第2章 45話 理由
鏡に向かってクロエはありとあらゆる表情を浮かべた。作り物っぽい笑顔にふてくされた顔、ぷんすか怒ってみたり、泣きそうになったり、最終的には喝を入れて鏡を伏せた。思い切りドアを開けて部屋を出て、どたどたと階段を降りていった。キッチンに着くと食卓に夕食はできていて、キャロラインが椅子に座って神に祈っているところだった。
階段を降りる音に気づいていたのだろう。クロエが入ってくるとキャロラインは悲しみを含んだ穏やかな表情で「ごめんね」と呟いた。クロエは緑色の瞳を見開いて、勢いよくキャロラインに詰め寄って声を荒げた。
「おばあさま!どうして私をだましていたの?」
キャロラインはその勢いに驚いて言葉に詰まった。
「お父さまが亡くなっていることを私に隠し続けたことに罪悪感はなかったの!?」
クロエの不満は怒声になっていた。十分な力強さを含んでいた。しかし体は震えていた。
「さあ!いいわけしてちょうだい!大泥棒のように
クロエは両手でキャロラインの肩を強くつかんで問い詰めた。キャロラインはクロエの目が真っ赤に変色しているのを見て、手もひどく震えていることを感じ取って、苦痛の表情を歪めながら、小さく唇を動かした。
「ごめんなさいという言葉じゃ足りないわね。でもごめんなさいという言葉しか知らないわ」
「違う!そんな言葉じゃない!私が欲しいのは謝罪の言葉じゃない!正当性よ!どうしておばあさまが私をだまさなければならなかったのか、納得するだけの理由が欲しいのよ!おばあさま、あなた自分の言い分も主張せず、謝罪するだけではアンフェアだわ!おばあさまには自分の正当性を主張する権利があるはずよ!ねえ、おばあさまが知っているすべての言葉を洗いざらい使って正当性を主張してみせて!私を納得させてみてよ!」
クロエは瞳に涙をいっぱい浮かべて、肩をつかんでいた手を離してその場にしゃがみこんだ。腕に顔を深くうずめた。キャロラインはクロエの放つ言葉にハッとして、少し考えてから言葉を選んで話し始めた。
「アルバートが行方不明になった知らせがきた日は、ちょうどあなたがシャルロットと大げんかをした日だったの。あなたはずっと大泣きしてシャルロットの不満ばかり言っていたでしょう?ただでさえ情緒不安定だったから、アルバートの事故のことを伝えられなかったのよ。これまでに何度かシャルロットとケンカしていたときは数日後には仲直りしていたじゃない?だからそのときも思ったのよ、数日後には元気になるって。でもあのときのケンカは違ったわ。1週間経っても2週間経っても仲違いしたまま……私はいつまでもアルバートのことを切り出せなかった。
そんなある日、あなたこう言ったのを覚えている?『今月はお父さまからの手紙が遅いわ。私はシャルロットに見捨てられてお父さまからも見捨てられたの?』って。私はショックで倒れそうになったわ。たった1人残った大切な孫娘をこれ以上絶望させたくないって強く思ったの。そこで偽の手紙を書くことを思いついた。少しでもクロエに元気になってもらいたくて必死の思いだったの……罪悪感は後からやってきたわ」
クロエは息をのんだ。なんとなく想像はついていた。キャロラインは彼女なりにクロエのことを気づかって嘘をついたのだ。それがひどく自己中心的なことだとも気づけないほど追い込まれて。しかしすぐには納得できずに、不満もわきあがってきた。
「……どうして半年もだまし続けたの?お父さまの事故はとても重大なことよ。安易に隠し通せることでもないわ。罪悪感があったなら、どうして半年間も偽の手紙を書き続けることができたの!?普通は耐えられないはずよ!!」
クロエはトゲのある言葉をキャロラインにぶつけた。祖母の瞳をにらんで視線を離さなかった。キャロラインは涙を流してそっと首を横に振った。
