魔法中年 青と赤の狭間

宮上 想史

第1話

魔法中年  青と赤の狭間 


 星のない夜空のような髪が渦巻く火の粉と踊りながら風になびいていた。

「正義なんてクソ喰らえ」そんな言葉が吐き捨てられた。

 燃え盛る炎と切れ端。周りは火の海で今にも飲み込まれてしまいそうだった。

 目の前を見ていた。

 焦げたにおい。煙。

 もう立っていられそうにない。

 全身の力が入らなくなって、膝から積み木が崩れるように地面に倒れた。

「大丈夫?!」

 倒れた音を聞いてか、その人は近くに駆け寄ってきた。

「うああああ、ああああああああああああああああああ!!」

 たがが外れたかのように声をあげた。

 なにも受け入れられなかった。受け入れたくなかった。

 だから叫んだ。

 何もかもを拒絶するように。

 否定するように。

「落ち着いて!」

 ギュッと頭を抱きかかえられても、それでも嗚咽は止まらなかった。

 少し離れたその先で何かが盛大に燃えている。

 周りの熱さを感じないくらい、胸のほうが熱かった。

涙のほうが熱かった。

 しばらくすると周りの炎も俺も落ち着いてきた。

 たぶん、この人がいるからだ。

 どうして、この人がいると落ち着くんだろう。

 どうして、こんなに安心するんだろう。

 あれはなんだ。見つめていた先のモノが動きだした。

 嘘だ。

 嘘だ。

 嘘だ。

「典明、サッカーしようぜ」

 同じクラスの陽一がサッカーボールを両手に声をかけてきた。

 下足入れから靴を取りだしている最中だった。

「ごめん、パス」

 とくに仲のいい友達という訳ではなかったが、たまに人数合わせで遊びに誘われることがあった。今日は無理だ。

 典明は校門を出てフェンス越しに皆が蹴っているサッカーボールを目で追いかけた。

 自分自身がボールを蹴っている姿が目に映る。

 砂埃があがり、ボールの弾む音や、地面に擦れる音、人の声が聞こえる。シュート。

「いいな」

 典明は目を前に戻して、歩き続けた。

「待ってよ」

 声のする方に目をやった。

 隣の席の光だった。

「待たねえよ」

 独語するようにそう応えて、どんどん歩を進める。

「新しいゲーム買ってもらったんだけど、やりに来ない?」

 いつもこう誘われるが典明は光の家に行った試しはなかった。

「行かねえ」ぶっきらぼうに言う。

「なんで?」人なつっこい声。

「家の手伝い」典明はポケットに手を突っ込んだ。

「いつも忙しいね」残念そうに光が言った。

「そうだな」なぜか典明はむくれていた。

「ふーん」

 どこまでも続く白い線の内側を二人は並んで歩いていた。

「よ」

 光は縁石の上に上がって腕を伸ばしてバランスをとった。

「あぶねえぞ、そこ歩くの」

「危なくないよー」

「いつか死んじまうぞ」

「死にましぇーん」

 典明は立ち止まって光の背中を見つめた。

 手を真っ直ぐ伸ばす。指の間からふらつく背中を見ていた。

 青い炎が放たれる。光のすぐ横を通り過ぎていく。

「熱ッつ!」

 光はバランスを崩し縁石を踏み外して、ゴロンと歩道を転がった。

「痛ったー」

「大丈夫か?」

光の横に立つ典明はぶっきらぼうに言葉をかけた。

「うん」

 立ち上がった光はズボンをパンと叩く。

「いったい何だったんだろ」

「魔法じゃないか」

「なんの魔法?」

「悪魔かなんかの」

「典明君もそんなこと言うんだ」

「もっ、て他にもこんなこと言う奴いるのかよ」

「うん」

 光はてらいも無く返す。

 典明は頭の後ろで組んでいた手を解いて腕を組んだ。少し心当たりがある。

「二組のやつだろ」

 光が典明を見る。

「よくわかったね」

 それから、驚いた顔を見せた。

「しかも二人」

 光は凄い! と言って笑った。

「あったらいいよね」

「そうか?」

「格好いいじゃん」

 光は目をキラキラさせながらそう言った。

 典明は下を向く。

 魔法は好きじゃなかった。自分に魔法の才能が無いことはわかっていたから。

 やっても、やっても、上手くならなかったから。

 それでも父さんに無理矢理訓練をさせられて、やっとある程度は扱えるようにはなったが、今でも魔法の訓練は辛い以外の何モノでもなかった。こんなことが出来るようになって、何の役に立つのだろう。世間の人たちに見せられない。他人に気づかれないように使う、面倒くさいにもほどがあった。

 同級生達に遊びに誘われても断るのが心苦しかった。

 なんでこんなことをやらないといけないのか、わからない。

 普通でいいよ。

 使えてもしょうがないし。

 普通がいいよ。

 あったらいい?

 格好いい?

 意味ないよ使えても、人に見せたらおかしなやつだって思われるだけなんだから。

 なんで、俺だけこんなことをしないといけないんだろう。

 そんな風にしか思えなかった。

 こんなことをやらずに友達と思いっきり遊びたかった。

 クソ食らえ。

 ランドセルから家の鍵を取りだして、鍵を開けた。

 ガチャ。

 中は薄暗く、明かり取りの窓など無い。典明が扉を閉めると暗闇が広がった。

「ただいま」

 廊下の壁に設置されたろうそく一つ一つに魔法で火を灯してゆく。

 青い火。

 これも訓練の一環だった。

 静かな青い炎がぼうと闇を照らす。

 ガチャ。

 暗い部屋。

 自分の部屋にカバンを置いて、三階の部屋へ向かった。

 その部屋の中も暗闇が巣くっていた。

 体に闇色の糸が纏わりつく。

 部屋の中央に立ち、何も無い所に両手をかざした。

 広い部屋で闇を呼吸する音だけが聞こえる。

 来る日も、来る日も同じことの繰り返し、いつまでこんなことを続ければいいのか。

 終わる日がくるのだろうか。

 うんざりだった。

 闇の中、ぎぃぃと軋んだ音がした。

 典明は開いた扉に見向きもせずに目の前の感覚だけに意識を集中させていた。

 扉を開けたのは一人の男だった。

 ゆっくりと、かざされた手の前に青い火の粉が、火の粉が球体を作り、一つへ纏まって小さな火へと変わっていった。

 少年の姿が静謐で冷たささえも感じられそうな青い炎で浮かび上がる。

 ここから何時間も、この火に魔力を込め続けるのだった。

 男はゆっくりと典明に近づいて、少し後ろで炎を見ていた。

 その顔には大きな火傷の跡がある。見ただけで痛々しいモノだった。

「好い火だ」

 男の双眸は何かに取り憑かれたかのように、じっと目の前の揺れる炎を凝視し続けていた。

 典明は何の反応もせず、ずっと青い火を睨み据えている。

 

 父さんの火傷の跡は、むかし火事にあってできたモノらしい。

 いつ見ても、見ているこっちが痛くなるような跡だった。

 大きな背中をゴシゴシと擦る。

 手は泡だらけ。

「上手くなってきたな」

 低い声が浴室に反響する。

「背中洗うのが?」 

 父の背の上で典明の手はよく動いていた。

「魔法の話だ」

「ああ、そうかな……」

 背中を洗う手はいつの間にか止まっていた。

「学校は今日も楽しめたか」

「うん、楽しいよ」

 典明の少し弾んだ声が響く。

「魔法の修行が辛くて、学校も行くのが嫌だったら、生き地獄だからな、楽しめる所はめいいっぱい楽しむんだぞ、じゃないと勿体ないからな」

「うん」

「お前はよくやってるよ」

 シャワーをかけられた背中の泡がお湯と共に排水溝へ飲みこまれた。

 口数は少なく、怖い所のある人だったが、一人で自分のことを育ててくれた父のことが典明は好きだった。たまに褒めて貰えるのがなによりも嬉しかった。

 魔法の修行なんて辞めてしまいたいと父親に言うことができたらどんなに楽だろうと典明は思っていた。そんなことは一生、言えそうになかった。

「ただいま」

 典明が家に帰っても誰も「お帰り」を言うことはなかった。

 洗い物をしている女の人がおかえりと言ってくれるのを典明は想像して、重い息とともにその想像を吹き消した。

 今日も魔法の訓練だった。

 毎日、毎日、毎日、

 来る日も、来る日も、来る日も、

 休みなんてなかった。父親に言われて仕方なくやっていた。楽しくてやっているわけではない、学校の勉強のほうが万倍も面白かった。こんな退屈なことを続けたくはなかった、けれど典明には選択肢なんて存在しなかった。逃げることなんて出来やしないのだ。

 最初の頃は楽しいと思っていたはずだ。

 できるようになるのが楽しかったはずだ。

 今はそんな感情微塵も持ち合わせていない。

 できないと怒られる。

 怒られるのが嫌だからがんばった。


「おはよう」

「ああ」

朝の時間帯、リビングのカーテンは開けられて、朝日が室内を満たしていた。

 典明が起きだして来ると、いつものようにテーブルの上に焼き魚と、野菜ジュースが置かれていた。魚の種類や、ジュースに使われている野菜は日替わりだったが、毎日同じメニューだった。とくに食にこだわりがなかったためかこれについて、典明はなんとも思っていなかった。

「いただきます」

 今日の魚は鮭の切り身だった。濃いオレンジ色に表面が少しカリカリになるくらい、少しだけ焦げあとがつくくらいに焼かれている。身をほぐすと蒸気がのぼった。

 親の影響で典明も魚の骨を取らずに、骨ごとバリバリとご飯と一緒に食べていた。

 学校でこのことを友達に指摘されると、カルシウムが沢山摂れるからいいんだと、と言うことにしている。

 ジュースは茶色い色をしていた。ココアが入っているのだ。

 苦いジュースを流し込みながら、典明の耳にテレビのニュースキャスターの声が入ってきた。

 ……午前二時半頃、煙が見える、と119番通報がありました。消防車など二十台が出動し消火活動が行われていますが、消火の目処はいまだに立っていないとのことです……

「なんか、最近多いね」

 そう言ってから典明は父の手を見た。少し震えていた。このような類いのニュースを見るといつも父の手が震えることを典明は知っている。

「放火魔でもいるんじゃないか」

 父の声がいつもよりも低いなと典明は思った。手を合わせる。

「ごちそうさまでした」

 時計をチラと見てから席を立った。皿とコップを持って、流しに運ぶ。

 自分が使った皿とコップを洗い終えた。父親はニュース番組を見続けている。部屋へカバンを取りにいった。 

「いってきます」

「ああ」


チュンチュンと雀の歌。一緒に聞こえる風の音。揺れる木漏れ日。通り過ぎていく車。自転車。

 いつもの景色。

 いつもと同じ。

 朝、学校に向かう途中、見かける人がいる。黒くて長い髪を揺らしながら、肩に小さいカバンを提げている。

 今日も、いた。

 別に見たいわけじゃない、人をじろじろ見るなんてしようとも思わない。

 けど、見ずにはいられなかった。

 なんでだろう。

 あの人を見ると、なんだか、ざらつくような感覚が胸に灯る。

よくわからなかった。

 綺麗な人だからだろうか?

 いや、他にもそういう人は沢山いる、けれど他の人とはあきらかに違ったなにかがあった。 

 なんなのか、よくわからなかった。

 不思議な感覚。不思議な人。

 あまり心地の良い感覚じゃなかった。怖いのだろうか。

 けど、見ずにはいられなかった。

 その人が振り向いた。大きな目が射貫くようにこちらを見た。目をそらす。一瞬、目が合った気がする。

 引力に引かれるような、それでいて近づいてはいけないようなそんな感覚に覆われる。典明は腕をさすりながら、違う道へとそれていった。

 学校の正門とは反対側の、人があまり通りそうもない道を歩いていた。角を曲がってすぐだった。少女がフェンスを通り抜ける。歩きながら少女が通った所を見ていた。ただのフェンス。人が通れそうな穴は空いていなさそうだった。目をこすった。

「幽霊でも見たのかな」

 そのまま正門の方へと向かった。

 学校の廊下、生徒達の楽しそうな声がいたるところから聞こえてくる。

 子供たちの走り回る音。

 ボールが床にぶつかり、ダム、ダム、と音をたてる。

 その振動が床を伝わり足に響いてくる。

 パスを貰ってからドリブル、右手、左手、ディフェンスを一人突破。ゴール下の一人もフェイントでくぐり抜け、シュート。と見せかけて仲間にボールを回す。リングをボールが通過して、ネットの弾く音がする。

 ワー。

 いいぞー!

 ナイスシュートー

「のり君ナイス!」

 一緒にコートに立っている光が典明に声をかけた。

 今日は球技大会だった。二人とも黄色いゼッケンをつけている。

「おい!前!」

 鈍い音を立てて、光の顔面にボールが当たった。陽一が光を見ながら笑っていた。

 またか。

「ちゃんと、見てないと危ないぞ」

「う、うん」

 光が鼻血をこすりながら、応えたあと、典明の視界を横切る何かがいた。

 ん? 

 蜂だった。

「うわ、きいつけろ!」

「わああ!」

 蜂は陽一の方に向かっていった。

 なぜか陽一の周りだけを飛んでいる。

 ハチミツでもついているのだろうか?

 ふと、体育館の壁に背をつけた少女が指をチロチロと振っているのが目に入った。

 指の先には蜂がいる。

 あいつか――

 隣のクラスの女子だった。

 まえから、魔法を使える人間だと思っていたのだ。

 陽一もわざとやっているところもあるから、これくらい良いだろうと典明は思った。

「嘘だろ」

 教室で一人、陽一がかばんをゴソゴソと漁っていた、順のカバンだった。

「なにやってんだよ」

「盗み」

 陽一はあっけらかんと応える。

「は?」

 一瞬、陽一がなにを言っているのか典明にはわからなかった。

「やめろよ、そんなこと」

 困惑した表情で典明は言った。

「なんで?」

 陽一はきょとんとした表情を向けてきた。

「お前のじゃないだろ」

「当たり前だろ」

「お前、ほんとクソだな」

 典明はため息をもらしたくなった。

 そして、近づいて陽一の胸ぐらを掴んだ。

「離せよ」

陽一のギラついた目。

 典明は、なにも答えずに陽一の目をじっと見ていた。

 しばらく見つめ合った後、陽一が目を下にそらした。

「なんなんだよ、正義面しやがって、離せ!」

 典明は胸をドンと突かれた、手が離れてから言葉を返した。

「自分は悪くないみたいに言うんだな」

 その言葉に陽一は気色ばんだ。

「金がねえからやってんだよ! ある奴は困んねえからいいよな!」

 そう吐き捨てて陽一は教室の出口へ向かう。

 勢いよく閉められた扉の音が室内に響いた。

 典明の目は怒りの痕跡を追いかけていて、握りしめられた拳からは青い炎が盛り立っていた。

 ゆっくりと炎は収まっていく。

 学校の帰り道、歩いていると火傷の跡が少し氣になった。

 典明がふと、顔を向けた先にはやはりあの髪の長い女の人がいた。

 いつもは見かけない時間帯だったので、珍しいなと典明は思った。

 たまたま、行く道も同じようだった。

 典明は肩をさすりながら、あの女の人から少し離れて歩いていた。

 なんであの人が近くにいると火傷の跡が氣になるのだろうか。

 普段は全く氣にならないのに。

 なんでだろう。

あの人のことが氣になっているから?

 綺麗な人だとは思うけれど、一度も話したこともない人を好きになるのだろうか?

