探偵の暇つぶし
@derara12124
第1章 探偵の暇つぶし
「…連鎖ね」
ゼミ室に声が響く。
その声にどんな反応をされるか不安になったが、彼女は俺を見て「誤解しないで」と変わらない無表情でそう言った。
「興味深い感想だと思う、世代間連鎖についての指摘だと思うんだけれど、私の作品に、そんなに考えを示してくれた人は初めてだったから」
「あ、いや、どうも」
彼女は機械のようなそぶりで周りを見渡して、席に座った。
附 沙奈。
ゼミの中では地味な印象の女性だった。
日本人形みたいに長い黒髪を三つ編みに括るというあまり見ない見た目は、世俗から浮いているように見える。俺自身ゼミの発表で感想を求められるまで、どことなく暗い雰囲気の彼女と話したことはなかった。
交流がないから彼女の書いた小説も初めて読んだわけだが、瑞々しい文章表現、という表現が的確な洗練された文と、自然で生きづいた登場人物のセリフ、説得力のある構成力と、どれをとってもほかの生徒とはレベルが段違いで、俺は圧倒された。
それから、何となくその三つ編みを目で追ってしまうようになった。
大学の講義が終われば校内を出た。目的地である別棟のC棟に行くまで、冬の寒さが肌に染みる。C棟の2階の一番奥の部屋、印刷してラミネート加工した手作りの看板、というか表札に近い”探偵サークル”と活字で書かれた扉を開ける。ほかの教室よりも明らかに狭く、大量のダンボールが四辺に置かれた部屋(もともとは椅子が敷き詰められていた物置部屋だった)の中心にある椅子に、毛布の塊が座っていた。
「やあ、関ヶ咲、あったかそうだね」
布団を雪ん子のように被る同じ文学科の椰代は、こちらも見ずに挨拶してきた。
茶色く古びた本に目を落とし、パラパラと紙をめくってる。雪ん子スタイルだから間抜けに見えるが、端正な顔で、本を捲るスピードは早い。
「んなわけあるか、さみー、ここほんま暖房効かんな」
椰代の横の机にはコーヒーが置いてある、この室温ではすでに冷たくなっているだろう。息を吐いて白くなるほどではないが、マフラーを外すのは躊躇われてそのまま椅子に座る。
「エアコン昨日調べたけど、やっぱり壊れてるみたいだ」
「あー、まぁ、そうやろうとは思っとったけどな。しばらくこのままか」
「もう少しの辛抱さ。小田にヒーターを持って来てくれるように頼んだから」
椰代は話している最中に、ぺらと、まためくった。マルチタスクなやつだと思う。
俺はカバンからノートパソコンを取り出して、机の上に置いた。電源をつけてブックマークしているサイトを確認するのは習慣だ。見るのは記事ではなくコメント。俺の運営している事件考察サイト(主に未解決事件を扱っている)は一度爆発的に伸びたが、最近は一日に1件くれば多いくらいのペースにおちついた。
文学科に入学してやってることといえば未解決事件を考察して、ブログを書くしかやっていないのだが、俺は小難しい純文学よりはノンフィクション犯罪小説の方が好きである。推理小説好きの椰代に誘われて”探偵サークル”とかいう恥ずかしい少人数の弱小サークルに入っているが、俺のサイトの考察の質向上にサークルは役に立っているので、ここに講義が終われば通っているわけだった。
ブログはまだ微弱だが金も入ってくるし、カウンターを上げるためには記事をコンスタントにあげ続けなければいけない。コメントしてくれる人間というのは貴重で、繋ぎとめておくためにコメントに返信を返す優良なブログ主として、俺は毎日コメントを見通しているわけだが…。
…またこの人か、と俺は思う。
りく
みなさん、こんにちは、また立ち寄りました
今度の記事は私の知らない事件でした
無理せずに、更新待ってます^_^ゝ
この りく、というユーザーは最近コメントをよこしてくれる。俺のブログのコメント欄ではコメントを打ち込む際に何も入力しなければ名無しと表示されるので、この人のように名前がついているコメントは目立つ。この人が書き込んできたのはここ2週間くらいの話だと思うが、毎日見てる俺には目についていた。
「関ヶ咲のサイトって女の人も書き込むのか」
「うわっ」
声に振り返ると椰代が後ろからパソコンを覗き込んでいた、もう読み終わったのか。古びた本はカップの横に置かれていた。
相変わらず読むのが早いやつだ、本が好きなら、もう少しじっくりと読めばいいのに。
「いやネカマやろ、どうせ」
