父との遭遇

 部屋を出た零士と大橋は、廊下を進んでいく。と、ひとりの女が前から歩いてきた。まだ若く、肌は透き通るように白い。顔は美しく、妙に浮世離れした雰囲気を漂わせていた。服装は、大橋と同じくTシャツにエプロンである。

 思わず見とれる零士に、女はすました態度で軽く会釈する。大橋にも会釈し、無言のまま擦れ違っていった。

 いったい何者なのだろう。零士は聞いてみた。


「すみません、今の人はどなたですか?」


「屋敷の掃除や片付けなんかをしてもらっている人よ。まあ、メイドさんみたいなものね。いずれ、紹介してあげるから」


「そうですか」


 零士は、胸の高鳴りを感じていた。あんな綺麗な人と、これから生活を共にするのか。頭の中に、様々な妄想が浮かぶ。

 だが、そこで奇妙な点に気づく。あの人は、今までどこにいたのだろう。昼間から、ここにいたとは思えない。

 いや、どこかの部屋にこもり音を立てず何かしらの作業をしていたのかもしれない……などと考えていた時、大橋の声が聞こえてきた。


「勘違いしないで欲しいんだけど、メイドだからって、おかえりなさいませ御主人さま、みたいなサービスはしないからね。それに、変なことしたら怒るよ」


「そ、そんなことしませんよ!」


「なら、いいんだけど。たまに勘違いする子がいるみたいだから」




 大橋は階段を降り、大きな部屋へと入っていく。零士も、慌てて後に続いた。

 ここは、どうやら食事をするための部屋らしい。小洒落た家具や調度品などは置かれておらず、部屋の中心には大きなテーブルが置かれている。周囲には、椅子が置かれていた。

 その時だった。遠くから、車のエンジン音が聞こえてきた。音はどんどん近くなり、それにつれて零士の緊張感も高まってきた。

 おそらく、あの車に父の茨木統志郎が乗っているのだろう。となると、もうじき顔を合わせることとなる。なにせ十三年間、一度も会っていない父親との対面だ。いったい、どんな顔をすれば良いのだろうか。

 正直に言えば、母親と別れた上に今まで自分を放っておいた仕打ちに対し、思うところがないわけではない。

 かと言って、父親を憎悪しているというわけでもない。母親の由美は、茨木統志郎という人間について語ったことはなかった。零士も、聞いては悪いような気がして、あえて話題にはしなかった。

 実のところ、統志郎という人間をどう評価すればいいのかわからない状態である。悪い話は聞いていないが、かといって良い話も聞いていない。それ以前に、ほとんど他人と言っていいような父を相手に、どう接すればいいのだろうか。

 そんなことを思う零士だったが、状況はどんどん進んでいく。玄関の扉が開く音が聞こえ、ドタドタという足音が響き渡る。足音は、まっすぐこちらに向かっていた。

 勢いよくドアが開き、黄色いポロシャツを着た男が入ってくる。その目は、まっすぐ零士を見つめていた。

 見た瞬間に、零士は悟る。この男が父なのだ──


 父・茨木統志郎は、零士とはまるで違うタイプだった。

 彼の身長は、百八十センチを優に超えていた。百五十センチもない零士から見れば、天を突くような大男に見える。もっとも体型はすらりとしており、手足は長い。腹に余分な脂肪は付いておらず、締まった体をしているのが見て取れる。

 髪は長からず短すぎず、ほどよい長さでまとまっている。肌は白いが、何より特徴的なのは神々しさすら感じさせるほどの美しい顔立ちだろう。しかも、ただ綺麗なだけでなく男性らしい野性味も感じさせる。上野はイケメンなどと言っていたが、そんな安っぽい言葉では表現しきれないだろう。少なくとも、そこらの男性モデルや俳優よりは格段に上だ。

 目の前の男に、ただただ圧倒されている零士。統志郎はというと、無言のまま息子を見下ろしている。

 時間にして、どのくらい経過したのだろう……不意に、統志郎の目から涙が流れた。


「零士……会いたかったぞ」


 口から、そんな言葉が漏れた。

 直後に統志郎の両手が伸びてきたかと思うと、零士を抱き上げたのだ。しかも、頭上に高々と持ち上げている。赤ん坊に「高い高い」をしているような体勢だ。

 唖然となる零士だったが、それだけでは終わらなかった。統志郎は、いきなり息子に頬擦りしてくる。かと思ったら、零士の頬にキスしてきたのだ。


「うーん、零士は本当に可愛いなあ! 元気だったか? ひとりで来るのは大変だっただろ? 島はどうだ? 何か食べたいものは──」


「いい加減にしてください。零士くんも困っていますよ」


 大橋から冷めた口調で言われ、統志郎はしぶしぶ息子を床に降ろした。

 一方の零士はといえば、突然のことに混乱し立ちすくんでいた。生まれてから一度も会ったことのない父と再会したと思ったら、いきなり軽々と持ち上げられてからの頬にキスである。母親からも、こんな熱烈な愛情表現を受けた覚えはなかった。どうすればいいのかわからぬまま、父親の顔を見上げていた。

