第25話石工リル⑤
ダグマは寝息を立てているアデリーを注意深くベッドに下ろした。当然のことだが、アデリーはベッドに下ろされたことで顔をしかめ、身じろぎを繰り返す。
「私……」
言葉は明瞭ではなかったが、確かにアデリーが口走った。覗き込んでみたダグマの動きに再び瞼を揺らし、モゴモゴと言葉を発した。
「パイを焼きた──」
最後まで発せず、その後は寝息に変わっていった。短い寝言の意味が、パイが美味しかったからだけではないのは、その必死さで理解できた。懇願するような口調にダグマは動きを止めざるを得なかった。
ダグマはそっとシーツを掛けてやり、顔に掛かった赤毛を耳にかけてやった。
「焦るなよ。心配するな。お前は十分やってるさ」
食事中に寝てしまうくらい疲労しているなんて、大人じゃ早々ないことだ。ましてや、アデリーはきっとこれまで何でも人にやってもらう立場だったろうに、環境が変わったことをいち早く受け入れて耐えてきた。多くの場合、落ちぶれても元の階級での生活を捨て切れずもがく者が多いのに、それだけとってもアデリーは立派な振る舞いをみせている。労働など無縁の生活から、今は認めてもらうために人一倍働きどうしなのはダグマも気がついていた。
「いつだって、バカな勢力争いに巻き込まれて苦しむのは女子供だ。なぜ、人間は学ばないのだろうな。アデリー」
名を呼ぶとピクリと震え、アデリーの手がダグマのシャツの袖を掴んだ。無意識のうちに動いただけで、規則正しい寝息は健在だった。寝ていてもどこか意識が働いていて休めていないのだろう。ダグマはその手を見下ろして、静かに包みこんでから離し、ベッドへと戻した。暗がりで見えなくても触れればアデリーの手が荒れているのは感触でわかった。出会った日は汚れてさえいたが荒れてはいなかったのに。
「しかし、なんの因果なのか……赤毛の女を拾うとは」
アデリーの赤い後れ毛を人差し指で持ち上げて親指で摘んだ。
「ア……アレク?」
再びアデリーの意識が眠りの世界から彷徨いだした。口から溢れ出たのは男の名だった。ダグマが幼いと感じていても、アデリーは年頃だし婚約者がいてもおかしくはない。戻りたいとは言わないあたり、婚約者も殺されたのかもしれない。
「夢で会えるといいな、そいつと。なんてな……」
ダグマは首を振ると髪を落とし、足音が立たないように歩き出した。
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