第6話 闇のにおい

 バイクから伝わってくるエンジンの振動が心地よい。

 高揚感がら心臓が脈打つ。頭の中がクリアになり、感覚が研ぎ澄まされてゆく。

 即席の「道」の切れ目から勢いよく空へ飛ぶと、浮遊感が全身を包んだ。


 生きている。

 またこの世界に、戻って来れた。


 着地の振動すら愛おしい。

 言いようもない感情に胸がいっぱいになる。

 視力を失いお先真っ暗だった人生が、再び走り始めた。

 愛車のエンジン音を一番近くで聞きながら、志真は立体光コースを走る。


「こちら、永久欠番”だった”絶対的エース、バイクナンバー1番のシーマですどうぞー」


 とりあえず内蔵マイクで、メビウスのライダーに向けてふざけたことを言ってみる。

 しかし、何も返ってこなかった。

 ユウキのヘルメットから音声を飛ばしているので、ユウキが変な悪戯をした、または、頭がおかしくなってしまったと思われたのかもしれない。

 無効試合だからとさっさとコースを降り、ヘルメットを外している可能性もなくはない。だがなんとなく、スカイライダーたちはまだ走っている気がしたのだ。

 志真以外にもスカイバイクバカはたくさんいる。もちろんメビウスの中にも。

 そいつらバカどもは、たとえ無効試合とわかったとしても、出来る限りコース上に居たがるやつばかりだ。本当に、どうしようもない連中だ。


「聞こえてる? まだコースにいるなら走ろうよ。目が見えるようになったばかりだから、感覚取り戻したいんだよね」


 志真は声を掛け続けたが、なかなか返事がない。一体どうした。返事をしろ。

 そこまで内心突っ込んでから、今日のレースメンバーを聞いていなかった、ということに気付いた。

 聞いてはいないが、一軍の面々が出場していない、ということはないだろう。

 志真は一軍のスピードレーサーとして長年活躍し続けていた。

 なので、音声を飛ばせば誰かしら顔見知りが対応してくれると思ったのだ。

 しばらく音を返さなかったヘルメットが、やっとのこと声を受信したのはしばらくしてからだった。


『あのねユウキ君。世の中にはね、言っていいことと悪いことがあるんだよ。死者を弄んじゃいけないんだよ。クラッシュしたあとコース戻ってきたことは偉いけど、その発言はヨクナイヨ』


 という、諭すような、ふざけたような言葉が返ってきた。

 声色でわかる。ニイナだ。

 あと、誰が死者だ。

 ライダーとしては一度死んだかもしれないが、不適切な発言ですよ。普通に傷つくのでやめてほしい。


「あのさ。僕、未来から来た医療用AIみたいなのに目を治してもらったんだよね」

『ユウキ、何を言ってるんだ。戻ったのならレースに集中しろ』


 ゲンの声も聞こえる。

 ゲンもニイナも一軍でバリバリ走っていた仲間で、現メビウス発足前から互いに知っている。

 今日は運がいい。志真にツキが向いてきている。


「二人とも、シーマ復活に居合わせるだなんてさ。僕もついてるけど、君たちもついてるよね」


 話が早く進む相手が走ってくれて助かった。

 志真はさらに機嫌がよくなるのだった。


 ゲンとニイナは志真の復活を知らないし、復活するとも思っていない。

 ユウキが声真似をしていると思っているようだ。

 本人と違いがわからないくらいに似ている声真似なんて、まずは疑ってかかれよ、とは思うが、息子を装った電話で金を巻き上げられる時代だ。意外とわからないのかもしれない。


