うらおもて公園

呼京

うらおもて公園

 今日は何をしても上手くいかなかった。些細なミスがたくさん起こって、それが積みあがってのしかかる。大きなミスと同じくらい気持ちの落ち込みがすごかった。重い足取りで家に帰って、カバンを放り出し、作業のように夕食を取る。適当に流し始めた動画をぼーっと聞きながら数時間が経った。何故だか涙が出てくる。自分とは違って楽しそうに友達とゲームする声。くだらない話でも笑ってくれる友達がいる。居ても立ってもいられなくなって、外の空気が吸いたいと思い、真夜中に家を飛び出した。

そういえば近くに公園があったななんて、ふと思い出す。冷たい風が頬を撫でる。冬になっていく気配を感じる風は、どうしてか優しく感じた。寒いような、でも動けば丁度良いくらいになりそうな気温。今日は過ごしやすい日だった。


 いつも通り過ぎながら横目に見ていた公園は、足を踏み入れてみると意外と広く感じた。普段、子供たちの声で満たされているのが嘘のように、しんと静まり返った公園は不気味ささえ感じる。通りからの見通しは良いものの、固まって植わっている木々が辺りを暗くしているように感じた。夜空に溶けかけた深い緑の木々がざわめく。木の葉を揺らすだけでは足りなかったのか、通り過ぎた風は古びたブランコを揺らす。ぎぃ、と軋むような音がした。そのまま二三度揺れて何事も無かったように止まる。夕方になったら帰る、そんな言葉を暗に子供たちに伝える為なのか街灯は少ない。白熱灯の白い光に小さな虫が集まって踊っていた。切れそうになっている街灯がたまに点滅する。ジジ、ジジ、と小さな音と共に、辺りは一瞬闇に包まれる。

こんなに静かな公園があるものなのか。別の世界に迷い込んだかのような錯覚。でも後ろを振り返れば見慣れた通りがあって安心できた。何かあったら走って通りに出ればいい。

申し訳程度のベンチに座る。息を吐くと白くなった。そうか、もうそんな季節か。そのうち街は電飾で飾り立てられ、恋人たちが楽しそうに寄り添って歩く季節がやってくる。今年も一人寂しく過ごすことになりそうだ。冷たい空気が晴らしてくれた憂鬱な気分が少しだけ戻ってきた気がした。

がさっ。

澄み渡る夜空を見上げていたら草むらの揺れるような音がした。音の方を振り返れば、金色の二つのひかり。んにゃー、と、気の抜けるような鳴き声を一つ残し目の前を横切っていく小さな姿。そいつはそのまま砂場の奥の茂みに姿を消していった。黒猫が横切るなんて縁起が悪いな、あれ、そんなことないんだったっけ。小さな姿の消えていった砂場の方に近づいてみる。そこには不釣り合いな大穴が開いていた。

子どもたちの集まる公園に、それもいくつかある遊具の中でも割と人気であろう砂場に、こんな大穴が開いていてよいものなのだろうか。砂場の枠の外から見ていても明らかに危険そうで、のぞき込んだりしたら落ちてしまいそうだ。この危険な砂場に入ることが出来ないように囲ってあるわけでもなく、容易に近づくことが出来た。崩れることもなく、ぽっかりと空いた穴。どこまで続いているのかわからない底なしの闇が広がっている。直径は人ひとりくらい。こちらから向こう側に手を伸ばしても届きそうにない。

近くの外灯が、ジジ、という音と共に瞬いた。暗くなったその瞬間、大穴の方が一瞬だけ光ったような気がした。外灯の光が戻ってきてから、足を滑らせ無いよう注意して穴をのぞき込むと、何かが闇の中で光る。




重たい瞼をゆっくりと開ければ、視界は一面の青空だった。いつの間にか眠ってしまっていたのだろうか、固く古びたベンチに横になっていた。体を起こして辺りを見渡せば、先ほどまでいた公園と何ら景色は変わらない。確か昨日、夜中にここにふらっと来て……

「おや、お目覚めですか」

自分に掛けられた声だと気づくのに時間がかかった。きれいな青空を背に、のぞき込むようにして男性が立っている。一体いくつくらいだろうか。四十歳では若すぎるような気もするが、大体それくらいだろうか。肩につくくらいの柔らかそうな灰髪。こちらを見つめる目は青空と同じ曇りのない水色。上品で落ち着いた、ほとんど黒に近い紫色の服を着ていて、神父のような出で立ちだ。

