第1章 少年期 王女との日々編

第1話 少女との出会い


 風が心地良い。少々強いな。まあ、風があれば涼しいから、寝苦しい夜にはピッタリだな。


 そして何より、何なのだろう。この宙に浮いているような感覚は。

 しかし、これもまた、心地が良い。


 俺の家のベッドはそんなに寝心地が良かっただろうか。いつも、ベッドが硬くて寝られなかったのだが。


 そこで俺は違和感に気付く。何かがおかしいと。


 そして、恐る恐る目を開けるとーーー


 ーーー俺は、文字通り『宙に浮いていた』のだ。




 ーーー


「え?え、え?は?うん?ここ、空!?」


 ん?何故だ。声が妙に高い。そ、それに、何だ、この体は。手が小さい。足も短い。何が起きてる?


 焦りが止まらない。いや、この状況で焦りを覚えない方がおかしい。だってここは空だ。朝、外に出て見上げると広がっている、青空だ。


 今俺は、地面に向かって真っ逆さまに落ちている。このままだと、原型を留めないくらいにぐちゃぐちゃに死んでしまう。


 さて、何か対処法を考えようじゃないか。


 ここは空の上。体勢を整えようとしても、空中でそれをするのは困難。


 俺は仰向けで、気をつけの格好で落ちている。俺は寝相が良いからな。


 なんて冗談を言っている余裕は無い。マジでやばい。


 俺は空を飛べるわけでもなく、魔法が使える訳でもない。魔法なんて、そもそもこの世に存在しないか。


 もう諦めよう。俺が出来ることはもう無い。このまま跡形もなく死のう。葬儀には誰か来てくれるだろうか。父さんも母さんも忙しいし、俺には友達もいない。まあいいか。


 つまらん人生だったな。いじめさえ無ければ、もっといい人生が送れたのだろうか。


 まあ、最後にあのチンピラ共に1人一撃食らわせてやったのは、スカッとしたがな。


 走馬灯なんてもの、流れないじゃないか。それだけつまらない人生だったとでも言うのか。


 ともあれ、もう終わるんだ。このクソみたいな人生が。これで、やっと。


 死に方は少々残酷すぎるかもしれないが、まあ死に方なんてどうでもいい。


 どんどん地面が近づいてくる。もうすぐだな。


 さようなら、世界。


 どうせ生まれ変わるなら、異世界にでも転生させてくれ。


 ……今までありがとう。皆。


 ーーー


 ……知らない天井だ。


 いや、天井が見えるのがおかしい。俺は死んだはずだ。


 そうだ。ここは天国か?それとも、チンピラを殴ったから地獄に落ちたのだろうか。


 あわよくば天国がいいな。あれだけ苦しんだから、天国ではいい暮らしがしたいなーーー


「あなた!目が覚めたわ!」


「ほ、本当か!?」


 男と女の声がする。何だ?こいつらは。


「魔術が間に合って良かった……」


 待て。待ってくれ。今なんて言った?


 魔術?こいつらはあれか、可哀想なカップルなのか?中二病のカップルなのか?


