白い現実、色彩の夢

 学校で見たあの夢が脳裏にちらつく。

 得体の知れない恐怖を感じた俺は、とっさに出てきたはずの階段を振り返った。

 だが、そこに先ほど出てきた階段は無い。

 そこにあったのは目の前に広がっていた色の無い住宅街と同じ純白の階段。

 あれは、伽藍堂の形象とでも言えばいいのだろうか。

 それほどまでに色以外はまったく同じ見た目の建造物だ。

 ポケットからスマホを取り出し、知り合いに連絡を試みるも、その行いは虚しく、ただ繋がらないことを知らせる機械音だけが向こう側から聞こえてくる。

 おそらく、あの道の先には夢で見た洋館があるのだろう。

 そう直感が告げている。

 あそこまでの道は分かる。

 そして、この明らかに変質した家々に比べればあちらの方が遥かに人気があって安心できそうだった。

 ここに電波は無い。

 家には窓も扉も無い。

 他へ向かう道も無い。

 故に、俺が取れる行動は一つ。

 この道を進み、館へ到達すること。

 と、そうやって行動するための動機は得たが、それ以上に俺をその道の先へと突き動かしたのは、この場から逃げてしまいたいという恐怖心と、ゆめの先への好奇心だった。

 そうして、ただ形だけの理由付けを行った俺はスマホをしまい、夕日色に染まる道の先へと歩を進めた。

 しばらくは変わらずに純白の壁に囲まれた一本道が続いた。

 道路にマンホールは一つも無く、電柱や電線も見当たらない。

 霧も相変わらず晴れる気配は無く、辺りにオレンジ色の柔らかい光をふりまいている。

 だが、十分ほど歩いた後、その道は霧が薄くなると同時に小さな公園へと出た。

 その公園は、どこにでもあるような普通の公園だった。

 ブランコに鉄棒、滑り台、ジャングルジムと小屋がある。

 ジャングルジムとブランコの間、ちょうど公園の真ん中あたりには木で丸く縁どられた砂場とその横にスプリングのついたライオン型の遊具があった。

 どの遊具も色は失っておらず、夕日に混じってその色をしっかりと主張していた。

 本来、これくらいの時間であれば子供たちが遊んでいてもおかしくはないのだが、そこには人っ子一人いない。

 ようやくまともな人工物に出会えて安心出来ると思ったのに、これじゃあ何も変わらない。

 誰一人として存在しない夕方の公園とか、今の状況だとただのホラーなんだよ。

 と、内心でそんな悪態をついても、疲れというものは関係なく感じるもので、俺は恐怖を黙らせてブランコに腰掛けた。

 ブランコはキィと僅かに軋みを上げ座った衝撃で小さく揺れる。

 背負っていたリュックサックを地面に置き、足で小さくブランコを揺らす。

 これからどうしようかと思案を巡らせながら。

 公園の入り口を見てもただ霧の道が続いているだけ。 何だ? 俺は神隠しにでも遭っているのか? 仮にそうだとしたらまともな手段で帰れるわけがないし、そうじゃないにしても、そもそも帰り道も無いし。

