第5話 扉の先②

 屋上から、雑居ビルの中に入る。

 屋上の扉は鍵がかかっていたので、アマルテイアさんに蹴り破ってもらった。

 鋼鉄の扉には、くっきりと彼女の足型がついている。

 見た目は箸より重いものを持てない感じなのに、大の男よりもよっぽどパワフルなようだ。

 古ぼけた雑居ビルの階段を下っていくと、下から呻き声のようなものが聞こえてきた。

 それは、徐々に近づいて来る。

 扉を蹴り破った音でゾンビに気付かれたか。


「……こちらへ」


 アマルテイアさんにそっとと手を引かれ、どこかの会社の事務所へと身を隠す。

 僕を抱きしめたアマルテイアさんの身体から見えない何かが広がり、僕らを包み込んだ。

 彼女スキル、『乳母日傘』だ。中にいる者の気配を消す結界を張るこのスキルは、姿までは隠してくれないが、小さい音や匂いなども消してくれる。

 学校で姉ちゃん相手に試した時には、目の前にいても意識を逸らしたら見失いそうになるほど存在感を薄めてくれた。

 息を潜めて様子を事務所のドアの隙間から外を窺っていると、階段から一体のゾンビが姿を現した。

 スーツ姿のサラリーマンのゾンビ。首筋を噛み切られ、その白いワイシャツは真っ赤に染まっているというのに、平然と立って歩いている。

 学校にいたゾンビのカードは肉が腐り落ち、悪臭も酷かったが、このゾンビは肌も綺麗で悪臭もなく、新鮮な血がしたたり落ちるほど『成りたて』のようだった。

 ゾンビは、そのまま僕らの存在に気付くこともなく、ドアを目の前を通り過ぎていく。


「……………………」


 すると、アマルテイアさんが静かに廊下に躍り出た。


(えっ! ちょ!?)


 突然の行動に目を見張る僕の前で、彼女はそのまま無言でゾンビの背に軽く蹴りを入れる。

 数歩たたらを踏んだゾンビは、すぐに振り返ると大きく口を開けてアマルテイアさんへと掴みかかる。

 それに、アマルテイアさんは突き出された腕を掴むと、そのままフィンガーロックの形で力比べを始めた。

 ダラダラと涎を垂らし全身で力をぶつけてくるゾンビに対し、アマルテイアさんは涼しい表情で微動だにしない。

 やがて彼女はドンとゾンビを突き放すと、人差し指を向け、指先から光の弾を発射した。

 光の弾は、一瞬でゾンビの頭を打ち抜き、粉砕する。廊下に、ゾンビの頭蓋骨と脳みそがぶちまけられた。


「う……!」


 そのグロテスクな光景に、僕が思わず口を押さえていると、アマルテイアさんが申し訳なさそうに振り向いた。


「申し訳ありません、マスター。ゾンビの危険度を確認しておきたかったもので」

「う、うん……大丈夫」


 確かに、敵の強さを確かめるのは重要だ、うん。明らかに手遅れだったし、これは人殺しじゃない。ただ、モンスターを一体倒しただけだ。

 僕は気分を落ち着けるために深呼吸しようとして、濃密な血の匂いにすぐに止めた。


「……それで、どうなった?」

「どうやら戦闘力は、カードのゾンビとさほど変わりないようです」


 その言葉に、僕は学校で調べたゾンビのカードを思い出す。

 ゾンビの戦闘力は、確か戦闘力60くらいだったか。ちなみに、一般的な男子高校生が一対一で何とか倒せそうなのはゴブリンやスケルトンなどの戦闘力50未満のカードが精々で、それも剣道部の人がバールのような物などの武器を持った上でようやくと言った感じだった。

 つまり、このゾンビ一体ですら、普通の人よりよっぽど強いというわけだ。

 その上でゾンビなどのアンデッド系は頭を壊さない限り死なないという『不死』の先天スキルを備えている。

 普通の人間に太刀打ちできる存在ではなかった。


「少数なら私の敵ではありませんが、一度に大量に襲い掛かられた場合、いささか危険かもしれません。できる限り交戦は避けて進むとしましょう」

「うん」


 僕は頷くと、基本的に気配遮断の結界を張ったまま行動することにした。

 一階まで下りると、一階にはコンビニが入っていた。

 店名は、ドクシンマート。……聞いたことない名前だ。某大手コンビニにデザインがそっくりだが、個人店だろうか? 

