短編小説・家畜

ロッドユール

家畜

 地球が見えてきた。あの美しい光り輝く青い星。

「やっと、やっと、我々は地球に戻って来た」

「はい」

 我々は深い感慨に包まれていた。

「長かった・・」

 あれから地球時間で三十年の月日が流れてしまった。

「急がなければ・・」

 急がなければならない。我々はやっと手に入れたのだ。やっと――。


 ――あれは突然やって来た。巨大な宇宙戦艦が突如として世界中の上空に浮かび上がったかと思うと、その次の瞬間には、あっという間に、人類は彼らに支配されてしまった。そして、彼らは人類を・・、食らい始めた――。


「・・・」

 私たちはあの時の光景を思い出し、全員が涙した。


 ――我々、人類の一部は人類存亡を託され宇宙へと脱出した。そして、彼らの科学力に対抗する力を得るため宇宙を旅した――。


 私たちは再び目にすることのできた青い地球を見つめた。

「ついについに・・」

 あの時、共に脱出した仲間で、生き残っているのは何人いるのだろうか。多分、帰って来れたのは我々だけだろう。


 我々は彼らのレーダー網をかいくぐって、地球に降り立った。

「おおっ」

 緑があった。森があった。山があった。あの懐かしい景色があった。我々は感動した。

「街があります」

 我々の隊員の一人が興奮気味に叫んだ。

「人類は滅びていなかったのか」

 私たちは、心の底から安堵し、そして、喜びに打ち震えた。

 我々は、現状偵察のため、気づかれないよう山の中に着陸し、街へと潜入した。人類に会える。再び人類に会える。我々ははやる気持ちを押さえられないほどの興奮を感じた。

 しかし、そこには奴らがいる。そして・・、奴らは、食っているのだ・・、我々人類を・・。それを想像すると、我々は暗澹たる思いに沈んだ。何人が生き残っているのだろうか・・。何人が・・。

「こ、これは・・」

 しかし、実際に地球の現在の街の様子を目の当たりにして、荒廃した人類世界を想像していた私たちは面食らった。人がいた。しかも大勢の。目の前には、想像とはまったく真逆の、発展し、むしろ平和で穏やかな世界が広がっている。

「いったい、どうなっているんだ・・」

 奴らに食べつくされ、減っているものと思っていた人類は、その数をまったく減らしていない。いや、むしろ増えているくらいだった。街は人で溢れ、活気があり、美しく清潔でおしゃれだった。華やかさすらがある。

 我々は困惑しながらしばらく、街の中を歩いて回った。

「・・・」

 人類はみな若々しくはつらつとしていた。二十代三十代が中心で、四十以上と思われる人間は見当たらなかった。みな幸せそうに微笑んだり談笑したりしている。むしろ、以前の人類社会よりも幸せそうですらあった。

「・・・」

 どうなっているんだ。これは一体・・。我々は混乱した。奴らは確かにまだいる。それは、宇宙から地球を観測し、奴らの宇宙船を複数確認していたいし、地球に根差した奴らの基地や根城の存在も確認していた。

 私たちは他の街も回ってみた。しかし、現状はまったく一緒だった。人が溢れ、活気があり、みな表情は明るく、幸福そうであった。

「どうなっているんだ・・」

 我々は戸惑うばかりだった。

「隊長これは・・」

「・・・」

 私は答える言葉が見つからなかった。

 そこに一人の老人が我々の方に歩いて来るのが見えた。あの老人なら、我々が地球を離れる前からのことを知っているに違いない。私は、その老人に近づき、話しかけた。

「あの・・」

 老人は最初、怪訝そうに私たちを見つめた。我々が着ている服は、何十年も前のデザインのものだったし、それに我々の年齢の人間はほとんど見かけない。いぶかしがるのも自然だった。

