世界の終わりに君と晴れ

樋川カイト

世界の終わりに君と晴れ

明日世界が終わるとしたら、あなたはなにをしますか?

そんな空想のような言葉は、今や現実のものになってしまった。

「でも、本当なんですかね? 今日はこんなに平和でいつも通りなのに、明日になったら世界が終わっちゃうなんて」

「そうだねぇ。でも、偉い人が言ってるんだから本当なんじゃない? もうみんな諦めムードだし、きっと助からないんだよ」

教室の窓から空を眺めて私が呟くと、先輩は呑気にそう答える。

まるで今日の晩御飯を考えるくらい適当なその答えに、私は思わず吹き出してしまいそうになった。


「もう、先輩ったら。普通、世界が終わるかもってなったらもっと焦りません? だって、みんな死んじゃうんですよ」

「うん、それは分かってるよ。だけど、今さら焦ったってどうしようもないじゃない。世界中の偉い人が必死に頑張っても無理なことを、ただの女子高生な私に解決できるわけじゃないし」

「それはそうですけど……。だけど、それでも焦っちゃうのが人間ってもんでしょ」

私がぷぅっと頬を膨らませると、先輩はいつも通りの微笑みを浮かべながらこっちを見つめてくる。

「ふふっ、可愛い。だったら君は今、焦ってるのかな? 私にはそうは見えないんだけど」

クスクスと可笑しそうに笑いながら、先輩の指が私の膨らんだ頬を撫でる。


そのくすぐったさに思わず身体をすくめながら、私は少し拗ねたような視線を向けながら口を開く。

「むぅ、私だってちょっとは焦ってますよ。やりたいことだって沢山あったし、やり残したことだって色々ありますし」

「……うん、確かにそうかも。じゃあせっかくだし、今からお互いのやり残したことの発表会をしよっか」

「なにがせっかくなんですか? まぁ、良いですけど」

先輩に誘われるままに窓際から離れた私は、近くにあった机の上に腰掛けた。

「こら、机に座るのはお行儀悪いぞ」

「いいんですぅ。どうせ明日で終わりなんですから、ちょっとくらいお行儀悪くたって。……あっ! じゃあこれが私の一つ目のやり残してたことです。『誰にも遠慮せずに机の上に座る』こと」

