第1章 23話 手紙

 それから2時間ほど時がすぎたころにリチャードは帰宅した。


「おお、美しすぎる我が妻キャロラインよ!しばしの別れがどれほど辛かったことか!」


 リチャードは玄関先でキャロラインを抱きしめてキスをした。


「まあ、私よりおすきなお酒と一緒にいて本当にさびしかったのかしら?」


 キャロラインはいたずらっぽい笑顔でリチャードを見た。


「いやいや、君に会えないさびしさを思えば酒に逃げたくもなるというもの。神もお許しくださるさ!」


 リチャードは目を泳がせて言い訳をした。


「そうね。あんなにかわいいお友達が遊びにいらっしゃったのに会えないなんて本当にさびしいでしょうね」


 キャロラインは上目づかいでリチャードを見つめる。


「むっ、かわいいお友達?誰だそれは?最愛なるキャロラインがそばにいて他の誰かに気移りなんてするわけがないじゃないか!」


 リチャードは少し言葉がうわずって、早口になりながらキャロラインを抱きしめる。


「まあ、何を勘違いされているの?かわいい航海士さんの話をしているのよ。ふふふ」


 キャロラインは口を手で隠して笑う。リチャードはほっと胸をなでおろした。


「なんだ、ジャミールのことだったのか。僕はてっきり……え!なに?ジャミールが家にきたのか!?」


 リチャードは目を丸くした。彼にとっても意外だったようだ。


「ええ、あなたがいなくてさびしそうでしたよ。これを船長にですって」


 キャロラインはリチャードをキッチンに招きいれて航海日誌を手渡した。リチャードは安堵あんどのためいきをもらした。


「そうか。ジャミールはこれを届けにきてくれたんだね。昨日渡したばかりなのに……」


「はやく船長さんに見てもらいたかったのでしょう」


 キャロラインはくりくりとした瞳でリチャードの表情を観察していた。リチャードはしばらく航海日誌の表紙を眺めたあと、静かにページをめくった。



「しんあいなるリチャード先生。先生って本当に変わってるよね。ぼくのこと友達だって呼んだり、ごちょうとか、しさいとか、こうかいしとか呼んだり、先生の方がよっぽどぼくより子どもっぽいよ。ぼくよりじょうしきがないよね。1+1=2じゃないとか。だっそうのことを授業って呼んだりして。先生、じぶんかってすぎるよ。先生のペースに合わせないといけない人の気持ちにもなってよって思うんだ。でもミフェイズ湖に連れていってくれてありがとう。自然がきれいでびっくりだった。きれいなけしきは写真の中には入りきらないんだよね。つりも楽しかった。魚があんなに力もちだとは思わなかった!たき火かんたんだと思ってたけど、ぜんぜん上手くいかなかった。先生は上手だったね。あの魚おいしかったよ!それから、バガテルを作ってって言われたときはあきれた。だって、ぜんぜん知らないものを作れって言われてもむりだよ。でも、工作たのしかった。ぼくだけのバガテルできたし。先生はもう少しゲームに強くなったほうがいいよ。だってもう僕のかちは決まってたのにずっと気づかないんだもん。もう少しがんばってよ。そうそう、ぼくの作ったロボットに名前はないって言ったけど本当はあるんだ。先生にこっそり教えてあげる。名前はリトルジャミールっていうんだ。かっこいいでしょ。ぼくのぶんしんなんだよ。歩くこともできるしお話もできる。空も飛べるし先生より物知りなんだよ。ゲームだってぼくより強い。せんとうりょくも5000まんもあってライオンだってたおす。人の気持ちをわかるのうりょくもあるし、かんじょうもあるんだ。すごいでしょ。ぼくがもっていないものをなんでももっているんだよ。もちろん友達もね。今日はかべに絵をかいてすごく楽しかった。大きなキャンパスに絵をかくの夢だったんだ。まさか自分の部屋に絵をかけるなんてすごい。先生ゆめをかなえてくれてありがとう。かべにはぼくのそばにあってほしいものをかいたんだ。お父さんお母さん、リチャード先生、それから友達!みんな笑顔がいい。ぼくには友達がいなかったけど、リチャード先生が友達になってくれてすごくうれしかった。でもひどいよね。先生には学校があって一週間にいちどしかぼくの家にきてくれない。もっと遊ぼうよ。それでね、ぼく思いついたんだ。しょうらいはロボットはかせになろうって。人間みたいなロボットを作って友達になろうって。そしたらぼくにも友達ができるでしょ!先生はどう思いますか?ぼくの考えていること変?みんなに笑われるかな?それでもぼくつくりたいな。ぼくがロボットはかせになりたいっていったら先生はおうえんしてくれる?」