「どうかな、本当に女の人かもしれない」
「まあ、そうかもしれんけど」
俺の運営する未解決事件の考察サイトに女性が来るだろうか、と少し思う。
椰代は目鼻立ちの整った端正な顔で微笑んでいる。含みのある笑顔に見えるのは、こいつの性格を知ってる俺だからだろうか。
布団をかぶったまま、椰代は元いた場所に戻って行った。椅子に座り、カップを手に取った。
「そう言えば知ってる?関ヶ咲、最近は出会い系アプリが人気らしい」
椰代は話を切り替えるようにそう言った。
「最近ってほどでもないやろ。3年くらい前からやないか」
「そうなのか?将来は両親の出会いはアプリですって子供がスタンダートになるのかな、すごい時代だ、大学でも、”タッチ”っていうアプリが流行ってるんだってさ、関ヶ咲はやってる?」
「何やねん、急に」
「関ヶ咲が最近ボーとしてるから、恋がしたい年頃なのかと思って」
「なんでやねん、やらんわ。あんなんで出会ったって長続きせんやろ」
椰代は片手にカップを持って、もう片方の手でスマホの画面を見せてきた。ずらりと並ぶ女性の顔アイコンが映っている、例のタッチのアプリだ。
「そうでもないみたいだよ、出会い系アプリがきっかけで結婚する人もいるってニュースで言ってた」
「どうだかな」
椰代はずっと山にこもってて初めて俗世に触れた仙人みたいな言い方で話している。世俗に疎いこいつが、大学で流行ってる出会い系アプリ”タッチ”を知っているのには驚きがあったが、俺にはどうでもいい話だ。
ブログに新しくつけられていたコメントに返信にしていく、椰代はスマホをしまい、優雅にカップに口をつけた。
「関ヶ咲は運命を待つのか、割とロマンチストなんだね」
俺は今、遠回しにディスられてるのか。
「誰がロマンチストや、超現実主義や俺は」
「そうか?まぁ、それはそれでいいんだけどさ。これはわりと社会的な話にもなるんだけど、噂によると位置共有アプリ、なんて物騒なものもあるそうじゃないか。昔はネットに個人情報を書くなんて危機管理意識を持っていればとんでもないことで、だからこそ匿名性を重視していたと思うけど、もう物理的な距離を超えて、ネットと現実はつながりを深くしてほとんどイコールなんだろうね、いまや人のプライベートは他人と共有されるものなんだよ」
「はぁ、そうかもしれんけどな」と俺は適当に返す。
だから何歳やねんお前、二十歳やろ。
隠居していた哲学者のような感想を持つやつだ。
「その”タッチ”に興味あるのはお前なんやないんか。お前から彼女の話とか聞いたことないが、さすがに二十歳を超えて欲しくなったか?」
「え?ないよ」
「…じゃあなんでアプリに登録してるんや」
椰代を見ると、簡単に魚を釣れた漁師のように、に、と笑った。
「登録しないとメンバーが見れないのは知ってるみたいだね」
「…」
こいつと話すのはめんどくさい。
椰代は布団に住む妖怪みたいなナリだが頭はキレる。
何を血迷ったのかそれなりに書ける執筆活動をサボり、推理小説を出題編まで読んでは推理することしかしないので、学内の誰にもその頭は評価されていないという勿体無いやつだ。
俺のブログの考察に一役買っているのも、このサークルにはもう一人部員がいるのだが、椰代の存在がでかい。
椰代と初めて出会った瞬間を覚えている。
この先も忘れることはないだろう。
その日は俺が死んだ日だからだ。
もちろんこれは比喩だ、それまでの俺は才能というやつにムキになっていた。自分には特別な才能があると信じ、今はそれを磨くインディーズ期間で、いつか親や昔のクラスメイトを見返してやる人間なのだと復讐に燃えていた、典型的な痛々しい一創作者だった。
そんな感じで周りに壁を作り閉じこもって小説ばかり書いていたので、基準を持たなかった俺の前に、椰代は突然現れた”世界”だった。
一年生の春、俺は大勢の人間が敷き詰められた入学式のホールにうんざりして、外で景色を眺めていた。植えられた桜並木を適当に歩いている時、いくら歩いても変わらない景色に自分が迷っていると気づいた。入学式も終わり帰るだけだったが、父親たちに車で送ってもらっているので俺は駐車場まで戻る必要があった。うんざりしながら目的地を探す俺の前に、桜の散る中、椰代は木の下に立っていた。
「関ヶ咲くんも逃げてきたのか?」
そう声をかけてきた。
椰代は同じホールで入学式を先ほど終えたばかりなのに、知らないはずの俺の名前を知っていた。
