サラマンダーと怪異

かきあげ精霊

第1話 怪異

怪異とは人の想像にすぎない。いや、すぎなかった。古の時代、人はあらゆる恐怖や未知の現象を怪異として恐れた。その恐れはやがて積み重なり、怪異は実体を持ってしまった。

人々は長きに渡り怪異と戦い続けた。

しかし、科学の進んだ現代では怪異は力は弱まり、人々にとって怪異など空想の産物でしかなくなってしまった。だが、そんな人々の中に、怪異と戦う者たちがいたのだ。彼らは自らを〈異能者〉と呼び、その存在を隠しながら生きていた。そして今もなお戦い続けている。

これは、怪異と、異能者の物語である。


***


『先月24日夜、さいたま市上空を飛翔する大きな鳥のような影の目撃情報が話題となっています。そのあまりの大きさからグリフォンやドラゴン、UFOではないかなどの憶測が広まっています。続いては、明日の天気です。木村さん、そらサブロー!………』

街はいつものように騒がしい。毎日何も変わらない風景に疑問を抱く人間などいないのだろうか。日は暮れ始め、鳥の声が一日の終わりを告げる。


キーンコーンカーンコーン


鳥の声をかき消すような学校のチャイムが街まで響く。

「つまらない……。学校なんて無くなればいいのに……」

教室の中で一人呟く。私の名前は黒江美鈴くろえみすず。長い髪と紫色の瞳が特徴だ。私は窓の外を見ながらため息をつく。

「黒江さんまた一人で喋ってるぅ〜」

「ちょwやめなよww聞えちゃうでしょwww」

周りから笑い声が聞こえてくる。

「オイ、黒江。お前最近生意気なんだよ。生まれつき左半身が動かない病気だがなんだか知らないけどさぁ。調子乗んなよ?」

「そうだぞ!謝れ!」

「……」

私は何も言わずに立ち上がり、そのまま教室を出て行った。廊下に出た途端にクラスメート達がひそひそと話し始める。

「あーあ。黒江さん行っちゃった〜」

「いい気味だよねぇ。あの子いっつも一人だし、友達いないんじゃない?w」

「あいつキモいもんなw俺だったら絶対近づかねーしw」

一人杖をつきながら廊下を歩く。

「……もう嫌だ……こんな世界……」

そう呟いた後、帰路につくことにした。


見慣れた街。見慣れた道。もう見たくもない景色。何もかもが嫌いになりそうなくらい退屈な日常。

小さい頃からよくいじめられたりしたけれど、今でもそれは変わらない。理由はわかっているつもりだ。私は生まれつき左半身に麻痺があって左目が見えていない。それに身体も弱い方だから体育の授業なんかではいつも見学している。

でも、私だって普通の人と同じように生活したいんだ。ただそれだけなのにどうしてこんな思いをしなければならないのか。

「なんで……こうなるかなぁ……」

私の家の近くに小さな公園があった。そこには滑り台とブランコしかない簡素な作りになっている。

『まじで昨日見たんだって!馬鹿デカい蜘蛛の化け物!きっと最近話題の"怪異"ってヤツだよ!』

『んな訳ねェだろォ〜!怪異なんて空想上の生き物だろ?どうせいつもみたいに酔っ払って何かと見間違えたんだろ』

『えェ〜…。ガチだと思ったんだけどなァ……』

通行人の何気ない会話が耳に入る。怪異は存在する。私はそのことを知っている。この目で見たことがあるからだ。しかし、最後に怪異の話をしたのは小学校低学年の頃。誰もこの話を信じてくれないことは私が一番にわかっているからだ。

