そう……そうかもね」
それは姉ちゃんも理解していたのだろう、少し暗い表情で僕の頭をそっと撫でたのだった。
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