帰路 玄関にて

「帰るか」

 ホームルームの後、人の流れが収まるまで待ってから呟くと、机の中のものを引っ張りだして鞄へと詰め込んだ。

 その際弁当箱が邪魔になったので、これだけは手で持って帰ることにした。

 中には食べ残したトマトと、果物の桃が入っている。俺はどうもあのトマトの匂いと、桃の舌触りが気に入らない。

 今日も昼をともにした広田は「美味いものをなんで食わないんだ。損だぞ」なんて言っていたが、無理なものは無理なのだ。

 教室の戸を引いてオレンジ色に染まった廊下に出る。

 と、そこにコッコッという足音とともに聞き慣れた声が響く。

「宮代。今帰りか?」

「あ、呉先生。どうも」

 声の主は俺達の社会科目を持ってくれている呉吉一先生だった。

 今日は珍しくスーツ姿で、足元もいつものサンダルではなく、ゴム底のオフィスシューズを履いている。

「先生こそ、今日何かあったんですか?」

「ああ、ちょっとな。まあ大人の事情ってやつだ。まだ子供のお前は気にしなくていいことだよ」

「そういうことばかり言ってると、嫌われますよ」

 俺のその言葉に先生は困ったように頭の後ろに手をまわして、苦笑いとともに続けた。

「キツイこと言うなぁ。……お前もそのうち分かるさ。まあこれから帰るなら気をつけて帰れよ。—―天狗に捕まらないようにな」

 先生は笑いながらそう言うと、手を振って奥の影の中へと消えていった。

「天狗は――いないだろ」

 先生の残した言葉を独り夕暮れの廊下を歩いて咀嚼する。

 結局、そこに込められているであろう真意なんてものは分からず、ため息が出た。


 教室棟の階段を下り、体育館横を通るとバスケ部のスキール音が聞こえてきた。

 そういえば、この学校は特にスポーツに力を入れている。

 俗にいう強豪校とかいうやつだ。

 そんな激しい熱気に包まれた二つの体育館の横を抜けると、玄関が見えてきた。


 俺たちの下駄箱は入学時に場所を指定され、それ以降動くことはない。そのため毎年バレンタインの時期になると玄関に張り込む女子が一人や二人は見受けられるようになるのだ。

 そういえば、広田は去年チョコを貰っていたっけ。

 そんなことを思い出しながら下駄箱の扉をゆっくりと開ける。

 そこにあるのは、白い生地に僅かに泥のついたスニーカー。

 帰りに秋帆に誕生日プレゼントを買っていこうかと財布の中身を思い出しながらそれを手に取り、乱雑に床に投げ落とした。

 靴を履いて左につけた腕時計に目をやると、針は四時を指し示している。

 バスの時間までまだ余裕がある。


 こういったとき、俺は大抵近くの雑貨屋で時間を潰すことにしていた。

 その雑貨屋は「伽藍堂」という名前で、あまり知られていない。

 以前訪れた時も人はまばらで、俺が店内にいた時も一人二人出入りした程度だった。

 店の主人は初老でガタイの良い男性で、伸びた白髪に碧眼、丸い黒縁メガネが特徴的だった。

 店の品ぞろえも決して悪いわけではない。

 むしろ自分にとっては興味のそそられるものが多い方だと感じていた。

 だが秋帆にとなると……。

 そういえば、先週覗いたときにはハンドタオルがあったな。その中から良さげな柄をしたものを選んで買っていこう。



 

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