それは、タネを明かせばなんてことないことだった。
俺とホールですれ違っていたらしい、俺が同じ学習塾に通っていた知人と会話をしていたので、会話中で出てきた俺の名前と顔を覚えていた、と、こともなげに椰代は言った。
そんな感じで、初めて椰代と会った日に、俺は才能に殴られた。徹底的に殴られて爽快的なまでにボコボコにされた。自分の才能を信じていた俺は死んで、生まれ変わりを余儀なくされた。
今いる俺は、その時に死んだ俺の残り滓だ、とたまに考えることがある。
「そうだ、運命を感じたいなら、そのコメントの主人にコンタクト取ればいいんじゃないか?」
「アホか」
椰代の話は元に戻って、変な着地をしてきた。
俺は十中八九ネカマだと思うのだが、椰代のいうように本当に女である可能性もゼロではない。が、可能性で言うなら釣り目的である可能性も同じだけあるだろう。実際のところどうなのかは会わなければ分からないし、会う気なんかない。つか、この人は別に会いたいとか言ってない、コンタクトを取ったところで、本当に女性ならとんだ勘違い野郎だと思われるのがオチだ。
とりあえず既読の意味で、りくさんのコメントにいいねをつけた。
「俺は執筆活動をしてんねん、くだらんこと言うな、なんか事件に関することなら聞きたいけどな」
「へぇ、執筆活動、なんて随分こなれた言い方だね」
いまのは確実にバカにされた。
「ブログはどんな感じ?前回の反響はどうなの?」
「ほとんどない」
「あらら」
カウンターは先月より落ちてしまった、そろそろ新しい記事を何にするか考えないといけない。
「頭打ちじゃないですか?」と、扉が開いた音の後に声がした。
少年みたいな顔の男が台車と共に現れた。文学科の小田だ。がらがらと押される台車は音を立てながら入ってきて、上に乗った不安定な物は揺れている。椰代は布団を脱ぎ、落ちそうになったそれを支えにいった。
「すみません、ありがとうございます」
「こちらこそ、ヒーターを持ってきてくれて助かったよ」
乗っているのはヒーターと等身大程にでかい人形だった。見覚えのある人形に、遅れて支えに行った俺は呆れた。
「工芸部に台車を借りに行っていたら遅くなりました」
「またなんか買ったんか」
「ジョンドゥ、うさぎちゃんバージョンです」
小田が言うように、関節まで再現した立派な質感のでかい人形の頭には、長い耳がついていた。
「無表情で言うことか、なんや、まだジェーンドゥ健在なのに、いるか?」
「ジェーンドゥが細身の個体なので、太っている個体も欲しいなと思ってたんです、そしたらうさみみがついてきました」
ダンボールが置かれているこの部屋の隅には、ジェーンドゥと名付けられた女性を模した等身大の人形が置かれている。
芸術学部の教授は人形制作の芸術家でもあり、実家が裕福な小田はこうやって実験用に人形を依頼し、買ってくることがあった。ヒーターといい、まともな実績もない弱小探偵サークルにおいて小田の経済力はありがたいのだが、狭い部屋を新入り人形がまた狭くするだろうことは予測できた。
「どう言うつもりなんですかね」
「かわいいからだろ?」と椰代が言う。
「本気で言ってます?嫌がらせですよ。芸術家っていうのは顧客の要望以外の要素は好きにアレンジしていいって思っちゃうもんなんですかね、見てくださいよ耳の付け根、こんなに綺麗に頭と一体化してたら切り取るのも憚られるじゃないですか」
「いいじゃないか、この部屋、物置みたいに殺風景だし、このくらいの遊び心は欲しいよ」
小田はマフラーに埋めた顔を納得いってないように顰めた。
三人で台車から物をおろし、俺はヒーターをコンセントの近くまで持っていく。
「意外と好反応で驚いてるんですが。扱いづらいし、実験を外で行うとすると見た目が若干のファンシーさを醸し出してしまうじゃないですか」
「扱いずらくするのが狙いなんやろ、まあ確かに、体格に合ってなくていっそう不気味やな」
あの教授は実験に使われているのに不満に思ってはいるみたいだからな、と思う。小田のする実験とはいわゆる推理小説のトリック検証のことで、人形たちは(ジョンドゥとジェーンドゥ)死体役として活躍するため酷い扱いを受けることになる。
小田は人形を抱えて部屋の端に置いた。等身大の人形は二体並ぶと不気味で、完成度も高いから、暗くしたら人だと勘違いしそうだ。
「台車はそこに置いといてくれ。工芸部に行く用事あるから、ついでに返しておく」
