私がこの文を書いているのは≪偶然≫なのだろうか
弥彦乃詩
短編
温かくなることでコートが不必要になり、それと同時にスーツを着る機会が増えた春。
スーツを着続ける日々を過ごすことで大人になれた気さえしてくる就職活動。
普段自分の意志では行かないような場所に訪れ、さまざまな物を見ることになった。
偶然目についた草花に目を取られ本格的に春を感じる中、
4月半ばになればそれも必然なのだと強く思いすらしてしまう。
ところで就職活動をしていると≪偶然≫目に入った店で昼食を食べることや
≪偶然≫説明会や面接会場などで友人と遭遇することがある。
この春は行く先々で≪偶然≫と出会ったため、≪偶然≫について考えてみたい。
まず≪偶然≫とは「何の因果関係もなく、予測していないことが起こること。思いがけないこと(大辞林 第三版)」と辞書にはあり、対義語として≪必然≫がある。
≪必然≫とは「必ずそうなると決まっていること。それ以外になりようのないこと(大辞林 第三版)」と辞書にはある。
このように≪偶然≫と≪必然≫には大きな違いがあり、
日常生活でこれらを使用する際には気を付けるべきだと私は思う。
なぜならどちらも意識の話だからだ。
例えば、空き缶をゴミ箱に向かって投げ、それがゴミ箱に入ったとする。
これは≪偶然≫だったのか、≪必然≫だったのか。
どちらを使うべきだろうか。
一つ、聞いておこう。
あなたはどのようなゴミ箱を想像しただろうか。
自動販売機横の缶がギリギリ口を通るようなゴミ箱か。
公園に置いてあるような口の大きなゴミ箱か。
ゴミ箱の口の部分が小さければ≪偶然≫だとし、
大きければ≪必然≫だとした場合、
どこまでが小さくて、どこからが大きいのだろうか。
例えばある場所で意中の相手と出会ったとして、
それは結ばれる運命だから≪偶然≫出会えたのか、
結ばれる運命だから出会えたのは≪必然≫なのか。
このように≪偶然≫と≪必然≫の境目は個人の主観によるところが大きく、
その現象が≪必然≫だったとしても、観測者である個人が≪偶然≫だと判断した時点で≪偶然≫の出来事となってしまう。
偶然の産物が意図せずに生まれたものであるように、
≪偶然≫の出来事は≪必然≫の出来事の過程を観測できなかった場合のものなのだろう。
≪偶然≫が個人の観測によって左右されてしまうとして、
これからの生活を有意義にしていくためには、
強く≪偶然≫だと思い込むことはやめた方がよいのではないだろうか。
いや、≪偶然≫だと思うようなことがないように生活していくべきだ。
内々定をもらえたのは、
≪偶然≫企業との相性が良かったからと片づけるのではなく、
今までの人生で自身に魅力がついたから≪必然≫だと思うことで、
今後の自信に繋げていきたい。
――あとがき―――――――――――――――――――――――――――――――
大学の就職活動時期に書いていたエッセイ。
希望職種も全く違う友人と面接会場で出会ったことや
お互いスーツを着て道端で出会ったことは
時間が経った今でも割と覚えている。
よくよく考えると
面接は早期選考で募集人数も少なく面接慣れとして学校内で出回っている企業であったり、
道端は合同企業説明会の帰りの休憩にちょうどいい店が並んでいるところだったり、
偶然とは言いつつ出会いの土壌はあったわけで、
必然なのでは?とか考え始めたのがこのエッセイを書くきっかけだった。
HDDを整理してたら出てきたので供養しておこうと思って投稿。
私がこの文を書いているのは≪偶然≫なのだろうか 弥彦乃詩 @ynoshi010
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