第37話ゴーダとマリオ②

「そうそう、君は俺達のプリンセスだから」


 何故かダグマの部屋から出てきたニコラスがニコニコと会話に加わってきた。


「何がプリンセスだ。よくそういうセリフを吐けるな、お前は」


 ダグマの指からクルクルと髪が滑り落ちて解放された。


「身寄りのない子供を拾ったら誰かが責任を持つって話だ。じゃあ、また明日」


 言うだけ言うとダグマは二人を残して部屋へと入っていってしまった。


「俺のこと、ひとたらしって言うけどダグマのほうがよっぽどひとたらしだと思わないかい?」


 ニコラスに言われて「あ……えっと」と、アデリーは言葉を探す。ニコラスは笑いを噛み殺すように口を抑えてアデリーの額を人差し指でチョンと押した。


「真っ赤なプリンセス。ダグマはやめておきな」


 正直、特別だと言われて心臓が飛び出しそうなほど驚いたし、髪を弄ばれてダグマにまで心臓の音が聞こえてしまうのではないかと思っていた。今は顔の熱さだけ戻っていないだけで騒ぎ立てていた心臓は静かになっていた。ダグマにとってアデリーは『身寄りのない子供』らしい。冷や水を浴びせられたのに、顔だけはなかなか熱が引かなくて困る。


「ちょっと距離が近くてドキドキしただけです。私、直ぐに赤くなるし、あの……それだけです」


 それはニコラスに言っているのか、自分に言い聞かせているのか、アデリーにも真相は定かではない。するとニコラスもアデリーの髪を一束掴んで見つめながら言う。


「赤毛か……」


 長い睫毛が揺れていた。


「赤毛はそんなに珍しくないと思いますけど」


 そこまで多くはないが、居ないこともない。それなのにダグマもニコラスもやたらと髪の色を気にしているようだった。


「そうだな。でも魅力的な髪だ」


 ニコラスは最後にニコリと口の端を上げて、髪を落とした。


「トリダム領主の娘なんだってね。あそこの領主は評判が良かった」


 思わぬ言葉に手が出て、ニコラスのシャツを掴んでいた。


「知っているんですか! 来たことがあったりとか!」

「ああ、何度かね。なかなかいい亜麻がとれるって有名だったろ? 布も質が良かったし、トリダムの亜麻からとれる油は最上級品だ」


 ニコラスの口から出てくる故郷の話にアデリーは込み上げてきた涙を止めることが出来なかった。


「ああ……そうです。本当に平和で素晴らしいところなんです」


 故郷を逃げ出してきて始めてはっきり景色を思い浮かべていた。一面に広がる亜麻の畑、水車小屋ではいつも油を絞っていた。


「ダグマも言っていたが、戻ろうなんて考えるなよ。君の中にある景色はもうないかもしれないんだ。わかるだろ?」


 煌めく黄金色の畑、牧歌的な優しい風景。人々は手を振り、牛は草を喰みながら尻尾を揺らしていた。


「でも……」


 いつかは戻りたい。家族の消息を知りたいし、領地の人々の生活を見ておきたかった。助けてくれた人々はどうしているだろうか。


「でもはなし。さぁ、泣くなよ、プリンセス。俺が抱きしめてベッドに連れて行きたくなっちまうだろ?」


 話しながら体を傾け、涙が伝う頬に唇を軽く押し当てた。まさかそんなことをしてくるとは夢にも思っていなかったので、アデリーは体をビクンと跳ね上げた。予期せぬ体の反応にアデリーも驚いたが、ニコラスも驚いたようで両手を挙げて降参のポーズで一歩下がった。


「あは。悪かった。あんまりに可愛くて」


 アデリーの部屋のドアを片手で開けると、もう片方の手で恭しく部屋に入るように勧めた。


「なんにせよ、君はここを出ていくべきじゃない。もし、故郷の情報が欲しくなったら俺に頼むことだね。お代は情熱的なキスでいいよ」


 ニコラスの言う事なす事すべてがアデリーを困らせるが、冗談だとわかっているので涙を拭って振り返り敢えて笑顔を作ってみせた。


「優しい人ですね。おやすみなさい」


 それから戸を閉めた。戸の向こう側で「半分以上本音だけど」と、ニコラスが呟いていたなどとは知らなかった。

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