 その統志郎は、まだ感激冷めやらぬ表情で口を開く。

 

「零士、お前の好きなものは何だ?」


「えっ?」


「ヘリコプターは好きか? それとも、クルーザーの方が好きか? 乗りたければ乗せてやるぞ!」


「く、くるうざあ?」


 何をわけのわからないことを言っているのだろう。唖然となっている零士だったが、統志郎はマシンガンのごとき勢いで喋り続ける。


「そうだ。父さんな、本当はクルーザーで迎えに行きたかったんだよ。けどな、仕事が忙しくて……ちょうど、団体のお客さんが──」


「ちょっと統志郎さん、もっと他に話すべきことがあるでしょ」


 横から大橋にたしなめられ、統志郎はパチンと手を叩く。


「ああ、そうだった。零士、お前は九月から島の学校に通うことになるんだ。既に、転校の手続きも済ませてある」


「う、うん、わかった」


「学校って言ってるけど、生徒は五人しかいない。しかも、小学生が三人混じってる。けどな、みんないい子だから気楽にいけ」


「えっ? 小学生がいるの?」


「そうなんだよ。子供の数が少なくてな、少子化の波は、この島にも押し寄せてきてるんだ。困ったもんだよ。でもな、ここの学校は面白いぞ。都会の学校と違って、のんびり勉強できる」


 統志郎はそんなことを言いながら、零士の肩をバシバシ叩いてきた。


「う、うん。わかった」


「まあ、今は夏休み中だからな。あんまり深く考える必要もない。始まっちまえば、楽なもんだよ」


 ハハハハ、と父は笑った。なんともお気楽な人物である。上野の言っていた通り、いい人そうではあった。だが、見ていると不安な気持ちも湧いてきた。この人は、父親として大丈夫な人間なのだろうか。

 そんな零士の気持ちなどお構いなしに、統志郎は喋り続ける。


「明日は、お父さんと遊ぼう! 何して遊ぶ!?」


「えっ? あっ、あのう……」


「一緒に空手やるか?」

 

「か、空手?」


「そうだ。お父さんはな、空手の黒帯なんだぞ」


 そんなことを言ったかと思うと、いきなり空手の型らしき奇妙な動きを始めたのだ。武術というより、創作ダンスのように見える。

 困惑する零士に向かい、父は得意げに語る。


「お父さんは昔、アメリカに留学してたんだ。その時、アメフトやってるデカい男四人に喧嘩を売られたんだ。でもな、得意の空手で全員やっつけたぞ」


「ほ、本当に?」


 目を丸くする零士だったが、たまりかねたらしく大橋が口を挟む。


「いい加減にしてください。あなたは、アメリカに留学したことなどないでしょう。子供にまで嘘をつかないでください」


「何を言ってるんだ。これは嘘ではない。単なる作り話だ」


「同じことです!」


 真顔でバカなことを言う統志郎に、大橋はビシッと言ってのけた。こうなると、どちらが立場が上なのかわからなくなってくる。統志郎は苦笑しながら、零士の方を向く。


「零士、この大橋さんは見ての通り厳しい人なんだよ。父さんはな、大橋さんにいっつもイジメられてるんだ。夜なんか、縄で縛られて鞭でビシビシ叩かれて、ロウソクまで垂らされて──」


 途端に、大橋がジロリと睨む。


「何をバカなことを言ってるんですか。零士くんが本気にしたらどうするんです。つまらない嘘つかないでください」


「ハハハハ! 零士、今のは冗談だからな。それよりな、今夜はカツカレーだぞ。いっぱい食べろよ」


 言いながら、息子の頭をワシャワシャ撫でる統志郎。見かねたのか、大橋が再び口を挟む。


「統志郎さんは、子供が好きな食べ物といえばカレーと相場は決まってる、なんて言い出してカレーにしたんですよ。全く、何を考えているんだか。だいたい、零士くんはもう中学生ですよ。カレーで喜ぶ歳じゃありません」


「そ、そんなことわかってるよ。だから、ただのカレーじゃなくてカツカレーにしたんじゃないか」


 言った後、統志郎は再び零士の方を向いた。不安げな表情で尋ねる。


「零士、カツカレーは嫌いか?」


「い、いや、好きだよ」


 答えた途端に、統志郎の表情はパッと明るくなった。


「そうか! 父さんもカツカレー大好きだ! 一緒に食べよう!」










 






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