「ありがとうございます。俺が来る前になにか話してました?」
「関ヶ咲がロマンチックだって話はしてたよ、運命を信じるタチらしい」
「っおい、誰がや!」
「そうなんですか、意外、でもないですかね?言われてみるとそんな感じです」
どう言う意味やそれ。
俺は訂正もめんどくさくなり、頬杖をついた。「恋愛といえば、次のゼミの課題小説は恋愛小説ですけど、もう書きましたか?」と小田はこちらを見て言ってくる。
「いーや」
「へえ、二人の恋愛小説か、気になるな。書けるの?」
「舐めんな、書けるわ。小田は苦手やろうけどな、普段推理小説しか書いてないんやから」
「ええそうなんですよ、だから勉強のために、いまは恋愛小説ばかり読んでます」
仕返しのつもりだったが、サラリと流されてしまった。
「小田が恋愛小説なぁ」
「読んでみると結構面白いですよ?」
新しいタイプの物だったから手間取ったが、俺はヒーターを取り付けて電源をつけた。椅子を周りに近づけ、マフラーを外す。
「どんな本を読んでるのか聞きたいな」
ヒーターを三人で囲み、小田と椰代も座った。だんだんと暖かくなっていく室内の中、椰代だけはまた布団を雪ん子のようにかぶっている。こいつ、寒がりか。と思うが、こいつは春でも夏でも布団を上からかぶるので、別に室温は関係ないんだろう。
「最近読んだのは大正時代の小説で、話の流れはよくある感じでした。使用人が使えている家の娘に恋をして、叶うこと無くその娘は家の取り決めでお偉いさんの息子に嫁いで行くという話です」
「オーソドックスやな、もちろん主人公は引き留めたんやろ」
「3回引き止めて、一度は親の許しが出て婚約を結べるんですが、不相応さを思い知って主人公は自ら諦めてしまうんです。悶々としているうちに婚期を逃した主人公は、最後1人で寂しく死にました」
「バッドエンド…」
思わず声が出る。恋愛小説っていうか破滅小説やな。
偏見にはなるが昔の小説は破滅を描いたものが多い気がする。
「よくある話といえばそうだろうけど」
「まぁ、そやな」
俺も最近、それに似た話を読んだ、既視感の正体はそれだろう。
「自分で諦めたってところが胸糞ポイントだね」
椰代はヒーターを見つめながらそう言った。毛布がヒーターにつかないように握りしめる様子は、雪山の遭難者のようだ。
高性能ヒーターの登場によって、だんだんと室内が暖かくなってきた。これで今年の冬は乗り越えられそうだ。次は夏場のためにクーラーを持ってきてほしいが、エアコンの設置となると色々と難しいだろうか。
「平安時代の京都では分不相応な役職に就かせて無能さを自覚させるというやり方が使われていたそうですよ」
「一度婚約を認めたのはわざとってわけか?嫌な話や」
自身がいかに不相応であるかを身をもって知らしめたと、相当性格が悪い。3度も引き止める男に傷を与えてやりたいといった悪意すら感じる。
「小田はその話に何か教訓を得たのか?」
「そうですね、分不相応な恋をして傷つく前に、早めに諦めるべきだったんじゃないですか?年月を無駄に過ごして何も得られないなんて非生産的ですし」
「………ほんとに文学科か」
非生産的て、身も蓋もない。
得るとしたら、分不相応だと思い知ってもめげずにいる強さか、恋に敗れてもまた次の恋を探そうとするしたたかさをもつことが大切、が教訓だろ。
小田はこう言うところがある、人間の情緒に理解を示さない。というより、情緒に興味がないので理解する気がない。興味があるのは謎解きや論理的な物事の積み重ね、推理トリックだけだ。そのうち「子供が増えればいいなら自由恋愛はいらなくないですか?」とか言いそうで恐ろしい。
俺は小田の書く次の課題小説に興味が湧いた、小田の手にかかれば、どんな恋愛小説が生まれるの気になってきた。
「現実的でいい感想だね、俺もその本読んでみようかな、名前はなんていうの?」
椰代は布団の中でにこやかに笑っている、小田の性格を面白がっているのだ。こいつは特に他害はない人物だとは思うが、一般的にどうかと思うことでも面白がるたちは趣味が悪いだろう。
小田は作者の名前と本のタイトルを伝えた、聞き覚えのある名前だった。
「薄い本なのですぐ読み終わると思いますよ」
「名前聞いたことあるな、有名な人じゃない?」
「そう、俺が繋げたかったのはその話でもあるんです」
