舞台は病院かー、つまんないの


 次の日は気が付くと夕方になっていた。違うクラスのあいつとの連絡、即興劇エチュードに使えそうな舞台や役ネタの収集等、授業以外にもやることが山積みだったからな。

 ちなみに件のあいつからは『まずはその子がいない時に話を聞きたい。話のお供にお饅頭を所望する。今日はこし餡の気分』と連絡をもらっている。さりげなく要求してくんな、あの饅頭女。


 放課後になったおれは部室に赴き、やってきたサクラコと共に二人して部室の壁に向かって立ち、発声練習を始めていた。


「あ、え、い、う、え、お、あ、お」

「か、け、き、く、け、こ、か、こ!」


 おれの声と共に、無駄にデカい彼女の声が部室内に木霊する。

 本来はランニング等の体力トレーニングから始めていたが、初心者である彼女に嫌がられるのを懸念してカットした。そういう地味で辛いやつは、慣れてきてからの方が良いだろ。


「あめんぼ赤いな、あいうえお。うきもにこえびも、およいでる」

「なめくじのろのろ、なにぬねの! なんどにぬめって、なにねばる!」


 発声練習は腹式呼吸から始まり、声を伸ばし続ける長音、短く切って繰り返す短音と続き、北原白秋のあめんぼの歌へと移った。

 おれはそらでしていたが、サクラコはスマホを凝視しながら声を張っている。


「よし、こんなもんだな」

「あ~! あああ~! すごい、なんか声がいつもより出てる気がする!」


 サクラコが嬉しそうに喉を鳴らしている傍ら、おれは部室に併設されている部屋の扉を開いた。

 中はパネルから木材からペンキの缶、使わなくなったスマホ等の小道具まで。舞台で使えそうなありとあらゆるものが無理やり詰め込まれている。


「うわ~、なんかいっぱい入ってる!?」

「ウチの部の倉庫だよ。通称、開かずの扉」

「開いてるじゃん」

「中がカオス過ぎて誰も開けたくないから、先輩らがそう呼んでたんだよ。えーっと、どこやったかな」


 掃除が面倒で舞台の度に新しい道具やらを買って、余ったものをポイポイ放り込んでいたら。いつの間にか、誰一人としてその全貌を知らない魔窟と化してしまったのだ。

 先輩らもあとは任せたー、と言って卒業していき。歴代の大小道具や背景に使う畳一枚分の大きさの木製パネル、衣装等が詰め込まれた巨大布袋なんかをおれ一人で何とかできるもんでもない。


 足の踏み場を必死に確保しながら、比較的取りやすい位置に置いてあったビデオカメラと三脚、そして段ボール製の四角い箱を取り出した。片手で抱えられるサイズの箱は上部に丸い穴が空いている。


「おお、なにこれなにこれ? 今からくじ引きでもするの?」

「そーそー。昨日言ってた、即興劇エチュードの舞台を決める箱だよ」


 開かず扉を封印した後、机の上に置いた箱をしげしげと眺めているサクラコ。この中に適当にネタを書いた紙を入れて混ぜ、即興劇エチュードのネタを決める。何も決めずにやることもあるが、最初だし演じる舞台くらいは決めておいた方がやりやすいしな。

 おれ達は二人して小さく切った紙に色々な候補を書いて中に入れ、用意が整った。


「よいしょ~! 舞台は病院かー、つまんないの」

「つまるつまらんは即興劇エチュードしてからだな。んじゃ、早速やるか」


 無難なネタを引いたとブーブー言っているサクラコを無視して、おれはさっさと三脚で固定されたビデオカメラのスイッチを入れる。

 即興劇エチュードの開始だ。


「こんにちは、わたしリョーコ。この春からこの病院に来ました、新人看護師です!」

「ッ!?」


 おれは戦慄した。

 早速カメラの前に出ていったサクラコは偽名で挨拶をしつつ、カメラに向かって丁寧なお辞儀をしている。頭を上げれば胸の前で手を交差させ、薄い長方形の何かを持っているかのような仕草。何もない筈なのに、おれにはカルテが握られているのだとはっきり分かった。


 そこにいる彼女はサクラコであって、サクラコでないように思える。ポーズも立ち振る舞いも高校生ではなく、看護師のそれ。なのにサクラコという彼女自身は失われないままに、強い存在感を放っていた。

 頭の中に、一つの単語が過ぎる。


 個性派俳優。

 一目見ただけで忘れがたい印象を残し、表情の作り方、セリフの緩急、指先の動きにいたるまで独特の個性を具えている。言うなれば役を演じるというより、役柄を自分に引き寄せて芝居をするタイプだ。