 まあ、声を聞くに年頃の男女だ。逸材が偶然合わさったのだろう。


「あ、あの」


「どうしたの?」


「あなた達は、どなたですか?」


 まずは相手の名前を知る。天国か地獄かは知らんが、とりあえずコミュニケーションは大切だしな。


「あ、そうね。あなたは空から落ちてきたんですものね。私はロトア・パノヴァよ」


「オレはルドルフ・パノヴァだ」


 ほう。随分と西洋チックな名前をしてるな。


 ……というか、よくみるとこの2人はヨーロッパの人のような顔立ちだな。天国か地獄に来たら、西洋人ばかりなのだろうか。


「お名前、言える?」


「僕の、ですか」


 名前を聞かれるのは慣れてる。今まで、幾度となく口にしてきたもの。忘れるはずがない。


 ーーー忘れるはずが、無いのだ。


 しかし、どれだけ振り絞っても、名前は思い出せない。


 何故だ?『パパ』『ママ』の次に覚えるような単語だぞ。


 忘れては、ならないんだぞ。


「……わかりません」


 思い出せない。脳内から完全に消え去っている。


「なら、私たちで名前をつけてあげましょう」


「そうだな……うーむ……」


 悩む2人。いや勝手に付けられちゃ困る。


 俺の父と母が、夜を共にし、俺を身籠り、一生懸命俺を産んで、試行錯誤しながら、大切に付けてくれた名前があるんだ。


 ある、はずなんだ。


 だが、思い出せない。


「そうだな……ライトニング・パノヴァ、とかどうかしら?」


 馬鹿なのだろうか。いや、馬鹿なのだろう。かなりお頭の方が残念なのだろう。美人なのにもったいないなあ。


 さあ、男よ……ルドルフよ、この哀れなロトアに救いの手を差し伸べてやってくれーーー


「いい名前じゃないか。流石はオレのロトアだな!」


「やだ、褒めすぎよ」


 2人揃って、頭が残念だな。このままでは本当に俺の名前がライトニングになってしまう。もういい。俺が考える。


「僕は、ベルです」


 俺は今日から、ベル・パノヴァとして生きていくことになった。




 ーーー


 さて。ここはどこだ。


 見た感じ地獄では無さそうだ。この家は決して大きいという訳ではなく、程よい一軒家といった感じだ。


 故に、天国と呼ぶにも少し違う気がする。


 となると、本当にここはどこだ。


 そうだ。この2人に聞いてみよう。


「あの……ここは、どこですか?」


「ここは、ラニカ村よ」


 流石に地名は分かるみたいだ。これで、「私も分からないのよ」なんて言われたら、俺はこの家を出ていっていただろう。


 それにしても、聞いた事のない地名だ。


 どうしたものか。まあ、どうせ死んだんだ。天国でも地獄でもない、別のどこかなんだろう。


 まあ、一応聞いてみるか。


「僕は死んだんですか?」


「いいえ。あなたは死んでないわ。空からいきなり落ちてきて、地面に激突したわ」


 いや、あの高さだぞ。死なないはずがない。


 ああ、そうか。何でこの可能性を考えなかったのだろう。これは夢だ。何かの夢なのだろう。


 そう思って頬をつねる。痛みはある。となると、これはどうやら現実らしい。


「激突したなら、僕は死んでいるはずでは?」


「私とルドルフで、治癒魔術をかけたのよ。あなたは運良く、即死じゃなかった。だから、治癒魔術でなんとかなったの」


 ……治癒魔術?


 さっきから、魔術だの治癒魔術だの、何を言ってる。


 しかし、確かに頬に痛みはあったのだ。となると……


「ここは、異世界か」


 ようやっと、今の状況を正しく理解した。




 状況を整理しよう。


 俺はベル・パノヴァとして、生まれ変わったんだか転移したんだか、はたまた召喚されたかしてこの世界に来たらしい。何にせよ、空から落とすというやり方は心臓に悪いからやめて欲しいものだ。