小田はヒーターに両手を掲げて、少年のような幼さを残した瞳で言った。
「作者の末裔にあたる方が文学科にいるらしいですよ」
名前を聞いて驚いた。
何と、同じゼミに所属している附さんは、先祖代々小説家という異例一家なのだった。
附家。
代々食べていけるほどには小説家として皆、名を馳せているらしい。先先代の人間が映画化、ドラマ化と爆発的に売れ、その繋がりで出版社とのコネクションが強く、その筋での小説家デビューが容易なのだという噂を小田から聞いた。
…小説家の血筋か、なるほど、それを聞くとあの卓越した文才は納得だ。
小田が話した本の内容と、先日のゼミで彼女が提出した小説の内容が似通っているのもうなづける。
附さんの小説も恋愛小説で(テーマが自由だった)同じように好きになった女が男にアプローチを3度かけ、4度目は付き合えることになるが、女は自分が相応しくないと感じ、自ら離れてしまう。その後死んだとは書かれていなかったが、バッドエンドは共通している。
何も似たような小説を書かなくても、と思うが、彼女の小説は文章力が高く心情描写も美しいため、悲劇性が美しいと言う感想さえ抱くほどサラリと最後まで読んでしまえる魅力溢れる物だった。起承転結やドラマチックなストーリーの力ではなく、文章で引き込む物語は存在する、きっと才能というのはああいう文章のことを言うのだろう。
(なんでこの大学に来たんやろなぁ)
こんな片田舎の文学科に進まなくても、もっといい大学に進めたのではないだろうか。
少し調べたが、附家の本家は京都にあり、その辺りには別のもっと有名な大学の文学科が存在する。成績がいいらしいと風の噂で聞くくらいの彼女が受からなかったというのは考えづらい。家の方針なのか、それとも独断なのか。
「…やめ」
何を考えているんだ。
有名人が大学にいることに浮き足だっているようでみっともない、と不躾な思考を止める。
「どうした?」
「いや、気にせんでくれ」
口に出ていたことで、隣に座る男が声をかけてきた。同じゼミに所属する林だ。
講義中だから小声で、茶髪のチャラさを感じる顔が少し耳元に寄ってきている。
林とはゼミで出会い、同じ関西出身ということで話が合った。同じような髪色をしてるのもあるかもしれない。探偵サークル以外でのまともな付き合いはこいつくらいだ。
「昔から「遠征の時に僧に会ったら撤兵せよ」という言い伝えがある、仏様は争いを避けるために僧として座り、3度兵を引き返させることができた。だが繰り返される出兵にお釈迦さまは因縁を悟り、4度目には阻止しなかった結果、釈迦国は滅ぼされてしまった」
しわがれたじいちゃん先生の声が耳を素通りする。
「例のまとめサイト見てたんか?やめとけよ、この授業は先生がじいちゃんだからいいけど、また河原教授見つかると怖いぜ」
「一回注意されたらもうせんわ、あと何度も言うけど、まとめサイトやなくてブログな」
「何度も聞くけどそれ、何が違うん」
「全然違うわ」
「俺、ブログ見んからさぁ」
前に立つ教授を見る。ぎこちない動作で授業を進めるヨボヨボさには、コソコソ話をしてもバレないという自信が出てくる。
授業では仏教の話が語られている、お釈迦さまのありがたい逸話を耳にしていると、どうにも眠くなってくる。
「見るのはユーチューブとインスタくらいやなぁ、動画やってくれたら見るって言ってるやん?動画じゃないと俺一生見れないじゃん、見たかったなぁ」
「ちょっとは歩み寄れよ」
インスタは置いておいて林のいう通りではあると思う。なんでもそうだろうが、考察界隈においてもシェアはブログよりも確実に動画に傾いている。が、こいつ1人のために慣れない作業をしてまで動画作りをするつもりはない。
俺が事件考察のサイトを運営していることは考察の協力を頼んでいる探偵サークルと、林くらいしか知らない。
他人に言っても、他人の不幸で飯を食っていると引かれるだろうことは確実だし、話す気はなかった。林が知ってるのも、たまたま授業中にコメントを返してるのを見られた不慮の事故のような物だ。
(…知ってる人間は限られる)
俺はブログから連鎖するように、あのコメントを思い出した。よくコメントをしてくるネカマ(現時点での推定)りく、のことだ。
「もしかして、林じゃないよな?」
「は?なに?」
俺の言葉に林はキョトンとした。動揺などは一切感じない表情に気が抜ける。
「いや、なんも」
林が犯人だとして、なんのために?