「君たちは・・」

 だが、すぐに老人は何かを察した。

「そうです。あの時、地球を離れ、地球を救うために宇宙へ旅立って行った者たちです」

「ああ」

 老人は、嗚咽のような声を放ち、その表情が変わった。

「そうか、君たちが・・、無事に帰って来たんだね」

 老人は涙ぐんだ。すべてを理解したらしい。

「私は君たちを見送った中におったんじゃ」

「そうでしたか」

「よく生きて帰って来たね」

 老人は私たちの手を取って、両手で固く握りしめた。そして、涙を一層厚くした。

「あの・・、いろいろとお聞きしたいことが」

「ああ、そうか、君たちは何十年もこの地を離れていたんだね。無理もない。そこの公園に行こう」

「はい」

 老人は近くの公園を持っていた杖で指し示した。我々は、老人と一緒に、その公園の中に入って行った。

「あの・・、若い人ばかりに見えるのですが」

 公園のベンチに座ると、私は早速老人に訊ねた。

「そうじゃ、我々の下の世代はあらかた、食われてしまったよ」

「そうでしたか・・」

 私たちの中に、奴らに対する憎悪がメラメラと燃え、湧き上がった。

「わしは年をっていたので、食べられることは何とか避けられたがね」

「そうでしたか」

 我々は自分たちの世代がもういないことにショックを受け、そして、あらためて、奴らへの怒りと、これからやって来るであろう彼らとの全面戦争に向け、決意を新たにした。

「君たちが帰って来たということは・・」

 老人は、その時、我々が帰って来たことの真意に気づき、あらためて我々を見た。

「はい、我々はついに手に入れたのです。彼らを倒す術を」

「・・・」

 そこで老人はなぜか、顔を曇らせた。喜んでもらえると思っていた私たちは少し驚いた。

「我々は彼らを倒すことができるのです。人類は救われるのです」

 我々は、喜んでもらえると思い、さらに言った。

「・・・」

 しかし、老人は増々、顔を曇らせるばかりだった。我々は顔を見合わせた。

「どうなっているのです?人類は彼らに征服されたのではなかったのですか」

 私は老人に訊ねた。

「征服された」

「では」

「・・・」

 老人は黙った。

「一体何があったというのです」

 私は堪らず、黙る老人に詰め寄るように訊いた。

「我々人類は、確かに彼らに征服された。しかし・・」

「しかし?」

「・・・」

 そして、老人はもう一度黙った。

「しかし、新しい秩序ができたのだ」

 そして、老人は言った。

「新しい秩序?」

「そうじゃ」

「なんですか。その新しい秩序とは」

 我々の仲間は全員老人の顔を覗き込む。

「我々は彼らの食料になった」

「やはり、奴らは我々を」

 我々は興奮する。

「いや、まあ、待ちたまえ」

 老人はそんな我々を押さえるように言った。

「?」

 我々はそんな老人の態度がまったく理解できなかった。老人は彼らに怒っている気配すらがない。

「我々人類は、望んで食料になったのだ」

「はい?」

 老人が何を言っているのかまったく理解が出来なかった。我々はしばし、時が止まったみたいに固まったまま、老人を見つめた。

「君たちが驚くのも無理はない・・」

 老人は、言い難そうに表情を硬くした。

「君たちが去った後、彼らは我々人類を根こそぎ全員を食うわけではなかったのだ。かんたんに言ってしまえば家畜化したのだ。食べつくしてしまえば終わりだが、繁殖させれば、持続的に食料が手に入る。彼らは我々という食料を生産し始めた」

「家畜?」

 屈辱的な言葉だった。我々は増々彼らに対し強烈な怒りがこみ上げた。

「やはり」

「まあ、落ち着いて聞いてくれ」

 老人がそんな我々の興奮を察して、制するように言った。

「家畜化というとイメージは悪いが、しかし、実際はそうでもなかったのだ」

「はい?」

 我々は老人の言葉が理解できず、頭を混乱させた。

「彼らは、我々を家畜化するために、我々の食料を生産し始めたのだ」

「・・・」

「そして、彼らは新しく我々の家を作り、街を作り、我々の生活に必要なすべてのインフラを整えた」

「・・・」

「我々は働かなくてよくなった。つまり、我々人類はまったく何もしなくてよくなったのだよ」

「・・・」

「今まで、我々人類が苦労して必死でやっていたことを、彼らがすべてやってくれるようになった。本当にすべてだ。食料生産から、肉体労働、汚れ仕事、子育てから、教育、政治、司法、社会秩序、何から何までだ。我々はただそれを享受していればよくなった」

「享受・・」

 我々はやはり、状況がよく分からず、増々混乱した。

「つまり・・」

「そう、つまり、我々は、受け入れたのだ。我々はあえて家畜化されることで、自由になり、そして、ここまで発展したのだよ」

「・・・」

 老人の言葉が信じられなかった。自ら受け入れた・・。

「でも、それでは・・」

 我々の仲間の一人が思わず声を上げる。

「まあ、君たちの気持ちは分かる」

 老人は、そんな我々を制するように言った。

「しかし、我々は今、自らの肉を提供することで、彼らに世話をしてもらい、そして繁殖させてもらっている。そのおかげで、今や人口は、二百億人まで増えた。彼らが来る前の人口の二倍よりも多いのだ」

「・・・」

「しかも、何度も言うが、ここでは、すべての管理、身の回りの世話を彼らがやってくれている。食料の栽培から提供、住居の建築、病気になれば医療の提供、我々はそれをただ、享受していればいい。我々は何もする必要がないのだよ。しかも、その彼らの提供してくれるインフラや、福祉、公共サービスは、すべて質が高い。我々が以前享受していた生活よりもその質は格段によくなったのだ」

