南からやってきた俺
リエ馨
前編
世話になった相手とすっかり連絡を取らないまま、いつの間にか三年が経とうとしていた。
いや、いつの間にか三年は言いすぎた。去年一度だけ連絡を取り、作ってもらった翻訳機の調子が悪くて直してもらったきりだ。以来翻訳機の不具合はない。
なので今回、買い物の用事ができたのを名目に足を運んでみたのである。このファンタジーな世界では、事前の連絡は日本と違ってやりにくい。郵便と違い、いちいち手紙を出して予定を決めるのは時間がかかるから、いっそ来た方が手っ取り早いという理由もあった。
「マジで久し振りなのに、何も変わってねぇな」
端野暉良(タンノ・アキラ)は森の国の城下町に流れる風を胸一杯に吸い込んで呟いた。少し湿り気を含んだ緑と土の匂い。
中央通りの賑わいも、西側の食事処の多い通りが一際繁盛しているのも相変わらずだった。
宿はもう取ってある。昼飯には少し早いが、腹ごしらえのために知り合いの食堂に行こうとして脇道に入ると、前方から見知った顔が歩いて来るのに気付いた。
「よぉ、インティスじゃねぇか」
「あっ……」
アキラが声をかけた少年は炎のような朱色がかった赤い髪で、アキラを見るなり新緑の目をめんどくさそうに細めた。何を思っているかが表情で丸わかりだ。
「あいつの護衛がこんなところで何してんだ?」
「ちょ、ちょっと買い物……」
そう答えるインティスの目が僅かに空を泳いだ。あまり大っぴらに言えない何かを「あいつ」に買いに来させられているようだ。そんな代物、思いつくといえば一つしかない。恐らく滋養強壮に使う、小さくて苦い果物だ。普通に買える代物だが、彼らの食事を担当している人物からは栄養管理上の理由で止められている。だからこそこそ買いに来ているのだろう。
「当の本人は? フェレは何やってんだ」
「それは……」
インティスが口ごもるのは、その「あいつ」が動けない理由がしっかりあって、それもこの場では言えないからである。
「例の呪いか」
受け答えのようで、アキラからの一方的な質問責めだ。それでも、インティスは神妙な顔で頷いた。
その表情が随分重苦しいのが妙に引っかかったので、アキラは思いつきで本人に会ってみようと即決した。
「なあ、悪いけど、城にいるならあいつを呼んで来てくれねぇか。詳しくはそん時に聞くわ」
「わかった。買い物終わったら呼ぶから……カーリアンの薬屋で待ってて」
「お、おう……」
アキラがぎくっとした顔をするのでインティスは首を傾げた。微妙な沈黙に耐えかね、アキラがその理由を気まずそうに白状する。
「いや、俺あのヒト苦手なんだよな……別の待ち合わせ場所じゃ駄目か?」
カーリアンと呼ばれる金髪青眼の魔法使いは女性で、誰がどう見ても美人だと言うが、アキラにはどうしてもオフィス街を闊歩するキャリアウーマンに見えてしまう。女性が苦手というわけではないが、年上のそうした雰囲気の女性は敬遠しているジャンルかもしれない。アキラは内心認めざるを得なかった。
インティスは横柄な彼の告白に意外そうに目をぱちぱちさせると、少しだけ笑った。
「大丈夫、カーリアンは用事で今いないから」
「よし、待ってる」
「じゃあまた後で」
主の不在でアキラが即快諾したので、インティスは急いで買い物を終わらせようと、裏通りへ走って行った。
◇
久しぶりに訪れた薬屋の、正面入口の大きな扉は、アキラが触れるだけで簡単に開けることができる。主から許された者だけが入れる仕組みだ。
カーリアンは店を空けているとインティスは言っていたが、それはここ二、三日の話ではないのだろう。以前薬屋として機能していたカウンターには全て上から厚い布がかけられ、灯りもついていない。これは半年以上は放置されているように見えた。彼女を頼って何人もここを訪れているのを知っている身としては、おかしな静けさだった。
三十分くらい待って、二階で物音がした。城とここを魔法陣で繋げているのも変わりないようだ。インティスは買い物を終えて城に着いたらしく、程なくして階段を下りる足音が聞こえ、来訪を聞かされたフェレナードが扉を開けた。後ろにはちゃんと、彼を呼びに行った赤い髪の護衛がついている。
「よう、久し振り」
アキラのその言い方はまるで昨日の今日のようで、とても一年越しとは思えない。
「久し振り、翻訳機がまた故障でもした?」