そんなことをする動機がない。
だいたい、何かを目的にしたコメントであっても俺にとって嫌がらせになっていない。むしろコメントを残してくれて、ブログに活気があるように見えるサクラ要員として大変助かってさえいる。そう思うと、疑心暗鬼になっているだけで彼(彼女かもしれない)は単純な善意でコメントをしていると考える方が自然な気がしてきた。
講義が終わるチャイムがなり、俺たちは席を立った。入り口でレポートを提出し、廊下を進んでいると、俺に話しかけるために振り返った林が「あ」と言い、足を止めた。
俺も振り返った、林の目の先にいたのは附さんだった。
今日も長い黒髪を三つ編みでくくっている。本人自体は空気に溶け込むような存在感の無さだが、髪型は正直目立つ。多くの人が行き来する大学内では特に浮いているように見える。
いつも同じ髪型だが、飽きたりしないんだろうか。
できれば解いて欲しいんだが…。
解いたところを想像する、三つ編みよりも解いている方が似合うんじゃないだろうか。
あちらもこちらに気がついた。「こんにちは」と言う声が以前よりはんなりとした口調に聞こえるのは、俺が、彼女が京都出身だと昨日知ったからだろう。
「あ、ああ、附さん、こんにちは!」
「?」
俺は林を見た。
話しかけがやけによそよそしい、と思ったからだ。
林は不安そうに目をキョロキョロと動かしたあと、急に思いついたように声を上げた。
「あー、あ!おれ、次の講義あるからこのあたりで!」
「え?次って」
昼休みだが、と言う前にそそくさと去ってしまった。
付き合って日は浅いがあんな林は初めて見た。
林は平均的な顔つきだが、ノリがいいので女子ウケはいい、暗い附さんに対しても他と変わらず接していたはずだ。
意識して女性と会話できないなんて性格じゃないことくらいは分かっている。
林は男女誰とでも仲がよく友達も多い、俺のことは同じ講義を取っている知り合いくらいの認識ではないかと思う、なにせ、あいつが一人でいるところは見たことがない。
「関ヶ咲くんはこの後は昼ごはん?」
附さんは林のことなど気にしていないように聞いてきた。
「え、あー、そうやな、コンビニでも行こうかなと」
林のことは気になったが、林にも調子が悪い日もあるのかもしれないと考え、普通に答える。
「関ヶ咲くんはよく林くんといるわよね、仲良いのね」
「すごくってわけじゃないけど、ほどほどには」
「林くん、私のことで関ヶ咲くんに何か言ってた?」
「え?」
気にしてないと思っていたが、気にしていたのか。どうも表情が読み取りづらい。
「…いや?」
「そう」と言い、附さんは去って行った。
なんだ?
なにか俺の知らないところで2人は関係性があるのか?それも、なんだか少し拗れているらしいと感じる。
もしかして、林が附さんに告白して振られて、話すのは気まずくて去ってしまった、とか。
(…今度、林に聞いてみるか)
他人の色恋に巻き込まれたくはないが、俺としても二人の関係性は気になった。
「関ヶ咲!」
「うえっ!?」
しばらく考え事をして歩いていたら、至近距離からでかい声で名前を呼ばれ飛び上がった。
声のした方を向くと、横の階段に立ち、上から手を振る椰代がいた。
「な、なんやねん!」
「あっはっは」とイタズラが成功したとばかりに椰代は笑った。人の流れに逆らい、階段を降りて目の前まで来る。椰代が何を取ってるかは知らないが講義終わりなんだろう、カバンを持っている。
「普通に話しかけろよ、びっくりしたー」
非難すると、椰代は薄く笑みを浮かべた。
「探偵サークルでないと話しかけちゃダメだった?」
「いや…、そんなことはないけどな」
一時期、俺は椰代に探偵サークル以外で声をかけるな、と言った事がある。
含みのある笑みになんとなく後ろめたくなり、言葉を濁すと、椰代はいつもの飄々とした表情に変わって歩き始めた。俺もそれに着いていく。
「ぼーと歩いてるからびっくりするんだ。おおかた、次の記事のことを考えていたんだろ?」
「年がら年中ブログのこと考えてないわ」
「ふーん?でもそろそろ更新時期だろ、余裕あるんだ」
「まぁ、…ちょっとは考えてたけど」
「だろうと思った、今頃ネタに困ってるんじゃないかな?ってさ」
全てを分かってるような物言いだ。
「そう言うならなんか、いいネタがあるんやろうな?」
「ああ、いいネタがある、と言ったらどうする?」
まじか。
期待してなかった椰代の思いがけない返答にそう言いそうになったが、口を閉じて一度考え「ネタによる」と口にした。
「慎重だな、ここは食いついてきてほしかったよ。慎重さは社会に出るなら必要な素質だと思うけど、社会に出ないなら必要ないんじゃない?」
アフィブログのことを言っているのだろう。俺が大学卒業後は就職したくないと考えていることを、聡い椰代は知っている。