「し、しかし・・」

 それでも、納得できるわけがない。家畜など・・。

「それにだ」

「それに?」

「それに、我々が抱えていた社会問題は一切なくなった。我々は争いをやめた。戦争もテロも犯罪もなくなった。格差も競争も、それに伴う貧困もなくなった。競走したところでみんな同じ家畜の身だ。意味がない。だから、自然と格差もなくなった。みんな平等の立場になったのだ。すると、不思議なことにみんな穏やかで仲がよくなった。いじめや差別もなくなった。みんな穏やかに笑って暮らせるようになった」

「・・・」

「少子化、もちろん老後の心配もなくなった。我々は老齢になる前に食べられてしまうし、基本的な生活は彼らが保証してくれるからだ」

「・・・」

「原発も核兵器もなくなった。抱えていた放射性廃棄物も彼らの科学技術ですべて宇宙に捨てることができた。そして、公害もなくなった。彼らは非常にデリケートな生き物で、そういった有害な化学物質による大気汚染や汚染土壌が一切だめだった。だから、彼らの科学技術ですべての有害な化学物質は除去され、持続可能な循環がこの地球に戻った。気づかないかね」

「えっ?」

「空気を思いっきり吸ってみたまえ」

「あっ」

 おいしかった。透き通るような清涼感がある。こんな空気感は以前の地球では記憶になかった。

「見たまえ」

 私は老人の指さす方を見た。

「あっ」

 公園脇に小川が流れていた。その小川は透き通るように美しかった。そのまま飲めそうなほどの輝きと透明度だった。

「あの川は、昔、腐臭の漂うドブ川だった」

「・・・」

 確かにそうだった。都市部のこれだけ人の多い場所の川は汚れきっているのが当たり前だった。

「今はそのまま飲めるのだよ」

「・・・」

「我々が食べているものも、すべてオーガニックで、農薬や除草剤、成長ホルモン剤など有害な化学物質は一切使われていない。肉の質が悪くなるからだ」

「・・・」

「我々は安心で安全で質の高い物を、毎日タダで食べることができているのだよ」

「しかし・・」

 それでも、やはり・・、納得はできない。

「彼らは野蛮な生き物ではない。むしろ非常に平和的な生き物だ。戦争はしないし、争いごとも喧嘩もしない。非常に理性的で道徳的で礼儀正しい。ただ、たまたま、食料が人間だったというだけだ。それは私たちの食料がたまたま牛や豚だったのと一緒だ。それは彼らが悪い存在だからではない。ただ、そうだったというだけだ」

「し、しかし・・」

「彼らは我々を侵略という形で征服はしたが、しかし、非常に法律、憲法、道徳、倫理の発展した社会を持っている。道徳的に非常に優れた民族なんだ。だから、我々は家畜でありながら、しっかりと、憲法や法律で守られ、かつて人類が家畜に行ってきた、様々な残虐な飼育法は法律で完全に禁止されている。もし破れば、たとえ、それが我々人間相手であろうと、非人道的な行いは処罰の対象になる。だから、我々は彼らに征服されながらも、こうして快適に何不自由なく、完璧な秩序の中で安心して暮らすことができるのだ」

「・・・」

「この社会では、個人がしっかりと尊重されているのだ。以前の人類社会よりも、人権が確実に守られているのだ。以前の社会は熾烈な競争社会で、その競争から脱落した者、外れた者、ついていけない者は、自己責任として容赦なく切り捨てられ、かんたんに打ち捨てられてきた。しかし、今は違う。どんな人間でも、尊重される。個の存在としてちゃんと尊重され、生きる保証を与えられているのだ」

「・・・」

「そして、彼らは我々のために必死で働くのだ。食料の生産、栽培、加工、水資源の管理、住居の建築、インフラ整備、メンテナンス、我々が死ねば、彼らも飢えて死んでしまう。だから、彼らは我々のために必死で働くのだ」

「・・・」

「我々がずっと望んでいた、平和で平等で穏やかな社会が、今ここに実現しているのだよ」

「しかし、死ぬことは怖くないのですか。まだまだ生きられるのに」

「人間はどうせ死ぬ。長く生きたり、どう生きるかなんて意味のないことだよ。逆に死ぬことが決まっていれば今を生きることができる。今生きていることに喜びと実感を感じることができる。死があることで、逆に今ある生が活き活きとしてくるのだよ」

「・・・」

「食べられるということに関しては、今の人類は、彼らによくしてもらっている恩返しのような気持ちになっている。誉れ高いとさえ感じているんだ。利他的な高尚な気持ちで死んでいけるのだよ。それはとても幸せな気持ちなんだ」