 好きな人を見ると火傷がうずくのは嫌だな。

 それなら、あんまりあの人には近づきたくない、と典明は思っていたが、氣持とは裏腹に目だけは長い髪を追っていた。いつもは朝だけど、今は夕方前だし時間がある。思い切って話しかけてみようかとも頭をよぎった。

 なんで、こんなに氣になってしまうのか、どうしても知りたいという氣持ちになってきていた。女の人が路地を曲がる。一瞬、目がこちらを見ていたような氣がした。氣のせいだろうか。

(話しかけてみよう)

 典明はそう思って路地の方に駆けていった。

 タッタッタッタッ

「あの……!」

 路地の先に目を向けると、女の人の後ろ姿は陽炎のように消えてしまった。

「あれ?消えちゃった」

 典明は女の人がいた場所へ走っていった。姿は何処にも見当たらない。

「おかしいな……」

 少し先に人がいた。ピンクのフードを被っていて少し目立っていた。典明はその前を通る。横目で見た机の上にはタロットカードが置かれていた。典明が通り過ぎると、占い師は一枚カードをめくった。「正義の逆位置ねえ」

 ガチャ。玄関のドアを開けるといつもの静まりきった闇が出迎えてくれた。

 いつものように靴を揃えて、

 いつものように手を洗い、

 火をつけて、

 いつものようにカバンを置く。

 変わらない、いつもの日常、毎日、何時間も続く退屈な訓練、退屈、ただの苦痛だった。何か楽しいことがしたかった。

 何か面白いことが起こったらいいのにと、典明は思ったが、頭を振って雑念を消した。

 こんな氣持じゃ訓練に集中できやしない。

 父さんは部屋に居るのだろうか? そう思って、父の部屋のドアをちらと見てから、いつもの訓練部屋の重い扉を開いた。

 闇の中に何かがいた。

 いったい何だろうか。

 確実に、そこに何かがいる氣配がする。いつもと空氣が違っていた。

 明かりはついておらず、ただぽっかりと暗闇があるだけ。

「父さん?」

 典明は闇に向かって声をかけた。

 そこに確かにいるはずの何かは何も応えない。

「だれ?」

 なんだか寒氣がした。

 典明は部屋のロウソクの火を一斉に灯した。

 典明の父親の生首を持った黒いなにか人の形をしたモノが立っていた。

 意味が……わからなかった。

 まず、この黒い影みたいな奴は一体なんなんだ?

 あの手に持っているのは父さん、なのか?

 なんでこの部屋にいるんだ。

 どうやって入った。

 得たいが知れなかった。

 俺も、殺される?

 全身にブワアと鳥肌が立っているのを感じた。

 逃げたほうがいい。

 扉の方を向くと、扉は何かの力でバン! と勢いよく閉まった。

 ガチャ、ガチャ、ガチャ。

 開かない。

「くそったれ!」

 もう一度、黒い何かの方を見る。

 あいつが魔法を使ったようだ。

「一体なんなんだよお!」

 次の瞬間、

 典明の体は抗えない何かに引っ張られていた。

「ぐあ」

 引き寄せられ、首を捕まれる。

 もの凄い力が加えられた。

「ぐはっ、が……か……っか……」

 典明は喘ぐことしかできなかった。

 父さんと目があった。

 光の無い、闇のような眸。

 苦しかった。

 いつもみたいにじっと見られていた。

 苦しい。

 どうすればいいのだろうか。

 苦しい。

 いつもと同じだ。

 苦しい。

 嫌だ。

 こんなのは嫌だ。

 死にたくない。

 涙がでてきた。

 殺されてしまうのか。

 死にたくない。

「がああああああああああああああああああああ------!!」

 典明の周りの全てが青い炎に包まれた。 

 舞の親は本当の親じゃなかった、本当の両親は事故で死んでしまったと聞かされていた。親戚に引き取られて、とくに不自由なく、引きとってくれた人たちも良い人だったが、どこか、さみしくも感じていた。

 それは舞が自分の魔法の力を誰にも相談できなかったからだ。

 十歳になる頃、手から火が出せるようになっていた。

「なに……これ」

 舞は最初かなり驚いた。ありえないことが起こっているからだ。あきらかに普通ではなく、誰にも相談することができずにいた。本当の親のように思っている、おじさんやおばさんにも言うことができず、自分は普通の人間ではないと暗澹たる氣持ちが胸の内にわだかまっていた。

 魔法の力が出現し始めて、最初は上手く扱うことはできなかったが、人のいないところで、悪戦苦闘しているうちにある程度までは自由にすることができるようになっていた。だが、こんなことが出来るようになったところで人前でこの力を使うことなど決してできないとわかっていた。

(こんなこと、必死に練習してなにやってんだろ)

 そんな氣持ちと共に、ふとした瞬間に誰かを傷つけたり、見られたりする心配が減って安堵していた。

 舞は中学生になると、とても器量の良い娘になっていた。髪は長くさらさらで目が大きく開いて顎のラインもスッとしていた。

 ある日のこと。電車に乗り、ドアの横で景色を見ていた。舞がまだ降りる予定ではない駅でドアが開き、一人の男が降りようとした。そのとき、舞は腕を引っ張られ電車から下ろされた。

(え、なにこれ)

 訳がわからなくなって、何も考えることができなくなっていた。舞はどんどん引っ張られていく。逃げなきゃ! という思いがよぎり、捕まれている手とは逆の手で掴んできている手に火を瞬間的にボッ! と出した。

「あつ――ッ」

 相手が手を離した隙に舞はまだドアが開いていた電車に飛び乗った。

 扉が閉まる。

 シュー。

 舞は目を見開いて男を見ていた。

 舞を見つめる男の姿は遠くなっていく。

 あの男が、何を思って、何をしようとしていたのかを考えると舞は怖くなった。

 その頃から男の人が怖いと思うようになっていた。

 ウィーーーーーーン。

 ゲームセンターのUFOキャッチャーをしている舞はぬいぐるみに集中していて氣づかなかった。肩をとんとんと叩かれて振り向くと、あきらかに自分とは人種の違う人達十人ほどに囲まれていた。

「え……」

(怖いんだけど)

「キミカワイイネ」

 一人の男が片言で話しかけてくる。

 周りの男たちはハハハと笑っている。

「アイアムベンジャミン、アイラブユー」

 その男はクレジットカードを出してひざまずいた。

 舞はとっさに目の前の男の顔の前でボッと火を出した。

 男たちは驚いた。

 その一瞬に舞は男たちの隙間を走り抜けた。

 あるときは自転車で追いかけられた。火を出してそいつを驚かしてひっくり返してやった。危ない場面に出くわした時に火を出せる力は便利だなと舞は思い始めるようになっていた。

 一瞬だすだけなら、それほど危険ではないし、多分マジックか何かだと思われて終わりだ。少しでも相手を怯ませることができる。本能的に生き物は火を怖がるものだから。

 舞は女子校に進学した。その頃は男性に近づきたくないと思っていたのだ。周りは同性ばかりだし安心だろうと舞は思っていたがそんなことはなかった。一定の人数が集まると、一定の割合で同性が恋愛対象の人間もいるのだった。

 舞の見た目は目立つし、性格も男勝りであったためか、下駄箱によく手紙が入っていることがあった。

「あんたいい氣になってんじゃないよ」

「はあ?なんだよお前」

 なぜだか舞にはわからなかったが、突っかかってくる女子生徒がいた。舞はその女子生徒に暴力を振るってしばらく謹慎処分をもらうことになった。

 鏡を見ていた。

独特の薬のにおいが鼻につく。とてもいい匂いだとは思えなかった。頭皮が痛い。髪を洗い流すと今までみたこともない自分の姿があった。

「なかなかイケるじゃん」

 舞は髪を脱色して金髪にした。しばらく学校には行かないからいいだろうと思ったからだ。それを見た親は二人とも似合うなどと言ってくれていた。

 家にいてテレビを見たり本を読んだりしていたのだが、いい加減飽きてきていた舞は家の人たちが寝静まった時間に二階の窓から外にでた。

 放任主義の親だったが、謹慎中に出歩いていたらさすがに怒られるだろうと思ってのことだった。

 外は肌寒かったから舞はフードをかぶった。

いつもそこから、出ているのかと思えるほどに身軽に屋根から庭に降りていく。

 舞は学校でも運動神経は良いほうだった。

 家の窓をチラと確認して門から出る。

「いってきまーす」と舞は玄関に手を振った。

流れる人の喧噪と光、店の窓の明るさと、その隣にいる飲み込まれそうな路地裏の闇。過ぎ去る車、すれ違う夜の人間の香水のにおい。話しかけてくる知らない大人たち、目も合わせずにやり過ごす。

 耳に聞こえてくる誰かの声が遠くに聞こえて、ぼんやりとした、ぼやけたイメージがあるだけで、言葉を意味として捉えられずにいた。

 すれ違うモノがなんなのかも曖昧な感覚。

 ぶらぶらとあてもなく歩いていた。

「おい、君、ちょっと待ちなさい」

 舞が振り向くと、黒いコートを着た背の高い男が立っていた。

 なにこいつ? 舞は訝しむように男を見上げた。

「警察だけど、こんな時間になにやってんだ」

 やば。

 舞は男の顔めがけてボ! と火をだした。

「な……!」

 男の目は驚いたように見開かれた。

 舞は駆けだした。

「こら!待て!」

 男は舞を追いかける。

 舞は人の間を抜けて、細い通路の暗闇に紛れ込んだ。

 脇にあったゴミ箱を倒し、中身をぶちまける。

 フェンスをさっと乗り越えて、闇雲に走り続けた。

 ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハ。

 自分の息づかいと心臓の音がただ、響いている。

 繰り返し、繰り返し、

 気づくと男はいなかった。

 なんとか巻いたようだ。


「、逃げられたか」

 男は舌打ちをすると、胸からたばこを取りだして、火をつけた。

 顔が炎に照らされる。

 吐き出された煙が宙をたゆとうていた。

 

 



  

 住宅街。

 夜氣がしっとりと冷たい。こんな時間に出歩くなんて怒られるからしたことがなかった。

 月明かりで周りがよく見えていた。

 舞は空を見上げる。

(今日、凄く月が綺麗)

 そんなふうに思っていると、

 氣のせいだろうか、小さい何かが月の中を移動しているように見える。

(ん?なにあれ)

 舞は目をこすってみるが、氣のせいではないようだった。確かに何かが移動している。

 飛行機だろうか。

 目をこらして見てみるがよくわからなかった。

(なんか……自転車みたいに見えるような)

 そのときだった。

 ガラスが割れる音と、大氣を劈くような悲鳴が続けざまに聞こえてきた。

 火事だ。窓からモクモクと煙が出ていた。

 赤ん坊の泣き声も聞こえてくる。

 何も考えることなく、舞の体は勝手に動いていた。

 自分よりも背の高い柵を軽々と跳び越え玄関のドアを開けようとするが開かない。

 体を翻し、渾身の力で蹴破ろうとした。

 ドン!!

 が、開きそうになかった。

「クソが!」

 窓の煙に目をやったあと、家の周りを見回した。

 庭に面したガラス戸がある。

 あそこからなら入れる。

 フードを目深にかぶって、舞はガラスに肘から突っ込んだ。

 舞は砕けるガラス片と共に家の中に転がり込んだ。

 だっ、と立ち上がり、二階へと続く階段を探す。

 居間を出て、廊下へ。

 あそこだ。

 三段飛ばしで階段を駆けあがった。

 廊下の先に黒いドア。

 赤子の泣き声、ドアの向こうから聞こえてきているようだった。

 勢いよくドアを開ける。

 部屋の中で火が燃えさかっていた。

 倒れた女性とベッドに寝かされている赤ん坊。

 そして、何か得体の知れないモノがいた。

 黒い煙のような、人間の男のような、形をしているが、それがなんなのか舞にはわからなかった。

「なに……こいつ……」

 そのモノは舞の方を見てまるであざ笑うかのようにしていた。

 だが顔は真っ黒い煙でなんなのか判別がつかなかった。

 そのモノは手を舞の方に向ける。黒い煙が渦を巻く。

 何か来る。

 舞はそう思うや、腕に火を纏った。

 そのモノはニヤリとしたように舞には見えた。

 そして、なにか得体の知れないモノが放たれた。

 飛んできたそれを手で払う。

 消え去った。

 すかさず、舞は火の塊をそのモノに放つ。

 そのモノの肩の辺りを打ち抜いた。ぽっかりと穴が空いたようになった。

 そのモノは、自分の肩の穴を見て驚いているようだった。

 大きな目は目の前を凝視したまま。

 額から汗が流れた。

 そのときだった、そのモノはパッと割れた窓ガラスの方を向いた。

 ボーリングの玉のような物が三つそのモノの体をすり抜けた。

 バシャ! バシャ! バシャ!

 ボーリングの玉は水の塊だった。

 水がすり抜けたあと、そのモノの体には穴がなかった。

 そして、ふっとそのモノは煙のように消えていた。

 舞は割れている窓の方を凝視する。

(今度はなに?)

 風の音がした。と、風が部屋に入り込み、舞のかぶっていたフードは脱げて、長い髪が激しくなびいた。

 風がピタリと止んだ。

 ただ、赤ん坊の泣き声だけが聞こえる。

(火が全部消えてる……)

 舞は倒れている母親らしき女から目を背け、赤ん坊に目をやる。

 そして、優しく抱きかかえた。

 深く息を吸いこんだ。

(なにかくる)

 舞は片手を赤ん坊から離して、手から炎をだした。

 割れた窓から入ってきた。

 自転車と、それに跨がった男。

 天然パーマと眼鏡が特徴的だった。

 舞は口を開けたまま、男を見ていた。

 男が口を開く。

「君、泥棒?」

「は?」

 舞は男が言っている意味がわからなかった。ただ、目の前の男は悪い奴には見えなかった。

「……なんで、自転車なの」

 舞は自分でもすっとんきょうなことを聞いているとわかっていたが、つい口から言葉が出ていた。

「ん?なんでって言われてもな困るな……それより、その手のやつ消してくれる?」

「自転車で飛ぶ訳、か……」その言葉が男の口から出る頃には舞の手からでている炎は消えていた。

 男は自転車から降りる。顎に手をやって舞を見た。

「君……まともに魔法使えない系?」

 舞はなにも応えず男を見ていた。

「ちょっと」

 そう言って男は赤ん坊をまじまじと見る。

 泣く赤ん坊。

「呪い……か?なんだろ」

 舞にはよくわからなかった。

「大丈夫なの?」

 男は赤ん坊を舞から受け取って、じーっと見ていた。

「んーわかんない」

「ちょっと貸して!」

 舞は呆れて、男から赤ん坊を取りあげた。

「どれ!」

「腕のとこにあるんだけど」

 ほんのわずかにだが、黒い煙みたいなモノが舞にも見えた。

「これ?」

 舞が黒いもやに触ろうとすると、ボっと火が上がった。

「うわ」舞が驚く。

「おぎゃああああ!」赤ん坊が泣く。

 男はすぐさま呪文を唱えて赤ん坊の腕を癒やした。

「跡、残っちゃうかなあ」

「ごめん……なさい」

 舞は氣勢をそがれた様子で赤ん坊を見ていた。

 サイレンの音が近づいてくる音がする。

 舞は顔を上げた。

「はい」

 赤ん坊を男に渡す。

「あと、任せるね」

「え?」

ここにいたら、面倒くさいことになりそうだと舞は思った。

 舞は窓から飛びでて、屋根から庭に降りていく。

 まるで猫のようだった。

 家の敷地から出ようと、道路に出たとき、腕を捕まれた。

舞は驚いて顔を向ける。

 見覚えのある男だった。

 先ほどまで追われていた警察官だ。

 

 

  