 あれ? これ詰みじゃね? どのみち帰れないじゃん。

 俺は途方に暮れ、顔を下に向けた。

 俺の影は中央にある砂場に吸い込まれるように細長く伸びている。

 つまり、俺の背中側に今太陽があるはずだ。

 同様にブランコの影も砂場の方へ向けて細く伸びている。

 影をたどり、無意識に視線を砂場へと移していく。

 そんな時だった。何かが俺の視界の端で軽やかに揺れた。

 影だ。

 視界の端に映ったそれは、猫が飛ぶように軽やかに弾んで公園の奥へと向かっていく。

 影があるということは、そこには実体を伴う何かがあるわけで、そして、動いているからには何かしら生物である可能性が高いわけだ。

 だが、視線を向けた先にあったその実体は完全に常軌を逸した得体の知れないモノだった。

 それは半透明なナニカ。

 形は間違いなく人の形をしているのだが、その見た目はどう見ても人という生物からは逸脱している。

 実体は霧の中に浮かぶ僅かな歪みとしか認知できず、そのうえ影は俺とは真逆、つまり太陽の方へと真っすぐに伸びている。

 昔、透明な体を持つ深海魚について読んだことがある。

 だが、それはあのジャングルジムの横でひらひらと舞うアレとは違う。

 深海魚は内臓が見えた。だがアレは内臓なんてものは見えない。

 根本からして透明である原理が異なるのだ。あの半透明人間は。

 俺は半透明人間をじっと観察した。だが、ソレはそんなことお構いなしに夕暮れの霧の中、ステップを踏んで軽やかに舞い踊る。

 俺と反対側に伸びる影だけが、その半透明人間が今どんな体勢をとっているのかを伝えてくれている。


 ――半透明人間が現れて十分ほど経った。

 こうして観察していると色々と気づくことが出てくる。

 まず、あの半透明人間はおそらく女性である。

 髪は長く、体のラインは華奢だ。

 そのうえ、髪とともにスカートがよく揺れる。ここにきて気づいたのだが、アレは服を着ているようだ。

 そしてどういうわけか、その服までも半透明化している。

 服はたぶん制服だ。時折、胸のあたりで細い帯のような物が揺れている。たぶんあれはネクタイかリボンで、ひざ下丈のスカートと、ブレザーのようなものを羽織っているわけだから、おそらく歳も俺とそう変わらない。

 まあ、半透明人間に年齢、性別、学校という概念があればの話だけど。

 仮に他の半透明人間がこの場に現れて、同じような見た目だったのなら、これらの予想は全て間違っていることになる。

 でも、この場にいるのはあの半透明人間しかいないから、今、この瞬間この場所でだけはこの仮説が真実となる。

 そのあと、もう十分くらい半透明人間は踊り続けると、満足したかのようにステップを切り替え、入り口とは反対側に満ちる霧の中へとの方へと消えていった。

 向こう側にも道があるのか? 

 いまだ足を踏み入れていない滑り台の奥の方を見て進退を考える。

 でも実際、選択肢は一つしかない。

 辿ってきた道は分かれ道のない一本道。

 純白の壁に囲まれ、辿り着く先は色を失った伽藍堂だ。

 となれば……。

 俺は覚悟を決め、リュックとともに立ち上がると、滑り台の方へ歩いて半透明人間が消えた道を探した。

 ブランコに座っていた時は気づかなかったが、滑り台の後ろには少し開けた場所があり、その奥に半透明人間が消えたと思われる一本道が続いていた。

 今回の一本道は先ほどの色の失われた圧迫感のある道とは対照的で、道路の白線、色の塗られたマンホール、それに加え街路樹が生えており、極彩色とまではいかずとも、街中で見かけるような彩りが帰ってきていた。

 道路横の家にも彩りが戻ってきていたが、それでも窓や扉は無いままだった。

 歩を進める。先ほどの道を進んだときほどの恐怖は感じないが、やはりちょっとした不安がある。

 帰れるのか? ここはどこだ? 

 誰かいないのか? 俺はまだ生きているのか? 

 挙げればきりがない。

 でも、同時に今は進むしかない。スマホは相変わらず圏外。一切の機能を失って久しい。

 周りの山の形から場所を推測しようにも、霧に隠れているせいでよく分からない。

 太陽も出てはいるが、太陽だけで現在地を知るには無理があるというものだ。

 だが――道の終わりはまだ見えてこない。

 どこまで進んでも霧に覆われた道が続く。

 正面に見える山に続いているのかもしれないが、それにしては距離が縮んだ気がしない。

 歩くのが嫌になって道端で座って休んだこともあった。

 せめて自販機くらいはないものか。そんな考えとともに休憩をすること五回。

 ふとあることに気が付いた。

「――あれ、学校だよな」

 マンホールに描かれたイラストに近づき、学校の特徴と一致することを確かめる。

 描かれているのは学校の俯瞰図。

 だが、何か違う。描かれている校舎の形や体育館の配置、独特な建物から描かれているそれは自分の通う学校であることは明白なのだが、自分の中の何かがこれは違うものだと叫んでいる。

「ほかに、マンホールは……」

 周囲を見ると十メートルほど先にもう一つ別のイラストの描かれたマンホールがあった。

 近づき、イラストを確認する。

 今度は先ほどの学校とは異なるイラストだ。

 だが俺はこの景色を知っている。今日、俺が辿った伽藍堂への道のり。そのイラストである。

 そして、再び道の先を見る。どうやらマンホールは等間隔に並んでいるようだ。俺は立ち上がり、次のマンホールへと場所を移す。

 今回描かれていたのは伽藍堂。その外観であった。

 だが今回のイラストは前二枚とは異なり、俯瞰図ではない。誰かの視点に沿って描かれているような、そんな印象を受けた。

 次のマンホールへと場所を移す。

 今度は伽藍堂の内部。あのハンドタオルを見つけた棚の前だ。

 再び場所を移す。

 次に描かれていたのはレジカウンターで押さえつけられた手首。カウンターの上には小さなガラス片のようなものが落ちている。

 押さえられている手首には見慣れた物が巻かれていた。

 革のベルトの腕時計。

 この瞬間、胸の中にあった疑念は確信に変わった。

 ここに描かれているイラストは俺が体験したものに沿って描かれている。なぜ最初の二枚が俯瞰図だったのか気になるところではあるが、あとの三枚からして間違いはないだろう。

