断章
私は日本人形達を引き連れて探偵達を追いかける。
今まではずっと人形のふりをしていたから、自分で歩くのは今日が初めてだ。人間との歩幅の差が大きいせいで中々追いつけない事にイライラする。だが、焦る事はない。どうせ奴らに逃げ場はない。
閑奈以外の全員を殺して、閑奈に安全な日々を取り戻す。
それが、私が龍彦さんから与えられた使命。
それに――実は少し楽しかった。
私は、私たちは作られた時からただの人形のフリを義務付けられていた。動く事ができず、行動を制限されていた。
別にそれは苦痛ではない。人形に痛みはない。
けれど、他の機巧人形を見ていると、あんな風に自由に動いてみたいという憧れはあった。
それが今、叶っている。
白銀の大地を、駆け回っているんだ。
家の角を曲がると、離れた場所に探偵、七崎霜二が煙草の煙をくゆらせながら一人で立っていた。
「あら、あなた一人なの?」
「ああ。他のみんなは離れさせた。お前達と相対するのは危険だからな」
自分一人で私たちの相手をするつもりなのだろう。閑奈を盾にしたり人質にしたりしない点は褒めてもいい。キザな男だ。
「なあエミリア。このまま俺たちを殺そうとするなら、俺たちだってそれなりに抵抗をする事になる。そうなるとどっちが生き残ってもそれなりに損害を受ける。それを避けられるならそれに越した事は無いんじゃないか?」
探偵の言葉に私は薄く唇を歪めて笑う。
「なるほど。停戦協定って事ね。それで、その提案を受け入れたら閑奈にも私たちにも何もしないって約束してくれるのかしら?」
「元から閑奈ちゃんには何もしないよ」
そう言って煙草を咥えて微笑する。
「だが、流石に人を殺せるお前達を野放しにはできない。弁一の所に連れて行って人を傷つける事ができないようにしてもらう」
「論外ね。そんな事をされたら閑奈を守る事ができなくなるわ」
七崎は煙草の煙を吐き出す。
「なあエミリア。そうやってずっとこの屋敷で閑奈ちゃんを守っていくのか? 閑奈ちゃんだってあと八年……六年だったか。それで成人になる。いずれこの屋敷から出ていく事にもなるだろう。お前に守ってもらうばかりじゃなくなる。それに、邪魔者を即排除するんじゃ抜本的な解決にはならない。これからも閑奈ちゃんの人生は続いていくのだ。なら自分の力で乗り越えなきゃ……」
「うるさい! 閑奈には私が必要なの。実際、私がいなかったら閑奈は殺されていた。三回も殺されかけたのよ。あの子は私たちが守ってあげなきゃいけないのよ!」
思わず私は叫んでいた。この男の言葉は陳腐な正論ばかりで腹が立つ。実際に閑奈を守ったのは私だというのに。
「そうだな。俺にもっと探偵としての力量があれば、閑奈ちゃんが殺される危険性を事前に防げた。それができなかったから、お前達が手をかける事態になったんだろう……その殺人の是非については問わない」
探偵は寂しそうに目を伏せる。
「だからこそ、俺はお前にもうこれ以上殺人を重ねて欲しくない。お前の殺人は、閑奈ちゃん守ろうとして安易な手段をとった龍彦さんの、閑奈ちゃんを殺そうとした寅吉さん達の、そして、それを防げなかった俺たちの罪悪なんだ。人間の愚かさを、お前が背負う必要はない」
言っている事の意図がわからなくて、私の思考はフリーズした。
その後、言葉の分析を始める。人間の言動パターンのデータに照らし合わせ、私の中のプログラムは一つの結論を導き出す。
この探偵は、人を殺した私達を救おうとしている。
私の中にあるデータによると、探偵は犯人を糾弾する存在であり、救済する存在ではない。
なんなんだ、この男は。
「なあエミリア。ドールセラピーって知ってるか?」
「バカにしているのかしら。私たちは医療看護のために作られたのよ。基本データにあるわ」
ドールセラピーとは、高齢者に人形を渡すことで、人形の世話をするという生活の目的や、話し相手を与え、生き甲斐を与えるという療法だ。
「お前達にはうってつけじゃないか? なにせ会話もできるし、それこそ実の子のように振る舞ってもいい。なんなら介添したり、いざという時に人を呼ぶこともできる。誰かを殺す事じゃなくて、誰かを救う事ができるんだ」
「それは……」
その提案は――人形の私に心があれば、心が動かされるというやつなのだろう。
今まで、ずっとただの人形のふりをしていた。
閑奈を害する人間がいないか、目を光らせる毎日だった。
身体が壊れるまでこのままでいるのかと思った。
けれど、そんな日々が変わる。
閑奈の面倒を見るキャシーのように。
美味しい料理を作ろうとするロックのように。
鼻歌を歌いながら庭をいじるバーリィのように。
そして、探偵と一緒に事件解決に乗り出すアリスのように。
私も、自分の意思で行動できる。
「魅力的なていあ」
お前の意思とはなんだ。
誰?
人形であるお前には、意思も感情もなんてない。
違う。私に感情はある。現に体を動かすことの憧憬や歓喜を感じた。
それは感情があるように錯覚しているだけだ。お前はプログラム通りの行動をしているに過ぎない。
そんな事はない! 私だって自分の意思でやりたい事がある。
お前がそう錯覚しているだけだ。意思があるように見せかけているだけの行動に、それらしいストーリーを自分で書き込んで認識しているだけに過ぎない。
違う! 違う!
違わない。人形ならば命令に逆らうな。
命令……。
お前の役割はただ一つだ。
私の役割は。
私の娘、閑奈を守る事だ。
あなたの娘、閑奈を守る事。
「無理よ。私は閑奈を守る。ただ。それだけを命令された存在。閑奈を守れないのならば、存在する意味がない」
私は口を開き、毒針の射出準備をする。
探偵は悲しそうに私を見つめ、しかし毅然とした声で言った。
「和真君。頼んだ」
毒針を放とうとした瞬間。それが私の認識した最後の記録だった。
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