「ええ……罪悪感に押しつぶされそうだったわ……ずっと黙っていたのは私の都合なんでしょうね……嘘って、どんどん重たくなるものなのね。時間が経つごとに罪悪感は積もり積もって真実を話しづらくなっていったわ。真実を話せば、私の心が壊れてしまうと思ったの……最初に話さなかったのも私の都合だったのでしょうけど……」
キャロラインは涙を見せながらもクロエの瞳を見つめていたが、ときどき視線を泳がせていた。それでも気丈に振る舞おうとして言葉を続けた。
「最初に嘘をついてしまうと取り返しがつかなくなるのね……それでもクロエに元気でいてもらえればいいと思った。そう自分に言い聞かせて自分の行動を正当化しようとしていたわ。罪悪感が化け物のように大きくなっていたから……でもそれだけでもないの……嘘の手紙を書き続けているうちに私もアルバートの死を受け入れたくなくなってきちゃったのよ……」
キャロラインはそう言ってクロエの髪に触れた。クロエはビクッとして体をのけぞらせ、キャロラインから離れようとした。しかし、キャロラインは椅子から降りて、しゃがんでいるクロエを思いっきり抱きしめた。クロエは体を反り返らせたが、キャロラインに抱きしめられることは慣れていた。懐かしい安心感とまだ納得してない気持ちと、ハグでその場を上手く丸め込もうとしているような、ずるさに対する苛立ちで頭は混乱した。しかし、キャロラインの体と声が大きく震え始めたので、クロエはじっと動けなかった。
「みんな……!みんな!!私の前から居なくなってしまうの……私の母は私が幼い頃に病気で亡くなったわ……!父はすぐに再婚して新しくできた妹たちとはうまく溶け込めずに孤立した!父は私を変わらずに愛してくれていたけれど、私が成人する前にやっぱり病気で亡くなった……それから私は孤独でしかたなかった!それから随分時間が経って、ようやく愛する人に出会った!でも!私の夫は結婚してたったの2年で馬車の事故で死んだわ!お腹の中に赤ちゃんができてすぐのことよ……!
私は死ぬ気になってその赤ちゃんを1人で育て上げたわ!!今まで中流家庭で働くことなく育ってきた私がたった1人で仕事を探しまわって……息子が無事に育って、優しい奥さんを見つけて孫まで生まれて……思えばこの短い時間が1番幸せだったわ……でもミッシェルが病気で亡くなってまた悲しみに襲われた!!それから今度は最愛の息子、アルバートまで……!!私にはもう耐えられないわ……手紙を書いているときだけはね……息子が生きているような気がしたの……遠くで元気にやっているような気が……クロエがアルバートの手紙の話をしているとき……ああ、やっぱり息子は生きてるんだわって……ごめんなさい……罪悪感と一緒に少し、幸せも感じていたの……」
キャロラインはクロエの細い肩にしがみついて涙を流した。クロエはキャロラインが自分以上にやせ細って小さくなってしまったことに気づいた。頼りになる祖母が今は弱々しい老婆に見えた。そして、いつまでも自分が幼い少女でいてはいけないと思った。
「……現実が辛いとき、空想の世界に逃げたくなる気持ちはわかるわ……私もそうだもの」
その言葉を聞いて、キャロラインはあらためて大粒の涙を流した。クロエはこのとき初めて自分がキャロラインに似ていることを感じとった。そして大人を完璧なものだと思い込みすぎていたことを知った。キャロラインは嗚咽混じりになって言った。
「ごめんなさいね……私が現実を受け止めきれなかったの……怖くて怖くてしかたなかった……アルバートが死んだなんて……考えたくなかったわ!だって!ただの行方不明でしょう?……それなら……どこかからひょっこり現れるかもしれないわ?ねえ、そうでしょう!?」
キャロラインの腕の力がますます弱まり、彼女は声を上げて泣き始めた。クロエはまだ混乱していたが、クロエが祖母に泣きつく度に優しく抱きしめ返してくれたことを思い出して、そっとキャロラインの肩を抱いた。
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