 リチャードは航海日誌を読みながら胸を震わせた。感情が希薄だと思っていたジャミールが日記の中では生き生きとしている。これはすぐにでも返事を書かなければ。届けなければ。


「すまない。今日の夕食はおそくなる!」


 リチャードは航海日誌を持ったまま書斎へと向かった。残されたキャロラインはいつものことという面持ちで、エプロンを取り出して腕をまくる。冷めても美味しい料理はお手のものだ。


 リチャードは書斎に着くと本棚をあさった。ごそごそと何冊かの本を見つけて机に置く。次に航海日誌にペンを入れた。ささっと感情のままに走り書きした。


「ごめん、ちょっと出てくるよ!」


 リチャードはキッチンに戻るとすぐさま言い放った。


「わかってるわ。夕食つくっておくわね。気をつけて」


 キャロラインは落ち着いて返事をした。


「ああ、ありがとう。僕の女神よ!馬で行くからそんなに時間はかからないよ。帰ったら一緒に祝杯をあげよう!あ、君は今お酒はだめだったかな?とにかく君の航海日誌のアイデアは最高だった!」


 リチャードはそれだけ言い残すとキャロラインにふり返る間も与えずに家を飛び出した。納屋に行き、馬を外にひっぱり出す。肩に鞄をかけて馬に乗った。


「はいやー!」


 リチャードは大きな声をはりあげた。ジャミールに一刻も早く会わなければ。大通りを馬で駆け抜ける。「よろず屋工務店」も「とんがり帽子店」もすぐに通りすぎる。手綱たずなをあやつりどんどん馬を走らせた。


 ドレスタ邸にたどり着いたときには、リチャードも馬も息を切らしていた。大きく息を吐きながらリチャードは言う。


「よく走ってくれたなマルウェイ。少し休め」


 馬にねぎらいの言葉をかけて庭の木につないだ。ポケットから酒を取り出してグビッと一口飲む。


 息を整えながら玄関へと向かった。大きく息を吸い、呼び鈴を鳴らす。足音が聞こえてロゼッタが顔を出した。


「おお、親愛なるドレスタ夫人!さっそくですが、僕の親友に会わせてください!」


 リチャードは満面の笑みで言う。呼び鈴が鳴ったのでジャミールも部屋から出てきた。


「おお、我が友ジャミールよ!今日は来てくれたのに留守にしていてごめんよ。君の航海日誌は最高だったよ!これは大切なものだから早く返しておきたくてね!」


 リチャードは子どものようにはしゃいで、鞄の中から航海日誌を取り出した。ジャミールはそわそわとして両手を前に出した。


「ありがとうございます先生」


 ジャミールは航海日誌を手に取って答える。


「はっはー。ジャミール博士に先生と呼ばれたらくすぐったいな。とても良い航海日誌だったぞ!」


 リチャードは目を輝かせてジャミールの頭をなでた。ジャミールは博士と呼ばれて顔が赤くなった。


「さて、みなさん。こちらに来たばかりで申し訳ないが、早く帰らないと愛する妻の夕食が冷めてしまいますのでこれで帰らせていただきます。ジャミール博士。これは次の授業のための研究書だ。少し難しいから予習しておくんだぞ」


 そう言ってリチャードはジャミールに3冊の本を渡した。「ロボット工学の基礎知識」「人工知能入門書」「機械工学の初歩」と書かれたタイトルを見てジャミールの心はおどった。


「これから一緒に夢を叶えような!」


 その言葉にジャミールは無言で深くうなずいた。何度もうなずいた。


 リチャードは笑いながら家をあとにした。

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