少年神話~The Boyhood en:Cosmicism~

黒ーん

Last Summer’s Juvenile

第一章 夏の序章

憂鬱な予感

 突然だが、俺、梅原隼人うめはらはやとはゲームが好きで、アニメが好きで、漫画が好きで、勉強は結構できる方な、所謂いわゆるどこにでもいる普通の小学六年生である。強いて変わったことを挙げろと言われたなら、他の子供よりも少し冷めたものの考え方をするってことだろう。


 何? 子供がませたことを言うなって? そう言われたって、そうなんだから仕方がないじゃないか。例えば、今日は七月の第四金曜日。俺たち小学生は明日から夏休みで、教室内では同級生たちが何処其処どこそこへ遊びに行くだの、誰々ちゃんとお泊り会をするだのと、誰もが子供らしくはしゃいでいた。だが俺に言わせてもらえば、夏休みなんてものは、ただの長い休日という程度にしか認識してはいない。


 まぁ表立った教師の言い分を要約すると、学業では得られない何かを学校外の場所で学んでほしいという、ある種の課外授業を体裁的に課した期間、というところだろうか。だが俺が思うにそんなものはただの建前だ。教師たちの立場を察するに、一ヶ月もの間、わずらわしいガキを相手にしなくてラッキーだと思っているに違いない。とは言え、子供の立場の俺からすれば、そんなことはどうだって良いのだが。


 ちなみに俺に予定なんてものは無い。それでも尚、強いて夏休みの計画を挙げろと言われたならば、エアコンの効いた部屋で、のんびりとくつろぎながら休暇を満喫するってことくらいだろう。


 虐待? ネグレクト? 親の顔を見てみたいって? いやいや、違う違う。そういうのじゃない。むしろ夏休みが近付くに連れ、家族でどこかへ旅行へ行こうだの、友達とお泊り会をするならば我が家でと提案してくれる、そういう普通の善良な両親だ。だが俺はそういうのは全てやんわりと、むしろこっちから父母を気遣うような言動を踏まえて断らせてもらった。それで良いのさ。こんな暑い時期に出かけようなんてやつは、夏の熱にやられて、わざわざ太陽光に焼かれようとする、ただの物好きなのだから。


 余談だが、夏休みの宿題はもう終わらせてある。当然だ。当の宿題は、夏休みが始まる一週間も前に配られていたのだから。休暇前に宿題を終わらせるなんて朝飯前、いや、夏休み前のことなのだ。夏休みの後半になって、もっと悪くすれば、最終日に大慌てで宿題に着手するなんて、そんなのは愚の骨頂としか思えない。


 さぁ、今日から一ヵ月間、好きなことだけをして悠々自適なゆったりとした夏休みを満喫してやろうじゃないか。



 ***



 そう思っていたのに。俺の目の前には、理想とは全くかけ離れた現実が広がっていた。まず暑い。網戸越しにミンミンとやかましく鳴くせみの声が聞こえてくる。全身から噴き出した汗で、シャツがびしょびしょになって体に張り付いて気持ちが悪い。これらの状況から察してもらえるだろうが、エアコンなどあろう筈も無く、窓を開けることでしか涼を取れないこの場所は、俺の二人しかいない友人の一人、佐藤大地さとうだいちの家である。


 終業式を終えた俺は、その帰り道、大地のやつに遊びに誘われたのだった。端から暑いことが分かっていた俺は、どうせ遊ぶのなら俺の家へ行こうと提案したのだが、何故か今日は絶対に佐藤家おれんちでと、大地のやつががんとしてそれを譲ろうとしなかった。


 説得は早々に諦めた。こいつは一度言い出したらテコでも爆撃でも動かないやつで、正論とか譲り合いとか折衷案せっちゅうあんとか、そういった言葉とは一切無縁な原始人だからである。だから俺は渋々に承諾し、こうして暑い中やって来てやったというのに、いざ家に来てみれば――。


「母ちゃんの分からず屋ー‼ アホー‼ 出べそー‼ うぉぉぉぉぉッ‼ ちくしょぉぉぉぉぉッ‼」


 これだよ。


 俺と、この場に招かれたもう一人の友人である石岡博いしおかひろしは、こうして自分の母親に対していつまでも盛大に延々と駄々をこね散らかしている大地の様子を、もう一時間近くも見せ続けられていた。冒頭にて俺は、自分のことを冷めた小学生だぞ、なんて言ったが、それはこいつの所為で相対的に冷めて見えるだけなんじゃないかって、なんだか自分でもそんな気がしてくる。