「えぇ、それはちょっとズルくない?」

「ズルくないです。ほら、次は先輩の番ですよ。早く先輩のやり残したこと、聞かせてください」


いったい先輩は、これからなにをしたかったんだろう。

先輩がこれからやりたかったこと、今まででやり残してしまったこと。

それを知ることができるのは、控えめに言ってとても楽しい。

こんなに楽しい時間が過ごせるなら、世界が終わるのだってちょっとくらいは悪くないだろう。

そんな風に考えて私がニコニコしている間も、私の正面に座った先輩は首を捻って考え込んでいる。

「うーん、やり残したことかぁ……。改めて考えると、けっこう難しいね」

「なんでもいいんですよ。どうせ答え合わせがある訳でもないですし、遊びですから。なんなら、パスしますか?」

「パスなんてあるの?」

「はい、ひとり3回までパスできます。パスを使い切っても答えられなかった方の負けです」

適当に思いついたルールを話すと、先輩は可笑しそうに笑ってくれた。

「あははっ、これって勝負だったんだね。よし、だったら私も本気出そうっと」

勝負と聞いて急に真剣な目をし始めた先輩は、あごに手を当てて考え込み始める。


「そうだなぁ……。そう言えば、私って牡蠣を食べたことないんだよね」

「牡蠣ですか?」

「うん、そう。お腹壊すの嫌だから食べなかったんだけど、明日死んじゃうなら食べてみれば良かったなって」

真剣な表情を浮かべてそう言う先輩に、私は思わず笑ってしまった。

「あははっ、なんですかそれ! そんな顔してるから、もっと重大なことだと思ったじゃないですか」

「え? けっこう重大だと思うけどなぁ。それに、机に座ることがやり残しだって言った君に言われたくないよ」

「まぁ、確かにそうかもしれないですね。じゃあ、次は私の番だ」

そうなると、今度は私が悩む番だ。

「いざ考えると、本当に思いつかないなぁ……。パスしちゃおっかな」

「いや、それは早くない? もうちょっと頑張ろうよ」

「冗談ですって。じゃあ、私も食べ物関連でひとつ。学校の近くに喫茶店があるじゃないですか」

「うん、あるねぇ」

「そこの名物で、特大パフェタワーっていうメニューがあるんですよ。もう、一人じゃ食べきれないくらい大きいパフェなんですけど、それが食べてみたかったです」

「あぁ、そう言えば君ってずっとダイエットしてたもんね。私から見ると全然太ってないし、ずっと意味ないのになぁって思ってた」

「えぇ、ひどーい! 先輩には分からない、複雑な乙女心ってのがあるんですよ!」

「失礼だなぁ。私だって、うら若き乙女なんだぞ」


そうは言いながらも、先輩はあまり気にしている様子はない。

いつも通りの優しい笑顔で肩をすくめながら、私の額を軽く小突いてくる。

「痛たっ! もう、暴力反対ですよ」

「暴力じゃなくって、これは先輩としての指導です。年上はちゃんと敬わないと駄目だぞ」

「はーい、分かりましたー」

「うん、あんまり分かってないみたいだね。これは、もっと厳しく指導しないといけないかなぁ?」

そう言って腕まくりを始めた先輩に、私は少し焦ったように首を大きく振る。

「いやいや、十分わかりましたから! ほら、次は先輩の番ですよ。やり残したこと、教えてくださいよ」

「そうだね。今の私がやり残してるのは、君をしっかりと指導することだよ」

「げっ、藪蛇だった……」

それからしばらく、私は先輩に追いかけられながら教室中を逃げ回る羽目になった。

散々走り回らされた後で先輩はあっさりと私を捕まえ、そのまま思いっきりデコピンをされてしまう。

「いったーい! おでこ割れちゃったかも……」

「割れてないから安心して。さぁ、次は君の番だよ。やり残したことを言いたまえ」


うずくまってジンジンと痛むおでこをさする私に、先輩は無慈悲にそう言い放つ。

思わず恨みを込めた視線で先輩を睨んでも、彼女はそれをニッコリ笑顔で受け止めてしまう。

「ふふっ、駄目だよ。そんなに睨んでも、可愛いだけだから」

「か、可愛いとか言わないでくださいよ!」

不意打ちでそんなことを言われて、私の頬は一気に熱くなる。

本当に、先輩のそういうところがずるいと思う。

笑顔でそんな風に言われてしまえば、もう私はアタフタと慌てることしかできなくなるんだから。

「一回くらい、先輩を慌てさせたかったなぁ」

「ん? それが君のやり残したこと?」

「ふえっ!? いや、これは違ってですねぇ」

小さく呟いた独り言は先輩の耳にも届いてしまい、また悪戯っぽい笑顔を浮かべる先輩に私は必至で許しを請う。

「だって、先輩ばっかりずるいじゃないですか! 私だって、たまには先輩の慌てた表情だったりアタフタしてる姿が見てみたいんですよ!」


訂正、これじゃ許しを請うというよりもただの逆切れだ。

私が喋るたびに先輩はどんどん笑顔になっていくけど、その笑顔がとっても怖い。