「……はぁ」

今日何度目かのため息をつく。すると膝の上に白猫が乗ってきた。

この子はいつもこの公園にいる猫だ。

「私の友達はお前だけだよ。ねぇ、シロネちゃん」」

白猫を抱き抱えて撫でるとゴロゴロと喉を鳴らしてくれた。

「ふふっ可愛いなぁ。ずっと一緒に居ようね」

「ニャーン」

「あっ、待ってよシロネちゃん」

シロネが走ってどこかへ行ってしまったので私は杖を掴んでそれを追いかける。

「どこまで行くの〜?」

私が呼んでも止まる気配がない。仕方ないので追いかけることにした。


「ここどこぉ……」

気づいた時には見知らぬ路地裏にいた。

「ニャーン」

「シロネ!」

白猫を抱きしめようとした時、突然物陰から現れた全裸の女が現れ、シロネを掴んだ。

〘……小娘。こいつは貴様の仲間か…?〙

女が白猫を持ち上げ、私に語りかける。

「え……?」

一瞬困惑した。しかし、すぐに冷静になり反論する。

「早くその子を解放しなさい!じゃないと許さないから!」

「ニャッ!ミャア!!」

私は女に向かって怒鳴った。なんだかよくわからないけど、私は直感的にその女に関わってはいけないと感じた。

〘傷が痛む……。早くしなければ、殺されてしまう……!〙

女の体を見ると、全身傷だらけで髪と眼は紅く染まっていた。

「大丈夫ですか?怪我してるなら病院に行った方がいいですよ?」

「ニャアッ!!ミィャッ!フゥーッ!!!」

〘うるさいぞ!静かにしろ!殺すぞ!〙

「ひっ……」

女の殺気に気圧され、思わず後退りしてしまう。

〘人間に心配されるなど、なんたる屈辱!しかし今はそんな事を言っている場合ではない……。小娘!見たところ左半身が動いていないようだな……。その身体、我に差し出せ!さすればこいつを助けてやろう!〙

女は苦しそうにしながら私に意味不明な提案をしてきた。

「身体を差し出す?何言ってるんですか!?はやくその子を返して下さいよ!病院なら紹介しますから!」

早くこの気持ち悪い女のそばから離れたかった。その一心で私は白猫を返すことを要求する。しかし、私の言葉を聞いた女は目つきを変えた。

〘そうか……。我の正体に気づいていないということか…。なら仕方がない………。フンッ!!!〙

女が身体に力を入れると、彼女の頭からは一本の小さな角のような物が生え、腕は翼のように変化し、背中からも翼のようなものが現れた。

「うそ……」

目の前で起こったことに言葉が出なかった。

これは現実なのか?夢を見ているのではないか?そもそもあの人は本当に人間なのだろうか?いや、おそらく怪異だろう。 様々な疑問が頭を駆け巡るが、私には一つだけわかることがあった。

私は今、あの怪異に襲われている。

「嫌だ……嫌だよ……」

恐怖のあまり腰を抜かしその場に座り込んでしまう。

「助けて……誰か……お父さん……お母さん……お姉ちゃん……怖いよ……死にたくないよ……!」

〘早く身体を差し出せ!半分だけでいい!そうすれば我もお前もコイツも死なずに済む!〙

「そうだ……私にはお父さんもお母さんもお姉ちゃんもいない……みんな怪異に殺されたんだった……」

私は自分がこれ以上生きていても何の意味も無いことに気づいてしまった。


ドゴン!!


突然路地裏に騒音が鳴り響く。

電信柱が次々となぎ倒され、巨大なナニカがこちらに向かってくるのがわかった。

音の方を見ると巨大な黒い蜘蛛の身体に、中年男の顔面がついた怪異がぎょろりとこちらを見つめていた。その不気味な姿を見て、私の身体は動く事を忘れた。

〘サラマンダーみ〜つけた!弱ってる君を食べるだけでも僕は強くなれるんだから、逃げないで大人しく殺されてくれよ〜!〙

不気味な声で女の怪異に話かける蜘蛛の怪異。

〘思っていたより早く見つかった!!はやく我に身体を差し出せ!このままでは全員こいつに殺されるぞ!〙

〘サラマンダー。人間とお友達になったのかなぁ〜?健気だね〜。僕がその人間、殺してあげるよォ〜!〙

蜘蛛の怪異は巨大な鎌のように鋭い前脚を私目掛けて振り下ろしてきた。

私はそっと目をつぶる。思えば何も良いことのない人生だった。欲を言うならもっと楽しい人生を送ってみたかった。友達と一緒に遊んで。恋人と一緒にデートして。家族と一緒に眠りにつき。猫を撫でる。そんな生活が私の憧れだった。

でも、私の人生はここで終わりなんだ。

諦めきった私の心に小さな声が響く。


「ミャアーッ!!」


どこにでもいる野良猫の声。私にとって唯一の友達の声。

悲鳴なのか威嚇なのか、はたまた私に助けを求める声だったのかはわからない。

でも、その声を聞いた私は自分でも気づかない内に叫んでいた。

「私の身体、使っていいから!!はやくアイツをブッ殺してシロネを助けて!!」

私が最後に見たのは、女の怪異がニヤリと笑う所だけだった。


グシャアッ!!