 そこで料理をしているのは、ロトア・パノヴァ。彼女は、今日から俺の母、となるらしい。


 隣にいるのは、ルドルフ・パノヴァ。ロトアが母、ということは、ルドルフは父になるのか。


 つまり、2人は残念なカップルなどではなく、夫婦だったのだ。申し訳ない。


 そしてここは、ラニカ村。正確には、グレイス王国・パノヴァ領、ラニカ村。てことは、ルドルフはこの辺を牛耳ってるってわけか。


 言葉は通じる。これが本当にでかい。


 会話が出来なければ、意思疎通が容易ではなくなる。つまり、1から勉強し直さなくとも、言葉は通じるのだ。正直、ここにいちばん安心した。


 これからどうしようか。異世界に来てしまった以上、あっちの世界にはしばらく戻れそうもないな。


 こっちで生きていくしかない。


 まずは、外に出よう。


「あの……少し、外出してもよろしいでしょうか」


「ベル。あなたは今日から私たちの息子よ。敬語はおやめなさい。外出はいいわよ。ご飯までには帰ってきてね」


「はい……うん、母さん」


 そう返すと、ロトアの目に光るものが見えた。何か、傷つけることを言ってしまったのだろうか。帰ったら謝ろう。


「ご飯までに帰ってきてね」なんて言われたのは何年ぶりだろうか。そんなことを思うと、俺も少し涙が出そうになる。


 とにかく、外出には成功した。まずは村を見て回ろう。


 ラニカ村は決して大きな村ではない。まあ、村だからな。


 それにしても、歩くのが遅い。足が短くて歩幅が小さすぎる。不便だ。子供はこれで歩いているのか。凄いな。もっとも、俺にも1度はこの時期があったのだが。


 そして、疲れる。体が小さいからか、少し歩くだけでかなり体力を消耗する。


 周りを見回すと、様々な市場がある。文字は……流石に読めない。日本語なわけが無い。


 こんなに小さな村なのに、とても発達している気がする。見た目は限界集落なのに、この村の人々は活発だ。


 しばらく歩いていると、5つの人影が見えた。


 1つは横たわっている。4つは何やら暴れながら笑っている。


 ーーーあれは間違いなく、良からぬ事だ。


 少し足を早める。


 ……やはりそうか。


 1人の少女は横たわっている。他の4人が、その子を殴ったり蹴ったり、めちゃくちゃにしていた。


「何をしてるんですか?」


 まずは下手にでる。最初から喧嘩腰ではいけない。何か事情があって、こうなっているのかもしれないのだから。


「見りゃ分かんだろ。で、何だ?お前。この辺じゃ見ねえガキだな」


 いや、己もガキだろうが。背は俺よりも高いところを見ると、まあ年上だろう。


「見ても分かりません。で、何してるんですか?」


「これだから頭の悪いガキは。こいつが臭いから、あっちに行くようにこいつらにやらせてんだよ」


 ほう。臭いからというだけの理由で、こんなことをしているのか。しかも、自分の手は汚さずに。


「その他の理由は、無いんですね」


「ねえよ。とにかく臭いんだよ、こいつ。どうだ?こいつらと一緒にやってみろよ」


 こちら側へ引き込もうとしているのか。ガキにしちゃ考えたじゃねえか。


 そんなつもりは毛頭無いがな。


「わかりました。じゃあ、やらせて頂きますね」


「おう。聞き分けのいいやつは嫌いじゃねえ」


「ーーーてめぇらのことをな」


 そう言って、俺は地面の土を、足で力いっぱい握り、蹴った。




 ーーー


 俺は惨敗した。当たり前だと言えば、そうなのかもしれない。


 俺は、あっちの世界でチンピラをボコボコにしたから、天狗になってただけだった。ましてや、この小さな体。こんな体で、何が出来るものか。


 ーーーこれじゃ逆戻りじゃねえか。


「口先だけはいっちょ前だな!お前!そんなに弱いのにどうして俺たちに勝てると思ったんだ?おい、答えてみろよ」


 クソ。だっせぇ。何が「てめぇらのことをな」だ。数十秒前の俺に辞めとけと言い聞かせたいぐらい、恥ずかしい。


 周りの人間は笑っている。その少女は、俺を見るだけで動こうともしなかった。ただ、光のないその目で、俺を見つめていた。


 そして、その少女は髪の毛を引っ張られ、持ち上げられた。


「……その子を、離せ」


「あっはっは!お前、こんだけやられてまだ分かんねえのか?正義のヒーロー気取りか?お前じゃなれねえよ!これ以上笑わせないでくれ!片腹痛い!」


 こいつほんとにガキかよ。どうせ悪い父親を真似てるんだろ。腹立つな。


 といっても、今の俺じゃ勝てんな。どうしたものか。


 ここは一旦逃げるのが懸命か。


 いやしかし、この子はどうする。


 確かに、俺は別にこの少女と関わりがある訳でもない。初めましてだ。正直、この子を助ける義理も理由も、どこにもない。


 ……だが、助けない理由も、同じように無い。


 このままでは、どちらもボコボコにされてこいつらに笑われる。


 ……一か八か、賭けてみるか。


「……ヒール」


 確かさっき、俺は空から落ちてきて、意識を失う直前、ロトアの声を聞いた。


 彼女は確かに、『ヒール』と言った。


 同じように真似してみる。言葉だけじゃダメだ。俺なりに神経を集中させ、頭でイメージをする。


 すると、俺の手が緑色をまとい始めた。


 そして、みるみる俺の体から、これまでの疲労、戦った……というよりボコボコにされて負った傷が、みるみる治っていく。なんと。俺にも使えたんだ。


 ーーーこれで、行ける。


「お前……!治癒魔術を使ったのか!?」


「黙れ」


 呆気に取られるいじめっ子たち。隙を見せたな。


 みぞおちに1発。大事な所に膝蹴り。そして顔面にパァァァンチ。


 決まった。


 リーダーらしきいじめっ子が倒れて、それを見て後ろで少女のところにいた3人も同じようにボコボコに……してやりたかったが、逃げられた。だが、追いかけるのはやめよう。面倒だし、流石にこの子を放って追いかけるなんて事はしない。


