第7話 羽鳥歩

 志真がコースから飛び出すと、ニイナが『バカ野郎!』と声を上げた。

 上空に設置されたコースから飛び出すということがどれほど危険なことなのか。

 ”シーマ”は三か月前に、身をもって知っている。


「ウル!」

「はい!」


 危険であることを知っているからこそ、”手”は打つ。

 ウルの名前を呼ぶと、ウルが立体光コースのふちに溶けていった。

 そうしてすぐに、志真のバイクの足元へと移動する。


「僕は走り続けるから、あとはいい感じによろしく」

「はい。ウルは志真様のバイクの下へ移動し続けますので、ご安心ください」


 身をもって知っているからこそ、策もなく空中に飛び出すわけがないのだ。

 ウルは立体光で出来ている。コースと同じ素材だ。

 つまり、ウルを踏み続ければ。そしてウルがバイクの速度に対応することが出来るのならば。


「僕専用のコースの出来上がりってね!」


 志真は自由自在に空を走ることが出来るわけだ。


「どうしてウルがコースになることを知っているのですか?」

「知らないよ。ただ、ウルが僕についてきてくれたってことは、策になり得る何かがあるんじゃないかって思っただけ」


 ウルの能力は未だ未知数だ。志真が把握しきれていない能力もあるだろう。

 かなりの賭けだったけれど、ウルが対応してくれてよかった。


 コースのような平べったい形状に変化したウルは、志真の走る一歩前のコースを作ってゆく。

 息が合わなければすぐにコースアウトしてしまうだろう。

 怖くないといえば嘘になるが、今はウルを信じるしかない。迷うような走りをしてはいけない。

 約百メートル先の”事件現場”まで、徐々にスピードを付けていった。


「おい、なんだあれ」

「あん?」


 異変に気付いた男たちが空を見上げた。志真とバッチリ視線が合う。

 男たちはそこそこ人相が悪く、そこそこ若く、そこそこファッションセンスがないように見えた。

 しかし、何故だか上品そうにも見えるし、なんとなく若者ではないようにも見える。

 男たちへの違和感に首を傾げつつも、次の行動を考える。違和感は置いておこう。今は気にすることではない。

 志真がスピードを上げると、男たちは驚いて数歩後ずさった。


「誰も傷つけないルートで行くから」

「承知いたしました!」


 事故を起こすつもりはない。

 志真が体重を移動すると、その軌道ピッタリにコースが曲がる。

 気持ちのいいくらいに速度も軌道も合わせてくれるので、ウルは志真の感覚を読み取っているのだろうか、と考えてしまう。

 または、お互いに思考がリンクしているか。今のところはわからないけれど。

 急な進路変更に戸惑う男たちをしり目に志真は距離を詰め、スピードに任せて男の腕を蹴飛ばした。


「痛かったらごめんね」


 女の子の腕を強く掴んでいる、その手を離せ。

 なるべく女の子に被害がいかないように、とは気をつけたが、ニイナの言う通り特別な訓練を受けているわけでもないし、こんな状況になるとも思っていない。

 やはり、と言うべきか。女の子は男の手から離れたはいいものの、諸々の衝撃により転んでしまった。

 だが志真は諦めない。

 ドリフトで急カーブを曲がると女の子目掛けて走る。

 女の子をひょいと抱えて、一気に加速した。


「なっ!?」

「オイふざけんな!!」


 そのまま立体光コースへ戻る。一直線だ。

 男たちの怒号が志真の背中から聞こえた気がするが、スピードを上げると聞こえなくなった。

 もしもの可能性として、男たちが飛び道具を持っているおそれがあった。

 出来るだけ早くこの場から去りたいという考えもあり、どんどんスピードを上げていった。

 本来の立体光コースに戻ると、ゲンとニイナが待機しており、志真の合流に合わせて並走する。


『シーマ、マズいぞ。人型がやべぇくらい生まれ始めた』

『走れる状態ではない。コースから降りよう』


 聞いたそばから足元がぐらつく。

 ぼこぼこぼこぼこ。奇妙な振動が続いている。

 先程の比じゃないほどに人型が生まれているのだ。

 進行方向には無数の人型がいる。後ろを振り返ると、そちらも人型で溢れかえっていた。

 もちろん、人型になりそこなった頭部もあちこち転がっているし、コースの不安定さも増している。


 先程までは、人型の間を縫って走れば、それなりには余裕があった。

 だが、今はない。

 危険だ。ゲンの言う通り、一刻も早くコースから降りなければいけない。

 ――いやでも、どうやって?