 何故大地のやつがこんなことになっているのか。結論から言うと、大地のやつが自分の母親に対して、俺たち子供三人だけで旅行へ行きたいと無茶な提案した結果、あっさりと一蹴されてしまったからである。つまり俺と博をこの場に招いたのは、説得要員の頭数ということなのだろう。


 まぁこの原始人なりに頭を使ったのだろうし、やり方としては悪くはないのだが、大地の言が一蹴されるのは至極当然というものだ。俺たちは高学年とは言え小学生で、世間から見ればただの子供。普通に良識のある大人からすれば、子供だけの外泊など駄目と言うのが正しいに決まっている。


 そもそも大地よ、俺たちを説得要員として使うつもりだったなら、事前に事情を共有しておくべきだったのではないか。そうすれば他にやり方というか、説得する手筈を整えることだってできたかもしれないのだから。それでも多分俺も博も、まず一度は確実に行かない方向で説得は試みたであろうが。


 まぁ大地よ、今回は残念だったと諦めるんだな。お前もそろそろ、自制心やら節制やらという言葉を知るべきだろう。俺たちも来年からは中学生なんだ。いつまでも子供、というか、原始人のままではいられないのさ。この失敗で、お前も一つ大人に――。


「ハァ……あーもー、うるっさいわねぇ……。大地、もう分かったから……いい加減、騒ぐの止めなね……」

「うぉぉぉぉぉッ‼ おぉぉぉうぉぅおぅおぅおぅ‼ ぶるぁぁぁぁぁぁ‼」

「…………ッ‼ うっせぇな‼ 騒ぐなっつってんでしょうが‼ おぅるぁぁぁぁぁぁぁぁ‼」


 呆れ果て、精魂せいこん尽き果てたかのように見えた大地の母は、突如床でジタバタと跳ねまわっている大地の両足を掴むと、自らを軸にしてブンブンと振り回し始めた。すげぇ、ジャイアントスイングだ。大地の母は昔プロレスラーをしていたのだと話には聞いてはいたが、まさかその技を自分の息子に掛ける光景を見ることになるなんて。そうして何回転かした後、大地の体は宙を飛び、後方に積んであった布団の山の方へと突き刺さった。の、だが。


「…………。うぉぉぉぉぉッ‼ おぉぉぉうぉぅおぅおぅおぅ‼ いぇぇぇあぁぁぁぁぁぁぁ‼」


 僅かな沈黙の後、布団の間から出ている下半身をジタバタとさえ、尚も暴れ続けていた。こいつ、ここまで無尽蔵な体力を有していたのか。もう一時間もの間、全力で声を張り上げ、散々暴れ回っていたというのに。


 ちなみに余談だが、こいつは過去体育の授業の持久走にて、終始全力ダッシュを貫き、勝手に他の生徒たちの二倍の距離を走った挙句、最終的に一位でゴールテープを切り、全教師、全生徒を驚愕、震撼させたという事件をやらかすほどのやつである。あぁ、そう考えたなら、目の前のこれも想定の範疇はんちゅうと言えなくもないのか。いや、やっぱりおかしいだろ。なんなんだよこいつは。本当に人間なのか?


 そうして暫くするも、全く収まろうとしない大地。しかし、今回の癇癪はいつもに増して激しいな。一体何がこいつをここまで突き動かしているのか。目の前の光景を目の当たりにした大地母も、自らの息子のそんな有り様を見るや否や、愕然というか、落胆と言うか、そんなあらゆる感情がミックスされたかのような表情を浮かべていた。すると、大地母は何かを諦めたように口を開く。


「……大地、分かった、分かったって……。条件次第で行っても良いから、とりあえずそれ、その暴れるの、止めなさいよって……」

「えっ、マジ⁉ マジかよ母ちゃん‼ 俺たちだけで旅行行って良いの⁉」

「条件次第って言ったでしょ。そんなこと、うちの事情だけで決めて良いことじゃないの」

「えぇ⁉ なんだよ、そのジョー・ケンって‼」

「まず旅行へ行く場所だけれど、それはママに決めさせてもらうからね」

「なんだ、そんなの当たり前だろ。子供だけでどこへ行くかなんて決められる訳ねぇじゃん」

「あんた、自分たちだけで旅行に行きたいって言っておきながら、行く場所についてはママ任せにするつもりだったんかい。いやまぁ、子供、っていうか、こいつはそんなもんか……」