 少女に歩み寄り、治癒魔術をかけてあげるのが最優先だ。


「大丈夫?」


「え、う、うん。大丈夫」


 被っていたフードを脱がせ、顔を覗き込む。


 オーノー。とんでもない美人さんではないか。


 背中まで伸びた赤い髪の毛。バッサバサのまつ毛。小さなお鼻に、小さなお口。なんだこれ!かわい!


 確かに、少し臭うな。しかし、我慢だ、我慢。衣服がボロボロなのを見ると、何日もお風呂に入れていないのだろう。


「とりあえず、僕の家に向かいましょう」


「わ、私、臭いから……きっと、あなたのお母さんやお父さんは、お家に入れてくれない……」


 何を懸念してるんだ。


 ルドルフとロトアはな、馬鹿だけど優しいんだぞ。だから大丈夫だ。あいつらに限って、絶対そんなことは無い。……と思いたい。


「大丈夫ですよ。僕が説得します」


 そう言って、少女を連れて家までーーー


 ん?少女が何か言ってる。何だ。まだ何かあるのか。大丈夫だって。何も心配なんて要らない……だろ……


 意識を失った。




 ーーー


「……はっ!」


 目が覚めると、見た事のある天井が見えた。し、死んだのか。死に戻りしたのか。何で死んだんだ。


 しかし、そんな心配も杞憂へと変わった。


 隣に眠る少女の姿を見て。


「あ、起きたのね、ベル」


「うん。おはよう」


 どうやらあの後、気を失ったらしい。何でだ。傷は治癒魔術で癒したはずだし。


「ベル。あなた、治癒魔術を使ってベルとその子を治したのね」


「うん。それがどうか……うぇ?」


 我ながら変な声が出た。ロトアはカタカタと震えている。何だ。治癒魔術って、実は禁忌の魔術で、使ったら3日以内に死ぬとか!?いや、さっき2人も使ってくれたって言ってたし、それは無いな。


 ロトアはまだ震えている。今度は近づいてくる。怒っているのか?やっぱ、軽率に魔術なんて使っちゃいけなかったのか。どんどん近付いてくる。あなたはうちの子なんかじゃありません!なんて言って攻撃魔術で俺をぶっ飛ばすのだろうか。


 瞬間、ふわっと良い香りがした。そして、柔らかい感触に身を包まれた。


 そして、俺の体はベッドを離れ、ロトアの胸の中に収まっていた。


 ルドルフが近付いてくる。


「教えてもいないのに、魔術が使えるなんて凄いじゃないか。しかも、1人の小さな女の子まで治癒魔術で助けたのか。立派な子だな」


 ルドルフのたくましい手が、俺の頭を撫でる。たくましく、優しい。そして、温かい。


 自然と、涙が溢れてくる。


 俺の本当の父と母は、決して悪い親、いわゆる『毒親』というやつではなかった。だが、互いによく喧嘩をし、俺は中々口を聞いて貰えなかった。2人共忙しかったというのはあったのかもしれない。だが、こうやって頭を優しく撫でられることなんて、多分、生まれたばかりの時以来だろう。あの親なら、生まれた時ですら撫でてくれたかは怪しいが。


「ん……でも、何で僕は気絶してたの?」


「魔術が使えると言っても、あなたはまだ小さな子供よ。魔力切れを起こして、気を失ったの」


 要するに、MPか。俺はMPを使い果たして、気絶したらしい。


 少な。治癒魔術を2回使っただけで倒れるのか。小さいからというのはもちろんあるだろうが。


「何より、2人とも無事で良かった。その女の子も、俺が治癒魔術をかけて治しておいた。心配ない」


「良かった……ありがとう、父さん」


 とりあえず、この子が無事ならよかった。


 それから俺は、この子が目覚めるのを待つことにした。


 二度と人を殴ることはごめんだ、とかなんとか言ってた矢先にやってしまった。あの状況では仕方ないだろう。神様もきっと許してくれる。


 ……この子が目覚めたら、名前を聞いておこう。


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