16 劣勢

「逃げよう! マイ!」

「ぎゃーーっ! 来んな!」


 スガ達から逃げなければならないことを説明しようと歩み寄るが、マイはシャンプーやらコンディショナーやらを投げつけてきて話ができない。

 なんて凶暴な女だろう。全く、俺がスケベ心でここにいるみたいじゃないか!


 ――その時、あいつらのでかい話し声が入り口の方から聞こえてきた。

 本当に、こんなことをしている場合では無い。


「やばい!」

「んっ!? んーーっ!」


 暴れるマイの腕を掴み、口を抑えてロッカーに引きずりこんだ。側から見れば完全に、もう完全に変態の行動そのものだったが、そんなこと言ってはいられない。


 ――俺はけじめのつく男。いやらしい気持ちなど、ない。


「あっれー? どこでちゅかー? 可愛がってあげますよー? ギャハハ」

「おいおいどーこ行ったんだぁ? お楽しみの時間だぜぇー?」


 下品な会話が、ロッカーの扉を挟んだすぐ向こう側から聞こえて来る。


「なにあいつらきもい。なるほど。仲間ができて一安心、とは行かないわけね」


 状況を素早く理解したマイが耳元で囁く。察しがよくて助かる、が。でもでもでもそんなことより、耳元で女の子が囁くのって、こんなにエロかったのか……! 


 下着姿のマイと狭いロッカーの中に二人。

 微かな吐息が耳にかかる。豊満な胸が下着越しに身体に当たる。マイの髪のいい匂いが、鼻腔から脳天を刺激する。


 顔だけは可愛い下着姿の同級生とゼロ距離で密着している。この状況は、ダメだ。

 色香に逆らえず俺のエリンギ様が反応し、マイの身体に当たっている。


 頼む、気付くな。気付くなよ……。

 この状況で、スガの取り巻き達へ向けるべき心配と不安の矛先は、完全に目の前のマイに向いていた。


「ん? なにこれ」


 マイの手がもぞもぞと動く。そしてあろうことか俺のエリンギ様を――。


(アーーッ!!)

「……え、や、やだ! ちょっと! なんでこんな時にこんなになってんのよ!」

「ししし仕方ないんだ! 違うんだ! これは違うんだ!」


 何も違わない。狭い空間でマイが俺へ肘鉄を連発する。


「や、やめろマイ! 暴れるな!」

「ぎゃーっ! 触った! 絶対許さん!」


 もみ合ってその拍子に思わずバランスを崩して、俺はロッカーを飛び出して床に倒れ込んだ。

 反射的に跳ね起きて拳を構えたが、幸いにも取り巻き達は立ち去っていたようで、シャワールームには誰もいなくなっていた。


「あんたっ……! この変態ッ!」


 真っ赤な顔で体を隠すマイにギロっと睨まれる。


「しょうがないだろ! 今はそんなこと言ってる場合じゃない! 逃げよう!」

「ごまかしてないあんた! 後で絶対ぶち殺すからね変態!」


 俺の呼び名が「変態」に決まった。そして、余命も決まってしまった。


「と、とにかくすぐに明日香達と合流しよう。きっともう出口で待ってる」


 マイが服を着る間後ろを向き、そして二人で更衣室を飛び出した。


 そこで俺達は凍り付いた。

 ――ボウガンを持ったスガと、その取り巻きがヨガスタジオの出口で待ち構えていた。


 明日香とゆりは捕まっている。山羊野は冷や汗を垂らしながら、スガ達の後方に。


「なあおまえ、俺らの話聞いてたな?」


 スガはにちゃり、と気持ちの悪い薄ら笑いを浮かべて言った。



 ▼



「おらっ!」


 取り巻きの一人が俺に拳を打ち付ける。


「おーっとぉ、まだ倒れんじゃねぇぞっ!」


 もう一人の膝がみぞおちに入った。苦しくて、息が出来なくて、膝から崩れ落ちた。


「逃げようと思ったか? 甘えんだよ、クソガキ」


 スガが俺の頭を足で抑えつけ、見下しながら言った。


「うるせえ……足をどけろ……」


 はらわたが煮えくり返る。こいつらは明日香達を襲おうとしてるんだ……許せない。


「んだその目はよぉっ!」

「ぐあっ!」


 スガは俺の腹めがけて足を振り抜いた。

 いってぇ。痛いけど、それより、今の状況を何とかしてひっくり返さないと。


「山羊野……!」


 山羊野の名前を呼んだ。俺を見つめる目を見て、告げ口はしていないことが分かった。山羊野もこの状況を覆す手段を考えているように見える。


「おぉい山羊野、オメェが付いていながらなんだこいつは? 躾がなってねえだろ?」


 スガが両手を広げながら山羊野に近づき、蹴り飛ばした。山羊野は顔を歪めて膝をつく。

 まずい状況だった。スガを含めて、奴らは七人。例え山羊野と二人で戦っても、勝ち目がない。


「なあスガさーん! 俺もう我慢できねえ! 先に行かせてもらうぜ!」


 手下の坊主頭が、後ろ手に縛られた明日香を引っ張った。


「おい! やめろ!」

「るせぇ黙ってろガキ!」


 近くにいた取り巻きが再び俺の頬を打つ。頬骨に痛みが響くと同時に、口の中が切れて鉄のような味がした。


「ぎゃーははは! てめえの女か? てめえみてーな冴えねえ男より、俺の方が気持ちよくしてやれんぜぇ? なぁ、明日香ちゃん?」

「いっ、いやだっ! 離してっ!」

「明日香っ!」


 立ち上がって明日香の元へ走ろうとするが、その度に拳や脚が飛んでくる。


「嫌がる女が大人しくなって喘ぐ瞬間がたまんねぇのよ! おらっ! いくぞ!」


 坊主頭は乱暴に明日香を引き回し、エレベーターのボタンを押した。


「駐車場であのNADに見せびらかしながら、公開プレイキメてくるぜぇ!」

「ギャハハ鬼畜だこいつまじで」

「NADはオメーのフ●ック見ても何にも思わねえよ!」


 下品な喝采の中、エレベーターが開く。


「鷹広っ!」


 明日香が泣いている。

 坊主頭はその涙など微塵も意に介さず、明日香をエレベーターへと押し込んだ。

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