 志真はバイクを走らせながら、あたりを見渡す。

 元々視力はいいので、遠くの方まで見渡すことが出来た。昼ということでさらに見やすかった。

 遠方にはメビウスと対戦していたと思しきチームのバイクが見える。ゆっくり、とろとろ、走りづらそうに運転しているのが見えた。


「あ、いた」


 前方、数百メートル先にメビウスのバイクを二台見つける。

 ヘルメットの位置情報で確認する。ゲンとニイナで間違いないようだ。

 二人に近づこうとして速度を上げると、進行方向の下――つまりコースから、もこもことした”何か”が現れようとしていた。

 窓から見た、人の形をした、何かだった。

 これを人間だと思いたくないので、ひとまず「人型」と呼ぶことにする。


「あのさ、人型が出るエリアってどこ?」

『エリアは関係ねぇ。どこからでもポンポン出てくるぞ、って……お前は知ってるだろ。それでぶっ飛んだんだから。立体光で出来てるから、間違っても体当たりとかすんなよ。遅いかもしんねぇけど』

『こんな事故に繋がりかねないコース、さっさと降りるべきだというのはわかってるんだがな。どうしても血が騒いでかなわん……』

「ということは、やっぱり無効試合になったんだ」


 それは残念。

 試合が続いていると思いたかったが仕方がない。

 また次の機会に走るとしよう。


「ねぇ、バグの原因って――うわ!」


 いきなりコースから球体のようなものが現れこちらに向かって来たので、なんとか避ける。

 球体――人型になり損なった頭部のようなものがたまに飛んでくる。

 それもまた、バグなのだろう。


 ゲンとニイナに話を聞く限り、立体光コースから人型や球体が出てくるバグが起きており、無効試合になった。……と、いうことで間違いないようだ。

 なのに二人は無効試合になってもまだ走っている。

 志真はテクニックレーサーではないので、障害物競走のように避けながら走るのは上手くはない。

 二人に詳しい話を聞きながら、合流すべく後を追った。


『コースのシステムと仕掛けは止まってる状態だ。原因を探るためにコース自体はまだ起動させてる。メビウスの被害はユウキ(お前)とあと二人ってとこだ』

「なるほどね」


 ニイナの報告をふむふむと聞きながら、志真は楽しくコースを走り続けた。

 無効試合ということは本当に、コース上を走っているのはバカしかいないというわけだ。


 会話を続けている間も、コースから人型が生まれ続けている。

 人型は生まれてから数分程度で動きを止め、消える。そうしてまた、新たな人型が生まれる。この繰り返しのようだ。

 そして頭部だけしか生成されなかった悲しき人型は、待てど暮らせど生成されない首から下を待ちきれず、コースへ戻ってゆく。


「さすがバグ。最初から最後までわけがわからない」

「元々は大きな人間の形をした何かが仕掛けとして出るはずだったらしいから、それがバグったんじゃね? ……っていうオレの見解」

「ふぅん。そうなんだ。全貌が楽しみだね」


 人型は何かをするわけではなく、生まれ出てからウロウロと動き回っているだけだ。

 前を通過しても攻撃してくるわけではないらしい。

 ただ急にコースに現れるせいで、レーサーは衝突してしまったり、避けようとしてコースアウトしてしまうようだ。

 一体どうなっているのだろうか。このようなバグは初めてだった。

 しばらく走りながら人型についての観察をしていると、上空を眺めていた観客の「あれシーマじゃね?」という声が聞こえる。

 傍にいた人々がつられてコースを見たようで、先程より視線が集まっていることに気が付いた。

 久しぶりの見られている感覚。暗い生活を送っていたこともあり、妙にドキドキするではないか。

 けれど、これが引退する前には普通の光景だったのだ、と思うと、なんだか感慨深いものがある。


「ん?」


 だが、何かが違う。

 観客の視線に混じる、闇の成分。不穏な空気。

 目を患ったときと同じような、どうしようもなく暗い闇の臭いをどこかに感じる。


「なんか、雰囲気変じゃない?」


 まさかもう目を患うことはあるまい。

 ……だとしたら、この闇が迫ってくるような気色の悪さと、形容しがたい臭いはなんだ?