だって、満面の笑みのはずなのに目が全然笑ってないんだもん。

そんな笑顔のままの先輩に肩を抱かれると、私はもう逃げ出すこともできなくなってしまう。

「あの、先輩……。マジでごめんなさい」

「ん? 謝らなくてもいいよ。だって、これはやり残したことを言い合うってゲームなんだから。むしろ、本音を聞かせてくれて嬉しいくらいだ」

「嘘だぁ。絶対怒ってるもん!」

ジタバタと暴れる私の肩をがっちりと掴んだまま、満面の笑みを浮かべた先輩の顔がゆっくりと近づいてきて……。

「っ!?」

瞬間、私たちの唇が触れ合った。

先輩の柔らかい唇が私の唇に触れ、まるで小鳥がエサをついばむようにチュッチュッと何度もキスが繰り返される。

完全に混乱して動くことのできない私を存分に堪能したのか、しばらくしてやっと先輩は私を解放する。

「せ、せんぱい……? 今のって……?」

「これも私のやり残してたことだよ。私は、君とキスがしたかった。……君は、嫌だったかな?」


不安げに私を見つめる先輩の瞳を見ていると、私の心はそのまま吸い込まれてしまいそうになる。

彼女の不安を取り除いてあげたい、その一心で私はブンブンと大きく首を横に振った。

「嫌じゃ、ないです。ちょっと驚いたけど、でも嫌じゃなかったです!」

「良かった。最後の最後で、君に嫌われたらどうしようかと思ったよ」

「そんな! 私が先輩を嫌いになるわけないじゃないですか! 私だって、ずっと先輩とキスがしたかったんです!」

「えっ?」

大きな声で私が告げると、先輩は目を丸くしながら戸惑ったように小さな声を上げる。

あ、先輩もこんな顔をするんだ……。

顔を真っ赤に染めながら瞳を泳がせている先輩を見つめながら、私はなんだか優越感に浸っていた。

普段はクールな先輩のこんな姿を知っているのは、世界できっと私だけ。

そしてこれからも、先輩のこんな顔を見る人間は私以外に存在しない。

この先輩は、ひとかけらも残さず全部私が独り占めだ。

もう自分の心にブレーキは掛けられなくて、私は先輩を真剣な瞳で見つめる。

「次は、私の番ですよね。……私、先輩のことが好きです。私は、先輩の恋人になりたい」

ああ、言ってしまった。

この言葉を口にしてしまえば、もう後戻りはできない。

今までの関係を全て壊してしまう魔法の一言を聞いて、先輩はいったいどういう反応をするのだろう。


恐る恐る顔を覗くと、嬉しそうな、でもちょっと恥ずかしそうな表情を浮かべた先輩が私に微笑みかけていた。

「どうして、君から言っちゃうかなぁ。私から、君に伝える予定だったんだけど」

「えへへ、すいません」

きっと今の私は、とてもだらしない顔をしているだろう。

頬を緩ませて曖昧に謝る私の頭を、先輩の温かい手が優しく撫でる。

頭のてっぺんから髪を梳くように耳を撫で、そして私の頬をそっと包む。

そのまま先輩の顔がゆっくりと近づき、そして私たちはもう一度唇を重ねる。

「んっ、ふ……。好きだよ。私は君が好きだ」

「先輩……。私、嬉しいです。きっと私は、今日このために生まれてきたんです。あぁ、もう明日死んでも後悔なんてありません!」

「ふふ、私もだよ。……さぁ、今日という日をもっと楽しもう。私たちの最後の、そして最高の一日だよ」

手のひらを合わせ、指を絡め、そして唇を重ねる。


何度も、何度も。

目の前の恋人の温かさを全身で感じるように、分け合うように、私たちは何度でもお互いを求め続ける……。

明日世界が終わるとしたら、あなたはなにをしますか?

私は、私たちは、最愛の人と最後の一瞬まで愛を確かめ合おうと思います。



※※

これはあくまで蛇足の話。

大昔に巻き起こった人類滅亡の危機に、生き残った者たちが伝え残した美談の、その結末を綴った余計な言葉だ。

かつて、この地球には今より少し古い文明があった。

降り注ぐ巨大隕石の群れに人々は地下へと逃れ、それでも収容しきれなかった人間はただ死を待つのみだった。

そして彼女たちも、そんな死を待つ者のふたり。

お互いを想い、お互いを愛し合ったふたりは、死の訪れる最後の一瞬まで同じ時を過ごした。


そんな二人を別つように、死が彼女たちの身体を吹き飛ばす。

バラバラになって吹き飛んでいった身体は、泥と埃に埋もれて、やがて見えなくなった。

数百年後、小さな化石が発掘された。

旧文明の人間の物だとされるその化石は、ところどころ破損しているものの確かにふたり分が存在していた。

自分たちの身体すらバラバラになって、もはや原型を留めてもいないその化石。

その手は、お互いを決して離すまいと固く握り合っていた。



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世界の終わりに君と晴れ 樋川カイト @mozu241

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