 憧れの前部長と、同じ才能。こんな、陽キャ風情が。


「先生大変です! トモちゃんの容態が悪化しました!」


 彼女がカルテを近くに置くと、しゃがみ込むと同時に切羽詰まったような声を上げた。ハッとしたおれは、すぐに彼女に合わせようと頭を回す。

 即興劇エチュードは最初に出た奴に合わせていくのが無難だ。誰も彼もが自分の思い描いたストーリーをやりたいでは、破綻するからな。


 となるとおれは先生、医者役だ。おれの中での医者のイメージと言えば。


「タバコの臭い、脂ぎった顔、いつも不満そうな口元、デカい態度、見下したような視線、ポケットに突っ込んだ手、上向きのあご、膨らんだ腹、気だるそうな足取り」


 幼稚園の頃、蜂に刺されて大学病院に運ばれた時に担当してくれた、何とも偉そうだった医者のおっさんを思い出す。ちなみにそれ以来、蜂は羽音を聞くのが駄目なレベルでトラウマだ。

 閑話休題。自分自身に暗示をかけるように、おれはブツブツと呟いた後。


「……呼んだかね、リョーコ君?」

「!?」


 おれは学ランの上着のポケットに手を突っ込んで、声を横柄な調子に変える。ドカドカと大股で歩き、顎を少し持ち上げてふんぞり返った。こんな感じだったな。

 何故か、サクラコは目を丸くしていた。


「容態の悪化? 大げさに言うことじゃない。まずは状態を見せてみろ」

「は、はい、こちらです。ちょっと血圧の値が」

「おおっと、こりゃ危ないか? すぐに手術の用意だ。モタモタするな」


 おれはいない筈の子どもを抱き上げて寝かせると、手を後ろに回して手術着を着る動きを取った。

 多分サクラコは、この子が死ぬかあるいはギリギリで助かるかのストーリーを想定しているに違いない。ここはどっちにも舵を切れるように、想定しておこう。


「メス」

「は、はい」

「汗拭いて、早く」

「は、はい」


 マスクをかける仕草の後、手術台に乗った子どもを処置するという、いつかドラマで見たようなシーンを再現している。


「…………」

「…………」


 ただ、サクラコが全く話さないので、沈黙が下りてきた。

 おい、どうした。何かやりたいシーンがあったんじゃないのか。


「…………」

「…………」

「……まあ、この辺にしておこうか」


 自分としても今後の展開が思いつかなかったので中断した。失敗だなこりゃ。こうして、世界に一つの黒歴史が生まれた。

 大きく息を吐いてカメラを止めてサクラコを見やると、彼女は目を丸くしたままだった。


「まあ最初っから上手くできる奴なんかいないし、こんなもんだってことが分かれば」

「すっっっごぉぉぉい!」


 突如として、サクラコは声を上げた。いきなりの大声に、おれの身体が否が応でも跳び上がる。


「今のリョウちん先輩、別人かと思った! びっくりした~!」


 拍手をしながらこちらを褒めたたえている彼女に、今度はおれが目を丸くする番だった。


「さっすが先輩! カッコい~!」

「いや、まあ、別に大したことじゃねぇし」


 対陽キャモードも忘れ、思わず素の自分で応対してしまう。こんなに真っすぐ褒められたのなんて、久しぶりだった。


「ま~びっくりしちゃったから、何しようとしてたのか忘れちゃったんだけどね~、あはは」

「そ、そうか。とりあえず話もクソもなかったから、今のはなかったことにな。サクラコも凄かったぞ、もう一回やるかッ!」

「ホントですか!? わ~い、もっかいやろ~!」


 慌てて声を上げ、おれはキャラを取り繕った。

 不覚。ちょっと褒められたくらいで、ここまで揺らぐとは。


 落ち着け、考え直せ。

 こいつは陽キャ。相手を持ち上げてその気にさせて、油断したところで自分自身を通したいだけのクソみたいな人種だ。言葉を鵜呑みにするな。


「さ~て、次の舞台は何かな~」

「…………」


 加えて、目の前のこの陽キャが、部長のような才能を持っていたことが、酷く悔しい。

 おれは徹底的に自分を殺すことしかできないのに、こいつは舞台の上ですら自分自身を魅せることができる。


 どんなに望んでも手に入らなかったものを、持ってやがる。ゴミみたいな陽キャの癖に。


「あっ、そうだ。リョウちん先輩、あたし明日は家の用事があるから、部活休んでもい~ですか~?」


 ごそごそと箱の中身を漁っていた彼女が、不意に顔をこちらに向けた。明日は来ないのか、あいつを呼ぶにはちょうどいいタイミングだ。


「ああ、別にいいぞ」

「ありがと~。さ~て次は」


 続けて何回か即興劇エチュードをしたが、話としてちゃんとまとまるものはなかった。

 無理やり終わらせたり、素に戻ってたりと、黒歴史確定の映像データだけが蓄えられていく。全く、即興劇エチュードは怖い怖い。


「あっ」

「ん? どったの、リョウちん先輩?」

「い、いや、何でもねーよ」


 二人で映像を見返した時、おれは思わず声を上げた。怪訝な顔をしたサクラコに対して慌てて取り繕うことで、事なきを得る。

 自分の口元が緩んでいたなんて、気づかなかった。


 久しぶりの演技だからって、褒められたからって、はしゃいでいたんだろうか。なに笑ってんだよ、相手は先輩じゃなくて陽キャだぞ。しっかりしろ、おれ。

 頭を掻いたおれは、自分自身を奮い立たせようと、両手で両の頬を叩いた。サクラコがまたびっくりしていた。

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