『雰囲? 俺はなにも感じないぞ』

「なんか、変な視線を感じる」

『なんだそれ? ”見て”やろうか?』


 ニイナは”基本的には”テクニックレーサーだ。ヘルメットも自分用に改造されている。

 全方位を見ることのできる特殊なカメラを内蔵しているので、志真やユウキのヘルメットよりももっと周囲を見渡すことが出来るのだ。


「それはありがたいけど――」


 たぶん、落ち着いて走れる状態ではない。

 コースはグラグラと揺れているし、今にも発光が終わりそうな気がして、少々怖い。

 そんなことを思っていると、背後のコースが大きく爆散してしまった。


『――マジか……。なんか、避けてりゃいいってもんじゃないっぽいな』

『だが、その視線ってやつは気になる。悪影響を及ぼしてる可能性もなくはない』


 爆散した立体光は、再び元の位置に戻って光り始めた。それはいいのだが……。

 爆散中はコースにぽっかりと穴が開いた状態が続く。間違ってその部分を通ってしまうと真っ逆さまに落ちてしまうだろう。まさに虫食い状態だ。

 自身の足元が爆散してしまったらどうしよう。

 ゾッとしながら、志真は周囲を見渡した。


「視線はたぶん、北側らへんから。広域で申し訳ないけど」

『お前んとこから北っつったら、でけぇ駐車場しかねーけど。そこか?』

「たぶん。ズームできない? ユウキのヘルメットだから勝手がわからないんだよね」

『自分のヘルメットの操作がわからんってどういう事よ』


 まだユウキだと思ってるのか。いい加減に気付け、バカめ。


『ちょっと待ってろ』


 ゲンとニイナがスピードを落とした。

 その隙にスピードを上げた志真は、二人の横につける。


「胸騒ぎもするんだ。二人も感じない?」


 面倒なのでヘルメットを脱いでやる。

 すると、ニイナが声の方――つまりこちらを振り向き、


「は!?」


 と言った。気持ちはよくわかる。

 ニイナは自身のヘルメットを脱ぎ、裸眼で志真の顔をまじまじと見る。


「ごめんね。生き返っちゃって」


 先程死者扱いした報いはいつか受けてもらうからな。

 嫌味全開で言ってみるが、ニイナは志真の顔をまじまじと見るだけで、嫌味は全て聞き流してしまったようだった。


「なんで?」

「なんでって、何が?」

「シーマ、お前……目は?」


 同じくヘルメットを脱いだゲンが言う。

 驚きすぎて真顔になっているのがどうにもおかしかった。


 ヘルメットを脱いだことで、観客はどんどんシーマを認知していった。

 手を振られたのでにっこりと振り返すと、我に返った二人も作り笑顔で手を振り始める。

 認知は大事。ファンサービスも大事。

 商魂たくましいゲンから何度も聞かされてきたこともあり、メビウスのレーサーは反射的にファンサービスが出来るまでになったのだ。


「ねぇ。駐車場、どうなの?」

「いや、お前どうしたの?」

「駐車場のことが先でしょ」

「お前のことが先だろぉ!?」


 ニイナ君ニイナ君、サービスサービス。

 あとでちゃんと答えるから。コースアウトして消えたユウキのことも、全部。

 ニイナは観客向けの笑顔をつくるのが難しくなったようで、再びヘルメットをかぶった。誤魔化すつもりらしい。


『……北側駐車場。祭りのせいかいつもより混んでる。黒いバンが一台。ナンバープレートなし。怪しいのはこれくらいしかねーけど。あ、あと、バンの周りに、服が絶妙にダサい男が数名。キョロキョロしてる』