「俺がいて良かったね」

 警察署の玄関まで連れていかれたところに偶然、この工藤信也という男と再会した。

 あの警官と信也は顔見知りだったようで、信也が話をつけて舞は解放されたのだった。

「あの子は?」

「ああ、警察の人に預けたよ、俺が預かるわけにもいかないし」

「そっか」

 車のヘッドライトとすれ違った。

「ねぇ」

「ん?」

 舞はなにかを言いかけるが、言うのを止めた。

 信也は舞を見ていた。ポケットから手をだした。

「これのこと?」

 信也の手から風の音が鳴った。

 まるで、空氣の玉が手のひらに乗っているみたいに。

「うん」

 舞は自分以外にこんなことができる人に初めて会って、表には出さなかったがかなり驚いていた。

「君、誰かに習ったりしてないの?」

「そう……だね、なんか勝手に出るようになって、それからコントロールはできるようになったけど、ちゃんとは知らない」

(まともな訓練もしないで魔法が勝手に出るなんてのは、相当力が強いな)

信也は、ボサボサ頭をさらにボサボサにするように頭をかいた。

「知りたい?魔法」

 舞は、その言葉を聞いて立ち止まった。

 もちろん知りたかった、誰にも聞くことができず、悩んでいた。この力について教えを請うことができるのなら、すがりたかった。

 やっと会うことができた。

 頼れる人に。

 なんだか泣きたくなったけれど、ぐっと堪えた。

 男は少し進んだ所で振り返る。

「しりたい」

 男は任せなと言って人の良さそうな笑顔を向けてきた。

 

 

 少年の叫び声が室内に響き渡った。

 周りはすべて炎の海で、少年の生成する炎は目の前の黒い何かには届いていなかった。

 力の限り叫んで自分のできそうな抵抗をしても、目の前の何かには歯が立たないことを少年は悟った。

 叫ぶのをやめて、もがいていたのも止めて、

 先ほどまで暴れていた手はダラリと、力なく落ちた。

 天井を見つめる目から涙がこぼれる。

 嗚咽。

 瞳に影が落ちた。

 微かな呼吸音。

 火の音。

 煙のにおい。

 得体の知れない禍々しいモノ。

 恐怖。

 絶望。

 怯え。

 ああ。

 少年の頭に声が響いた。

 ――最後まで諦めるな

 お前の力を

 意識を集中させるんだ――

 何度も何度もその声が反響する。

「とお……さん」

 少年の手が喉元の黒い腕を力の限り掴んだ。

 何も感じなかった。何も考えていなかった。聞こえていなかった。呼吸も止まっていた。何も見ていなかった。心の中は真っ白だった。

 爆発。

 少年は吹き飛んで、床に転がって、壁にぶつかった。

「ゴホっ、ゴホ……ゴホ」

 咳き込んでから、目の前を見る。

(今までで一番上手くできたかもしれない、これなら……)

 黒い煙がモクモクと漂って視界を遮っている。

「頼むから……ゴホッ」

 目を凝らして見つめる。

 と黒い何かの片腕は無くなっていたが、すぐに塵が集まり元に戻っていた。

 典明は倒れながら床を叩き続けた。何度も何度も手から血が出始めても、叩くのを止めなかった。

「もう、なんだってんだよぉ!」

 心なしか、目の前の何かは典明を見て楽しそうにしていた。

 典明は出口をチラリと見た。こいつから果たして逃げ切れるのだろうか。確証が持てない。足の速い自信はあったが、コレから逃げられるとは到底、思えなかった。

 目を戻したとき、ボォン! 爆発音がした。

 扉が粉々に吹き飛んでいる。肩の辺りがひりついた。

「なッ……なんなんだよ、いったい」  

 そこから、顔の下半分が燃えている人物が侵入してきた。炎は大きな牙の形になっている。上半分は素顔だった。仮面でもかぶっているのだろうか。燃えた仮面? だが本当に燃えている。仮面も持っている槍も。

「なんで、二体もバケモノがいるんだよお!」

 典明は叫んでいた。

 人物は典明を見て、「うるせえ、ガキだな」とぼそりと言った。

 続けて目の前のモノに投げつけるように吠えた。

「ここで会ったがぁ百年目えぇ!!」

 その言葉を聞き終える前に典明は部屋から飛びだしていた。

 あんな所にいては命がいくつあっても足りない。

(逃げなきゃ)

 とにかく急いだ。廊下を抜けて、階段を飛ぶように降りて玄関を転がった。

 靴も履かずに玄関から飛びだした。

 門を開けて道路に出て、全速で駆け抜けた。

 脱兎の如く駆け抜けた。

 ハッハッハッハッハッハ。

 タッタッタッタッタッタッ。

 ハァ、ハァ、ハァ、ハァ。

 息が切れそうだ。後ろの方から大きな爆発音。

 振りむくと、大分遠くにある自分の家から煙りが出ているのが見えた。

 もう息ができないくらい、苦しくて、

 そして、膝からくずおれた。

 涙を流した。

 自然に流れた。

 何が出ているのか、もうグチャグチャになってわからなかった。

 嘔吐した。

 鼻からも、口からも胃液が出て、膝元には黄色い液体。黒いアスファルト。

「助けて……」

 その言葉は誰に向けられて言ったのだろうか。

 典明には良くわからなかった。

周りの大人?

 学校の先生?

 友達?

 死んでしまった父に言っているのだろうか。

 誰も助けてくれる人はいない。

 父さんはもういない。

「誰か、助けてよ!」

 汚れた足。

 ぽた。

 ぽた。

 ぽた。

 ぽた。

 道路に染み。

 咳。

 咳。

 咳。

 咳。

 素足のざらついた感触。

 大きな声を出したあと、家とは逆の方向を向いて歩きだした。

「なんなんだよ、あいつ……」

 あの黒い何かはなんだったのだろうか。

 なぜ、あそこにいたのだろうか。

 考えてもしょうがないことは、わかっていても、もう、

 そのことしか考えられなかった。

 ぐるぐるぐるぐる黒いドロドロした思考が頭の中で渦巻いていた。

「どうしたのかしら、あの子」

 子供とすれ違った大人は様子のおかしい子供を見た。

 服はところどころ焼け焦げ、血走った目を見開いていたのだ。

 おぼつかない足取り。

 異様に目を引いた。

 だが、声をかけることはなかった。

 誰も。

 誰一人として。

 ただ、見ているだけ。

 いや、見ても見ていないふりをしていたのかもしれない。

 関わろうとはしない。

 心配そうな顔を向けるだけ。

 遠くの方でサイレンが鳴り、赤い光が闇に見え隠れしていた。

 

 

 

公園のベンチに座っていた。

 じー、と前を見ているだけだった。

 夜と電灯、飛んでいる蛾。

 明日からどうしたらいいのだろうか。

 朝になって、日が昇って、起きて――何処に寝よう。

 いつもみたいにご飯を食べて……どこから食べ物はやってくるのか、ぼろぼろの服を着替えて――着る服が無い。

 喉が渇いたな。

 そう思い少年は立ちあがり、公園の水道の水をがぶ飲みした。

 冷たくて美味しい。

 それから、手を洗った。煤で黒くなっていた手が綺麗になった。

 今まで、当たり前にあったモノが何もかも無くなってしまって、そのありがたさが少年にはわかった。当たり前が無い。当たり前じゃない。当たり前は当たり前じゃない。

 父さんに全部買って貰っていたのか。

 ありがとうって、言えば良かった。

 もう、言えないんだ……

 いないんだ……

 少年は目の辺りをこすり「ありが……とう」と、くぐもった声を漏らした。


 学校はどうしようか、ふとそう思ったが。顔を洗おうと手にためていた水をバシャリと落とした。どうでもよくなった。なんのために行っているのかよくわからなかったし、なにもかも、どうでもいい氣分だった。

 いや、よくない。いいはずがない。

 もう一度、手に水を取って顔を拭った。少年の目は赤くなっている。

 あの黒い何か――あれを、父親を殺された復讐をするのだと、少年は心に決めたのだった。

 グー。

 典明のお腹が鳴った。

「おなか……すいたな」

 ポケットを探ったが、ポケットティシュが入っているだけだった。

 テレテレテレン、テレテレテン。

 棚にある下着と靴下、服を手に取った。おにぎり、お茶。

 取るとき、少年の手は震えていた。

 レジにいる店員はチラリと少年を見る。

 テレテレテレン、テレテレテン。

 会計をせずに外にでた。

 何事も無かったかのようにコンビニから遠ざかる。少しいって、急いで駆けだした。

 心臓が口から飛びだしそうだった。

「待ちなさーい!」後ろから聞こえる大きな声。

 典明は一目散に駆けだした。

 ばれていたのだ。

胸の中が罪悪感で一杯になった。

 けれど自分に言い聞かせた、腹が減っていたからしょうがないのだと。

 中年の女性店員が追いかけて来る。夜道の街灯の横を次々と通り過ぎた。すれ違う人達が典明に視線を向ける。

 何処か遠くに行ってしまいたい。

 いったい何処に? 何処に行ってもこの状況は変わらないのに。

 何処に行っても弱いのは一緒だ。

 後ろを見ると、もうあの店員の姿はない。

 けれどまだ追いかけてきているかもしれないので、スピードを落とし、止まらずに公園に向かった。

初めて盗みというやつをした。

 まだ、胸のドキドキが止まらない。

 走っているせいなのかもしれない。

 息を切らせながら公園についた。

 ビニール袋を破り捨て、服を着替えてゴミ箱に捨てた。ベンチに座りおにぎりを食べながら思った。

(金が無いと、なにもできない……)

 悲しくないけど、泣きたくなった。

 おにぎりを食べ終えたあとでも、胸の中にある嫌な感覚は消えてはくれなかった。


 カラスが鳴いていた。

 カァー、カァー

 黒い鳥が空を飛んでいた。

「お前らはなに食べてんだよ」

 ぐう

 腹が減っていた。

 丸一日、何も食べていない。

 食べないとこんなに辛いのかと思った。

 普段はたいして思わないのに、食べ物のことしか考えられなかった。食べたくて食べたくて仕方がなかった。

 今は、頭が痛い。

 食べないとやばい。

 もう、限界だ。

 けれど、盗みはしたくなかった。

 心が耐えられなかった。

 またやったら、慣れるのかもしれないけれど。

 それは嫌だった。

 寝そべっている公園の遊具。

 空腹感。

 空と雲と飛行機と太陽。木から伸びる枝葉。

 いつの間にか、ふらふらと住宅街を歩いていた。

カァー

 ごみが捨てられているのが目に入った。

 立ち止まる。

 ごみを見つめていた。

 グチャグチャになった食べ物が透明な袋にべっとりとついていた。

 ごみを見つめていた。

 つばを飲み込んだ。

 カァー

 

 白塗りの外壁の小さな店。赤い屋根。円いステンドグラスの窓。店名の書かれた看板。それを見上げる女。

「ここだ」

 ドアを開けるとカラン、とベルが鳴った。

「こんにちわ」

 覗いた店内は窓からの光が入っているだけで、電氣はつけられておらず、薄暗かった。なんだか独特の雰囲氣の店だった。

 舞はそおっとドアを閉める。

 カランッ

「だれもいないのかな」

 カウンターテーブルに並んでいる椅子、日の光が落ちているテーブル席、席の上にくまのぬいぐるみが置いてある。舞は可愛いとつぶやいた。

 カウンターの奥を覗いて、再び大きめの声で呼ばわったがなんの反応も返ってこなかった。

 誰もいないみたいだ。

「この時間に来いって言ってたのになぁ」

 舞はカウンターの席に腰を落ち着けて頬杖をついた。前にはズラリとティーカップとポット、瓶に入ったコーヒー豆。

 もう一つ奥の方に扉があるのが目に入った。少しだけ開いている。二、三秒そこを見つめてから舞は立ちあがって、そっちに向かった。

「いるのかな」

 ドアノブに手をかけて、少し向こう側を覗いてみると下へ落ちるような階段があって、奈落にでも続いているのかと舞は思った。

「なんか怖……」

「おい」

 誰かに声をかけられた。舞はとっさに後ろを見たが、誰もいない。

 あれ?

 気のせいだろうか、と舞は思ったが、そんなはずはなかった。確実に声を聞いていた。

「だれ!」

 見回しても誰もいない店内に問いかけた。

 さっき聞こえてきた声は、昨日会った信也という男の声ではなかった。

「あたしが可愛いからって、からかってたら火傷することになるよ」

「くっくくくく」

 どこからか笑う声がしたが、誰もいない。

 透明人間? そんな魔法があってもおかしくはない。

「何処にいんの!」

「よく自分のこと、かわいいとか言えるな」

 声の主は、テーブルから降りた。

「よっ、と」

 舞は唖然とした。

 くまのぬいぐるみがテーブルから椅子から椅子へ、可愛らしく移っていく姿を見たからだ。

「な……なに、あんた」

「くまたにだ」

「は……?」

「熊谷だ」

「名前じゃなくて……生きてんの……?」

「んー」

 そのぬいぐるみは腕組みをして悩んでいるように見えた。

 カラン、カラン。

「ただいまぁ。すまんね、遅れちゃって」

 信也は紙袋を抱えて店の中に入ってきた。

 カウンターに荷物をドサリと置いた。

「ねえ、これなに!」

 舞は指さした手をブンブンと振る。

「これとは失礼な」

 熊谷は腕組みをしたまま舞を見据える。

 舞は信也に熊谷の不満を言った。信也は手を洗っている。

「熊谷だよ、仲良くしてな」

「生きてるのこれ?」

「さあ」

 舞は口を開けたまま呆然としていた。

 熊谷は煙と共に人間の姿になって、信也の買ってきた荷物を帳簿に記録し始めた。

 舞は更に固まっていた。

「なんか、食べる?」

 と信也が聞いても、舞は首を横に振って応えるだけだった。

 とりあえずコーヒー入れるけど飲む? と信也が聞くと舞は頷いた。

 一口、香りの良いコーヒーを飲んで少しだけ落ち着いた。

「ま、熊谷のことは置いといて」

「置いとくな」

 熊谷は黙々と記帳をしながらそう言った。

「まあ、おいおいだ、それで」

「今まで魔法使える人にあったことなかった?」

「うん」

 と舞は答えて、飲んでいたコーヒーに目を落とした。

「両親は使えないの?」

「小さい頃にしんじゃったから、わかんない」

「そっか聞いちゃって、ごめんね」

「少しは魔法、扱えるみたいだけど、自分で訓練とかしてたの?」

 信也はサンドイッチを舞にどうぞ、と言って差しだした。

 舞はありがとう、と言ったあと、一口食べておいしいと呟いた。

「いちおう、操れるくらいには……」

 それから、舞がコーヒーを飲みきるのを確認して、信也は「いこっか」と促した。

 信也は先ほど舞が覗いた扉の方へ行ってドアノブに手をかけた。

「店番たのんだー」

「あいよー」

 熊谷は帳簿とまだ、にらめっこをしている。

 暗い階段を降りていくと、そこは少し広めの倉庫だった。

 そこに座って、と椅子を示され舞は腰をかける。

 それから、小一時間ほど魔法がどんなモノなのか簡単に教えてもらった。

 難しいことは良くわからなかったが、ようは自分の魔力を自然の力に変換するということらしい。

「よし」

 信也は背丈くらいある氷の塊をどこからともなく作りだした。舞はそれを眺めている。

「これ燃やそうとしてみて」

「うん」

 舞は立ち上がり氷を見据える。

 火が現れ、氷をなでた。そして消えた。

「んー」

 信也は腕組みをして唸った。

 舞は信也を見た。

「もっと自分の中の魔法を感じて」

「魔法を感じる?」

 舞は信也に疑いの眼差しを向ける。

 信也は自分の胸を人差し指でトン、と指した。

「ここに力の源がある、それをもっと感じる。感じられるようになったら、コントロールできるから。強くも、弱くも」

 舞は胸元に目をやった。

(魔法を感じる……)