「ゴールすればいい」


 志真がそう言うと、二人は一瞬、ヘルメット越しにこちらを見た。

 言葉にはなっていないが志真にはわかる。

 正気か、と言いたいのだろう。


「ゴールしたら降りれるよ」


 ゴールは基本、どこかのビルの屋上に繋がっている。

 安全に降りる一番の策は、ゴールすることだ。


「メビウスのレーサーなら、ゴールできるよね?」


 出来ないとは言わせない。

 志真の言葉に、二人は溜息を吐いた。


『……はは~。シーマ様~、さすがですね~。”出来ないことがわからない”っていう典型的な天才型パワハラありがとうございます~』

「ニイナ、茶化さないで。僕たちなら出来るだろってことだよ」

『確かにな。コースから別のビルに飛ぶのもアリだが、それはそれで危険だ』

「そう。ゲンの言う通り。コースアウトは危険なんだよ」

『どの口が言うんだ』


 どうしても無理、と言うならウルに頼んで二人だけ降ろしてもらおうとも考えたが、ウルとの初対面同士で連携が取れるとは思えない。

 それはそれで、結構リスクがあるのだ。


「まぁ、僕は最初からゴールするつもりでコースに上がってるし。それに――」


 志真は下を見る。

 コース下から湧く歓声は、痛いほど届いている。


「無様なメビウスを見せたくない、っていうのもある。これ以上、ね」


 志真が落車したことで、メビウスという名に傷をつけてしまった。

 今。復活した今、この瞬間。

 今なら、挽回できるかもしれない。


「もちろん、これは僕の個人的な感情なんだけどさ」


 気力がどんどん湧いてくる。

 アドレナリンが未だにぐるぐるとまわり続けている。

 闇の臭いはもう感じない。目の調子も戻り、よく見える。


 数秒ほど、間があった。

 ニイナが溜息をついて、ヘルメットを調整する。


『クソが。あの人型ばっかのクソコースを数キロ走れってか』

『だがシーマの言う通り、一番安全なのはゴールすることだ。やるしかないな』


 二人は納得してくれたようだ。

 というよりも、志真のワガママに付き合ってくれるようだ。

 ありがたい。改めて、最高のチームメイトだと感じる。


 志真の後に続いて、二人も徐々にスピードを上げ始めた。

 エンジン音がより大きく響き渡る。

 志真は息をひとつ吐いて、目を瞑る。そうしてゆっくりと目をあけてから、コースを見据えた。


 瞬間、周囲がスローモーションのようにゆっくりと見える。

 予測しろ。どこに人型が生まれるのか。

 コースと呼吸を合わせろ。一体化しろ。コースの意思を取り込め。先程、ウルが志真にそうしたように。


「――見えた」


 人型が生まれるであろう場所に、微かにノイズが走っている。

 ノイズが走ってから数秒経った後、その部分はぼこぼこと波打ち始める。波打ち始めは誰にでもわかる、人型が生まれるタイミングだ。

 ということは、波打つ前――ノイズが現れてから一定時間は、完全に走れる状態なわけだ。


「なるほどね」


 人型の現在の位置と、ノイズの場所がわかればいい。

 それさえわかれば、ゴールまで走れる。


「一列で。僕のあとについて。ちぎれないでね」


 ヘルメットを調節する。グリップをまわす。前方のタイミングをうかがう。

 人型の動きと、コースのノイズ位置を見逃してはならない。


「――行くよ!」


 一気にスピードを出す。最大速度だ。