「なにか探してキョロキョロしてる感じ?」

『いや、そういうんじゃねぇな。人目を気にしてる感じに見える』


 サイレンを鳴らしたパトカーが何台も通り過ぎてゆくのが見えた。

 やはり、何かが起きている。

 志真はパトカーが走っていった方向の監視カメラをハックする。パトカーはどうやら工業地域に向かっているようだ。

 祭り、何故か開催されたスカイバイクレース、怪しい車とパトカー。

 他人事としてとらえていいのならば、なかなかに面白い組み合わせだな、とは思う。

 問題は他人事でないことくらいだ。


『おっ。……あれは、マズいんじゃね?』


 駐車場を見ていたニイナが言う。


『車の中から女の子が出てきた』

「なんで?」

『知らねーよ。でも楽しくドライブってわけではなさそうだ。腕を縛られてる』

『犯罪か? 俺たちで助けることは出来ないか』


 ゲンの言葉に、志真はぐるりと全体を見渡した。

 街全体に張り巡らされたスカイバイクコース。駐車場に一番近づける場所――コースの最北端は、どこだ。

 ニイナも同じことを思っていたようで、コース上で急カーブ、くるりと180度回転した。


『ついてこい。アシストしてやる』


 さすがニイナだ。コースの特徴を掴んでいるらしい。

 志真とゲンはニイナの後を走ることにした。

 ニイナの後を追いながら、どんどんスピードを上げてゆく。

 レース中には禁止事項のショートカットも今は関係ない。だって無効試合なのだから。

 出来るだけスピードを落とさずコースからコースへ飛び移る。そして人型も避けるという荒技を何度もやってのける。


「あぁ……こういうの求めてた」


 浮遊感と、ヒヤリとしてしまうほどの危機感がたまらない。

 もっともっと、スピードを上げてしまいそうになる。


『シーマ、調子こいてスピード出すんじゃねぇぞ。バグってんだから落ちたら普通に死ぬからな。助けてもらえると思うな』

「はーい」


 これ以上悦に入ると、本格的に怒られそうなので、黙ることにした。


『見えてきたぞ』


 駐車場が近づいてきた。

 複合施設の駐車場。沢山の車の中に、黒いバンを見つける。そうして、その周辺に男たちも。


 男たちを見た瞬間。ぞわり、と背中に冷たいものが走った。

 そうして、チカチカ、と、志真の目が一瞬、暗くなった。すぐに戻りはしたが、あの日の絶望を呼び起こすには十分だった。


 ウルは言った。

 未来の人間――ウルの主人が志真に干渉してる、と。

 だから志真は視力を奪われた。


 ――おかしい。考えてみると、全てがおかしい。

 レース時間が変更になったのも、コースから人型が現れたのも。

 駐車場に近づくほど闇の臭いが強くなり、目の調子が悪くなるのも。全てがおかしい。


 そう思考が至ると、答え合わせのように背後のコースが再び爆散する。


「なるほど。今も干渉してるってわけね……」


 志真や、志真の周りに干渉している。だから”感じる”ことが出来るわけだ。

 ”ヤツ”が志真から人生を奪いたくて行っていることなら、答えは簡単だ。

 志真はその計画を破滅させればいい。

 つまり――


「出てこい、ウル!」


 駐車場の男たちの邪魔をすればいい。


「お呼びなのですか。志真様」


 ヘルメットにウルのどアップが映し出された。やっぱりついてきていたか。

 志真はスピードを上げる。


「二人とも、後ろについて!」


 先を走っていたニイナを追い越し、さらに加速。

 多分二人ならついてきてくれるだろう。”シーマ様の超加速”に。


「今から、女の子を助ける」

『いや、助けるってどうやんだよ。俺たち特殊な訓練受けてるわけじゃねーだろ』

「別に戦えって言ってるわけじゃない。奪って逃げる、それだけ」

『奪うって……? 女の子を? あいつらから?』

「そういうこと。簡単でしょ」


 つべこべ言うな。

 そろそろコース最北端だ。充分に助走距離をとってから、さらに加速する。

 久しぶりのスピード感。アドレナリンで頭がおかしくなりそうだ。


「未来なんか、クソくらえなんだよ!」


 コースから飛び出す。

 志真は未来に、宣戦布告をした。

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