 不安に駆られ背後を振り返る。

 当然、誰かがいるわけではない。そこに広がるのはただの霧に覆われた不自然な住宅街。それだけだ。

 いや、これは冗談抜きでまずいのでは? 

 怖い。頭も追い付かないし。

 ここは一旦状況を整理しよう。まず、俺は学校を出た。

 その後伽藍堂へ向かい、秋帆に誕生日プレゼントを買った。

 会計の際、店主に腕をつかまれ腕時計を破壊された。 そして伽藍堂を出ると、白壁に挟まれた異質な一本道に出た。

 そこを進むと公園に出て、半透明人間を発見した。

 そのあと、半透明人間を見失ったが、その公園の裏から出て、この一本道に入った。

 そして道路のマンホールを見ると、これまでの俺の足跡が大まかにイラストとなって描かれていた。

 うん……。分からない。今から引き返すか? いや、こんな気味の悪いものを見せられては、引き返す方が恐怖を感じる。

 なら、進むしかない。一応、マンホールのイラストには気をつけておこう。


 しばらく歩いた。マンホールは二十個ほど見てきた。

 最後のイラストはマンホールのイラストが学校だと気づいたところ。

 つまり、マンホールのイラストはすぐ後ろまで迫ってきているわけだ。

 追い付かれたらどうなるのか。未来の出来事がイラストとなって現れるのか、それともこの悪夢が終わるのか。

 よくよく考えれば、既にマンホールとして現れている時点で、この先の結末は決まっているのかもしれない。

 だが、この立ち込める霧は視界を覆い、そこにあるものを例外なく隠している。

 ならば、仮に未来が決定していたとしても、認識できていないのであれば、それは存在していないのと同じことだとも考えられる――。

「はぁ……」

 自分でも分かっている。

 こんなものは空元気もいいところだ。

 それっぽいことを考えることで、最悪な予想から目を逸らして逃げているだけでしかない。

 事実、俺はわけの分からない状況にいて、さっきから何一つとして進展はない。このまま何も変化がなければ、俺はいずれ飢えて死ぬ。

 それでも、次のマンホールには何が描かれているのだろうかと、興味と期待の混じった感情はもはや理性とは関係なく胸の中に湧き出してくる。

 だから俺は歩くことを止めないんだろう。

 ただ自分の欲に応えるため、ただ自分の生を実感するため俺は次のマンホールまで歩く。

 そうして、とうとうマンホールのイラストが一個前のマンホールで足を止めたところまで迫ってきた。

 おそらく次のイラストに到達すれば胸の中で燻る疑問に一つの答えが得られるだろう。

 足を踏み出す。

 マンホールの形は既に目で捉えている。

 あと十六歩ほどでそこに描かれているイラストがこの両目に映り込むだろう。

 景色は変わらない。夕暮れの一本道。人はひとりも居ないし、およそ動物と呼べるものはどこにもいない。

 かろうじて道路横に生えている木が他の生命もこの地に存在するという実感を与えてくれる程度のものだ。

 マンホールが近づく。

 映る色はオレンジと深緑が多い。格子状に黒のラインが入っているのが気にはなるが、パッと見たところ今いるこの一本道と変わった様子はない。

 あと五歩。だいたいの形はもう見える。描かれているのは今までのイラストと同じ、俯瞰図ではなく一人称の視点。

 その誰かは荒れた道を歩いている。

 格子だと思っていた黒い線は木の幹で、オレンジ色なのは夕日のせい。

 さらに近づく。

 もうこれ以上近づく必要なないのに、それでも足はマンホールへと近づき、立ち止まると、その上を通り過ぎて道の先へと足を動かしていく。

 足がマンホールの上を通り過ぎる。

 その瞬間、霧とともに景色が揺らいだ。

 住宅に囲まれた一本道は木々に囲まれた荒れた山道へ。足元はアスファルトから枯葉の積もった腐葉土へと変質し、気が付いたら俺は霧の立ち込める山の中に立っていた。

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