3 狂宴
なんだ? 剛田先生、大丈夫か?
目の前の光景を理解しようと頭がぐるぐる回る。でもわけがわからない。今でも盛大に鳴っているはずの扉を叩く音も、周囲の悲鳴も何も聞こえなかった。
しばらくすると、剛田先生を繭のように覆っているそいつらの足元から、ゆっくりと、大量の血が流れ始めた。
「い……イヤぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
刺すような誰かの悲鳴でハッと我に返った。
いつの間にか、閉じている扉の外側を叩く音が増していた。つまりまだ入ってきていない奴がまだ何人もいるってことだ。ものすごい数に囲まれているのかもしれない。
そこへ、唐突に火災報知器の音が鳴り響いた。甲高くて耳障りな、不安を煽る音。
「うるせえ! あんだよこれ!」
最後尾に並ぶ熊田が大声で悪態をつくが、冷や汗混じりで恐怖を隠せていない。
「キャーーーッッ!」
混乱に追い討ちをかけるように、火災報知器に負けない声量の悲鳴が響いた。
声のする方に目をやると、座って壁にもたれかかっている蟻塚が盛大に吐血していた。その顔は蒼白どころか土気色で、ガクガクと見ているこっちが怖くなるくらいに痙攣している。
「あ、蟻塚!? 大丈……」
咄嗟に駆け寄ろうとした瞬間。
蟻塚はゆらりと胴体をしならせて立ち上がり、近くにいた女子生徒へ襲いかかった。
細い首筋に歯を突き立てると、びゅっ、びゅっ、と小刻みに血が吹き出し、女子生徒は叫ぶこともなく、口をぱくぱくとさせた後、脚から力が消えて倒れた。
蟻塚は今度は別の生徒に視線を向けて、再び襲いかかる。呆然とその様を見ていた。全く頭が追いつかない。何が起きていて、何をどうすればいいのか。現実なのか、夢なのか。人が死んだのか、どうなのか。
「い……イヤぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
離れた場所からまた悲鳴が上がる。蟻塚と同じように誰かが誰かを襲ったのか、体育館の最前列あたりで血しぶきが舞っているのが見えた。
「やだ、ヤダヤダヤダぁぁぁ!」
錯乱しているのか、一人の女子生徒が外へ逃げようと、叫びながらまだ開いていないグラウンドに面した扉に駆け寄った。咄嗟に俺は叫んだ。
「おいやめろ! 開けるな!」
だが時は遅く、開け放たれた扉から何人もの人間が雪崩れ込んだ。
『ウワァァァァァ!』
一気に悲鳴が爆発した。凶暴化した蟻塚をはじめ、突如乱入してきた奴らも手当たり次第にターゲットを決めて襲っていく。捕まった生徒は腕や首などを食いちぎられて、辺りは鮮血に染まる。
「逃げろォォォ!」
誰かの叫び声を合図に全員が我先にと、怒声と悲鳴を上げながら同じ制服を来た仲間達を押し退けて逃げ出し始める。
「鷹広! 逃げよう!」
「ああ、乙姫さん、こっちだ!」
「う、うん!」
リクと乙姫さんと一緒に、近くにいたクラスメイト達と走り出す。
しかし校舎に繋がる唯一の出口は人で溢れ返り、濁流のような流れにもみくちゃにされてリク達の姿を見失ってしまった。
「リク!? 乙姫さん!?」
リクの声がした方向を必死に探して、必死に叫んだ。だが二人を見つけられないまま、生徒達の波に抗えず体育館の外へ流された。それでも逃げ惑う生徒達を掻き分けてなんとか戻ろうとするが、思うように進めない。体がぶつかり、押し戻される。
「くそっ、どけ、どけよ!」
俺はしばらく踠いていた。が、瞬間。
喉の奥から恐怖とかそう言うものをゲロのように吐き出しそうになるくらい、全身の血の気が引いた。
体育館の中から、鬼の形相をした蟻塚が同じような奴らを引き連れて、物凄いスピードで走ってこっちへ向かって来る。
(――やばい。これは逃げないとやばい)
普段おちゃらけてばかりの俺の脳が、今回ばかりは頼むから、と言わんばかりに逃げろ逃げろと叫んでいる。
踵を翻して全力で走って、咄嗟に近くの階段を昇る。
後ろを振り返ると蟻塚は俺を標的に定めたようで、後を追って来た。
階段を二段飛ばしで駆け上がる。俺はただ逃げるためだけの機械と化して階段を昇りきり、誰もいない廊下を無我夢中で駆ける。
背後に聞こえる唸り声から、蟻塚との距離が詰められていることを感じた。
(速すぎるだろ! 何なんだよ!)
これが鬼ごっこならば、もうこれは捕まるな、と察して諦めてしまうような状況。
だけど。だけど今は「まじかー、捕まっちったー」では決して済まない。脳と心臓がさっきから警報を鳴らし続けている。
「クッソォォォォぉ!」
俺は無我夢中で、目に留まった教室に飛び込んだ。
そこは普通の教室の半分くらいの広さしかない、机と椅子の積まれた物置部屋。すぐに扉を閉めようとしたが、あまりに近くに迫っていた蟻塚の身体が、それを阻んだ。
「゛ア゛アァアー!」
蟻塚が人のものとは思えない唸り声をあげる。腰が抜けてとっさに動けない。無様に四つん這いになって壁際へ逃げる。
制服の尻ポケットに蟻塚の手がかかった。
終わった。もうダメだ。嫌だ。死にたくない――!
「オゥラァッッ!」
ドスの効いた叫びが聞こえた。
追い詰められた俺の視界にスローモーションで映ったのは、蟻塚が俺の頭上を飛び越えて窓を突き破り、その後ろでドロップキックを放った男が滞空している瞬間だった。
身軽に着地したその人物は、前髪の下がったトサカのようなリーゼント頭をした、ガタイの良い見知らぬ男子生徒だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます