拉致

 目の前に血溜まりがある。その中に、何かが転がっていた。首のない死体だ。

 いや、よく見れば首の他にもないものがある。左腕があるはずの場所からは、大量の血が流れていたのだ。右手には、包丁を握りしめている。

 零士は、思わず後ずさった。その時、がこちらを見る。


 あいつは、紅く光る目で零士を睨んでいた。口からは、鋭い犬歯が覗いている。肌は緑色で、爬虫類のような質感だ。鉤爪の生えた手で、人間の腕を掴んでいる。口からは、赤い液体が滴り落ちていた。

 この怪物は、ついさっき人を殺した。首をねじ切って殺したのだ。さらに、死体から腕を引きちぎり食べている。

 次の瞬間、零士は叫んでいた。本能が、彼に悲鳴を上げさせていたのだ。

 ほぼ同時に、怪物も口を開ける。途端に、鋭い牙があらわになった。あの牙で、零士を噛み殺そうというのか──




 そこで、目が覚めた。

 零士は上体を起こし、あたりを見回す。室内は暗い。窓から見える外の風景は、闇に包まれていた。まだ夜中だろう。起きるには、早すぎる時間帯である。

 あの夢を見ると、いつも同じ時間帯に目が覚めてしまう。


「あれ、何なんだろう」


 気がつくと、ひとり言が出ていた。

 あの夢を見たのは、これで何度目だろう。しかも、回数を重ねるにつれ細かい部分がはっきりしてくる。


(その夢は、事件と関係あるんじゃないかな。君にとっては、思い出したくない記憶の可能性もある。怪物は、つらい記憶を表しているのかもしれないね)


 確か、こんなことを言っていた。だが、事件と怪物と何の関係があるのだろう。まさか、犯人はあの怪物だとでも言うのだろうか。

 有り得ない話だ……そんなことを思いつつ、零士は再び眠りに落ちていった。




 翌日、昼食を食べた後、零士は自室にこもり窓から外を眺めていた。

 外に出る気にはなれなかった。もしかしたら、昨日の大男にまた会うかもしれない。そんなわけで、今日は外出しないことにしたのだ。

 空を見れば、抜けるような青空がひろがっている。こんな日に自転車を走らせたら、気持ちいいだろう。しかし、零士の心は曇っている。あの大男の件だけが理由ではない。

 まず、昨夜は父の統志郎が帰って来なかった。大橋の話によれば、今夜も帰らないのだという。よほど忙しいのか。

 それに伴い、夜になると現れていたメイドたちも来なくなってしまったのだ。いったい何が起きているのだろう。

 

 だが、それよりも考えるべき問題がある。あのペドロという男、自身を脱獄犯だと言っていた。


(俺はアメリカで、七件の殺人事件の容疑者として逮捕された)


(収容されていたレイカーズ刑務所を脱獄した。そして今、ここにいる)


 つまり、ペドロは少なくとも七人の命を奪っていた、ということになる。しかも、どういう手段を使ったかは不明だが、刑務所を脱獄して夜季島へとやってきた。そんな男が、ここで何をするつもりなのだろう。

 ペドロは、夜季島の秘密も知っているようだ。彼がここに来た理由は、島の秘密と何か関係があるのだろうか。

 いずれにせよ、何か目的があって来たことだけは間違いない。


 あいつのことを、父さんに言うべきじゃないか?


 ふと、そんな考えが頭に浮かんだ。しかし、それは出来なかった。


(アメリカの刑務所を脱獄した犯罪者が、この夜季島に潜伏しているんだ。だから、すぐに警察に通報しよう!)


 こんなことを父に言ったら、どんな反応をされるかは考えるまでもない。バカなことを言うな、の一言で切り捨てられるだろう。

 父・統志郎は、この島で責任ある立場にいるらしい。そんな父を、証拠もない言葉で困らせるわけにはいかないのだ。

 それに、今の父は仕事が忙しい。家にも帰れない状態だ。そんな人を、さらなる厄介事に巻き込むわけにもいかないのだ。

 ならば、自分がやるしかない。今、ペドロは島のどのあたりにいるのか。この島で、何をしようとしているのか。

 明日、それを探ってみよう。


 ・・・


 その夜──




 島の東側に広がる森の中を、ひとりの女が歩いていた。年齢は二十代で、体格は中肉中背といったところか。肌は白く、肩までの長さで切り揃えられている髪は黒い。綺麗な顔立ちであり、どこか浮世離れした雰囲気も感じさせる。そこらのタレントなど比較にならない美しさだ。しかし、その美しい顔には焦りの表情が浮かんでいた。

 辺りは完全な闇に覆われており、普通の人間では一歩前すら見えないだろう。しかも、森の中は足場も悪い。にもかかわらず、女は何の苦もなく進んでいく。

 彼女の名は秋田美琴アキタ ミコト、港のコンビニエンスストアで働いている。本来ならば、今は夜勤をしているはずだった。

 しかし今夜は、店を他の者に任せている。美琴には、どうしてもしなくてはならないことがあったのだ。

 木々の生い茂る中を、彼女は迷うことなく進んでいく。そのペースは異常に早く、歩くというより小走りといった方が正確だろう。暗闇に包まれた森の中を、ライトもなしに突き進んでいるのだ。訓練された兵士もしくは熟練のマタギでもなければ、不可能な動きであった。 

 不意に、美琴は足を止める。口からは、異様な音が漏れた。

 十メートルほど先に、男がひとり立っているのだ。髪は黒いが、顔の彫りは深い。純粋な日本人ではないだろう。おそらくは外国人だ。

 身長は百七十センチもなく、外国人の中では小柄な部類だろう。だが、Tシャツから覗く二の腕には、ボールを埋め込んだような筋肉がうねっている。胸板も厚く、常人離れした肉体の持ち主であることは一目でわかった。足元には、大きな布袋が置かれている。

 この男こそ、夜季島に降り立った怪物・ペドロだった。しかし、美琴はそんなことなど知る由もない。


「お前! この手紙は何だ!」


 怒鳴りつけると同時に、美琴は手紙を取り出す。だが、ペドロはすました表情で答える。


「君は、字が読めないのかな。君のパートナーである秋田隆一さんを預かった、と書かれているのだよ。それにしても、この暗闇の中をライトも無しにここまで来るとはさすがだね。噂以上の能力だ」

 

「ふざけるな! お前、隆一をどうした!」


「どうしても聞きたいのなら、教えよう。こうしたのだよ」


 言いながら、ペドロは足元の袋から何かを取り出す。

 それは、男の生首だった──


 途端に、美琴は吠えた。外見からは想像もつかぬ、獣の雄叫びのごときものだ。

 次の瞬間、美琴は突進した。いつの間にか、その綺麗な瞳は紅く光っていた。口には、鋭く尖った犬歯が覗いている。手には鉤爪だ。美女が、一瞬にして怪物へと変化してしまった。

 美琴は鉤爪の生えた手を振りかざし、ペドロに襲いかかる。だが、異変が起きた。ペドロの数歩手前で、美琴の両足首に何かが巻き付いたのだ。

 ほぼ同時に、彼女の体は大きく跳ね上がる。両足首にワイヤーが巻き付いており、そのワイヤーは上の木の枝へと繋がっていたのだ。今や美琴は、完全に逆さ吊りの状態である。

 ここには、スネアトラップが仕掛けられていたのだ。仕掛けを踏むと、踏んだ足にワイヤーが巻き付き一気に釣り上げられる。標的は逆さ吊りになり、何も出来ない……というものだ。森林に隠れたゲリラなどが用いていた罠である。

 逆さ吊りにされた美琴は、凄まじい勢いでもがいた。だが、ペドロは意に介さない。近づいていったかと思うと、振り回される鉤爪を難なく躱した。

 さらに、高速で動く腕をパッと掴んだ。直後、手錠をかける。バチンという金属音が響き渡った。

 美琴は吠え、もう片方の手を振るう。しかし、ペドロは動きを止めない。鉤爪の攻撃をすっと避けた。直後にそちらの手首も掴み、手錠をかけてしまう。これで、両腕が完全に拘束されたのだ。

 

「ずいぶんと愚かだな。君のような恐ろしい生物を相手にするのに、何の細工も無しで戦いに臨むはずがないだろう」


 そんなことを言いながら、ペドロは動き続けていた。彼女の口の周りに、頑丈なダクトテープを巻き付けているのだ。猿ぐつわのような形で顔の周囲にテープを巻かれ、美琴はもうどうすることも出来ない。

 両手と両足の自由を奪われ、さらには口まで塞がれた美琴の体を、ペドロは布袋に詰め込みチャックを閉める。

 美琴はなおも袋の中で暴れている。だが、ペドロは意に介することなく袋ごと担ぎ上げた。そのまま、闇の中へと消えていく。

 


 



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