第2章 6話 懲りないクロエ

 翌々日、クロエは水色のワンピースを着て、淡い色の髪をおさげに結い、さらにお気に入りのリボンをつけた姿でシャルロットの家にやってきた。小さくコホンと咳をしてから、かしこまって家の呼び鈴を鳴らす。


 玄関の近くで待っていたシャルロットはすぐに扉を開けてクロエを迎えた。そのときクロエはワクワクを隠せないほど不自然に笑っていたのだが、シャルロットはそれには気づかなかった。


 彼女の目に止まったのはクロエの服装だ。このワンピースはクロエが持っている服の中ではとびっきりお気に入りだということをシャルロットは知っていた。


 クロエは特別な日にしかこの服を着ない。だから、シャルロットは今日は何か素敵なことがあるのかもしれないと胸をときめかせてクロエを部屋に通した。


「ねえ、シャルロット。私、またあのお屋敷に行きたいの」


が、クロエがシャルロットの予想を裏切るのは日常茶飯事だった。シャルロットは特別に用意した、大好きなダージリンティーをテーブルにぶちまけることになった。


 慌てて布巾でテーブルを拭くシャルロットを、いたずらっ子の目で眺めながらクロエが言う。


「私どうしても、もう一度親友に会いたくなったの」


 クロエの笑顔がシャルロットの端正な顔を歪ませた。怖い思いをしたのはたった2日前だというのに、どうしてまたこんなことを。シャルロットに恐怖が蘇り、恐怖は苛立ちに取って代わった。


「クロエ、あんたリビングデッドを恐れてたじゃない。私は二度とあの屋敷には行きたくないわ!」


 シャルロットは布巾をテーブルの中央に置いて、ふんと鼻を鳴らした。


「シャルロット。冷静に考えて。おととい出会ったのはリビングデッドではないわ。昨日町の図書館に行ってリビングデッドの文献を10冊ほど読んだのだけど」


「昨日1日で10冊も読んだの!?」


 シャルロットの声が部屋中に響き渡ったので、彼女の両親が様子を見に入ってくるかもしれない。


「ええ、10冊、もしくは9冊か、8冊、6冊かもしれないけれど、読んだの。そしたらとても喜ばしいことに……いいえ、これを喜ばしいと言ってはダメね、とても残念なことに、ほとんどの文献に、リビングデッドは伝説上の存在だと書かれていたわ。


 昔、アフリカ大陸に存在したと書いてある文献もあったけれど、ここはヨーロッパよ。かつてヨーロッパにリビングデッドが存在したことはなかったわ!フィクションの中だけなのよ。リビングデッドが腐った足で階段を登れないとも書いてなかったけれど。一昨日見たものはリビングデッドではないはずよ。ここが物語の中でなければね」


「じゃあ私たちが見たあれは何だと言うの!?」


 シャルロットはまだ声を荒らげている。そのあとで自分を落ち着かせるために大きく息を吐いた。


「おちついて、シャルロット」


「おちついてるわよ!」


 シャルロットは椅子にふんぞり返って早口で答えた。彼女は自分の鼓動が速く打つのを感じた。この焦りが正体不明なものへの恐怖からきていることはわかっていた。それが余計に腹立たしい。一方のクロエはしんみりとしていた。


「やっぱり怖いかしら?」


「こ、怖がってなんかないわ!」


 シャルロットは反射的にテーブルにバンっと手をついて立ち上がった。しかし、その後が続かない。クロエも何も言わない。仕方がないので、ゆっくりと椅子に座り直した。


「つまり、クロエはおととい出会ったのはリビングデッドではないと言いたいのね。だから怖がらなくていいと。おまけにこれからまたロボットに会いに行きたいと……」


 冷静を装おうとしてティーカップを口元へ運んだ。しかし中には紅茶はほとんど残っていない。


「そうよ、その通りだわシャルロット。あなたって物わかりがいいのね。私、先日出会ったロボットに運命を感じてしまったの。あの子のことを考えていたらわくわくが溢れて夢が叶いそうよ!目が冴えて眠れないわ……そう、まるで恋のよう。私、まだ恋なんてしたことないけれど。ねえ、こんなに素敵なことがあって?」


 クロエはシャルロットの方を見ていない。うっとりと自分の世界に浸ってしまった。こうなると彼女の行く手を止められる者はいない。頭に昇った熱が冷めてきたシャルロットはもう一度大きく息を吐いた。


「……まあ、確かに冷静に考えてみれば、リビングデッドなんて存在しないわね。私もあれは別のもの……たぶん人だったと思うわ」


 自分に言い聞かせるように呟いた。


「クロエ、またあんたのペースね。少しは付き合うほうの気持ちも理解してほしいわ。あんたに合わせるのって結構疲れるのよ」


 その後の台詞は棒読みになった。飲みほす必要のなかった紅茶のカップをテーブルに置いて、引きつった笑顔を作った。途端にクロエは身を乗り出し早口で答える。


「きゃー!シャルロット!!つまり、いいのね!そういうことなのね!!」


 クロエは緑の瞳をエメラルドのように輝かせて叫んだ。それからシャルロットの肩をばんばん叩いた。シャルロットはティーカップをテーブルに置いていたのが幸いし、何も落とすことなく、ただ口をぽかんと開けるだけですんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る