「驚かせてしまいましたかね。大丈夫ですよ、私は何も危害を加えるつもりはありません」

優しい声色に、だんだんと気持ちが落ち着いていく。ここはどこですか、口から出たのはその質問だった。

「ここは、あまざ公園ですよ」

確か……家の近くの公園の名前のはずだ。変わった名前だと記憶していたと思う。でもどうして自分はここにいるのだろうか。先ほどまで辺りは真っ暗だったのに、今は何時だろう……。そうだ、仕事、仕事に行かなくは。

「そう慌てなくともいいのではないでしょうか」

この人の周りだけ時間の流れがゆっくりな感覚に陥る。声色と、話す速さと、雰囲気のせいだろう。自分だけが慌てて、逆においていかれているような気分になる。自分は急がなくてはならないと伝えると男は再びゆっくりと話し始めた。

「大丈夫です。ここはあなたのいた世界とは違う世界。あなたのいたあちらの世界とは時間の進みも違います。」

一体何を言っているんだこの人は。いや、自分の方がおかしくなってしまったのだろうか。別の世界……?実感がわかない。もやもやする気持ちと、焦りと、どこからかやってきた恐怖感。もしかしたら本当に知らない世界であるかもしれないという、不安が押し寄せてきた。冷や汗が背中を伝う。

「ですから、そんなに慌てなくとも大丈夫です、ここは」

男の声を遮るよう に小さな子どもが男に飛びつく。後ろから飛びつかれバランスを崩した男は、少しよろめいた。やれやれ、と言ったような表情を浮かべ小さな姿に向き直りしゃがんで小さな声で話をしているようだ。こちらには聞き取れないくらいの、まさしく「内緒話」。

小さい子は真剣に聞きしばらくして、なるほどというように大きくうなずき、男の後ろからこちらをうかがう。目が合うと、元々大きな目をさらに見開き、少しもじもじとした後小さな声でこんにちは、と言った。挨拶をし返せば嬉しそうに笑って遊具の方へと掛けていく。

そういえば子供たちの声でこの空間は満ちている。無邪気にはしゃぐ声があちこちから聞こえる。滑り台やブランコ遊ぶ子、かくれんぼをする子、木陰のベンチに座って話したりぬいぐるみで遊ぶ子……それぞれ思い思いに遊ぶ子ども達がいた。小さい子は三歳くらいだろうか、自分で立って話すのがやっと、というくらいの印象の子もいる。小学校高学年くらいの子たちはみんなのお兄さん、お姉さんと言ったような印象だ。ふと、孤児院のようだと感じた。

「お気づきですか」

考えを見透かされるように、タイミングよく男は声を掛けた。

「ここは死んでしまった子供たちの世界なんです」

自分の考えを見透かされたのかと思ったが、それよりもはるかに衝撃的な事実を伝えられる。死んだ人の世界。わけのわからない恐怖感がぶわりと広がった。自分は死んでしまったのだろうか。でも、死んだ「子供たち」の世界と言っていたし、自分は楽しそうに走り回っている子供たちとは年齢が違い過ぎる。じゃあ、どうしてここに?

 自分は突然現れたのだと男は言った。言うなれば不思議の国のアリスと同じだ。穴に落ちた記憶はないが、のぞき込んだ記憶はある。その時に足元の砂が崩れたのなら真っ逆さまに落ちるかもしれない。それで、その先がここに繋がっていた……、いやそんな夢のような話ある訳ない。

「ベンチの上で寝ている人がいたので驚きました。それにいつもの様に子どもではなくて大人であるあなたがいたので……不思議なこともあるのですね」

 男は呑気そうに微笑んでそう言った。どうしてもこの男と自分の空気感が合わない。自分だけがこんなに焦っているような感じで、申し訳ないような気にもなる。居心地がすごくいいわけでもないし、不気味だから、帰れるものなら早く帰りたい。

「そうですよね。でも……帰り方が分かりませんし……。そうだ、いくつか文献を調べてみましょうか。それまでここでゆっくりしていて下さい。もし、宜しければ子どもたちと遊んでやって頂けたら私も子どもたちも喜びます」

 死んだ子ども達と遊ぶなんて中々恐ろしい事をこの男は言う。怖気付く様子を感じ取ったのか男は笑って付け加えた。

「ですから、私も子供たちも、あなたに危害を加えるつもりはありませんよ。この子達は、精一杯遊ぶこともなく、死んでいってしまった子たちですから……」

 既にこちらを向いていなかった男の顔は見えなかったが、どこか寂しそうに聞こえた。

「ああそれと、砂場には近づかない方がいいですよ」

 問い返す間もなく、謎の忠告を残し男は、部屋と呼んだ石造りの建物へと歩いていった。




 改めて見渡してみると普通の公園となんら変わりはなかった。目の前を掛けていく子供たちも普通だ。ちょっと肌の色が白く感じるのはそういう事なのだろう。通り過ぎていくとひんやりとした風が吹くのも霊的な何かだろうか。「死んでいる」とはいえ、そう差別的に見る必要はないのかもしれない。

