カルメリア
讃岐うどん
第1話 死刑
数百年前、俺は死んだ。多くの人を殺し、多くの人の幸せを奪った。
ある時は刃を全身に突き刺した。ある時は四肢をもぎ取り酒の足しにした。ある時は肉を溶かした骨でスープを作り人に食べさせた。
何故こんなことをしたのか、今でもわからない。けれど、当時の俺に理由なんて無かった。
独り身の俺にとって、唯一続いた遊びだった。
殺人罪、強盗罪、器物損壊罪……ああ、やっていない罪を探した方が早い、そう思えるほど幾多もの禁忌を侵した。
けど、何事にも終わりは訪れる。冬が終わりを告げようとしていた、三月のこと。二千を超える骸を作った時だった。血の匂いがすると通報が入ったそうだ。
俺は捕まった。判決は死刑。勿論、控訴したとも。けれども判決は覆ることはなかった。
何となく分かってはいた。覚悟はしていた。裁判に掛けられただけまだ良かった。
囚人としての生活は、まさに地獄だった。毎朝自身の死を自覚する。
「死にたく無い」
この言葉を何度聴いたのだろうか。祈るように縋るように、囚人達は警務官に泣き叫ぶ。気が狂いそうだった。悪くはなかった。少し、心地よかった。
いつか来る自分の死。それが怖くて脱獄をしようとした者もいた。己が罪と向き合い更生をした者もいた。
まあ、例外なく全員死ぬんだがな。
朝はいつも正座で迎える。先死ぬ者達へのせめてもの敬意として。
朝を食べ、昼を過ごし、夜を迎える。
収監されてから5年ほど経ち、少しずつではあったが、この生活にも慣れてきた。
そう思った頃にそれはやって来た。
「囚人番号276番!出ろ、刑を執行する」
告げられる死。緑の帽子を被った青年が淡々と告げる。帽子を深く被っていて顔は見えなかったが、少し足が震えていた。
鉄格子に鍵が差し込まれる。ガチャンと、鉄格子が開き、警務官が俺に近づく。一歩一歩、震えている足取りで、ポンと、軽く俺の肩を叩いた。
「早くしろ……」
淡々と冷静に彼は催促する。けれど、その声は震えていた。緊張しているのだろう。そう考えた俺は立ち上がり、軽く笑った。
「安心しろよ、そんなに緊張するな。お前は仕事を果たすだけ。俺は罰を受けるだけ。お互い、簡単だろう?さ、俺を最後の場所へ連れて行け」
青年の背中をポンと叩き、俺たちは絞首台に向かって歩き出した。
「お前……怖くないのか?今から死ぬんだぞ!?俺はお前が怖い。普通、死刑囚は自身の死刑を告げられると拳を振るい抵抗する。なのにお前は……」
そこまで言って口を閉じた。もうすぐ絞首台が見えてくる。人と喋るのはこれで最後になるのか。そう考えると少し寂しい。
「最期に一つ人生の先輩として教えてやる。自身の信念を貫き通せ。たとえ、誰に邪魔されたとしても。たとえ、世界が否定したとしても。最後までやりきれ。
俺は自分のやりたいことをやった。その結果がこれだ。なら、受け入れるとも。
あと、お前警官向いてないぞ。優しすぎる。俺たちは人でなしなんだ」
最後まで言い切って、俺たちは懺悔室に入った。彼とはそこで別れた。帽子奥から見えた雫が地面に垂れた。ステンドグラスに彩られた十字架が部屋を照らす。左手に聖書を右手に十字架を持った黒い服の男がいた。十中八九神父だろう。メガネをかけ、白い髪がぽつぽつと生えていた。
長方形の机を挟み、俺たちは黒いソファに腰掛けた。
「貴方は死について、考えたことはありますか?」
幾度となく繰り返されたであろう定型文。
初めての体験だった。こんなことを言われる日が来るなんて。テンションが上がっていた。
「一度だけ、な。けれど、アンタの望む答えではないだろうな」
「良いですよ。神は全てを受け入れます。神は貴方の罪を、善行を、全て見ています。信じれば必ず許してくれるでしょう。救ってくれるでしょう」
神父はにっこりと笑い、俺の答えを待つ。
大きく深呼吸をし、目を開ける。
「神か……もしいたら良いな。もし、神が実在するのなら、どうせ俺は天国なんていけない。
千年経っても俺は煉獄で焼かれ続けるんだろうな。それとは別に、もし異世界ってやつがあるのなら、面白そうだな」
湯気の出ているコーヒーに口をつける。熱い。これが最後の一杯になるのか……。悪くない。
「そうですか。では、最後に祈りを」
両手を合わせ、黙祷をする。今までの罪に向き合う為に。
ぎぃ、と扉が開く。警務官が二人来ていた。
どうやら本当にこれが最期らしい。
懺悔室を出て絞首室に入った。すると二人は俺に目隠しをつけ、縄を首にかけた。
「最後の言葉を聞こうか」
看守の声を聞くのもこれが最後。
「じゃあな」
俺が誰かと喋るのもこれが最後。
看守は淡々と処刑の準備を始めた。
「……では、執行開始」
ガン、と大きな音がした。
