一途なさつきちゃんと塩対応なあまぎくん~同級生の自殺を止めたら一途にぐいぐいくるようになった件~

巴 雪夜

さつきちゃんはあまぎくんが大好きである!

春―キミと出逢い

第1話 彼女は突然、現れる


「何をやっているのですか」



 学校からの帰宅途中、自分と同じ高校の制服を着ている女子学生に柳楽天城やぎらあまぎは声をかけた。びくりと肩を震わせて彼女は動きを止めるけれど、振り向くことはしない。


 昨日まで続いていた大雨で増水されて濁った川が橋の上からでも良く見えた。飛び込めば死ねるかもしれないと想像ができる。そんな川に架かった橋の手すりから身を乗り出している女子生徒に天城はもう一度、声をかける。



「貴女ですよ、そのままでは落ちますよ」



 指をさされた女子学生はやっと自身のことだと気づいてか、橋の手すりを乗り越えようとしていた身体が揺れる。天城はまた、言った「落ちますよ」と。


 どことなく重い声音を聞いてか女子学生は橋の手すりから離れる。濡羽色の三つ編み一つに結われた長い髪を翻して彼女は振り返った。天城と視線を混じらわせた彼女の表情は愁いを帯びて、けれど生を感じさせていた。


 紅いアイラインが引かれた目元はどことなく現実味がないけれど、クールビューティーという言葉が似合うのではないだろうか。それほど目を惹く女子学生は黙って見つめてきた。他人の容姿などに興味のない天城だが彼女を見て綺麗だなといった感想が出る。



「死ぬのは勝手ですが飛び込みは止めた方がよいかと」

「なんで?」

「飛び降りと違って苦しみが長いでしょうから」

「死ぬのは駄目なの?」

「さぁ? 俺はただ目の前で死なれるのが嫌だっただけですから」



 そう、ただ目の前で死ぬ瞬間が見たくなかっただけだ。好き好んで死ぬところを見たいとも思わないし、そんな趣味はない。だから止めただけで、死にたいというのなら止めることはしないというのが天城の考えだった。


 冷たい人間だと思われるかもしれないが死を選ぶのは本人で、それを止める権利というのは赤の他人である自分にはない。家族でも友達でもなければ、恋人でもないのだから。そう天城が答えれば女子学生はなるほどと頷いた。



「死ぬのならば他人に迷惑にならない方法がよいのではないでしょうかね」

「自宅とか?」

「まぁ、それが無難かと。綺麗な貴女は汚い死に方をしないほうがいい」

「綺麗?」

「貴女は綺麗ですよ」



 女子学生は「綺麗?」と不思議そうに首を傾げる。天城は「そのままの意味ですよ」と言えば、彼女は「あたしが?」と信じられないように返事を返してきた。


 自分で自分の顔を可愛いや綺麗だと自信満々に言える人間というのは少ないかもしれないなと、天城は女子学生の反応をそう解釈した。



「いきなりでしたね、すみません」

「いいよ、びっくりしたけど」

「なんて言えばいいのでしょうか……。俺は貴女のことをよく知らないから何か気の利いたことは言えません」



 女子学生のことを知っていれば何かしら自殺を思いとどまらせるようなことを言えたかもしれない。けれど、そうではないので天城から彼女に何か言えることはそれほど多くはなかった。


 ただ、一つ思ったのだ。



「その場の勢いで汚い死に方を選ばないほうがいいですよ」

「勢い?」

「貴女の顔に出ていました。衝動的に飛び込もうとしていませんでしたか?」



 寂しげで諦めが混じっていて、けれど生きたい欲が隠せていなかった、天城の言葉に女子学生は目を瞬かせる。そんな様子など気にも留めず、言いたいことを言った天城は「では、これで」と彼女の脇を通り過ぎていく。一つに結われた夜のように深い藍墨の髪をふわりと吹いた風に靡かせて。


          ***


 放課後の図書室はとても静かなものだ。本を借りに来る生徒は殆ど居らず、春の暖かな気候のせいか図書委員の生徒は欠伸をしている。そんな陽が差す一番奥の窓際席に柳楽天城やぎらあまぎは座っていた。


 結った藍墨の髪が少し開いた窓から零れる風に吹かれる。なんでもない放課後の一面、その姿をじっと見つめる生徒がいた。濡羽色の髪を三つ編み一つに結った女子生徒、目元の紅いアイラインがどこか現実味のない彼女は同じクラスだっただろうか。


 クラス替えがあったばかりでまだ把握できていないが、確か七海皐月ななみさつきという女子生徒だ。彼女は席につくことなく天城の隣にしゃがみこんだまま、見上げていた。


 天城は溜息をついてしまう、何せ彼女に見つめられること数十分が経つからだ。無視を決め込んでいたけれど、そろそろ限界で気になってしょうがない。一度、気になると本に集中することができず、仕方ないと天城はページを捲っていた手を止めた。