 そんな事を考えながら遊ぶ子供たちを眺めていると、先程挨拶を交わした子と比較的年上そうな子がやってきた。年長者に隠れながらこちらを伺うように見ている。ぱちっと目が合ったので、ぎこちなく微笑んでみれば、その子は花が咲くように笑った。それを見て一緒に来た子も嬉しそうに笑う。その姿は一切「死」を感じさせなかった。

子どもの好奇心とはすごいもので、よそ者の自分に変わるがわる話し掛けに来た。自分が死んでしまった事を自覚している子もいればしていない子もいる。けれどどの子も決まって明るく、楽しそうに笑っていた。この子達はここで過ごす事が幸せなのだろう。

先程の男はやはり孤児院で言う先生のような立場の人で、身の回りの世話をして、様々な知識を教えているそうだ。大人を知らない子供たちが知る唯一の大人。そんな所に自分がやってきたものだから、それはもう引っ張りだこになった。子供と遊ぶなんていつぶりだろう。そもそもこんな風に公園で遊ぶなんてほとんどしなかった。部屋の中で本とゲームに囲まれて、仕事が長引いて帰ってくるのが遅い親を祖父母と一緒に待った。田舎も田舎で、周りは田んぼばかり。一番近くの公園は二十分程歩かないと行けなかった。たまに、田舎の農家の家にはよくある広めの庭で祖父母と遊ぶ事はあったが、二人とも農作業の傍ら相手をしてくれる程度だったし、自分から手伝いをしたりもした。

 そう思い起こせばこんなに広い公園で遊ぶなんて久々だ。子ども達の相手をしながら自分には小さい遊具で遊んだ。


「随分と打ち解けたみたいですね」

 子ども達には適わない衰えた体力を恨みながら一息ついていると、男が声を掛けてきた。手にはコップを持ってお茶を飲みながら隣に座る。自分の分だけか、と突っ込みたくなるのを我慢して、はい、と一つ返事で返した。

「あなたが元の世界に帰る方法……その、申し訳ありません。詳しくは分かりませんでした」

今までにこにことしていた男の顔が曇る。伝えられた言葉に自分の顔がこわばる感覚がした。

「ああすみません。どうかそんなに気を落とさないでください。詳しくは分からなかっただけで、もしかすると、というようなことはいくつか書いてありました。試してみる価値はあるでしょう」

随分と人任せな答えだった。自分の存在がこの世界でいかに異様なものかを再認識する。こちらがこの世界を異様だと思うように、この世界の人からしたらこちら側が異様な存在なのだ。

「よく、検討してください。……恐らく、危険を伴うので」

そう言い残して、辛そうに笑うと子ども達の集まるテーブルの方へと歩いて行った。

考えろと言われても、帰るために危険を伴うって……いよいよ恐ろしくなってきた。ここが本当に死者の世界で、自分はまだ生きているのだと実感する。死んではいないという安心感に落ち着く暇もなく、焦る。あの男も死んだ人間なのだろうか。ここにいるということは死んでいると考えるのが妥当だろう。しかしあの男は死んだ「子供たち」の世界だと言った。あの男以外子どもしかいないが、何故例外的に男は歳をとっているのだろう。こちらのことを詮索したり、子どもたちのことを紹介してくれるのに、あの男のことはほとんどわからない。自分と同じ、例外的な存在なのか。

いや、きっと知らなくてもいいことなのだろう。だが、子どもたちにあてられたのか自分の好奇心は収まらずにどんどんと湧いてくる。子どもたちに囲まれて柔らかい微笑みを浮かべる男を見る。悪い好奇心を払うためにそのまま視線を巡らせれば、離れたところに誰一人よりついていない砂場があった。男の周りに集まっていない子どもたちもいるが、それぞれ遊具で遊んだり走り回ったりしている。何故か砂場にだけは誰もいなかった。あの砂場には一体何があるのだろう。確か自分が大穴を見たのも砂場だった。ここにもそんな穴があってもしかして飛び込んだら元の世界に戻れたりして。ふとよぎったそんな考えに、ゆるりと立ち上がる。取りつかれたようにぼーっとしながら砂場に向かう。