「それは元気。今日は色々用事があってさ。お前はそのついで」
お互い遠慮のない言葉選びにインティスははらはらしていたが、本人たちは全く問題ないようだ。
アキラがフェレナードと初めて会ったのは三年前、ちょうど人生に行き詰まっていた時に、偶然フェレナードが声をかけてきた。
当時はまだアキラも日本に住んでいて、フェレナードは魔法の勉強中に誤って日本に来てしまったのだが、それがきっかけでアキラは生活の拠点を移すことができた。命の恩人と言っても過言ではないし、嘘のようだが本当の話だ。
日本とここでは言語が全く違うというのは当然の難点で、フェレナードが魔法とやらで作った翻訳機のおかげでスムーズに話せるが、言葉自体はまだまだ勉強中である。
アキラは眉を顰めた。
問題ないのは受け答えだけだ。
そのままフェレナードを観察した。彼はいつも通り振る舞っているのだろうが、明らかに以前と雰囲気が違う。陰があると言えば聞こえはいいが、どこか切羽詰まっている感じがした。
それに見た目も、悪い意味で肉が落ちている。これは想定外な変わりっぷりだ。アキラはやれやれと溜息をつき、頭の中で今日の予定を組み替えた。
「インティス、こいつの今日の予定は? 確か王子に色々教えてたよな」
「それは休み。今日は一日、呪いの調べ物をする予定で――」
「そりゃ良かった。おいフェレ、今日は俺に付き合え」
「は? 予定があるって今インティスが言っただろ」
「それより大事な用があるっつってんだ。おい、こいつ一晩借りるぞ」
「一晩!?」
今日って言ったのに早速話が違う、と言いたそうな二人を前に、アキラは堂々と言い放つ。
「心配するな、明日の朝飯までには帰してやる」
◇
夜もとっぷり暮れた頃、アキラの取った宿に入り、ようやくフェレナードは彼の用事から解放された。
知り合いの店で昼食を取ってからは、今の今までずっと買い物のはしごで歩き通しだったのだ。腰を下ろした安くて硬いベッドが、今だけはふかふかのクッションに思えた。
「いや〜お前がいて助かったぜ」
満面の笑みで、アキラは仕入れた品物をあらかじめ用意しておいた大型のリュックに詰め込んでいた。
フェレナードにとっては、買い物の内容は実に不思議なものだった。様々なサイズの釘や、工具として使われる材質や用途別の接着剤、調味料や服飾用に織られた布なども数種類あった。
「それを何に使うんだ?」
フェレナードは率直に尋ねた。買う時にそれぞれの仕様についてアキラは相手に随分質問していて、フェレナードがその会話のサポートに付き合わされたからだ。自分が作った翻訳機の性能の良さを再確認したが、いくら何でもこれらを全て彼が使うとは思えない。
「町の連中が、ここで売られてるやつがどんなモンか知りたいって言うからさ。確かに、話を聞いてみるとこっちの方がモノはいいみたいだぜ」
「そういうことか……」
「俺、そのうち行商に目覚めるかもな」
「元気にやってるようで何よりだよ」
「あのなぁ、これでも結構大変なんだぞ?」
荷物を詰め終わり、アキラは溜息混じりに反論した。
フェレナードと出会い、アキラがこの世界で生活できるようになるまでは、そこそこに山あり谷ありだった。
当初、彼からは目が届くようこの街で暮らすよう勧められた。最初はそうしていたのだが、緑に溢れ、人々の優しさに見守られながら穏やかに日々を送る生活は、どうやら肌に合わなかったようだ。
そこで、彼の知り合いの強いやつに少し剣を教えてもらい、思い切って街を出た。行き着いたのは南部の町で、そこの外れの小さな村の暮らしの自給自足な生活がしっくりきたのだ。知らない土地でその術を知らないアキラには移住は難しいかとも思ったが、持ち前の器用さを発揮してあちこちの家の様々な手伝いをこなすうちに、何でも屋さんとして働けるようになったのである。
「ま、大変なりに好き勝手やってるけど」
日本での生活には嫌気が差していたところだった。異世界で第二の人生なんて、環境としては申し分なしだ。
「さて、晩飯にしようぜ。下に食いに行ってもいいし、買いに行くんでもいい。せっかくだから酒もおごってやるよ」
「俺は……今日はいい」
作業を終えたアキラと正面で視線がぶつかり、フェレナードは目を逸らしたまま言葉を続ける。
「それより、呪いの調査より大事な用って何だ」