「ブロガーにも炎上回避の為に慎重さはいるやろうけどな。どの未解決事件や?もう扱ったことがあるやつか?」
俺のブログで扱うのは未解決事件の考察だ。不謹慎だが、アクセスの増加は基本的に事件の知名度によって変わってくる。どの事件なのかは、まず聞きたいことだった。
椰代は俺の問いに首を振った。
「いや、何にもないから暇でさ、部屋でちょっと考えてたんだ。有名でもなんでもない身近な事件だよ」
「身近?」
「関ヶ咲のブログ、出会いの場にされてるよ」
「…は?」
どこにもよらず、C棟の探偵サークルに歩いた。別に話すのは食堂だって広場だってよかったが、高性能ヒーターがある今の部室は暖かいので椰代の希望にすんなり従った。早速ヒーターをつけ、近くに椅子を二脚並べる。マフラーを外す俺の前で、椰代はやはり布団を上から被った。
普段は布団がなくても平気なのに、サークルではこの姿以外見たことがない、この癖はなんなのか。
聞くと「こうすると落ち着くんだ」と椰代は言った。
「で、聞きづてならんその話は本当か?」
「ん、ああ、今から教えるよ」
椰代はサークルの教室についてもすぐに話し始めることはなかった。コンビニで買ったというご飯を広げ、何も持っていない俺にかしわおにぎりを一つくれた。早く聞きたかったが仕方なくそれを食べ終えた辺りで問いかけると、椰代は口を整えるようにお茶を飲み、ようやく話を始めてくれた。
「関ヶ咲のブログによくコメントする人いるだろ?りく、って人」
「ああ、ってまて、それが出会い厨だって話やないやろうな」
「流石にそんな肩透かしはしないよ、事はもう少し難解さ」
そう言い「見てこれ」と飯を片付けた机の上に一枚の紙を出した。
「りくさんの今までのコメントをまとめた物だ」
見るとA4の用紙には、なにやらずらりと文字が書かれている。この丁寧な筆跡は椰代のもので間違いない。
「…書き出したんか」
どんだけ暇やねん、俺は少し引いた。
「そんなあからさまに引かないでくれよ、ひとまず見てみてくれ。一番最初に、りくさんが書き込んだのは11/10、それから昨日の書き込みまで計6件。それらを時系列順で並べてみた」
11/10 りく
はじめまして、すごく興味深いサイトです
11/12 りく
面白かったです^_^
11/13 りく
鋭いご指摘だと思います^_^
11/15 りく
管理人さんの慧眼には驚かされます。ご自愛ください
11/18 りく
3日ぶりです、立ち寄らせていたきました
重大な事件だけでなく小さなものも扱う姿勢に好感がもてます
理由なき犯罪が無くなりますように…それではまた^_^〃
11/26 りく
みなさん、こんにちは、また立ち寄りました
このあいだの記事は私の知らない事件でした
無理せずに、更新待ってます^_^ゝ
「数は少ないけど、法則が見えるだろ?」
「あのなあ、…椰代。どんだけ女に飢えとるんか知らんが、こんなことやるほど暇やったなら、話してくれれば遊びにでも誘ったわ」
布団をかぶって本を読む妖怪くらいに思って、放っておきすぎたか。
「あれ、もしかして憐れみを向けられてる?やめてくれよ、俺はまだ希望溢れるピチピチの二十歳だよ?とにかく。これらには法則が隠されているんだよ」
椰代はわざとらしく咳払いをして、人指し指でトン、と紙を示した。
「法則っつっても、分かってるなら答えをまず教えてくれよ」
「大丈夫、関ヶ咲にも分かるはずだ」
「いや、なんの大丈夫やねん」
どうしても解かせたいらしい。
半信半疑だったが言動を見ている限り、どうやら大真面目に言っているようだ。椰代は廊下で驚かせてきても、こういう冗談は言わないやつだと入学式からの付き合いで俺は知っている。
「そうやなぁ…」
探偵サークルに入ってると言っても、ただ誘われただけで推理は苦手なんだが…。
俺は腕を組んで考えることにした。
4限に講義は取っていないから、考えるにしろ考えないにしろ無駄に時間は余っている。
まず、思いつくのはコメントが3行の場合と1行の場合の違いか。
11/15のコメントは2行に分けることもできるのに、1行で送ってきてる。となれば1行と3行の差を、意図して強調してる可能性がある。
なにかが3行の文字の中に隠されているとしたら、11/18と11/26で共通項があるか…。
「3行の文の時は”立ち寄る”が入ってる。とか?」
思いつきで言ってみたが正解らしい。
椰代は大きくうなづいて、いつ取り出したのかボールペンを左手で器用に回した。
「立ち寄るは英語でtouch land。タッチは流行ってる出会い系アプリの名前だね、このアプリを知っていれば俺たち以外にも気づく人はいるんじゃないかな」
「タッチ?このコメントがタッチに誘導してるって言うんか?」
「出会いの場にされてるって言っただろ?秘密は3行のコメントに隠されてるよ」
俺は再び紙を見た。
