第94話帰郷②

 野営をする予定だったが、ポツンと建つ廃屋を見つけ、そこで一泊することとなった。一般的な民家で広さはないが壁も屋根もまだしっかりとしていた。ぎゅうぎゅうでも一泊ならこれで十分だということだった。


 アデリーは床に散らばった陶器の欠片を拾い集め、それを表に持って出た。入口の横にそれらを置くと、ロセが馬から毛皮を下ろして持ってきた。


「火は外で炊くそうよ。だからとにかく中のガラクタを片付けましょ」

「ええ。でもそれほどないのよ。中の様子から言って最近まで人が住んでいたんじゃないかしら」


 ロセもそれには同じ意見だった。


「畑があって麦が蒔かれていたから、秋までは居たんだと思うわ。アデリーの家族を殺めたとかいう奴が皆を追い詰めているんでしょうね」


 ここはまだアデリーの住んでいた領地ではないと思っていたが、ロセの話を聞いていたらもしかすると違うのかもしれないと辺りを見回した。見覚えはないが、アデリーが領地の隅々まで把握しているとは言い難い。だが、アデリーの知っているトリダム領はどんな季節でも領民たちが生き生きと暮らしていた。だから、このような空き家はほとんど見受けられなかったし、たとえ空き家があっても近くの人が管理していることがほとんどだった。


「領民を追い出してしまったら土地は荒れてしまうのに……何を考えているのかしら。領民あっての領主なのよ。民が居なかったら領主だって不要だわ」


 ロセは「ま、死なない程度に生かせって思うのが領主様なんでしょ」と、辛辣に言い放った。そうだった、ロセは領主というものに良い感情を抱いていなかったのだ。そこでロセも目をくるんと回してからちょっと語気を弱めて付け足した。


「アデリーも領主の娘だったんだわ。忘れちゃうわね、全然そんな感じじゃないんですもの」


 思わず笑って「偉そうにしてないってことなら、嬉しいわ」と返すと、ロセは肩をすくめて「全然偉そうじゃないわ。権威のけの字もないわね」と言った。なんにせよ、偉ぶっているのではないなら良かった。


「それにしても、放置されても麦はしっかり育っているわ。早々に人が戻ってくれたら収穫も夢ではないわね」


 じきに雪が完全に溶けて青々とした麦が辺り一面を染め上げるだろう。収穫までにはまだ時間がある。それまでに人の手配をするか、ここに住人を充てがえば……。


「それにはやはり何としても領地を取り戻さなきゃ。明日くらいにはあなたの住んでいた領主館につくかしら」


 アデリーにもそこはさっぱりだ。基本的には移動する時は人任せだった。だから地理が全然頭の中にない。その点ニコラスは多くの場所の位置関係がしっかり脳内にイメージ出来ているらしく、さすが行商人だと内心感嘆していた。


「わからないわ。私、本当に何も知らないし、何も出来なかったんだなぁって思うの。皆が生きるために一所懸命な時に踊りを習ったり、計算を習ったり……今思うと恥ずかしいわ」


 ロセは廃屋の戸を開けて、落ちていた石を置いて開けっ放しになるようにしながら「踊りはどうだかわからないけど、計算は役に立つでしょ。悲観的になってないで動きなさい。大きいゴミを外に出し終えたら使えそうな枝なんかをトニのところへ運ぶといいわ」と、アデリーを促した。


「おおい、火を起こしたから干し肉を温めて食うぞ」


 丁度トニが大声で二人を呼び寄せている。


「今行くわ!」


 ロセは部屋の中に落ちていた枝をテキパキと拾い上げて抱えた。


「アデリー、行きましょう。ここは開け放って換気しておきましょう。カビ臭いのがマシになるわ。それより、今日用のパンはなに?」


 アデリーは廃城を出発する前に、携帯用のパンを焼いてきていた。旅の食事は干し肉とパンのみだと言うことなので、少しでも食事が楽しくなるように甘めのパンを焼いてきた。


「ロセからもらったシナモンを練り込んで、砂糖をかけた、シナモンパンよ。疲れた時には甘いものが欲しくなると思って」


 ロセが持っていた枝を思わず抱きしめる程喜んで「最高ね! 早く行きましょう」と、アデリーを急かした。


 どんなに地理に疎くても、領主館までもうそれほど掛からないのはアデリーにも理解できていた。この平和な旅もそろそろ終わりを告げようとしているのだ。懐かしい領主館でどのようなことが起こるのか、予測は出来ても本当のところはやってみなければわからない。ロセや皆で食べる食事がこれで最後なのかもしれないと嫌な予感が過ぎり、アデリーは頭を振ってからロセの背中を追いかけていった。


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