「今更それ聞くのか? 俺がお前を連れて来る理由なんて一つしかねぇよ」
そう言って、アキラは自分に割り当てられた向かいのベッドに座り、隣をぽんぽんと叩いてみせた。
その仕草に、フェレナードが露骨に嫌な顔をする。彼のこうした表情は、気を許した相手にしか見せることがない。
「……今そんな気分じゃない。忙しいんだ」
「だから、ちょっとはここで息抜きしろっつってんの」
「それが用事だと言うなら、俺は戻る」
長時間続いた徒歩で足は疲労の限界だったが、フェレナードは立ち上がった。王子の呪いの解明より優先されるものはない。
頑なに首を縦に振らないので、アキラは呆れたような溜息をついて腰を上げた。
「いいからここにいろ。買い物はまだ残り半分あるけど、明日俺一人で片付く分だ。元々今日で全部終わらせようと思ってたのに、お前がそんなんだから時間作ってやったんだぞ?」
「別に頼んでない」
「お前なぁ」
言い争うように向かい合った状態で、アキラの片手が無造作に動いた。彼は魔法を使うことはできないが、所作が似ていたせいでフェレナードは思わず身構えた。
だが、その乱暴な仕草からは想像できないほど、アキラの手はフェレナードの頬に優しく触れただけだった。その感触が、先程とは違う意味で体をびくつかせる。
護衛はいても、これほど近くまで接触してくることはない。
うずくまる自分へ差し伸べられる手と錯覚してしまいそうなくらい、人肌が心地良かった。
だが、それを受け入れれば、時間は確実に削られる。王子の命に関わることをないがしろにはできない。
思考に気を取られて微動だにしないフェレナードに、アキラは小声で答えを急いた。
「……どうした? 甘え方まで忘れちまったか?」
「っ……」
いつの間にか俯いていた顔が思わず上がり、アキラと視線がぶつかる。その青い目は揺らいでいた。
「明日は買い物が終わったらもう帰らなきゃなんねぇんだ。時間は今しかねぇぞ」
「……すぐ戻るつもりだったんだ。そんなことしたら……戻れなくなる」
「俺は、お前がついて来た時点で、すぐ帰すつもりはなかったけどな」
頬に触れた手は、真っ直ぐに流れる銀の髪を梳く。部屋に灯る明かりのせいで、照らされたところは金色にも見えた。
「お前、前に言っただろ。俺がこっちの世界に来て、ちゃんと言葉を覚えたら、話を聞いてもらうこともあるかもしれねぇって。ま、まあ……まだお前の翻訳機がないとちゃんとは話せねぇけど……」
多少の言い訳を付け足したとはいえ、アキラのその言葉は確かにフェレナードが彼へ向けたものだ。
三年前に言ったことを真っ直ぐに返され、思わず息が詰まりそうになる。
実際に話をすることはできない。呪いに関することは機密事項で、それはアキラも承知の上だ。
確実な心の支えとは行かないまでも、できることをできる限り模索し、働きかけようとしてくるアキラの行動はまさしく差し伸べられている手のようで、体を預けてしまいそうになる。
「アキラ……」
だが、そんなことが許されるのか。やらなければいけないことは沢山あるのに。
「いいぜ、文句は終わってから言えよ」
そう言って、アキラはフェレナードの顎に指をかけた。次いで唇が触れる。
慣れた手つきに流されそうになり、反射的にフェレナードは体を押し返そうとしたが、それは許されなかった。
後頭部を押さえられれば、もう逃げることはできない。それでも触れてくる唇に強引さはなく、すぐに離れた。
彼のことだからてっきり無理矢理続けてくるだろうと思ったので、至近距離のままフェレナードは思わず瞬きをした。
「……今、続きを期待したか?」
してやったりという顔でアキラが笑う。図星だった。
「それとも、甘え方を思い出したか?」
角度を変えて、唇がもう一度触れた。呼吸が塞がれたかと思うとまた離れて、湧き起こりそうになる熱が瞬時に冷まされてしまう。
その先にある快楽を知っているからこそ、アキラのやり方にもどかしさを感じ、じわじわと退路を断たれていることに気付いた。
「……っ」
抵抗を諦め、フェレナードは観念したようにアキラの首筋にもたれかかった。
「よしよし、後は俺の言うことだけ聞きな」
息をつき、アキラはそう言って流れてくる銀の髪ごと彼の肩を抱き寄せた。
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