 腹に力を入れて風の抵抗に耐えつつ、ゴールを目指した。

 爆速で通り過ぎると、人型が放つ立体光の光が目の端にうつり、速攻で視界から消えていく。

 ゴールのチェッカーラインがみるみる近くなる。ああもう、これだ――


「僕がトップだ」


 その瞬間、立体光が大きく光った。

 チェッカーラインを超えると、スローモーションだった世界が一気に元の速さに戻ってゆく。

 それに伴い、周囲の音もよく聞こえるようになった。

 ゴール先のビル屋上に移り、後ろを振り返ると――

 祭りのざわめきと、コースを見つめる観客の声とが混ざり合った、最高の歓声を浴びた。

 思わず、力が抜けそうになる。


『”アルティメット・ヘル”、初ゴールを制したのは我らメビウスってな。無効試合だから意味ねぇんだろうけど』

「アルティメット? なにそれ?」

『このコースの名前だ。覚えとけ、テストに出るぞ』


 志真のあとを追ってゴールした二人が、観客に手を振っている。


 志真は二人の姿を眺めつつ、コースの全貌を見た。

 先程の人型のせいで変形しきったコースが、とうとう限界を迎えたようだ。

 アルミホイルのようにくしゃくしゃに縮んでいく。

 そうして、また再び大きな光を発しながら、爆発。破片は街全体に消えていった。

 キラキラと、まるでシーマ復活の演出かのように。


 無効試合になってしまったようだが、志真は走ることが出来たし、観客に復活を知らせることが出来た。

 今日のところは満足した。今回はこれでいいではないか、と達成感に満たされる


 割れんばかりの歓声に背を向けて、志真たちは屋上を後にする。


「ねぇ。降ろしてくれない?」


 そこで、声がした。

 レースに夢中になりすぎて、片腕に抱えていた女の子を忘れていた。

 恐らく、ゲンとニイナも忘れていた。


「あ、ごめん。つい――」

「いいわ。助けてくれてありがとう、皇志真」


 本名を呼ばれ、ぴくりと反応してしまう。

 女の子を降ろすと、彼女は服のしわを戻しつつこちらに向き直った。

 顎くらいまでの髪が屋上の強風にあおられ、ふわりと舞った。


「三ヶ月くらいかしら。ずっと学校に来てないみたいだったから心配したわ。病気って聞いてたけど、治ったの?」


 視線が合う。


「え、待って」


 志真はこの声を知っている。

 そして、姿も顔も、全部知っている。


「羽鳥財閥の娘を助けてくれて、ありがとう」

「羽鳥歩――」


 志真と同い年の、超絶金持ちのお嬢様。

 何もかもを持っている、誰もが羨む美少女――羽鳥歩がにこりと笑っていた。



◆◆◆



 さて、一体何から話せばいいのだろうか。

 ゲンのスポーツバー『メビウス・ロック』に、志真やメビウスの主要メンバー、そして羽鳥歩を店内に入れた――というか避難させたはいいものの、全員が全員、状況をよく理解できていなかった。

 そのため、積極的に口を開こうとする者はおらず、ソファに座ったまま沈黙が続いていた。

 バー独特のファンキーな雰囲気にはそぐわない、重苦しい空気が漂っている。

 話題を一番先に吹っかけるのは、誰だ。

 様子をうかがっていると、店奥から出てきたゲンが、全員の飲み物をテーブルに置いた。


「シーマ。お前、回復した……ん、だよな?」


 一瞬何のことかわからなかったが、すぐに目のことだと理解する。


「うん。した」


 ――けど、経緯を信じてもらえるのだろうか?