「やってみて」

 目を閉じた。

 今まで漠然と使っていたモノが、少し、ほんの少し、明確に感じられる氣がした。

 確かに自分の奧深くに渦巻くような、何かがあった。

 力強く、儚い、燃えるような、音が聞こえてきそうだ。

「一点に、集中させて」

 耳に聞こえる声に従った。

「魔法を、信じて……」

 自分の中にある何かが、大きく、強くなっていくのを感じた。

「それをそのまま、目の前にぶつける!」

 舞の双眸が開いた。

 目の前の氷は燃え尽くされて蒸発した。

「凄い……」

 舞は言葉をこぼした。

(えー、すげぇー)

 信也はこんな風になるなんて思っていなかった。精々、穴が開く程度だと思っていた。

「上出来、うまい、うまい、じゃあ次はこれ」

 どこからか岩が出てきた。

 信也は椅子に座ってコーヒーカップを手に取った。カップに口をつけたとき、動きが止まった。

 目の前にある岩の中央には大きな穴が開いていて、穴の周りでメラメラと炎が燃えている。

「どう?」

 舞は振り向いて聞いた。

「凄いよ」

「やった!」

 舞は小さくガッツポーズをした。

「これが自由に使えたら並の魔法使い以上だ」

 舞は驚いた顔を見せる。

「ほんと?」

 信也は頷いた。

 舞はつい嬉しくなって、ありがとうと言って信也に抱きついた。

 信也はただ苦笑いを浮かべているだけだった。

「あ、ごめん」

 と、舞は離れる。

「ここ、いつでも自由に使っていいから」

「いいの?」

「もちろん」

「じゃあさ」

「ん?」


「おいおい、こんなガキんちょ雇ってどうすんだよ」

「まあ、若い子いたほうが喜ぶお客さんいるだろうし、いいんじゃないかな」

 熊谷は、舞をここで働かせるという話を聞いて呆れていた。

 舞はエプロンを締めて言った。

「よろしくね、くまの助」

「熊谷だ!」

 それから、なんだかんだと熊谷は面倒見が良く、舞に色々と店のことを教えていた。仕事となると、舞は別人かのように他人に愛想を振りまいていたので、信也もお客さんが増えたな、などと言っていた。

 カランカラン。

「いらっしゃいませ」と舞がいつものように笑顔を向けると、そこには奇妙な表情を向けてくる、見知った顔があった。

「お前、確か……」

 舞を捕まえた警察官だ。

「ああ、あのときは」

 舞の声のトーンは少し低くなっていた。

 その男はカウンターの端に座ってホットと舞に言った。

 それから、

「信也さんは?」

 と舞に問いかけた。舞はカウンターの奥の方に、

「てぇーんちょー、お、きゃくさーん」

 と呼びかけた。はいはいと奧から信也が出てくる。

「おお、いらっしゃいどうしたの」

 先ほどより少し緩んだ男の顔を舞は見た。

「また、お願いします」と男は懐から何か手紙のような物を取りだして、すっと手渡した。

 舞はコーヒー豆の入った瓶を手に持ちながら、信也が受け取った手紙を覗き込んだ。

「なにそれ」

「あー、だめだめ」

 信也は手紙をズボンのポケットにねじ込む。

「ケチ」

 信也は舞の言葉を聞かないふりをして、男の前に灰皿を置いた。

「そろそろ無くなりそうなんで、新しいの貰えますか」

「はい。舞ちゃん、そこの引き出し開けて、青いやつあるから取って貰えるかな」

 言われた引き出しを開けると、色とりどりの綺麗な箱がぎっしりと敷き詰められていた。

 引き出しの中で花が咲いているようだと舞は思った。

 舞は少し見とれてから、ハっと思い出して、青、青と指でなぞりながら言われた箱を探し始めた。

「あった」

 青くてキラキラと星が描かれたような箱がある。

 手に取って信也に見せる。

「これでいい?」

「うん、封を開けてあげて」

 舞は封を開けてから、どうぞと男に箱を差しだした。

「ありがとう」男はたばこを口にくわえて火をつけた。

「この前は疑って悪かった、けどあんまり夜に出歩くなよ」

「はい、すみません」

 青い夜空が煙となってふわぁと天井に広がった。

 舞は煙に見とれている。

「なにこれぇ」

「魔法使いのタバコは魔法みたいでしょ」

 信也は楽しそうにそう言った。

 本当にそうだと舞は思った。

 舞は男に目線を向ける。

「あなたも魔法使いなの?」

「まあ、端くれだが」

 男は青い煙を吐いてそう言った。

 それから男は新聞を取ってきて読みだした。

 男は会計を済ますと、最近、物騒だから気をつけたほうがいいと舞に一言いって店を出て行った。


 青いポリバケツの中の黒いビニール袋の中に丸々とグラタンが、その下から唐揚げが出てきた。

 今日はついている日だ。

 少年がそれを手づかみで口に運んでいると、後ろから声をかけられた。 

 店の人間だろうか、まずいなとドギマギしながら、典明が声のした方を見ると、こ汚い

おじさんが立っていた。あきらかに店の人の風貌ではない。

「なに、おじさん」

 典明は眉根を寄せて言った。

「腹減ってんのか坊主」

「今、グラタン食べてるとこ」

 みりゃわかる、と言って目の前の初老の男は苦笑した。

 食べる? と、典明は唐揚げを男に投げた。

 男はそれを受け取って口に放り投げた。

「うまいな」

「うん」

 典明も唐揚げを口に入れていた。

「最近、お前ここら辺うろついてるだろ。少し心配だったから声をかけてみたんだが」

 典明はキョトンとしていた。

「なにが心配なの?」

「子供がホームレスしてりゃあ、心配にもなるさ」

「なんで?いっぱいホームレスいるじゃん」

「子供は学校に行かにゃならん」

「なんで?」

「それが子供の仕事だ」

 典明にはその論理が良くわからなかった。

「おじさんの仕事は?」

「ない」

「なんだよそれ」

 カッカッカと初老の男は笑った。

「ちょっと面を貸せぇ、カップラーメンでも食わせてやるから」

「いや、お腹すいてないからいいや」と言って典明は断った。

「まて、まて、そこで断られるとだな、話が進まんのだ」

 と男はわけのわからないことを言いだした。

「そんなこと言われてもねぇ」

「とりあえず話を進めたいからこい」

「ええ」

 ついて行くことになった。

  

 

 この辺りは春になると綺麗な花が咲くことで有名で、流れている川に沿って上流に向かっていくと、人があまり来なさそうな場所にたどり着いた。

 橋の下の雨風がしのげそうな所に、オレンジ色のテントが張られてあった。

 そこに座ってろとビールケースを指さされ、典明は腰を下ろした。男は火床に薪を組んで火をつけようとした。

 なかなかつかなかった。

 男は振り向く。

「すまん、カップラーメンはなしだ」

「せっかく来たのに」

「がはは」

「火つかないの?」

「しけってんのかもわからん」

「ちょっとやらせて」

 典明は男から火をつける道具を奪ってつける真似をしながら魔法でこっそり火をつけた。

「ちちんぷい」

 ついたよと言って典明は再びビールケースに腰を下ろした。

「おお!やるなあ、お前!」

 男は喜びながら、テントの奥から鍋を持ってきて、そばの川の水を汲もうとした。

「待った!」

 男は典明の方に首だけ向ける。

「どうした?」

 川の水を飲むなんて、典明には考えられなかった。

「きたない」

 男はニヤっと口元を歪ませて、

「冗談だ、わっはっは」

 と笑った。

 テントに再び入るとき、死なないから大丈夫だなどと、ぶつぶつ言っていたのを典明は聞かないふりをした。

 男はミネラルウォーターを持ってきて鍋に注いだ。

「そいでよ、どこに寝泊まりしてんだ?」

「公園」

「一人でか?」

「うん」

 男はテントの方からカップラーメンを取ってきた。

「親は?」

「死んだ」

「家は?」

「燃えた」

 男は典明の返答を聞いてから腕組みをした。

「頼れそうな親戚とかいねえのかい」

「まあ、いると言えばいるけど、今はやらなきゃいけないことあるから」

 典明は目の前の火を見つめている。

 瞳の中に静かに燃える炎が映り込んでいた。

「彼女でも作るのか?」

 男はヤニで黒ずんだ歯を大きく見せながら楽しそうにしている。

「女は別に興味ないよ」

「まだ、少し早いな。まあもう少ししたら今よりは興味が出てくる」

「なにかが変わるの?」

 典明は男を見た。

 男はニヤリと口元を歪ませ、なにも答えなかった。

 カップラーメンができた。

 良い匂いが漂っていた。なんとも言えない食欲をそそる匂いだった。

「ほら」

 男の手からカップラーメンを受けとり、いただきますと言った。

「えらいなあ、少年。頂きます言えんのか」

「馬鹿にしてるの?」

 くっくっくと男は笑う。

「いやいや、関心してんのよ、人から何か貰って、感謝して、それを言葉にできる奴なんて、そう多くないさ、かんしん、関心」

「そうかな」

 典明は褒められてなんだか変な心地になった。

「さ、ありつこう」男はカップ麺をふーふーした。

 典明は温かな食べ物を一週間ぶりに口にする。

 それまで、公園の水道水と、飲食店の残飯を漁っていたのである。

 美味しかった。とても。

「泣いてんのか、お前?」

 男は鼻水をぐずぐずいわせている少年を見る。

「……おいしい」

 典明は一口、一口、味わうように食べている。

「あったかくて……おいしい」

 

「やらなきゃならんこと、とは?」

「父さん殺した奴を殺す」

「そりゃあ物騒だあ」

 男はカップの容器と鍋を片付ける。

「それまではホームレスするって?」

「うん」

「おし」

 男は立ちあがった。

「お前、しばらく俺と住め」

「え……」

 典明は渋い顔をした。

「嫌そうだな」

 典明はほくそ笑む。

「いや、ありがとうおじさん」

「けど、なんで?」

「公園に寝泊まりするよりは良いだろ、それだけだ」

「おじさん良い人だね」

「さあ、悪い奴かもわからんぞぉ」

 くつくつと男は笑っていた。ポケットからたばこを取りだして口にくわえる。

 典明は、はいと言って、指から火をだした。

 タバコの先が赤くなった。

「ありがとう、って!お前なんだそれは!」

 男が驚いている顔を見て、典明は無邪氣に笑った。

「魔法。本当は秘密だけど、おじさんは特別にね」

「そんな重大な秘密を打ち明けられるのは重いぞ」

「ええ」

「それで、この火もつけてくれたのか」

 男は目線で燃えている火をさした。

「うん」

 男の口から青い煙が暗くなりつつある空へ昇っていった。

「珍しい。青い煙だね」

 典明は父親も同じ物を吸っていたなと思った。父親以外が吸っているのを初めて見た。

「ああ、胡散臭い魔法使いから貰ってんだ」

 典明は「え」と声を漏らす。

「おじさん魔法使いと知り合いなの?」

「不思議なことにご縁があるようで」

「父さんも同じの吸ってたんだ、同じ人から貰っているのかもしれないね」

「かもな」

 青い煙は空と一つになっていた。

 