床がすっぽりと抜け落ちる。
首に強い衝撃が走る。
息ができなくなる。
意識が朦朧とし始める。
身体中の力が抜けていく。
30秒ほど経って看守達が俺を引き上げる。
もう、息をしていない。大罪を犯した骸を見て何を思ったのか、わからない。だって、知らないんだから。ああ、死んだとも。これで俺の人生は終わった。
川のせせらぎと火が燃え盛る音。五月蝿いようで心地よい音色。
「……」
目が覚めるとそこには川がありました。森がありました。焚き火がありました。
「……?」
不思議な事にそこには誰もいませんでした。生き物1匹すらいません。太陽は雲の裏に隠れていて、姿を現しません。
「……は?」
ここがどこかわからない。ただ一つ言えることがあるとすれば、俺は死んだ。まるで時が止まっているような感覚に陥る。川は流れている。森は靡いている。炎は燃え盛っている。
けれど、胸の内に秘めた違和感が世界を支配する。隣に落ちていたナイフを拾う。これがあれば何とかやっていけそうだ。
「寒いな……」
自分の服装を見てみると、昔、殺人鬼だった頃の黒いコートを着ていることがわかった。
焚き火が無ければ今頃凍死していたであろう。炎が時間を喰らう。薪が悲鳴を上げる。
薪がなくなってきた。俺は森を目指して歩いた。
そうやっていつの間にか百年もの年月が経っていた。いまだに変化は訪れない。あの時から変わらず、時間は変化を許さない。
今日も薪を集める。幾ら寒さに慣れたとはいえ、あったかいに越したことはない。
「よし……」
両手いっぱいの薪を集めた。これだけあれば1ヶ月は持つだろう。そう思いながら拠点へと歩く。
「あ?」
炎でよく見えないが、何かいる。髪の色は金色。背丈は10前後の少女。そして、背丈に見合わぬ巨大な鎌。
明らかにヤバいやつだった。敵にしてはあまりにも油断し切っている。かといって救世主とは思えない。森の出口に薪を置き、ポケットにしまっていたナイフを取り出す。
殺して吐き出させる。それが俺のやり方だ。
姿勢を低く構え、チャンスを待つ。
「いや、そんなことしなくてもいるのは分かっているからね?」
どこからともなく聞こえてくる声。
少女からではない。脳に直接響かせている。
「私は敵じゃないから、そのナイフをしまって欲しいな。あと、早く薪持ってきて。寒い」
俺は何も言わずに声に従った。
炎を挟んで二人は座る。
少女は無邪気に足を回していた。
「……お前、誰だ?」
開口一番、正体を問う。
「私はリリス。ここの神様みたいなもの。さっきも言った通り、私は君の敵じゃない。」
リリスと名乗った少女は、到底信じられないことを平然と言った。
普段なら絶対に納得しない。けれど、ここにいるということは、そういうことなのだろう。
だから、少女が言ったことを受け入れた。
「ここの神様って言ったよな。つまりここがどこか知っているんだよな?」
「ここは狭間。世界と世界とのね。異世界同士が関わらないようにするための関門。ここは本来なら生命は来れない筈の場所だから。私は君に頼みたいことがあるの」
少女は淡々と真実を告げる。世界が何個もあること。ここにいることがまずいこと。
「頼みたいこと?」
「君には、異世界に転生してもらいたい」
「は?」
俺が整理する間もなく少女は話を続ける。
「世界が滅びるとき、主に二つの原因があるの。一つが自然災害。これは防ぎ用がない。もう一つが人災。人の手によって世界が滅びるの。君には人災を防いでほしい」
すると少女は俺の隣まで来てポケットから小さな水晶玉を取り出す。世界が燃えていた。人が声を荒げていた。死にたくないと。生き残りたいと。無惨に人が死ぬ。
「これを見て。これが世界の崩壊。たった一人の少年によって引き起こされた終わり」
「……」
少女が水晶玉をちょんと指先で突くと水晶玉に写っていた世界が逆行していた。
もう一度少女が水晶玉を突くと一人の少年が写った。
「君にはこの人を殺してもらう。彼が厄災として世界を終わらせる前に」
ここまできて俺はようやく少女の頼みに気づいた。
拒否権なぞ無いのだろう。俺は何かを諦め、短く返事をした。
「わかった」
「よし!」
少女は嬉しそうに立ち上がり、大鎌を握る。
少女は思いっきり大鎌を振り下ろす。すると、空間が割れた。虚空が切り裂かれた。
「入って」
「うお……」
少女に言われた通りに虚空に入ると、世界が一変した。魂の抜かれた森が力強く大地を踏み込む木へ。蒼く光輝く空。それを巨大なドラゴンが滑空していた。一歩踏み入れただけで分かった。
「これが、異世界……!」
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