 ……今さらだけれど。


「お前、レース中に未来のナンタラカンタラに治してもらったとか言ってなかったか?」

「言った」


 あの時はレースの高揚感で色々と言ってしまったが、事実とはいえ嘘をついているような感覚になる。

 志真は出来る限り詳しく事の経緯を離した。

 今日の朝、突然ウルがやってきたこと。目を治してもらったこと。テンマが合流したこと。ユウキが家に突っ込んできたこと。

 何故だか話がわかるテンマのフォローもあってそれなりに上手く説明できたとは思う。……にわかには信じがたい話であることには代わりはないが。


「それは、信じなければ話が進まないやつなのか」

「そうなんだよ。ゲン」


 騙されたと思って信じてほしい。


「俺が合流してからのことは全部あってるっすよ。あと、シーマさんの心理的なアレを考えても、納得できるかと」

「心理的なアレってなんだ」

「あれだけスカイバイクに狂ってたのに、レースから離れなきゃいけなくなったのは、目のせいっす。目の病気は原因不明で回復見込みないってのは、俺たちみんな知ってるでしょう? それが治った。レースにも復帰した。なら、話を信じるしかないじゃないっすか。それにウルはユウキのことも治してます。俺の目の前で。皮膚も骨も、全部治ってた。傷跡も綺麗に消えてるんすよ」


 証人が増えると信頼度も上がる。ありがたい。

 ゲンは未だに信じられない、と言いたそうに眉間にしわを寄せているが、ユウキの


「物事を受け入れづらいって感じたら、老化の始まりだよ」


 という言葉にダメージを食らったようで、渋々頷くのだった。

 ユウキは悪気なく放ったのだろうが、年上には刺さるようだ。

 ……ゲンはまだ二十代なのだが、そこまで刺さる言葉だろうか。その歳に近づかなければわからないことなのかもしれない。


「そのウルというやつは今もいるのか?」

「いるよ」


 志真がウルを呼ぶと、ウルは簡単に姿を現した。

 青い半透明の微妙に可愛らしい球体に、ゲンとニイナが驚く。


「ウルと申します。志真様がいつもお世話になっておりますなのです」

「え、ああ。いや、こちらこそ……?」


 志真は保護者面するウルを無視して、ゲンが用意した飲み物を口に含む。

 しばらく会話をさせておけば、信じてもらえるだろう。

 志真があれこれ説明するよりも、実際に触れたほうが話は早いのだ。


「皇志真」


 別の方向から名前を呼ばれる。

 振り向くと、羽鳥歩がこちらを見ていた。


「悪いけど、僕の名前はソレじゃない」

「……レース中じゃないのに、貴方はシーマなの?」

「スカイバイク仲間がいるところでは、僕はシーマなんだ。皇志真なんて人間はいない」


 自分でも面倒くさいことを言っている自覚はあるが、この場で本名を呼ばれたくない。

 羽鳥はひとつ頷いてから、


「わかったわ。シーマ」


 と言った。


「あとさ、僕がレーサーやってること、まわりに話さないでほしい」

「ええ、言わない。というよりも、私はただ、お礼が言いたかっただけなの。深く関わるつもりはないから、安心して」


 羽鳥はまっすぐに志真を見据え、


「改めて。助けてくれてありがとう」


 と言った。

 ……羽鳥歩はこういうやつだったか? という疑問が志真の頭に残る。

 ロクに学校に行っていないので、羽鳥とのかかわりは薄かった。

 その状態で偉そうに語れる立場ではないとはわかっているが、でもなんとなく、ひっかかる。


「別に」


 まぁ、どうでもいいのだけれど。勘違いかもしれないし。

 学校なんて、羽鳥なんて。

 志真にとってはどうでもいいい。


「今度、お礼を――」

「いらない。もう貰ったから」


 首をかしげる羽鳥に、志真は言う。


「さっきのレースで、僕は人助けと大復活っていう、最高のアピールが出来た。それだけでもう充分」


 言い方は悪いが、羽鳥はいい働きをしてくれた。”シーマの復活”のための、最高の役を演じてくれた。

 むしろ感謝を申し上げてお礼をしなければいけないのは志真のほうだ。言わないけれど。

 ”シーマ”は「助けた側」で、「礼を言われる側」でなくてはならない。だってシーマは最高のレーサーで、みんなが憧れるヒーローなのだから。

 これがスカイバイクバカで、スカイバイク狂のシーマの考えだ。

 志真の言いたいことを理解したのかはわからないが、羽鳥は


「さっさと死ねばいいのに」


 と笑顔で言い放ったのだった。

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