「で、俺たちはどこへ行けば良いんだ? ハワイ? グアム?」

「日本に決まってるでしょ。ママの“はとこ”に小さな旅館をやっている人がいてね。海も山もある場所だけど、他には何も無い誰も知らないような田舎の村だから、今から頼んでも多分泊めてくれると思う。そこへだったら行っても良いよ」

「なーんだ、日本かよー。時代はグローバルだぜ、母ちゃん」

「ったく、あんたは下らないことばかり覚えてきて……」

「ま、こいつらと一緒に行けるならどこでもいいや。それで、いつ行けるんだ? 明日? それとも明後日?」

「ちょい待ち。その前に、もう一つ条件があるの」

「なんだよ、またジョー・ケンかよ。大体、そのジョーって一体誰なんだよ」

「……ねぇ、さっきからイントネーションがおかしいなとは思っていたけど、あんた、条件をジョーさんか何かだと勘違いしてない?」

「おっ? …………、お、おぉ!」

「……もう、良いわ。あんたとまともに話していたら疲れる……。で、二つ目の条件だけど、隼人くんと博くんの両親が良いって言うこと。これは絶対だからね」

「良いよな⁉ な、隼人‼ 博‼」

「両親だっつってんでしょうが‼」

「リョーシンってなんだよ⁉ 正義の心か⁉」

「それは良心ね。あんた、小学六年生でしょ? 条件の意味もそうだけど、両親くらいは分かっときなさいよ。両親ってのは、お父さんとお母さんのこと。二人のお父さんとお母さんが良いって言わなければ、子供だけで旅行なんて絶対に行かせられないからね」

「大丈夫だ! それくらい、俺の“校長術”でどうにかなるぜ!」

「…………、“交渉術”?」

「そう‼ それ‼」

「ハァ……。そもそも、隼人くんと博くんは良いの? こんなやつと旅行に行くなんて絶対に疲れると思うし、おばさん、もの凄く大変だと思うんだけど」


 そうなんです、おっしゃる通りなんです。正直に言えば断りたい。子供だけで行く旅行なんて絶対に碌なことにはならないだろうし、そもそも、四六時中こいつと行動するなんてそんなの絶対疲れるに決まっているのだ。だがしかし、仮に正面からそう言ったとして、この原始人が納得などする筈が無い。だからここは適当に、不安だとか予定があるとか言っておいてお茶を濁し、最終的にどうにかしてやんわりと断る方向へかじを切るとしよう。


「いえその、良いも何も……ぶっちゃけ旅行に行くなんて話、俺は今知ったんですけ――」

「ぼ、僕は、行きたい! です……。その、ぼぼ、僕たちだけでも……」


 と、蚊の鳴くような声で、俺の言葉を遮るように博が言う。珍しいな、博のやつが自己主張するなんて。いつも俺たちの後ろに隠れるようにして、普段は息を潜めるようにしているのに。それも大地の無茶とも思えるような提案に乗るとは。こんなの、完全に想定外だぞ。


「おい博、どうしたんだよ。お前が大地の言うことに乗り気なんて」

「あ、あのその……僕、えっと……つまり、だから、その……、…………」


 あっ、駄目だ。博のだんまりモードが発動してしまった。こうなってしまっては、何かよっぽどのきっかけでも無い限り暫くは口を開かないだろう。


 しかし、なんということだ。この状況は非常によろしくないぞ。現在、旅行賛成票二に対して反対票が一。まだはっきりと公言はしていないけれど、俺だけ旅行に参加したくないなんて言おうものなら、大地のやつがどんな癇癪かんしゃくを起すか分かったもんじゃない。こいつは説得するだけ時間の無駄だし、何より俺が原因でこいつを再び大暴れさせることになったら、そんなの大地母に申し訳なさすぎるじゃないか。


 あぁ、もう。なんでだよ博。お前が旅行反対派に回ってくれたなら、「今回はしょうがなかったね。また今度ね」で話が済んだかもしれないのに。


 かくなる上は、うちの両親が旅行を反対してくれるのを願うしかない。いや、むしろ最初からこの方法に頼るべきだったのではないか。そうだよ。俺たちはまだ小学生。バリバリの子供じゃないか。子供だけで旅行に行かせるなんて、そんなの一般的な良識を持ち合わせた親なら絶対に反対する筈なのだ。いくら大地が傍若無人の極みであろうとも、他人の家のルールにまでは干渉することはできまい。


 よし、これで俺の悠々自適で快適な夏休みは守られたのだ。

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