 その日は月が綺麗な夜だった。

人の来なさそうな山の中、人工的に作られた砂利の広場に来ていた。

 そばに大きな川が流れている。

 今夜は月の光で周りが良く見えていた。

 虫の声がする。

「よし、今日は空を飛ぶ訓練をします」と信也が言うと。

「知ってる」と舞が応えた。

「舞ちゃんは箒か。オーソドックスだなあ」

「自転車を選ぶわけない」

「いや、最高だよ、この自転車」

「空飛ぶのに関係あんの?」

「氣分の問題かな」

「氣分って」

 舞は幾分、あきれ気味みに言う。

「心が一番大事だからね!」

「ま、一緒だよ要領は。イメージするんだ空を飛ぶ姿を、箒が自分を運んでくれるのを」

 舞は箒に跨がってイメージした。

 魔法を意識した。

 ふわ。

 浮いている。目を開けると、目線が少しだけ高くなっている。

「できた」

「凄いじゃん、さすが舞ちゃん」

「やった」

 舞は上に昇って少し高いところでぐるんぐるんと回ってみたり、一回転、三回ひねり、高度の上げ下げをして遊んでいた。

 視界がめまぐるしく回る。

 雲と地面が逆さまになって、こんにちは。

「あははははは」

 舞は楽しそうに笑う。

「あー、たのし」

 すう、と地面に降りていった。

「楽しいね、空を飛ぶって。ジェットコースターが自由になったみたい」

「面白いでしょ、でも人前で飛んだりしたら駄目だよ」

「はーい」

「帰ろっか」

「帰りも後ろ乗せてって」

「飛んで帰らないの?」

「うん」

 舞は信也の自転車のかごに箒をさして、荷台に座った。

「しゅっぱーつ」

 信也はぽりぽりと顔を掻いていた。

 信也が自転車に乗る。風が吹く。

「いい風だ」

 自転車のペダルが回りだしゆっくり地面から浮いていく。

 グルグルぐるぐると螺旋の軌跡を描いて二人は空高く上がっていった。

 大きな満月を自転車の影が横切って行く。

「綺麗だね、月」

「こんなに近くで普段見れないもんな」

「だよね」

「この景色が氣軽に見れるのは魔法使いの特権なんだよ」

「もうちょっと上、いってみようか」

「うん」

 自転車は高く上がっていった。雲の中に入って視界ふさがった。ぬけると月がさらに近くなっていた。

 自転車で雲の道を走っているようだった。

「雲のうえー走ってるー」

 舞は足を伸ばして大きな声をだしていた。

「自転車で飛びたくなった?」

「ぜんぜーん」

 二人は笑いあっていた。

 そろそろ町が見えてきた。

「なんだろ、なんだと思うあれ」舞が言った。

 商業施設から黒い煙が立ちのぼっている。

「たぶん、この前の奴じゃないかな」

「この前って、店長と初めて会った日のあいつ?」

「じゃないかなあ。ちょっと飛ばすよー」

 舞の長い髪が風になびいた。

「ねえ、あいつのこと知ってんの」

「まあ、最近とくに多いな」

「一体なんなのあれ」

「人だよ」

「人!?化け物じゃないの?」

「いや、体を煙にしてるだけ」

「そんなことまで、できるんだ。」

「おすすめしないな、そこまですると飲み込まれる可能性があるから」

「何に?」

「魔法に」

「飲み込まれたらどうなるの?」

「いろいろだなあ、そうだな。魔法に溺れて自分を見失うとかそんなのが多いかな」

「こわ、じゃああいつも自分を見失なってるわけ?」

「さあ、わからんな、比較的犯罪者狙ってるみたいだけど」

「へー、悪い奴ではないのかな」

「いくら犯罪者だからって、人を殺すのが許されると思う?」

「……」

 舞は後ろに倒れるようにして頭から落下していった。

施設の屋上のいたるところで、何かの塊のような物が燃えていた。

「ありがとう、ございます」女の体に煙りが入りこみ、全身から力が抜けて、発火する。

 黒いモノは上を見た。咄嗟に手を離して飛びのく。

 鋭い炎が黒いモノがいた場所に突きたった。

 黒いモノは後ずさる。

 長い髪の女が突きたつ槍の柄を絡みつくように握っていた。

 爛々と光る双眸が黒いモノを見据える。

 その視線が燃えている女に移る。

 舞はすぐに近寄って、火を消した。

 黒いモノは自分の手に目をむけた。手の一部から肌色がでている。

「あんたがさ、良いことしてんのか、悪いことしてるのか、あたしにはわかんないけど、やり過ぎたら駄目でしょ。やってる奴は楽しいのかもしれないけどさあ!」

 舞は槍を黒いモノ目がけて投げた。

 炎の轟音。

 槍が当たる寸前、黒いモノは煙となって槍をやり過ごし、また元の姿に戻った。

 キー。

甲高い音がした。

 相対していた二名は音のする方に顔を向けた。

 自転車が空中で静止している。 

「舞ちゃん、頭から落ちたら危ないぞー!」

「うーん」 

 舞が目を戻すと、黒いモノは煙へ姿を変えてどこかへ飛んでいった。

「逃げやがった」

 信也は空から降り、倒れている女に近づいて女に触れる。手が光った。

「うーん、舞ちゃん手、貸してくれる」

「あたし?」

 舞が近づいてしゃがむと、信也が舞の手を取って女の頬にくっつけた。

 女の目と鼻から黒い煙が出てきた。

「うん、大丈夫そうだ」

 信也は安心したように言った。

「なんで、触っただけで……」

「なんか相性があるんだと思うよ。この前の赤ん坊のときもそうだったじゃない」

「あー、そうだね」

 周りを見ると燃えていた場所は鎮火していた。そこに黒い塊がある。

「俺が消しといた、けど」

 黒い塊は人の焼死体だった。

 十人前後だろうか。

 気を失っている女がぽつりと言葉をこぼした。

「殺して」


 黒だけが見える路地裏、そこに誰かがいた。

 その者は、己の手を眺めていた。眺めながら笑っている。

「あはははははははは、あーやっぱり間違いなかった、あの炎を見間違えるはずがないんだ」

 その者はうっとりとした表情で手を見ていた。




 自転車に乗っていると、いつも歩いて通る道がなんとなく違う景色に見えていた。

 少しだけ視点が高いから、だろうか。

 舞は店の買い物を頼まれて、少し距離のある大型スーパーに向かっていた。信号で止まっているときに、ふと思いついた。

 ちょっとだけ、浮いてみようかな。自転車から一センチくらいなら誰もわかんないでしょ。

 舞はふわっと自転車を浮かして、道を滑らせるように走った。

 タイヤが地面についていないからペダルが軽かった。

「自転車いいかも」

 黒の長髪が風になびいている。

 スーパーについて鍵をかけていると、後ろから声をかけられた。

「人前で飛ぶな」

 あの警官だった。

 腕組みをして、舞を見下ろしている。怒っているような面持ちだ。

「うわ、やっば」

 見られていたようだった。

 警官は懐に手を差しこんだ。

「これ、信也さんに渡しといてくれ」

 手紙のようだ。

「なにこれ」

 手紙を受けとる。

「お前は知らなくていい」

 ぶっきらぼうな返答が返ってきた。

「えー、意地悪」

「じゃあな」警官はあきれた様子で、背を向けて歩いていった。

 舞は手紙を手提げにしまい、スーパーに入った。

 カラン、カラン。

「ただいまあ」

「おかえり」

 両手に荷物を持った舞を人間の姿で掃除をしていた熊谷が出迎えた。

「よい、しょ。と店長は?」

「出かけたよ」

「そう」

 舞は荷物をカウンターに置いて次々としまっていった。しまい終えた後、警官から渡された手紙を手にとった。

「んー、これは」

 と眺めていたら、手紙の中身がするりと滑り、ひらひらと床に着地した。

「あれ?勝手に開いたよ」

 紙を拾いあげる。


 8の50の4 卯の花ビル五階

 友枝町 占いの館の魔女 ★の可能性あり。


 紙を元通り、封筒の中に戻してカウンターの上に置いた。

「ちょっと出てくる」

「また?」

 カラン、カラン。

「ここかな」

 卯の花ビルと大理石の表札に彫ってある。

 灰色のビル。

 自動ドアが開く。

 中に入るとすぐエレベーターがあって、五階を押した。チン。

 通路を進む。通路を進む。通路を進む。

「ん?」

 どこまで続くのこれ? 後ろをふり返ると、エレベーターの入り口が無くなっていた。ずっと通路が続いている。

「嘘でしょ?」

 舞がそのまま進んでいくと、ドアがあった。開くと洋館のような作りの通路が伸びていた。

「なにこれ」

 大理石の壁。等間隔にある壺と生けられた綺麗な花。なんだが誰かに見られている氣配がした。一度閉じたドアをもう一度開こうとしても開かなかった。ガチャガチャガチャ。「チッ」

 舞はドアを蹴破ろうと試みるも、ドアはビクともしない。

「なんかヤバいとこはまっちゃったなあ」

 次は木造の通路。床には良くわからない御札が貼られている。

「うえー」

 窓があった。窓の外は雨が降っている。さっきまで雨は降っていなかったはずなのに、次は橋になった通路。橋の下は真っ暗でどこまで落ちるのかわからなかった。どこか遠くで誰かの笑い声が聞こえてきた氣がした。進んで行くと、床は土になった。左右には水が流れている。見たこともない魚が泳いでいた。

 深海魚?

 さらに進むと、またドア。開くと草原にでた。次は田んぼの畦道。夜道、砂漠。虹の橋。雪原。白と黒のドアがあった。その前に置いてある台に紙が置いてある。見ると中にお入り下さい。と書いてあった。

「入りたくねえ」

 舞が恐る恐るドアを開けると、

 そこにはピンクのフードを被った人物が机の前に座っていた。

 これが占いの館の魔女だろうか。

「あのー」

「まあ、いらっしゃい」

 その人物はフードを脱いで笑顔で迎えてくれた。

 金に染めた髪に短髪、薄い紫の色の入った眼鏡をかけている。

 机に置いてある山札からカードを一枚めくった。

「正義ねえ」

「正義?」

 その人物は頬杖をつきながら独り言のようにいった。

「氣にしなくていいわ、勝手にあなたを占ったりなんてしないもの」

「占ったでしょ」

「ただじゃ、しないから私」

「勝手に人の運勢を見てんじゃねえ!」

「ひいい」

 その人物は厳つい見た目とは裏腹に舞の怒声を聞いてうろたえていた。

「あ、ごめんなさい。つい」

「怒らないでちょうだい、苦手なのよ、そうゆうの」

「で?なにしに来た人?」

 舞はこの人は別に悪いことをしているような人間ではなさそうだなと思った。

「あなたが悪い人ならとっちめてやろうと思って来たけど、間違えたみたい」

 その人物はあははと笑い声をあげた。

「そうね、悪いも、良いも、見る人しだいじゃないかしら、あの人からみれば悪、その人から見れば良い、どこから見るかで、どのようにも見れるのよ。あなが信じている人だって、他の誰かから見たら、信じられない、敵なのかもしれない、全ての人間が自分と同じ考えな訳がない、遺伝子も違えば、環境も周りの影響だって受ける、生まれた年代も違う性別も違う、双子でも違う考えを持っていたり、違う顔になったりする。今のあなたも明日には全然違う考えを持つかもしれない、一年もしたら別の人間といってもいいかもしれない」

「なにそれ」

「今は私のことが悪い奴に見えないかもしれないけど、これならどう」

 その人物は机の下から仮面を取りだしてかぶった。

 大きな目が一つ、縁にライオンのような毛のある面。不気味だった。

「これだけで違うでしょ、そんなもんよ」

 くぐもった声。

「それにこんなこともしてみる」

 指を鳴らす。

 周りが突然、黒になった。

 壁が机がドアがなにもかも黒。まるで闇に飲み込まれたように。

 舞と目の前の人物の姿だけが色を持っていた。

 舞はキョロキョロと周りを見回す。

 指を鳴らす。

「え、待って」

 地面が……無い。

 落ちる。落ちる。落ちる。

「きゃあああああああああああああああああああ」

 舞は落ちていく、どんどん、占い師の姿は遠くなっていく。

 どんどん、

 どんどん、

 どこまで行くのだろう。

 いつまで落ちるんだろう。

 一時間。一日。永遠。

 に続くのか、そのくらい落ちている。

 よくわからなくなった。

 どうでもいい。

 死ぬまで落ちるのかな。死ぬとしたら、飲まず食わずだと一週間耐えられるのか。一ヶ月くらいなら持つみたいなのは聞いたことあるけど、どうなんだろう。

 誰か助けに来てくれるって期待したら駄目かな。

 手を伸ばした。指の先に黒が広がっているだけ。誰も来てくれない。

 助けて。

 つかまれた。

「しっかり、つかまって」

 知っている声、手だけが闇の中から伸びていた。

 引きあげられてゆく。

「どこいしょお!」

 どさ。

 舞は全身の力が抜けたようにぐったりと床に這いつくばっていた。

「おんもぉ」

 信也が後ろに手をついて腰を下ろしている。

「重く……ない!」

 舞は苦しそうに返した。

「人の手紙を勝手に見るからこんなことになるんだよ」

 舞は半分泣いた目を信也に向ける。

「勝手に見た訳じゃなくて……見えちゃったからしょうがないでしょ」

 信也は舞の顔を見て、おかしそうにした。

「無事でなにより。立てる?」

 信也が立ちあがり、舞へ手を差しのべた。

 舞は手をとる。

「来てくれて、ありがと」

「どういたしまして、さ帰ろうか」

「うん」

 帰りは来たときとは違い、普通の通路になっていた。

 ビルを出る。

「なんかにおうな、舞ちゃん急いで」

 走る信也についていく。ビルの横の路地を通っていった。

 火柱が立っていた。あの黒いモノがいて、火柱の中にはさっきの占い師がいる。魔法で防いでいるのだろう、無事なようだ。

「ちょっと!見てないで助けなさいよ!」

 信也はボサボサの頭をさらにボサボサにするように掻いた。舞の方をふり向く。

 舞は目の前を見ていた。

 沈黙。

 舞が歩きだす。それを信也は見ていた。

 手には槍。しなる背中。投てき。

 燃える轟音。

 音はまっすぐ飛んでいった。二人めがけて。

「ぎゃあああああああ」

 占い師は飛びのいた。

 黒いモノは煙となりビルの壁面に足をついて槍を眺めている。完全に重力法則を無視していた。

「助けるんじゃなくて、殺す氣なの!?」

「さっきのお返し」

 占い師は、突きささっている槍に目を移してから、ブルリと身体を震わせた。

「ちょっと、やだやだ、おちょくっただけじゃない、ごめんなさいよー」

 そそくさと舞の後ろに回る。

「ってあんた、何やってんよ、ってかあれなんなの!」信也を見ていった。

「あんた最近、警察に怪しまれてるみたいだけど、あいつ最近、悪いことしてそうな奴、襲撃してるみたい」

「はあ!? ふざけんじゃないわよ、なーんもしてないのに! 助けなさいよあんた!」

「知り合い?」

「んー少しね」

「ふーん」

 舞は黒いモノに向きなおる。

 黒いモノは煙になった。

 消えた。

 舞の目の前に現れる。

(はや)

 舞は槍を一閃。

 黒いモノは再び煙になり、それを二度三度と繰りかえす。

 槍が突かれる。

 黒いモノが槍を掴んだ。掴んだ腕の煙が消し飛んで人の腕が出てきた。

 が、

 舞は首を捕まれていた。

「やばッ」

 氣圧の塊が舞を掴んでいた腕を通過。腕は霧散して消し飛んだ。

 黒いモノは距離をとる。

「舞ちゃんには、まだあいつの相手は無理かな」

 信也が舞の前にでた。

 先ほどの氣圧の塊は信也のモノなのだろう。

 黒いモノは後ずさり、それから煙となって消えてしまった。

 気が抜けたのか舞はへなへなと座りこんだ。

「やられたと思ったあー」

「やられてたよ」

 と信也が舞に言った。

「あー助かったあ、ありがとね、あなた達、お嬢ちゃんにはこれあげるわ」

 占い師は嬉々として、牙の生えた顔の下半分が隠れる面を舞に渡して、舞は胸元に差し出されたモノを受け取った。

「なにこれ?」

「お守り代わり、可愛い顔は隠しときなさい、変なのにつきまとわれるから」

「ありがと」

(変わったお面……)

「あと、あんた、もっと早く来なさいよね」

 舞に言うのとは違い、きつい口調だった。

「これでも急いで来たんだけどな」

「こんなじゃじゃ馬ほっといたら、どこに首突っ込むやら、ちゃんと見といてあげなさい、運が良くなかったら死んでるわよ」

「はい」

 信也は小さくなって言った。

「まあ、いいわ。チャオ」

 占い師はどこかから絨毯を出して、広げてそれに乗った。

 どこに向かったのか飛んでいってしまった。

 男は自転車を押して、若い女はその横を歩いていた。

「こうゆうのよく頼まれてるの?」

「たまにね、調査依頼とかかな、今回やばそうなの当たんなくて良かった」

「ごめんなさい」

「もう止めろって言っても、たぶん聞いてくれないだろうから、次からは俺と一緒に行動すること、OK?」

「おっけー!」

 舞は自転車の荷台に乗った。

「おわ」

 自転車がよろめく。

「しゅぱーつ!」

「はいはい」

  

 

  

 あれから一週間が経っていた。典明は今日もゴミを漁っている。一週間も同じことをしていると慣れてくるもので、ゴミやら、前なら避けていた汚い物を触っても、なんとも思わなくなっていた。あとで手を洗えばいいだけのことだった。ふと異臭を感じた。頭を上げる。

 なんだこの臭い、灯油?

 朝方の時間帯だった。

 まだ薄暗い。

 場所はマンションのゴミ置き場。

 ゴミ置き場から離れて道路にでた。向かいの家で何かをやっている人影がいる。  

(何やってんだあの人)

 典明は近づいてみることにした。

(庭に灯油撒いてるぞあのお兄さん)

 典明はその様子をしばらく見ていた。

 その若い男はポケットから何かを取りだした。

手がブルブルと震えている。

 小さな箱のような物、あれはマッチだ。

 最近、放火事件が何件かあったがその犯人なのかもしれない。

「ねえ!なにやってるの」

 典明は家の門の外からその不審な男に話しかけた。

 その男は典明を見る。

「ど、どっか行けガキ」

 男は慌てた様子でどもりながら言った。

 まさか、こんな時間帯に誰かに遭遇すると思っていなかったのであろう。

「お兄さん、それ良くないことでしょ」

 典明は男に問いかける。

「それがなんだ、お前には関係ないだろ」

「さすがに、見過ごすわけにもいかないでしょ」

 男は典明から目を逸らして再びマッチに火をつけようとした。考える間もなく身体は勝手に動いていた。動物のような速さでそれを奪いとる。

「何すんだ!」

 ボォッ。

 すかさずマッチの箱を燃やした。

 青い火が手の中へ消え、

 燃えかすがパラパラと散った。

「残念でした」

 典明はイタズラっぽい笑顔をニッと見せる。

 男は典明の胸ぐらを掴んだ。

「おい、お前に俺の何がわかる、何のために邪魔してんだよ、お前にそんな権利あるのか」

 男の鬼のような形相を前に典明の身体は硬直した。

 この人はなんでこんな顔をしているのだろうか。何を思い詰めているのだろうか。なんでこんなんことをしているのか、ストレスの発散のためなのだろうか。

 なんだろうか。

 視界の端に何かが見えた。

 典明は男の形相よりも、そちらに意識を持っていかれた。

 黒い粒子がゆっくりと寄り集まり形を成す。

 塀の上に立つ黒い影。

あいつだ。

 あいつだった。

 目は釘付けになった。

 目の前の男が典明の顔につばがかかるほど、何かをわめいていたが、意味が入ってこなかった。

「なんだよ、お前、何みてんだよ」

 男は典明が自分のことを見ていないのを不審に思い、後ろをふり向く。

「なんだあれ?」

 掴んでいた典明の胸ぐらを離した。

 黒いモノは霧散して消えて、再び煙が集まって地面に立っていた。

 笑い声は聞こえないが、笑っている声が聞こえてくるかのようだった。

典明は黒いモノが現れた瞬間に雄叫びをあげて、青い炎を身にまとい突進していった。黒いモノは腕でのりあきをなぎ払う。

 典明の頭部を衝撃が走りぬけた。

 身体が空中で回っている。

 道路で跳ねる。一回、二回、転がる、転がる。

 庭を越えて道路の向こうのマンションの壁に激突。

 少年はぐったりとしている。

 ピクリ、ピクリと僅かに動いているだけだ。

 まとっていた炎は消えている。

「う、うう」

 痛いのか、麻痺しているのかよくわからなかった。

「お、おいなんだよあれ」

 男の声は震えていた。

 一歩、一歩、黒いモノが近づいていく。

「くんな、おい、くんなよ」

 男の言葉は何の意味も持っていないようだった。

 もう目の前にいた。

 男は見上げることしかできなかった。

 カタカタと歯が震えている。

 頭蓋を鷲づかみにされ、持ちあげられた。

「うわ!うわ!うわあ!」

 男はもがくが、どうにもできなかった。

 黒いモノの腕から煙りが出て、男の口と鼻、耳へと入りこんでいく。バタバタとしていた手足が、痙攣し始め終まいには動かなくなった。

 それは生け垣に放り投げられて突き刺さる。

黒いモノは典明の方に歩み寄ってくる。

 こっちに近づいてくるのは認識できていた。けれど、視界がぼやけて意識がはっきりしなかった。

 もうすぐそばだ。

 くそ……

 典明は立つこともままならなかった。

 ブボォォォォォォォォォォォ。

 焔の槍が一閃。黒いモノはとっさに反応して避けたが、左肩から腕にかけて吹き飛んでいた。

 なんだ? 典明が目だけを向けると、またあの人物だった。

 顔の下半分を隠す牙の生えた面が燃えている。

 黒いモノの腕はまだ元に戻っていない。典明のときとは違っていた。

 じっと女を見つめたあと、黒いモノは霧散してどこかへと消えていった。

 意識がぼんやりとする。なんだか肩がヒリつく。

「大丈夫?」そんな声がくぐもって聞こえる。「うわ、頭から血でてるじゃん」血? ぶつけて切れたのかもしれない。言われてみれば確かに頭から何かが流れている氣がする。花のような匂いがするな。そう思っていると、頭を触れられて、優しい何かを感じる。