11/18 りく
3日ぶりです、立ち寄らせていたきました
重大な事件だけでなく小さなものも扱う姿勢に好感がもてます
理由なき犯罪が無くなりますように…それではまた^_^〃
11/26 りく
みなさん、こんにちは、また立ち寄りました
このあいだの記事は私の知らない事件でした
無理せずに、更新待ってます^_^ゝ
「誘導してるか…?」
「隠されてるけど書かれているよ」
「うーーーん」
俺は立ち寄るがtouch landと訳されることも知らなかったのだが。
タッチはアプリなら、landは…陸、りく。
「あ、りく、か」
タッチにも、りくは登録しているということか。
「そう、もうほとんど正解だしいいか。それより先は実際に検索しないと分からないし、数字自体に意味はない、安易な横読みのアクロスティックさ。3行の文の文頭の文字を数字に直す…11/18は中国語の読み、11/25はひふみ読み、で共通する数字が導けるんだ」
椰代は紙の文字をペンで囲んだ。
3、重、理由。
み、こ、無。が丸で囲われる。
待ってみたが答えを言ってくれそうにないのでスマホで調べた。対応表のようなものがヒットしたので、ありがたく利用し、照らし合わせる。
「えー、理…、理由はリューで9か。396やな、その数字が何や?」
「URLだよ」
「…おい、説明する気あるか?」
「ああ、ユーザーIDって言った方が良かったな。コメントには顔文字が入ってるよね?」
「確かにあるな、だから、なんなんや。解き明かす秘密ってのは、お前が女子の打ち込んだ文字に興奮する変態ってことか?それはもう分かってきたわ」
「そんな特殊な性癖はないってことはここで明かすよ、雑になってきたなぁ。重要なのは顔文字の末尾、3行以外の顔文字にはない〃、ゝは繰り返しっていう意味もある記号だ。IDは389389 これをタッチのユーザーページURLのID箇所に入力して検索すると、ほら、結構可愛い子っぽいよ」
「え、まじ」
椰代が向けたスマホの画面を見ると、りく、と表示されたユーザーページ、アイコンには黒髪を風に靡かせる後ろ姿が写っていた。
「顔は映ってないけどね」
「なんや、結局釣りやないか」
俺は息を吐いて、画面に食いついていた姿勢を戻した。
後ろ姿の画像なんかネットでいくらでも拾ってこれる。出会い系アプリで顔写真を使わないなんて、本気で出会いを求めていないか、釣り目的以外にないだろう。
「最初から変なやつやと思ってたけどな、男がやってんねやろ、どうせ」
「コンタクトを取らないと実際どうかは分からないよ?本当に女の人かも。多分この人は、自分が仕掛けた謎に気づいてくれる人を待ってるんだ。自分に相応しい人か試す試練のつもりなのかな?未解決事件の考察をする関ヶ咲のサイトには、他のサイトよりも推理が好きなコアな人間が集まってくるって考えて、ロマンチックじゃないか。どう?いいネタだろう」
「……」
何が受けるのかはわからないが、記事にしたところで一般人を晒す行為になりえる。
「知らんわ、手の込んだことしやがって。腹立つだけや。なんやねんこいつ」
「ブロックするのか?」
椰代の言葉に、俺はパコソンを取り出そうとする手を止めて少し冷静になり、考えてみた。勝手に出会いの場にされている不快感はあり、ブロックすることに抵抗はないと感じるが。
「人間は視覚情報に弱いから、貴重なコメントをしてくれる人が減るのは勿体無いよ」
コメントがあればあるだけ、ブログは盛り上がっていると見られる。どんな暗号が隠されていようがぱっと見は分からないし、気づくのも椰代くらいだろう。まぁ、もし出会っていても変人同士だ、俺のブログの迷惑にならない現実で気が済むまで仲良くすればいい。
そう考えると、怒りはだんだん萎んできた。
「しばらく泳がすか」
「それがいいよ。どう動くか、俺の最近一番の楽しみだ」
こんなくだらない謎が一体どう動くと言うのか。
これが一番の楽しみというのは虚しすぎる、と思う。
「期待しても、こんなん解く暇人はお前くらいやろ」
あいかわらず無駄なことに頭を使うやつだ、もっと有意義なところにその頭を使えばいいのに。
「言い切れないじゃないか、日本だけで一億数千万人いるからね。俺たちが思っているよりも暇人は多いはずだ」
「何にも起こらない、賭けてもいいな」
「自由に賭けてもいいけど、俺は賭けないよ?」
ノリの悪い椰代はしゃべり疲れたのか、おもむろにカバンから本を取り出し開いた。
やけに茶色い古い背表紙の本を、昨日も読んでいたが今日はじっくりと読んでいる、椰代が同じ本を2度読んでいるのはめずらしい。こんな謎解きをやるくらいだ、よっぽど暇なのだろう。
世界には暇人が多すぎる、俺も含めて。
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