 そう思いながら、中へと寄る。

 店内にゾンビらしき姿は無く、棚が倒れ、床には商品が落ちていた。


「アマルテイアさん、ちょっと食べ物とか拾っていこう」

「かしこまりました」


 アマルテイアさんは、後天スキルに『中級収納』というスキルを持つ。

 これは、一言で言えば、ゲームのアイテムボックスのようなスキルだ。さすがに時間停止のような機能などは無いが、高校の教室ほどのスペースがあり、荷物の持ち運びとしては十分な性能を持っている。

 ここでいくらかでも食べ物を拾って帰れば、学校で待っている人たちも喜ぶだろう。

 アマルテイアさんと手分けして、日持ちしそうな物を中心に回収していると、ふとレジ横のラックに新聞があることに気付いた。

 見ると、日付は一週間前で、ちょうど僕らが高校に閉じ込められた日だった。

 スポーツ新聞らしいその新聞の見出しには、『止まらない増税、消費税50%へ。増税総理に国を滅ぼされる!』と煽り文が書かれていた。

 消費税50%という異常な数字も気になるところだが、それ以上に気になったのは、ゾンビなどのことが載っていないことだ。

 パラパラとページをめくってみるが、やはりそれらしい記事は無い。見たことも無い芸能人のスキャンダルや、ヒステリックな政権批判が掛かれているのみだ。

 このゾンビたちは、この新聞が店に並んだ後から何の前触れもなく現れたのだろうか?

 だが、その割には日付が一週間前なのが気になる。

 燃える車やビルを見るに、騒動は起きたてという印象を受ける。

 一週間も前なら、火事などが起きるにしてもその日のうちに起きて、とっくに燃え尽きてないとおかしい気がする。

 あちらこちらから聞こえる悲鳴も、ちょっと多すぎるような……。異常の起きた当日ならともかく、一週間経っているなら、皆もっと閉じこもったりして、外に出ている人が少ないはず。さっき倒したゾンビもなり立てという感じだったし……。

 ふと思いついて、ポケットからバッテリーが切れ掛けのスマホを取り出して見る。


「ダメか……」


 圏外だ。やはり平行世界だと携帯キャリアも違うのだろうか。何か今の日時がわかるものは……。

 辺りを見回して、店の外、道路を挟んで反対側に倒れている人を発見する。その傍らには、スマホらしき物が落ちていた。

 少し迷って、僕はアマルテイアさんを呼んだ。


「アマルテイアさん、ちょっと良い?」

「はい、どうかしましたか?」

「うん、ちょっと……」


 周囲を警戒しながら、コソコソと身を隠しつつ死体に近づく。死体は、見事に頭を勝ち割られていた。

 それをなるべく目に入れないようにしながら、落ちているスマホを拾うとゾンビに見つからないうちに、さっさとコンビニの中へと戻った。

 拾ったスマホには、ロックが掛かっていたが、日時は見れた。


「一週間前か……」


 電波は生きている。ということは、これはリアルタイムというわけだ。日時がズレている?


「何か気になることでも?」

「うん、スマホや新聞の日付が一週間前なんだ」


 僕が言うと、アマルテイアさんは「ああ、なるほど」と頷いた。


「門の先の世界は、誰も門の中に入っていない間、時間が止まっています。ここの門には今まで誰も入っていなかったので、その分マスターたちと時間がズレたのでしょう」

「僕らが門に入っていない間は、時間が止まる……」


 まるで、電源の入っていないゲームの世界のようだ。

 だが、五感は確かにこれが現実だと訴えていて……。

 駄目だ、これ以上考えていると頭がおかしくなりそうだ。

 僕は、頭を振って、思考を切り替える。


「しかし、これからどうしよう」


 姉を探すという目標ははっきりしているが、そのためにどうすればいいのかわからない。


「こういう時、どうするとかは決まっていないのですか? 避難する場所などは?」


 僕がうんうんと腕を組んで悩んでいると、アマルテイアさんが言った。

 避難所か。どうかな。映画やゲームの知識だけど、こういう時、避難所みたいな多くの人がいる場所はかえって危険なイメージがある。

 実はゾンビから噛まれた傷を隠した人が紛れ込んでいるとか、実はゾンビよりも人間の悪意の方が怖かった、的な展開はゾンビ物の映画やゲームで定番の展開である。

 特に、僕らはカードという明らかな異物を連れている身だ。避難所に潜り込むなら、必然的にカードは引っ込めておく必要があり、それならカードと一緒にどこかの無人の家を拠点にする方がまだ安全かもしれない。

 ……だが、それは調査隊が全員揃っているならの話。一人一人バラバラになっているなら、とりあえず最寄りの避難所に身を寄せて情報収集をしている可能性はある。

 少なくとも闇雲に探し歩くより可能性は高い、か……。


「良し、とりあえず最寄りの避難所を探して向かってみよう」


 コンビニの中に、この辺の地図とか避難所が載ってる冊子とかないかな。

 僕は、コンビニの中を物色するのだった。


 

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