 意識がだんだんハッキリしだした。

「ん……」

 上体を起こして血を手で拭った。

 手に赤いのがついたけれど、傷は塞がっているようだった。

「ありがと」

 見ると、面をつけた女の人が典明をのぞき込んでいる。牙の生えた面の炎は消えていた。あれと対峙してるときとは大分印象が違った。

 あれ、この人……

 なんだか見たことのある人だと思った。

 火事で見た人なのは間違いないけれど、もっと前から知っている人だ。

 たぶん……

 典明は肩を抑えた。

「君、そういえばあのとき」

 そのとき、向かいの家の電氣がついた。

 家主が出てきてなんだか騒がしくしている。

「ありゃ、ずらかったほうがいいかな、乗って」

女は箒に腰をかけて典明の手を引いた。

ヒュウウウウ

 風が吹いた。

 長い髪がなびく。

「いい風」

 飛んだ。

 典明は女の身体に手を回してつかまった。

「す、っげえ、夢みてえ」

「何言ってんの、君も魔法つかえるでしょ」

「飛んだことないよ」

「はじめて?」

「うん」

「よっしゃあ!」

 二人はぐんぐん空にむかって上がっていった。

「君さあ」

 風の音で女の声がよく聞こえなかった。

「なに?」

「家事にあった家の子でしょ」

「うん、そうだよ」

「残念だったね、家」

「うん」

「今は?どうしてるわけ?」

「ホームレス」

「あは、本氣で言ってるのそれ?」

 女はケラケラと笑う。普通は心配するところじゃないのかと典明は思った。

 典明は最近の出来事について女に話した。

「あいつに狙われてるってことは、犯罪者?死にたがり?」

「どっちでもない」

「なにも悪いことしたことない?」

「……コンビニで食べ物と服、盗んだ」

 女はおかしそうに笑った。

「それくらいじゃ、狙われないか」

「さっさの人は、」

「あれは、悪いことしてたから狙われるよね」

「俺の父さんは……」

「わかんないけど、疑いのある人間も狙ったりしてるからね、あいつ。実際に悪いことしてなくてもさ」

「ねえ、お姉さんの魔法、あいつに通用するみたいだけど、なんで?俺の火じゃ効果ないみたいなんだけど、単純に練度の違い?」

「あは、違う違う。私が特別だから」

「魔法使いの中でも、特別なの?」

「そ、天才ってやつ」

「そうなんだ……」

「なんで?」

「父さんの敵、討たないと」

「へー、強いの?君」

「強くない」

「そ、わかってるなら十分」

 女はいきなり急降下した。

「うわああああああああああああああああ」

「ねえ」

「ええ!?」

「いつも、見てたでしょ」

 典明は何も応えられなかった。

 この女の人と話しながら思っていた。この人は毎朝、目で追いかけていたあの人だと。こんなに近くにいればわかる。いつもよりも、火傷の跡がヒリついていることも、胸が高鳴っていることも、こっちは凄い速さで地面に向かっているからだろうか。

「はい到ちゃーく」

 二人はマンションのベランダに降りたった。

「どこ?ここ」

「私の家」

「なんで俺、連れて来たの」

「私が帰りたかったから」

 沈黙。

「君、頭怪我してるし手当しとかないと」

 典明は頭に手をやった。

「別に血も止まったみたいだし大丈夫」

「私治す系得意じゃないから、薬は塗っとこっか。はい、入った入った」

「え、ちょっと」

 ガラガラガラ

 半ば無理矢理部屋に入れられた。

 白と黒のモノトーン調のシンプルな部屋だった。ベッドが無い。

 なんで無いのだろうか。

「どこに寝てるの」

「ゆか」

「ゆ、ゆか?」

「そ、それが私だから。さ、脱いで」

「脱いでって、服?やだよ」

「別にガキの裸見てもなんとも思わないから、君はなにも心配する必要はない、お風呂入れてあげるから」

「一人で入れる!」

「じゃあ、そっちね」

 典明は一人でシャワールームに入っていった。

 シャワールームから出ると、女は料理を作っている最中だった。

「服、ありがと」

「うん、そこ座って頭見るから」

典明は救急箱が置いてある低い足の机の前に座った。女は典明の前に来て、傷を確かめた。

「大丈夫そうだね、薬塗るよー」

 大雑把な手当だった。

 ガチャンッ

 金属の鈍い音がした。トーストができた音だ。

「ご飯作ったし、食べていきないよ」

「こんなにしてもらってわるいよ」

「子供は氣にしない」

 ドレッシングがかかたサラダに、熱々のトースト、目玉焼き、コーンポタージュが机に並べられていた。

 ゴクリ。

 典明は唾を飲み込んだ。

「い、いいの?」

「もちろん! めしあがれえ」

「いただきます」

 典明はこれでもかというくらい、ほおばりながら食べている。目はうるうると濡れていた。

「え、そんなにおいしかった?」

「うん……」

「かなり嬉しいんだけど」

「ずっと誰かの食べ残しだったから」

「ああ、私のが感動するくらい、おいしいわけじゃないよね、知ってた」

「いや、感動してる、こんなにおいしいご飯作ってくれてありがとう」

「そっか、良かった」

 目の前の女の人の笑顔を見て胸がほんのり温かくなった。母親がいたら、こんな感情になるのかと、そう思った。

「なんか、お母さんができたみたいだ」

「私、あんたみたいな大きな子ができる歳じゃないからね!」

「若いお母さん」

「せめてお姉さんと言え!」

 二人は笑っていた。

「ごちそうさまでした」

 典明は食器を流しに持っていって洗った。

「お姉さんはなんで、あいつ追いかけてんの?」

 女は、あごに手を乗せて、んーと考えた。

「腐れ縁?」

「なにそれ」

「そうだなあ、あいつが私にしつこいのかな?」

「好かれてんの」

「かもねえ、かわいいからねえ、私」

「自分で言わないほう良いよそれ」

 典明はあきれ気味に言った。

「言えちゃうんだよね、私。君も私のことみてたじゃん」

ガチャン

 典明は洗っていた器をシンクに落とした。

 耳が赤くなる。

「あ、あいつはいったい何なの?」

「ストーカーじゃない?まあ人間だよ魔法使える」

「そう……なんだ」

 典明は少しうろたえていた。

「けっこう前に良く遭遇しててさ、何年も姿消してたけど、最近また活動しだしたんだよね」

典明は洗い物を終えて、先ほど座っていた場所に座る。

「人、なんだね」

「人だと不味いことあった?」

「いや、なんか得体の知れない化け物じゃないんだと思ったらほっとしたっていうか」

「たいして変わらないけどね」

「弱点とかないの」

「私かなあ」

「なんで?」

「私の魔法あいつと相性いいから」

 典明はテーブルをドン! とついた。

「お姉さんの魔法、教えて!」

「あー、無理だよ。私以外つかえないやつだから、ごめんね」

「そっか」

「私があいつを追いかけてる理由でもあるかな、他の人よりも有利だし。私なら捕まえることができるかもしれないから」

 舞は後ろに手をついて体勢を崩した。

「君はあいつに復讐したいんだっけ」「父さん、殺されたから」

「できると、思う?」「わかんない」

「人、殺すの?」「わかんない」

「そう」「やられたから、やり返すだと、ずっと続くと思わない?」

「一方的にやられてる訳にもいかないでしょ」

「そりゃあ、そうか。でも、悲しくならない?」

 典明はなにも応えなかった。

「あいつを許すことはできない?」

「できない」

「ありがとう、もう帰るよ」

「よかったら、しばらく家泊まってもいいよ」

 典明は首を振った。

「いいよ、面倒見てくれてる人いるし、大丈夫。ありがと!」

 言って玄関を出ていった。

 空はどんよりとした雲が立ちこめている。

 歩きながら考えていた。

 父親を殺されて、その殺した人間を許すことなんて到底できるとは思わなかった。

 自分の中に再びどす黒い感情が充満しているのがわかる。

 べつに、あいつに復讐を果たした後、自分がどうなろうともどうでもよかった。

 後のことなんて考えていてもしょうがないから。

 今、自分がどうしたいのか、ただそれだけだった。

 けど、どうしたらいい、どうしたらあの怪物を倒すことができるのだろうか、自分の魔法は一切通用しない。

 あんなに毎日訓練をしたのに、自分の実力じゃ歯が立たないなら、どうすればいいんだろう。

 あきらめるしかないのだろうか。

 あきらめて、逃げてしまう?

あいつのことを忘れて普通の生活をする?

 そんなのは嫌だ。けど、今の自分じゃどうしようもできないとしか思えなかった。

雨粒が顔に一滴。

 典明は黒い雲を見る。

 嘆息。

「ん?」

 煙がモクモクと上がっているのが見えた。

 なんだか嫌な予感がする。

 おじさん大丈夫かな。

 典明は走りだした。

 テントが張られている所から上がっているんじゃないだろうか。

 近づけば近づくほど、テントの場所から煙が上がっているとしか思えなかった。

 足が速まる。雷がどこかに落ちた。

 ハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッ。

 燃えている音がする。

 嘘だろ。

 燃えていた。テントの辺り一帯が。

 立っていた。あの黒いモノが。

 なんで、ここに居るんだよ。

 おぞましい黒い煙。

 何か人のような塊が盛大に燃えて転がっていた。

 人が燃えている?

 典明は全身を震わせる。

「うあああああああああああ!」

 絶叫が走りだした。

 青い炎が怒りの感情が、悲しみが、憎しみが、辺りの火と煙をかき消して、燃やしつくした。

 青い爆発。

 

 パチッ。パチッ。パチ。

 辺り一面青、青、青、青、青。

 ぽつりと一人、少年が膝をついている。

 虚脱して空を見ていた。

 何も見ていなかった。

 虚空。

 雨。

 周りの煙が一カ所に集まった。

 黒いモノが立っている。

 雨。

 典明の目は赤く充血していた。

 雨が顔を濡らす。

 足音。

 黒いモノは典明の横を過ぎていく。

 雨は糸雨から篠突く雨に姿を移していた。

 ぽつねんと一人泣き続ける声を、

 雨声がかき消してくれていた。

 

また今日もカップラーメンだ、今日はカレー味。

「うまいか」

「うまい」

 典明はスープをすすっている。

「がはは、それはなにより。それよかカップ麺を食べたことなかったって人間もいるんだな、びっくらこいたぜ」

 男は前歯の無い笑顔を見せる。

「父さんが食べ物にこだわり持ってたから、栄養価低いの出してこなかったし。俺もそれが普通だったよ、味とかそんなに氣にして食べてなかったし」

「カップ麺が栄養価低いだあ?誰だそんなこと言うやつはあ、俺からしたら栄養満点、元氣百倍アンパンマンよ」

 典明は苦笑した。

 ズルズル、ズルズル。

 食事の時間がこんなに楽しいものだなんて今まで思ったこともなかった。

 おじさんの馬鹿話を聞いているのは心地良かった。

「おっちゃんがなあ、初めて会った魔法使いはなあ!」

 おじさんは興奮しながら、昔の話をしていた。

 火を扱う魔法使いで、悪い奴を捕まえたりするような人だったらしい。おじさんにとっては正義の味方だったようだ。

「今はその人どうしてるの」

「亡くなっちまったって聞かされたなあ」

 おじさんの瞳に映る炎は涙で濡れていた。

「でもよ、その人に似た魔法使いに会ったときは、驚いちまってよ、そいつも火を使うんだ。もう一目見て惚れちまったのよ」

「へー、運命みたいだね」

「ははは、運命か。かもしれねえな。そんでな昔っから火の魔法使いのファンってやつでな、おっちゃんはお前にも俺が初めて会った魔法使いみたいに、正義の味方になって欲しいのよ」

 典明は膝を抱えながら、うんと応えた。

「死んだらよ、どうなると思う?」

「死んだら?終わりじゃないの」

「完全に無だと思うか」

「うん」

「その続きはないのか」

「幽霊になると思ってるの?」

「それもあるんだろうな、実際に見てる人がいるわけなんだから」

「本当にいるのかな」

「俺はよ、心ってやつが、この世に留まっちまうんだと思うけどな、死んだ場所とか思い入れのある場所とか物ってやつによ」

「ふーん」

「それと、死んだらきっと生まれ変わるのよ」

「そうかなあ」

「死んだら肉体は朽ちて、自然に還り違う何かになるだろ。この食い物だって、俺に食われて死んだけどよ、俺の一部になって生きてるじゃねえか。死んでも生きてる。心もよ、還ってから違う何かに生まれかわってんじゃないかなあ」

「難しいなー」

「それに俺の心がよお前の中に残り続けるだろ」

「心の中に?」

「おう、俺と過ごした記憶だったり、俺が今話した考えがお前の中に入って、お前の一部になる、そうしたら俺が死んだとしても、俺はお前の一部になって生き続けているじゃねえかよ」

「身体は死んでるのに?」

「肉体は滅びても、思想が生まれ変わるんだよ、全く同じってわけじゃねえけどな」

「難しいな」

「連綿と受け継がれて行きつく先には……」

「行きつく先には」

「わからん」

 おじさんはそう言ってから笑っていた。

「俺はな、一回死んでよ、魔法使いに生まれ変わりたいのよ、あの人みたいな強くて格好いい魔法使いになりてえのよ」

「俺は普通になりたいな、魔法嫌いなんだよ。使えたところで良いことなんて一つもなかった……」

 男は立ちあがった。

「なーに言ってんだ。魔法は格好良くて、すげえモノなんだよ、そんなのが使えるお前は格好良い奴なんだよ、嫌いだなんて言っちゃいけねえ、他人がもっていない素晴らしいものを嫌いだなんて言っちゃいけねえよ」