砂場の枠に一歩足を踏み入れる。柔らかい感覚がした。

その瞬間、辺りが一瞬にして暗くなった。

あんなに晴れ渡っていた空は真っ暗になり暗雲が立ち込めている。雲の影は不気味に赤く光り、生暖かい風が頬を撫でた。子どもたちの喧騒はぱったりと止み、木々のざわめく音だけが聞こえる。足元の砂は灰色で、砂場の枠は赤黒くなっている。こんな色だっただろうか。変わり果てた風景に戸惑いが隠せない。冷や汗が伝う。

「近づくなと言ったじゃありませんか」

男の優しい声がして安心して振り返る。そして息を飲んだ。

顔の左半分が骨になった男が困ったような笑みを浮かべていた。整えられていた柔らかそうな灰髪は無造作に伸び、服は着古したようにボロボロで、袖から見える手は白い。肌が白いのではない。白骨なのだ。ぽっかりと空いた左目であった場所からは気味の悪い虫が這い出て、男の体を伝って地面に降り、灰色の砂場へと消えていく。面影を残してはいるものの、気味の悪い姿に自分の体が凍り付いていくことが分かった。

「だめですよ、言いつけを破っては。子どもたちが怒ってしまったじゃないですか」

諭すように男が言うと、足元から黒い煙が立ち上り、その煙に巻かれてふっと姿を消した。無意識に、すがるように伸ばしてた手は空を切る。わけのわからないまま人気のなく静まり返った不気味な公園に、自分一人が取り残された。

ぎい、ぎい、ぎい……砂場から一番近いブランコが大きく揺れる。人が乗っている気配はないのに、風に揺れるよりも大きく、一定のリズムでブランコは揺れている。音が不快で、止めるべく近づくと、ひと際大きく後ろに振り上げられたブランコが、自分の頭めがけて降りてくる。間一髪のところでしゃがみ、そのままブランコから離れる。するとブランコの揺れは小さくなり、再び一定のリズムで音を立て始める。自分の命が狙われたことはすぐに分かった。

はやる鼓動を落ち着ける暇もなく、うめき声のようなものが近づいてきた。追い詰めるように声は大きくなり、突如黒い靄が公園の中心に現れた。一斉にこちらを振り向くように、ごう、と大きな音がした。そしてそのまま自分めがけて近づいてくる。捕まったらただで帰れない。そう野生の感が言っている。あっちへこっちへ無我夢中に走る。対処法がわからないのだからどうしようもできない。

んにゃー。

どこからともなく聞いたことのある声。草むらの中から二つの金色の目を持った黒猫が飛び出してきた。今はお前に関わっている暇はないんだ。どうにかして逃げ切らなくては。自分の目の前を邪魔するように走っていく黒猫。自然と後ろから追うような形になった。公園の入り口の方へと掛けていく黒猫の後を駆けていく。

公園の入り口、その少し先で黒猫が止まる。邪魔だからどいてほしい、このままだと黒猫に突っ込む。すぐ前に黒猫。すぐ後ろには明らかに殺意を持った黒い靄。くるりと振り返って座った黒猫は、んにゃーと気の抜けた声を出した。仕方ないこのまま飛び越えるしかないと前に出した足に力を入れた。

飛ぶことは無く、地面を踏むこともなく。そのまま体ごと闇に落ちていく。真っ逆さまに暗い暗い穴へと自分の体が落ちていった。のぞき込む黒猫は金色の目を細めて一声、気の抜けた声を上げた。


背中から地面にたたきつけられた。痛い。手にさらりとした感覚。いくらか握り、持ち明けてみるとそれは砂だった。痛みにうなりながら体を起こすとそこは砂場の中だった。よく見る砂。古びて白くなりかけている木枠。冷たい風が頬を撫でて、髪についた砂を乗せて去っていく。慌てて辺りを見渡すと、ここは見慣れた公園だった。いくつかの外灯がたまに点滅して、澄んだ空には星が瞬く。にぎやかな色のついた遊具は子どもたちに遊んでもらえるのを待っているように見えた。

戻ってきた、そう実感するのに時間がかかった。身体についた砂を払い、立ち上がる。ポケットからスマホを取り出してみれば、夜中の一時を表示する。砂場にあった大穴は姿を消して、代わりに自分が寝ていた形に跡がついている。元からそこには何もなかったように、ただ何の変哲もない砂場があった。

よくわからない経験をしたことは覚えているが、この公園に来る前のもやもやとした気持ちは、不幸中の幸いかさっぱり消えた。代わりに後ろ髪を引かれるような恐怖感と共に帰路につく。


誰もいなくなった公園の砂場に、黒い煙が立つ。それは腕の形をとって手招く。どこからか子どもたちの楽しそうな声が聞こえる。

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うらおもて公園 呼京 @kokyo1123

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