「・・・」

「屠殺の時も、最高に気持ちよく死ねるようになっている。まるで天国にいるような最高の気分で死んでいけるのだよ。それを味わえると、それを楽しみにしている者も少なくない。健康寿命で考えれば、人間の生は短い。それ以上だらだら生きても、結局は病気で苦しんで死んでいくか、老齢になって惨めに老いさらばえて周囲に迷惑をかけて、申し訳ない気持ちいっぱいで死んでいくか、孤独に惨めに死んでいくかだ」

「しかし、人生の意味とか価値とか」

「今の人類はそんなものを望んではいない。今を生きることに喜びを感じているのだ。さっきも言ったが、だらだらと生きたところで人間はどうせ死ぬ。今までの人類のように、人生の意味や価値、お金、名誉や地位を追いかけたり、生きたことの何かを残したりといったことに血道をあげる、そんな人生は虚しいと悟ったのだ。そういったことを追いかけることが人を幸せにしないということを、今の人類は気づいてしまったのだよ。むしろ、幸せになるためには、そういったものは足枷になるだけだ。執着があれば死ぬ時に辛くなる」

「・・・」

「我々は今、ある意味理想の世界にいるのだよ。我々人類が追い求めてきた理想の世界に。もちろん、定められた死という制約はあるがね。しかし、何かの制約はどんな社会にも時代にもある」

「・・・」

 我々は言葉もなかった。老人の発する言葉の一つ一つをどう受けとめていいのか分からず、呆然としていた。

「それに、結局、死ねば体は微生物に食われて分解されるんだ。彼らに食われたってそれと一緒のことだ」

「・・・」

「ペット化されている人たちもいる。その人間たちは食べられることはない。とても愛され、最後は、とても丁寧に埋葬までしてもらえる。もちろん食べられていく者たちも、丁寧に人類の価値観に沿った形で供養してもらえる」

「・・・」

「わしも、年は取ったが、とても大切にしてもらっているよ。何不自由ない生活だ。以前の社会だったら、タダのお荷物だ。心もとない年金で生活しながら、早く死んでくれないかと待たれるような存在だったろう」

「・・・」

 我々は黙ったまま固まっていた。

「では、我々のやって来たことは無駄だったのですか」

 やっとの思いでそれだけを言った。

「・・・」 

「彼らを倒す力を手に入れたのです。三十年の時をかけてやっと見つけ、手に入れたのです」

「・・・」

 老人は、黙っていた。

「やっと、我々は・・」

「君たちには本当に申し訳ないと思う。しかし・・、我々人類は、もう家畜化され、その生き方に慣れ、依存してしまっている。そして、そこに幸せを見出してしまっている」

「・・・」

「過去の人類の生き方がよかったのか、今の人類の生き方がいいのかそれは分からない。しかし、もう昔の人類には戻れないのだ。そういった技術も知識も体制もすべて失ってしまったからだ」

「・・・」

「一度家畜化された動物は、もう野生では生きていけないのだよ。主体を持つことができないのだ」

「では・・」

「そうじゃ」

 老人は申し訳なさそうにうなずいた。

「我々は・・」

「本当にすまないと思っている・・」

 老人はうなだれるように言った。

「わしら人類が、ずっと望みながら手に入れられなかった完全な平穏と平和、幸福、それが今ここにあるのだよ」

「・・・」

「悲しいかな、しかし、飼育の中でしか、それは保てないのだ」

「・・・」

「我々は、彼らの庇護を離れれば、また競争を始め、犯罪、殺人、戦争を繰り返す・・」

「・・・」

 我々は、その場に立ち尽くした。あまりの現実に、我々は一言も発することができなかった。

 その後、我々は、老人に礼を言い、老人を一人公園のベンチに残し、その場を去った。


「我々はどうしたら・・」

 隊員の一人が口を開いた。宇宙船に戻り、何とも言えないどんよりとした空気が船内を覆っていた。

「・・・」

 私たちには言葉もなかった。ただみんなうなだれ黙っていた。

「もう一度宇宙へ行こう」

 どのくらい時間が経っただろう。私は沈黙を破り、意を決して言った。

「・・・」

 みんなが私を見る。

「我々がここで生きていくことはできない」

「・・・」

 全員黙っていたが、みんな同意しているのは分かった。

「我々の生きていける星を探そう。そこで生きていこう。もう私たちの生きていく場所はここにはないのだ。そして、戦う理由も・・」

「はい・・」

 みんな小さくうなずいた。

 そして、我々は地球を去った。







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短編小説・家畜 ロッドユール @rod0yuuru

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