「なれるかな」

「なれねえなら、俺にその身体をよこせえ」

 男は典明を後ろから羽交い締めした。

「いやだー」

 二人は楽しそうにじゃれ合っていた。

 黒い塊が道の脇に落ちていた。

 カラスが死んでいた。

 固まって死んでいる。

 もう動くことはないのだろう。

 虫がたかっている。

 少し前まで生きていたであろうに。

 今は虫がたかっている。

 空を自由に飛んでいたであろうに。

 そのうち、こうなってしまうのだろうか。

 いつかはきっと。

 はたまた、ずっと、ずっと先なのか。

 すぐ近くに起こるのか。

 いつかは必ずやってくる、早いか遅いかの違いだけだ。

 おじさんと過ごした時間は短いけれど、今まで知らなかったことを教えてくれていたおじさんが好きだった。優しくて面白いおじさんが好きだった。父親がもう一人できたかのように思っていた。なんで大切な人を二人も奪われないといけないのだろう。

 あの後、典明はいつも行く公園でただぼーと過ごしていた。何も考えずに空を見ていた。一日そんな感じで過ごして、ベンチで寝て起きて、自分のお腹が鳴ったことに氣がついた。いつでも腹はすく。起きあがって残飯漁りをしに行くことにした。

 公園のベンチに座って残飯を食べていた。

「典明?」

 名前を呼ばれたので前を見ると、陽一だった。

ゴク

 口の中の物を飲み込んだ。

「久しぶり」

「お前、学校こないで何やってんだよ」

「何やってんだろうな」

「はあ?しかも食ってんのなんだそれ、ゲロかよ」

 典明は盛大に笑った。

「うまいぞこれ。食うか?」

「誰が食うかよ」

 陽一は典明の隣に座った。

「しかもくせえ」

「うるせえな」

「ん」

 陽一はバックからビニール袋に入ったパンを典明に差しだした。

「くれんの?」

「うん、パクったやつだけどな」

 典明はパンを見つめた。

「いらね」

「はあ?人がせっかく……」

「そんなもん貰うくらいなら自分で盗んでる」

「盗めよ、腹減ってんだろ」

「格好わりいから、やんねえ」

「かっこわるくても、腹膨れんだぞ」

「泥水でもすすっとくわ」

「一生飲んでろよ」

 陽一は立ちあがってその場から去っていった。

 ベンチにはパンが残されている。

典明はパンを食べていた。

 陽一が置いていったパン。

 盗んだパンだ。

 旨い。

盗んだパンでも、買ったパンでもどっちにしろパンだから一緒だ。一緒のパンのはずだけど、やはりなんだか食欲が失せていく感覚に襲われる。腹が減って、腹が減って仕方がなくなっていたのが氣持ちだけでどこかにいった。

 カラスがいた。

 俺がこのパンを食べても、カラスがこのパンを食べてもパンが食べられるのは変わらない。パンからしたらどちらでも一緒なのだ。

 八割ほど残っているパンを放り投げた。

 クルクルと回転するパン。

 地面について転がって土がついたパン。

 それでもパンはパンだ。

 カラスはパンを咥えて飛び去っていった。

 花の匂いがした。

「パン不味かったからカラスにあげたの?」

「うわあ」

典明はベンチからずり落ちそうになった。

 あの髪の長い女の人がベンチの後ろから声をかけてきたのだ。

「びっくりしたあ。違うよ、旨かったよ、パン」

 典明は座りなおした。

「じゃあ、なんであげたの」

「なんか、食べたくなくなったから」

「勿体なくない?」

「べつに、俺が食べても、カラスが食べても、たいして変わらないよ」

 女は少し考えて、そうかもねと言ってからベンチに座った。

「俺、臭いみたいだからあんまり寄んないほう良いよ」

「人間、みんな少なからず臭いから、いいよそんなに氣にしなくて」

「お姉さんがいいなら、良いけどさ」

「ねえ、もっと強くなるにはどうしたら良いかな」

「弱くてもいいんじゃない」

「そんなんじゃ、あの煙野郎を倒せないよ!俺がやらないと駄目なんだよ! やるしかないんだ!」

 典明の形相は鬼のようだった。

「ごめんなさい」

 典明は怒りをおさめ、数日前の出来事を女に話した。

 女は典明から目線を逸らして前を見る。何かを考えているようだった。

「じゃあ、こんなのはどう。この舞お姉さんはあいつを豚箱にぶち込みたい。そのお手伝いを君はする。どう?人殺ししたらあいつと一緒だよ」

 典明は舞の瞳から目を逸らした。

「考える」

「じゃあ、これは契約の証」

 舞は仕事のときにつけている面を典明に渡そうとした。

「まだ、お姉さんの提案にのるなんて言ってないけど」

「特別に前払い」

 舞はニっと笑う。

 典明は面を受け取った。

 火事で舞に遭遇したときのことを思いだす。

「これ、燃えるの?」

「そうだね、私の魔力が入ってるから、きっと君を守ってくれるお守りになってくれるかもしれない」

典明は面をつけてみた。

「どう、似合う?」

「似合わないかも、ふふ」

 舞は勢いよく立ちあがった。

「よし、とりあえずしばらく私の部屋泊まんなよ、公園で寝泊まりするよりは良いでしょ」

「ありがと」

 典明も舞を真似して勢いよく立ち上がった。

「いいの本当にいって」

「大丈夫、大丈夫」

「同じ歳くらいの子も来るから、会ったら仲良くやってね」

 典明が舞の所にやっかいになって何日か経っていた。

 そこはこぢんまりとした喫茶店だった。

 カラン、カラン

「おはよ」

「おはよう」

 舞はカウンターの中にいる男と挨拶を交わした。

「おはようございます」

 典明は舞の後から店に入って、とくに初めての場所に緊張した風でもなく、落ちついた様子だった。

「君が舞ちゃんが言ってた子か、いらっしゃい」

 その男は、人の良さそうな顔を向けてきた。優しそうな人だなと典明は思った。

「そっちにいるのは熊谷」

 舞が言う方に顔を向けると、そこには誰もいなかった。

 いや、くまのぬいぐるみが椅子に座っている。その人形がゆっくりと立ちあがって典明の方に顔を向けた。

「よろしくな」

「動いてる……」

 典明は言葉を失っていた。

「もう、その反応は見飽きてるから、なにも言わん」

 熊谷は煙と共に人の姿になってキッチンへと姿を消した。

 その様子を、典明は目で追いかけていたのだった。

「この人、私に魔法教えてくれた人だから、魔法のことならなんでも聞いて」

「俺も舞ちゃんも、もうそんなに変わらないから。典明君お父さんに習ってたんでしょ?とくに教えることもないんじゃないかな、ココアでいい?」

 信也はコップを棚から取りだす。

「はい」

「君は火を扱うでしょ。じゃあ、舞ちゃんのほうが適任」

「見ただけでわかるの?」

 と典明は信也に聞いた。

「なんとなくわかるよ、魔力にも形があるんだ、あたたかいとか冷たいとか暗い冷たい、色があったりね」 

「そうなんだ」

「まあ、俺みたいに見える人はあんまり多くないよ」

「適当に座ってて」

 舞は典明に言って、カウンターの中の流しで手を洗って、奧の部屋に入った後、エプロンを身につけ、髪の毛をポニーテールにして出てきた。

「いただきます」

 典明はココアを一口飲む。

 優しい味がした。

 典明の顔が緩んだ。

「こんな、おいしいココア初めて飲んだ」

 信也は笑いだした。

「ただのココアなんだけどな、けどそう言ってもらえると嬉しいよ」

 熊谷が奥の部屋から顔を出した。

「メシ食ったの?」

「まだ食べてない」

「何、好きなんだ」

 典明は少し考えて、

「カップラーメン」と応えた。

 熊谷は笑ってから「じゃあオムライス作ってやるよ」と奥に戻っていった。

 デミグラスソースがかかったオムライスが出てきた。

「ありがとうございます。うわあ、おいしそう。いただきます」

 スプーンを入れると、中から赤いチキンライスが顔をだした。

 典明は一口食べたあと、じっとオムライスを眺めていた。

「どうしたの?」

 舞が尋ねた。

「おいしい」

 舞は笑って「でしょ」と返す。

 典明はそれからあっという間にオムライスを平らげた。

「ごちそうさまでした」

 舞がお皿を回収する。

「ほっぺついてるよ」

 と典明の頬についたデミグラスソースをふきんで拭いた。

 典明の頬はほんのりと赤くなる。

「あ、ありがと」

 その後、ここなら思いっきり魔法の訓練ができるということで、地下の部屋に通された。

 階段を下っていくときに家にいるのと似たような感覚になった、闇に潜っていくような感覚。

 地下で魔法が思いっきり使えるのには納得だった。部屋全体に強力な魔法がかけられている、これなら魔法が壁を傷つけることは無いのだろう。

「この部屋の魔法、あのおじさんがやったの?」

「んー、知らない」

「凄えや」

「わかるんだ、私、典明くらいの年の頃は全然だったよ、頑張ったんだね」

 典明はそう言われて少し照れくさくなった。

 じゃあ、これ溶かしてみて、と舞は氷の柱を出現させた。

「うん」

 典明の青い炎は難なく氷を溶かした。

「へー、やるじゃん。店長のならどうかな、呼んでくるから待ってて」

 信也が入ってきて、舞と同じように氷を呼びだした。空間が冷氣で満たされる。

 普通の氷ではなかった。青い炎に包まれた氷は、ゆっくりとしか溶けてくれなかった。「な、これ氷?!」

「頑張れー」と信也は応援する。

 舞は頭に手を組んでそれを眺めている。

 典明は息を吸い込んだ。

 よし。

 五分後に氷は溶けた。

「凄いじゃん、並なら十分はかかるよ」

 一番調子良くても一分はかかりそうだと典明は思った。

「早い人でどれくらいなの」

「そこのお姉さんは一瞬で蒸気に変えるよ」

 信也は楽しそうに応えていた。

「嘘でしょ?」

 典明はその答えに驚愕した。

「ほんとだよ、けど、舞ちゃん特殊だから真似しようとしないこと。俺も舞ちゃんより早く溶かせないし、まあ一分であれを溶かせたら言うことなしかな」

 典明は喜んでいいのか、複雑な心持ちだった。

 上には上がいる、自分の現在地よりも遙か上空に。

 上に戻って休んでいると、いろんなお客さんを見ることができた。一風変わった人達が良く来る店だと典明は思った。皆、魔法を使うのだろうか。

 そう舞に言うと、さあね、わかんないけど、少なからず使える人は来てるよと応えたのだった。

 カラン、カラン

「ただいま」

「お帰り」

 ランドセルを背負った女の子が入り口をくぐった。典明は目をやって見たことがあるやつだと思った。

 その視線に氣がついてか、女の子のほうも典明の方に目をやった。

「あれ? 四組の典明君じゃない?」

「え……うん」

「なんでここいるの?」

「私が連れてきたの」

「お前、二組の……ごめん、名前なんだっけ」

「え、ひどいな、萌でしょ、同級生の名前覚えてないの?」

「あんまり、興味無いからな」

「萌、手洗って」

 と信也が促す。

「はーい」

 萌は信也に言われて、カバンを典明の座っているテーブル席に置いてカウンターに入った。戻ってくるときに、自分の飲み物と、クッキーをテーブルに持ってきた。

「のり君も食べていいよ」

「ああ、ありがと」

「これ、ちょうだい」

 と萌は典明が食べていたチョコクッキーを手にとる。

「お前、魔法使うよな」

 萌は食べていたクッキーをポロリとこぼした。

 幸せで一杯だった顔がこの世の終わりかというような顔になった。

「記憶消さなきゃ……」

「待て待て、俺も使えるからここにいんだよ」

「なーんだ」

 萌の顔は嬉しそうな表情に戻り、テーブルに転がっていたクッキーを拾いあげて口に入れた。

「そういえば、学校でのり君と連絡とれないって先生達、言ってたよ」

「そう言われると、連絡入れないとまずいのかな、言っといてくれない?」

「えー、自分で言いなよ」

「いや、俺が直接連絡したら、何言われるかわかんないし、とりあえず生きてるとでも言っといて」

「いいのかなそれで……」

 信也は独語した。


「じゃあ、私あがるね店長」

「うん、今日もありがとう」

 舞が奥の部屋から出ると、朝来たときの格好に戻っていた。

「じゃあ、空を飛ぶのに挑戦しようか」

「俺が飛ぶの?」

 典明は目を輝かせた。

「たぶんね」

 深夜未明、中央自動車道で自家用車の単独自動車事故が起こった。原因は居眠り運転か運転ミスらしいが、車はブレーキを踏まずに中央分離帯のスケール柵に激突、炎上、ドライバーは死亡との事だった。最近こんなのばっかだ。

二人で外を眺めていた。

 喧嘩をした女子生徒と舞は、なぜだか仲良くなっていた。屋上でお昼ご飯を一緒に食べたりしている。今は渡り廊下の窓から一緒に外を見ている。舞はイチゴミルクを飲んでいた。

 チュー

「私さあ、やりたいことできたんだー」

「何?あんたの決めた道ならなんでも応援するから」

 舞は笑顔で応えた。

 隣の女は口を開く。

「自殺する」先ほどよりも低い声。

 舞は言葉を失った。

「それは……さすがに応援できないし、やめなよ」

 舞の言葉も先ほどとは違い、暗い調子であった。

「だよね、嘘だよ、そこまでの勇氣ないもん」

 女はあっけらかんとしている。

「なんでそう思ったの」心配する声音。

「彼氏と別れたからー」

 女は外に向かって大きな声で言った。

「重い女ー」

 舞も同様に外に向かって言葉を投げた。

「うるさーい」

 二人はおかしそうに笑う。その場の空氣が少し明るくなった。

「もっといい加減に生きていいんじゃない、他に楽しいことなら幾らでもあるし、ぜーんぶほっぽりだして、何もかも忘れてさ、誰も知らない所で楽しくやるのもいいかも!」

 舞はぜーんぶと手を伸ばしたときに、手に持っていたイチゴミルクを落とした。

 パシャ!

「あ、やば」

 たまたま歩いていた先生の頭がイチゴミルクだらけになっている。

 ぷるぷると震えている先生を見て舞は額に手をやった。すっと隠れる。

「おい、誰だ!」

 男の先生が上を向いて怒鳴った。

二人は先生からは見えない所で小さくなる。

「逃げますか」

「そうしましょ」

 家庭内殺人事件だった。公共住宅の一室に住む中学二年生の少女が包丁で母親を刺し殺したのだ。母子家庭でじぶんの生活や交友関係にうるさく干渉する母親が邪魔だったようだ。その少女は焼身自殺をした。まただ。嫌になる。

先生が黒板に文字を書いて、それをノートに書き写す。話を聞いて、理解して、書く。

 カッカッカッカッ

 チョークの音、先生の問題、生徒の回答、生徒の質問、先生の答え。時計の長い針が動く。

 カチカチ

 シャープペンをノックする音。

 ピーポーピーポー

 何の音だろう。聞いたことがない音だった。救急車ではない。

 火事です、火事です、体育館で火災が発生しました。直ちに避難してください。

「イタズラあ?」

「え、ほんとに火事?」

 がやがやとする教室内、先生が落ちついてと促し、皆を静かにさせ、廊下に並ぶように指示した。皆で廊下をゾロゾロと渡る。

 本当に学校で火事があるものなのか。まあ、あるか、何処でも起こりえる事だと舞は思った。こんな経験は初めてだった。

 校舎から出て、グラウンドに向かっていると、確かに体育館から火の手が上がっている。煙だ。

「うわあ、やばあ」

「怖いねえ」

 点呼をとっていると、隣のクラスの山本敦子がいないと騒ぎになっていた。

 舞の友達である。

 まだ、校舎の中にいるかもしれないということだった。

 それを耳にして、舞は駆けだしていた。

 周りの制止を振り切って、校舎の玄関に向かっていく。入る直前、校舎のいたる所から爆発が起こった。ドオン!