〘どうしたサラマンダー。助けなくて良かったの〜。この人間、潰して殺しちゃったよォ〜?〙

〘……〙

〘オイ!サラマンダー!返事ぐらい……!?〙

蜘蛛の怪異の目線の先に女の怪異はいなかった。

〘どこに行ったのォ!?また逃げたのォ!!〙

〘……〙

「……」

「……我ならここにいいるぞ!!」


グシャァ!


〘イギャアアアアアアッ!!!痛いッ!痛いよォッ!!〙

蜘蛛の怪異の前脚が砕ける音が静かな路地裏に鳴り響く。

〘……君、さっき潰した人間!!何故生きている!!〙

「我が人間?我が名はサラマンダー!最強にして最恐の怪異なり!」

そこにいたはずの少女。黒江美鈴の姿は以前とは異なる物になっていた。紫色だった左目は紅く染まり、黒髪の先端は微かに赤みがかかっている。頭部には一本の大きな角が生えている。

〘さ、さては君、あの人間に寄生したんだな〜!でも、ならば弱〜くなってるはず!死ね!サラマンダー!!〙

2対の前脚を振りかざす蜘蛛の怪異。

その動きに対応するように少女は手を伸ばす。

「"炎迅"」

少女の手から放たれた炎は勢いよく身体を押し出し、2対の攻撃をギリギリで躱す。

〘なんだお前〜〜!!死ねよー!!!〙

蜘蛛の怪異は口を大きく開くと、糸のような物を少女に向けて放った。糸はそのまま少女の身体を絡め取り、身動きを封じる。

〘口ほどにもないヤツ!さて、死体を拝んでやるよ〜〜〙

怪異は糸の塊にそっと近づく。

〘あがぁっ!?〙

「それで我が殺せると、本気で思っていたのか?」

少女は怪異の顔面を右手で掴んみ、身体にまとわりついていた糸を炎で焼き付くす。

〘や、やめろ!やめろ!〙

「"焼却"」

少女が囁いだ瞬間、掌から業火が吹き荒れる。

〘ギャアアアア〜ッ!!!熱いッ!熱いよォ〜〜ッ!!!〙

蜘蛛の怪異の肉体は焦げていき、1分も経たないうちに燃え尽きて灰塵となった。

「………。くそッ!身体がまだ馴染んでいない……。自我が維持できないか!小娘、一旦返すぞ……」


気づくとそこには焼け焦げた蜘蛛の怪異の死骸と、弱っている白猫の姿があった。

「シロネ!」

「ニャアン……」

私はシロネを抱きしめる。

「ごめんね……!怖かったよね……!」

「ミィ……」

「え………なにこれ?」

そこで私は自分の身体に異変が起きていることに気づく。

なんと、動かないはずの左半身が動くのだ。

「まさか……!あの怪異、私の身体を治してくれたの……!?」

〘誰が貴様の身体を治すかバーカ〙

頭の中でさっきの女の怪異の声が鳴り響く。

〘貴様の身体の半分を我が貰い受けたのだ。もう貴様の身体は貴様だけの物ではない。これからは我と共に生きるのだ!覚悟しろよ!人間!フハハッ!!……おっと、まだ名乗っていなかったな……我の名はサラマンダー。最強にして最恐の怪異なり!我にひれ伏せ!人間!クハハハッ!!……あれっ……身体が動かぬ……!〙

「よかった。身体の主導権は私にあるみたい。まあ、あんなに調子に乗ってたらそうなりますよ……」

私は呆れた表情でサラマンダーと名乗る女に語りかける。

今、私の身体の中には、このサラマンダーという怪異がいる。この身体は私だけの身体じゃない。

私はこの日を境に、1人の怪異と暮らすことになった。

1匹の白い猫を守るために。

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