「七海さん、なんでしょうか?」

「さつきちゃんって呼んでよー、天城くん!」

「どうしてそうなるのですかね?」

「知らない仲じゃないじゃん?」

「いや、そこまで深い仲でもないでしょう」

「え、自殺止めてくれたじゃん」

「それだけでしょうが」



 皐月のことを知ったのは今年の三月だった。一年生最後の終業式を終えて下校していた時に出会った——彼女が橋から身を乗り出している場面に。


 まさか自殺しようとしている人間と遭遇するなど誰が思うだろうか。つい、止めてしまったのだが、皐月がどうしてそのような行動に出たのかを天城は知らない。そもそも知りたいとも思わない。


 何か辛いことがあったのかもしれないし、何もかもが嫌になったのかもしれない。言いたくないことかもしれないのだから、無理して聞くようなことはしなかった。しなかったのだが、何故だかこうしてひっついてくる。



「えーでも言ってくれたじゃん、『その場の勢いで汚い死に方を選ばないほうがいいです』ってさー」


「それとこれとどういう関係があるのですか?」

「え、あたしのことを見てくれた天城くんに惚れただけだけど?」

「全く意味が分からないのですが……」



 どうやら皐月は惚れたらしい、自分に。天城には惚れた理由が理解できないけれど、好きなのは本当のことなのだろうというのは感じた。始業式が終わり、クラス替えを経て同じクラスになった途端に彼女は構うようになったのだ。


 そして、決まって皐月は言う。



「あたしは天城くんが大好きなのだ!」



 それはもうクラスメイトが居ようがいまいが関係なく、周囲に聞こえる声で皐月は言うのだ。これには天城も驚いたし、恥ずかしかった。


 最初のうちこそクラスメイトに冷やかされたけれど、それも一週間もすればもう日常となる。他の生徒たちは「あぁ、いつもの光景か」とも突っ込むこともしなくなった。


 皐月は天城が行くとこ行くとこに出没する。それはもう突然、現れるので油断ならない。今日も数十分前にはいなかったというのにひょっこりとやってきたのだ。



「そうですか」



 少し間を置いてそう返せば、皐月が「天城くん冷たーい!」と眉を下げる。なら、どう返せばいいのだと天城は突っ込みたかった。


 天城自身、皐月のことはどうでもいいというのは失礼だが特に何かを思ってはいなかった。綺麗な女子生徒、そんな感じであって、まだ彼女に対して恋愛感情など抱いてはいない。


 そもそも、彼女は自分のような人間の何処が良いというのだろうかと疑問に思うぐらいだ。そう問うのだけれど、皐月は「そういうところも好き」と答える。また意味が分からず天城は溜息が漏れた。



「天城くーん!」

「図書室では静かにしましょう」

「天城くんは本が好きなのー?」

「聞いてましたか、人の話」

「聞いているよー」



 ひそひそと皐月は声を顰める。それでいいとは言っていないのだがと天城は思いつつも口に出すのも面倒になり、「本は好きですよ」と答えた。


 本は好きだ、どのジャンルがとか決まったものはない。ファンタジーであろうと、ミステリーであろうと、面白そうだと思えば全て読んで物語に浸る瞬間が天城は好きだった。



「そっかぁ」



 皐月は天城から目を逸らさずそう返事をするとぽつりと呟く。



「あたしも本読もうかな」

「どうしてですか?」



 皐月は見た感じでは本をあまり読むタイプの人間には見えなかった。現に「わたしも読もうかな」と言っている。どうして急に読む気になったのだろうかと疑問に思うのは当然だった。



「だって、好きなヒトの好きなものを好きになりたいじゃん」



 その言葉に天城は思わず皐月を見た。彼女は「やっとこっちを見てくれた」と嬉しげに目を細め、「当然でしょ」と言う。


 好きな人の好きなものを好きになりたい。同じように好きになって、楽しんでみたいと思うのは。皐月はにこっという効果音がつきそうな笑みをみせる。


 それは当然なのだろうか。天城はそう疑問に思ったものの、皐月があまりにも自信満々に言い切るものだから突っ込むことはしなかった。



「できれば天城くんのお気に入りの本になりたい」

「すみません、全く理解ができないのですが」

「え、好きな人のお気に入りになりたいじゃん?」

「はぁ……そうですか」



 皐月の「持ち歩いてくれるならば四六時中一緒にいられるってことでいいよね!」と目を輝かせるものだから、天城は自身の理解できる領域ではないことを察した。



「今、おかしな奴だって思ったでしょ」

「思わない人間はそういないと思いますよ」

「なんでよー」

「七海さん、静かに」

「さつきちゃんー!」

「わかりました。皐月さん、静かに」



 何度目かの溜息を吐いて天城が皐月さんと呼ぶ。さつきちゃんと呼んでほしかったようだが、名前で呼んでくれたことが嬉しかったのか機嫌良さようににこにことしていた。なんとわかりやすいことだろうか。



「まー、そんなわけであたしはもっと天城くんのことが知りたいし、好きになりたいから天城くんの好きな本を教えてよ」



 手を差し出して言う皐月に天城は暫く彼女を見つめて、諦めたようにはぁと息を吐いた。



「……貴女の考えがよくわかりませんよ、俺は」

「いいよ、分からなくても。あたしが天城くんを好きだってことを知っていてくれれば」



 だから教えてと、皐月は笑む。そんな彼女に何を言っても無駄だろうと天城は何種類かの本のタイトルを教えることにした。




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