「きゃあああ!」

 女子生徒達の叫び声。

 何が爆発したのだろう。爆弾が爆発したようなもの凄い炸裂だった。

 そんなことには構いもせずに、舞は土足で校舎に入っていく。

 煙が凄い。ハンカチで口元を覆った。

 見慣れない防火扉が閉まっている。

 敦子は何処にいるのだろう。

 走りながら舞は呼ばわった。

「あつこーーーーーーーーー!」

 返事は無い。胸がギュッと締めつけられる。

 二年の廊下、教室、トイレ。いなかった。一、三年の方はとばす、職員室も。火事が発生した体育館はどうだろうか。行ってみることにした。

 体育館に向かう途中にある何枚もの防火扉を通るのが面倒だった。

「ああ!もういい!」最後の一枚は溶かして突き破ってしまった。

「敦子!」

 いた。敦子はこちらに顔を向ける。無事で良かった。

「舞、バイバイ」と敦子が言った。なんでお別れの言葉?

 敦子の姿がふっと消えた。幻。

 実際はあの黒いモノがいて、燃えている何かが床に転がって、体育館は火の海になっていた。嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ。

「また、お前えええええ!」

 舞の腕に朱い文字が浮かびあがる。

 髪を振り乱しながら、いつもよりも一回り大きな槍をたて続けに投げつけた。

 ドオン! ドオン! ドオン! ドオン! むなしくも、一つも当たらなかった。

「ハア、ハア、ハア」

 舞は体力が尽きて、くずおれる。

「あんたがやってんのは、人助けなのかもしれない、死にたかった人間には感謝されて、まさしく正義だけどさ、あたしみたいな残された側からしたら、お前、ただの悪だから」 大きな瞳には炎が映っていた。

「生きて欲しいって思ってる人間に一ミリも感謝なんてされないし、こっちからしたら、ただ悲しいだけだから!今日死にたいって思ってても、明日になったら生きたいって思ってるかもしれないでしょ!人の心なんて、毎日、変わるんだから……」

 隠れた目元から涙が零れた。   

 ガーン! バスケットのゴールが落下した。

「俺はただ他人ができないことをやっているだけだ。他の誰かがやりたがらないこと、躊躇するようなことを代わりにやっているに過ぎない。俺じゃなくてもいいんだ、お前でもいい、お前のその焔なら誰でも救える、きっと正義になれるはずだ」くぐもった低い声。

「あたしが?」震えている声が聞きかえす。

「初めて見たときから、確信していた、特別なモノを。他とは比べものにならない何もかもを焼く焔を。全てを浄化する火だ。ずっと見ていたいほどの。その焔ならきっとあの娘も救えただろう」

「ふざけんなあああああああ!」

 舞は渾身の力を振り絞って槍をくりだした。

 腕の朱い文字が消える。

 槍が黒いモノの顔をかすめた。ドオオン!

 顔の煙が消失。舞は現れた顔を眼に焼き付けるようにして見た。

黒いモノは煙となり、舞のすぐ傍に現れ耳元に囁いた。

「期待している」その言葉を残して、消えていった。

 体育館を焼く火は激しさを増している。

「勝手に期待とかすんじゃねえええ!」

 火の爆ぜる音にかき消される叫び声。

 舞は燃えている友に目を移した。

 這いながら、近づいていく。

 ぜんぜん身体、動かないや。

 傍までたどり着き、火を消した。治癒の魔法をかけようとしたが、何も変わらなかった。

「バカ。何やってんの」

遺体の胸元に顔を押しつけて舞は震えていた。

 意識が朦朧としてきた。

 

 ありがとう。

 声がした。




 目を開けると、知らない天井が目に入った。

「おはよ」

知っている声。

 声をかけられた方に目を向けた。

 店長だった。

「何処ここ」

「俺の部屋」

「変なことしてない?」

「しないよ」

 沈黙。

テレビのニュース番組が流れている。

舞は音の方に顔を向ける。

 昨日正午、女子高等学校の体育館で火事が起こった。生徒、職員ら千人が避難し、その内一人の生徒が逃げ遅れ、体育館内での死亡を確認。爆発音が何回も起こったとの証言もあり、警察は現在、出火原因を調べているという内容だった。

顔を正面に戻す。

 天井。

「泣いていい」

「どうぞ」

 舞は信也に抱きついて泣きだした。

「うわああああああああん」

「萌ちゃん手伝ってちょうだい」

「うん!」

「萌は飛べるんだな」

「お茶の子さいさいだね」

 萌は自慢げにそう言う。

 三人は再び地下へ降りる。

「普通の魔法と一緒、飛ぶイメージをするだけ」

 舞は箒に腰掛ける。

 ふわりと浮いた。

「こんな感じ」

 トンと、地面に足をつき、箒を典明に手渡した。

 典明は渡されたそれを唸りながらまじまじと見つめる。

 それから跨がって、目をつむった。

「飛ぶを……イメージする」

 舞のようにふわふわと浮かんだりしなかった。何も起こらない。

「難しいな」

「ま、最初はこんなもんだよ私もそうだったし、練習だね」

「うん」

「私の見てー」

 萌は羽根を生やして飛んでいる。まるで蝶のようだった。

 典明は萌を凝視していた。

「のり君も羽根生やしてみたら」

「俺、箒で飛びたいからいいや」

「え!」

 萌はショックを受けているようだった。

「ほんと、虫好きだな、お前」

「かわいいからね」

「俺にはわかんない世界だ」


 

「ただいまー」

 舞は鍵を開けて帰ってくると、誰に言うでもなくただいまを言っていた。

 続いて入った典明も「ただいま」を言う。

 舞はふり向いて「お帰りと」言った。

ガチャン

 典明は靴も脱がずに立ったままでいる。

 舞は典明を見つめる。

「どうしたの?」

 沈黙。

「いや、なんでもない」

 

「あー、慣れないことしたら疲れたあ」

 典明はテーブルに身を投げだしてぐったりとしていた。

「お疲れ、ご飯作るから、お風呂入っちゃいなよ」

 典明は、晩ご飯を食べた後、すぐに寝てしまった。

 深更。

 月明かりが部屋の中に差し込んでいる。

舞は寝息を立てている典明のそばにしゃがんで頭をゆっくり撫でた。

「ごめんね、君に人殺しさせるわけにはいかないから」

 立ちあがり、音を立てないよう静かにベランダに出て、飛んでいった。

 先ほどまで寝ていた少年は上体を起こす。

 遠くなってゆく舞の後ろ姿をじっと見ていた。


 今日も月が綺麗。

「よ」

 箒からトンと地面に降りた。

 見晴らしの良い場所で、

 黒く焼け残った木などがあった。

 向こうの方に二人、一人はフードをかぶっていて顔はよく見えなかった、と黒いモノが跪いて一方を見上げていた。

 舞がそれを見ていると、黒いモノがこちらをふり向いた。もう片方の人物は、ふっと消え去る。舞はそのまま近づいていく。

「邪魔したかな」

 黒いモノは立ちあがる。

「よく、ここにいるとわかったな」

「私が誰と一緒に仕事してるか知ってるでしょ」

「そうだったな」

「別に店長がいなくても、あんたが私のとこに来るんだろうけどね」

 黒いモノは鼻で笑った。

「悪いけど、豚箱に隠れてもらわないと、あんた、子供にまで恨まれちゃってるから、殺されるかもね。私、あんたが死ぬのも、あの子が人殺しになるのも嫌だから」

「もう、時間がない」

「なに」

「私の子供を頼む」

「はあ?」

 典明は二人のやり取りを焼け焦げた木の影から覗きみていた。

 会話の内容は聞こえていない。

「おじさん」

 舞が槍を手にしたとき、典明は駆けだしていた。

「おじさん!」

 舞は声がした方を見る。

「なんで……」

 典明は二人の間に割り込んだ。

「おじさん!どうゆうことだよ!なんで、説明してよ!」

 男は顔に手をかざした。

 ホームレスの顔は典明の父親の顔になっていた。

 沈黙。

「嘘……だよね」

「すまないな典明、父さんの勝手に付き合わせて。ずっとお前を騙していたんだ、お前に強くなって欲しかっただけなんだ」

 典明のつけていた鬼の面が地面に転がった。

「なんだよそれ、今までのも全部、魔法のための訓練だったって言うのかよ」

「そうだ、父さんのできなかったことをお前に押しつけているだけに過ぎない」

「魔法なんて、クソ食らえ!クソ!クソ!クソ!クソ!クソ!……なんなんだよ……こんなこと、ただのバカみたいだ!」喉が裂けるほど声を出した。

「ずっと、ずっと、辛かった」少年の肩が震えている。

「それでも、父さんが憧れた、誰かを救えるような魔法使いになって欲しかったんだ」

「訳わかんないよ!」

 典明は父親のそばまでいって、胸を叩いた。

「もっと、普通が良かった……」

 沈黙。

「わかってたさ、お前が苦しんでたことも、だから、これで最後だ」

 父親は典明を抱きしめた。

「父さん」

 煙が典明を覆い包む。

 少年の叫び。

舞が口を開いた。

「最悪」

 

 修行なんてずっと嫌だった! やめたかったよ

典明、お前は強い、父さんのエゴに押しつぶされる子供じゃないだろ

 そんなに強くない、強くないよ、ずっと辞めたいって言いたかった

 だが言わなかった、お前は弱音一つ吐かなかった

 

 舞は火の塊を一発放った。

 絶叫を上げ、煙に飲み込まれつつある典明に直撃したが、弾かれたように火は消し飛んだ。

「効果無しか」


父さんのなれなかった正義の味方になってくれ

 嫌だ、そんなのなりたくない。俺はなれない

父さんでもお前でもない、どこかの誰かが救いを求めているんだ

いいよそんなの、普通でいさせてよ


 手から火をだし、それが槍の形に。

 舞は身体をしならせながら槍を投げた。

「これは?」

 槍は轟く声をだしながら、まっすぐ飛んでいった。典明に突き刺さる直前「弾けて!」と舞は言葉を発した。

 爆発。

 煙が身体から離れて全身が見えたが一瞬だった。

「んー」

 舞は頭を掻く、「あれはどうかな」走りだした。典明が落とした面を拾いあげる。

 うずくまっていた少年は立ちあがった。いつのまにか青く燃えた槍を手にしている。舞、目がけて槍を投げてきた。舞は身を翻してやり過ごす。槍はしばらく先まで飛んでいって、爆発していた。

 舞はそれにチラと目を遣った。

「ひゃー」


 やめて、父さん、あの人を傷つけないで

魔法を好きになれ、そうしたら強くなれる、強くなれたら誰かを助けることができる

こんな風に誰かを傷つける力ならいらない


 舞は、もう一度槍を手にする。投げる。

 少年ももう一度槍を手にする。投げる。

 槍が両者の狭間で交錯した。

 青と赤の爆発。

 地面が大きくえぐれた。

 砂塵が舞っている。そこから炎を纏った舞が飛びだしてきた。腕から顔にかけて朱い文字が浮かびあがっている。

 少年は舞の姿を見るや、すかさず槍を生成し、投げた。

 槍は舞に直撃。槍は消滅。

「おらああああああああああああああああああああああああ!」

 先ほどとは比べものにならないくらいの火炎が周りを焼き尽くした。


典明、お前と父さんに血の繋がりははない

 なにそれ

 父さんが昔殺してしまった魔法使いの子供がお前だ

 嘘だ

 お前の本当の父親も母親も殺したのは父さんだ

 嘘だ。

 嘘じゃない

 嘘だ

 

 煙が典明から離れた。直後に舞は典明を抱きしめ、持っていた仮面を少年の顔面に押しつける。面が燃える。

 煙が近づけずに行き場をなくす。

 舞は焔を、黒い煙り目がけて放った。

 煙は逃げたが焔もそれを追いかける。

 舞は今までよりも巨大な槍を創り、ぶん投げた。

 轟音は煙を貫通。爆発。

「正義なんてクソ食らえ」


誰かを助けたいとおもわないのか


 燃え盛る炎と切れ端。

 目の前を見ていた。

 焦げたにおい。煙。

 立っていられそうにない。

 全身の力が入らなくなって、膝から積み木が崩れるように地面に倒れた。

「大丈夫?!」

 倒れた音を聞いて、舞さんは近くに駆け寄ってきた。

「うああああ、ああああああああああああああああああ!!」

 たがが外れたかのように声をあげた。

 なにも受け入れられなかった。受け入れたくなかった。

 だから叫んだ。

 何もかもを拒絶するように。

 否定するように。

「落ち着いて!」

 ギュッと頭を抱きかかえられても、それでも嗚咽は止まらなかった。

 少し離れたその先で何かが盛大に燃えている。

 周りの熱さを感じないくらい、胸のほうが熱かった。

涙のほうが熱かった。

 しばらくすると周りの炎も俺も落ちついてきた。

 たぶん、この人がいるからだ。

 どうして、この人がいると落ちつくんだろう。

 どうして、こんなに安心するんだろう。

 あれは、なんだ。見つめていた先のモノが動きだした。

 嘘だ。嘘だ。嘘だ。

 こちらに向かってくる。ボロボロの姿。不確かな足取りで典明を見ながら真っ直ぐに進んでくる。怖くて目をそらした。嫌だ。

 舞は立ちあがったが、身体に浮きでていた文字が消えて、再び地面にへたり込む。

「くっそッ」

「典明!そんなんじゃ誰も守れないぞ!そんな腑抜けに育てた覚えは無い!いいか忘れるなお前には誰にも負けない才能がある、それは絶対に嘘をつかない、お前に真実をつきつけるだけだ!」

いいよ腑抜けで、誰も守れないんだどうせ、才能が無いんだ、やっても無駄なんだ。ただの泣き虫だ。あんなに、嫌で嫌でしょうがなかった訓練を頑張ってきたのに、なんでこんななんだ。なんでもっと強くないんだ。今まで苦しんで苦しんでやってきた努力じゃ全然足りない。魔法が使えないこんな自分、嫌いだ。

 俺、父さんの本当の子供じゃないんだ。


 魔法は格好良くて、すげえモノなんだよ、そんなのが使えるお前は格好良い奴なんだよ、嫌いだなんて言っちゃいけねえ、他人がもっていない素晴らしいものを嫌いだなんて言っちゃいけねえよ

ああ、そっか、そうゆうことか

 

「大丈夫」

 典明は立ちあがって、仮面をつけ直した。

 胸から手に、手から火へ火から槍へ。

 仮面からは青い炎が。

 なんだか今までで一番自由に魔法が扱える氣がした。


俺は弱いままでよかった

 強くなんてなりたくなかった

 普通に遊びたかった

 それでも、ありがとう。父さん


 父と子は向かい合った。

「もう大丈夫だな」

 父親は手を伸ばし、仮面に触れる、炎が手を伝って、身体を燃やした。

 仮面が落ちる。驚いた顔。

 微笑んだ父親の顔。

 父親は燃えた身体で息子を抱きしめた。

「なんで、父さん」

「強くなれ典明、誰かを守れるくらい」

「うん」

「泣くな」

「うん」

 父親の身体が灰になるまで二人はそのままでいた。

「今日こそ、飛んでやる」

「できんの?のり君」

「あたぼうよ」

 少年は箒に跨がった。

 一陣の風が吹いた。

 髪がなびく。

 ふわ

「みて、みて、やったよ!」

「おー」

「やったじゃん」

 舞と萌は嬉しそうに声をかけた。

 少年はどんどんと高く昇っていった。

 少年が一番嬉しそうな顔をしている。

 

 

  

 

 

 

  





 

 



 










 

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魔法中年 青と赤の狭間 宮上 想史 @miyauesouzi

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