第14話

 王宮に到着した馬車を待っていたのはサミュエル近衛騎士隊長だった。


「お帰りなさいませ、皇太子妃殿下。ご母堂のお加減はいかがでしたか?」


「お迎えいただきありがとうございます。母はあまり……よくありません。これからはお義兄様に相談しながら、できるだけ顔を見せようと思っています」


「それはいけませんね。お辛い事でしょう……彼のこともありますしね」


 シェリーはふとサミュエルの顔を見た。

 彼はどこまで知っているのだろう。


「彼とは? アルバート殿下に何かございましたの?」


「あっ……いえ、本来であれば殿下がお迎えに出る予定でしたが、少々急用がございまして、私では役者不足なのですが」


「あらあら、ご謙遜を。サミュエル様には輿入れの時から何かとご迷惑をお掛けしていますもの。私としては兄とも慕っておりますのよ。これからもどうぞよろしくお願いいたします」


「ありがたきお言葉です」


「それはそうと、殿下がご不在ということなら、先に国王陛下と王妃殿下にご挨拶をしとう存じますが、ご予定はいかがでしょうか」


「すぐに確認させましょう。妃殿下は一旦自室にお戻りください」


 そう言って腕を差し出すサミュエルは、さすが王弟。

 見た目も仕草も美しい。 

 これで独身だというのだから罪作りなことだとシェリーは思った。

 静々と廊下を進みながらシェリーはふと顔を上げた。


「こうやって親しくお話しすることもございませんし、お聞きしてもよろしいかしら」


「なんなりと」


「そうして結婚なさいませんの?」


 ど直球な質問に、サミュエルが咽た。


「結婚? 私の?」


「ええ、恐ろしいほどおモテになると聞いていますので、不思議でしたの」


「私はそれほどモテませんよ? それにこの歳ですからね。今更妻帯も面倒ですし、いつ何時戦場に向かわなくてはならないかもしれない身ですしね」


「なるほど。見事なご覚悟ですのね。でもお寂しくはないですか?」


「寂しくは無いですね」


「ああ、そういったお相手にはお困りにならない?」


「そういったお相手とは?」


「私の口から説明せねばなりませんの?」


 シェリーは恥ずかしそうに俯いてみせた。

 サミュエルは察したのか、咳払いをして前を見た。


「妃殿下、お部屋に到着いたしました」


「ありがとうございました。それではご連絡をお待ちしております」


 きれいな所作で礼をし、サミュエルが去って行った。

 部屋に残ったのはシェリーと侯爵家から連れてきている侍女だけだ。


「掴みはオッケーってとこかしら」


 侍女は何も言わず、ただ笑って着替えの準備を始めた。


「妃殿下、何色のドレスになさいますか?」


「そうねぇ、母親の具合が悪いのに明るい色っていうのも印象がよくないわ。落ち着いた感じで選んでちょうだい。私は先に湯あみをするわ」


「畏まりました。それにしても皇太子殿下はどちらにいらっしゃったのでしょうね」


「そりゃ愛する人の所でしょうよ? 友情しか感じない妻の迎えより火中の栗を拾うのに忙しいのは当たり前だわ」


「火中の栗ですか」


「そう。だってアツアツでしょう? 火傷しそうだわ。それにしてもサミュエル様はいろいろご存じのようね」


「それはそうでしょうとも。いくらお忍びでといっても近衛が護衛につくのは当たり前ですからねぇ」


「ああ、そりゃそうね。でも行ってるの? 呼んでるんだと思ったけど」


「どちらもでしょう? 妃殿下がお留守の間の皇太子妃業務が回ってきていた皇太子の手伝いもしていたって噂ですよ? できるんですかね」


「何を手伝っていたのやら……まあできないことも無いかもね。隣国の皇太子妃だったのだから経験はあるでしょう? でも不思議なのよね。ローズ様はあまり外国語がお得意ではなかったから」


「そうなのですか? ミスティ家といえば外交のお家柄ですよね? それでも?」


「うん、そう。彼女は学園時代からボディランゲージ専門だったから。そういう意味では見事な外交手腕を発揮していたわね。知らぬは婚約者のみってね」


「笑えませんね」


「いや、ここで笑わないと笑うところが無くなるわよ?」


 二人はフンと鼻を鳴らした。

 湯の用意ができたと伝えに来たメイドと共に、シェリーは湯殿に向かう。

 自分専用の湯殿には、娘の頃から使っていた香油と石鹼を常備させていた。

 ふと気付いたシェリーがメイドに聞いた。


「私がいない間に誰か使ったの?」


 メイドが真っ青な顔で首を横に振った。


「使ったのね。どなたが?」


 逃げ出しそうなメイドの腕を掴んでシェリーが優しく言う。


「言うなら許すわ。隠すなら……」


「言います! ミスティ侯爵令嬢がお使いになりました」


「ローズ様が?」


「はい……皇太子殿下が許可を出されました。申し訳ございません。お止めはしたのですが口答えをするなと言われてしまいまして……」


「なるほど? そりゃ止められるわけ無いわよね。皇太子命令では仕方がないわ。それは毎日?」


「いいえ、昨日までの数日間だけです」


「ふぅ~ん。何を考えているのやら……掃除は? 掃除はきちんとしてくれた?」


「勿論でございます。隅々まで研き残さないように床も全て洗い流しました」


「それならいいわ。ああ、ベッドは? ベッドも使ったのかしら?」


「……申し訳ございません」


「あなたが謝ることでは無いわ。でもさすがに二人が睦みあったベッドに寝るのは嫌ね」


「入れ替えますか?」


「もちろんよ。すぐに侍従を呼んでちょうだい」


「畏まりました」


 ゆっくりと湯に浸かる気分にもなれず、シェリーはさっさと湯殿を出た。

 平静を装ったが、はらわたが煮えくり返る。

 好きな女を抱きたいなら自分のテリトリーでするべきではないか。

 なぜわざわざ正妻のベッドに愛人を連れ込むのだろうか。


「マナー違反も甚だしいわ」


 愛人……ああ、そういうことか。

 この部屋はもともと彼女のものになるはずだったのだ。

 取り返したつもりだろうか。

 欲しくてとったわけじゃないのに。

 この部屋の家具も内装も、ウェディングドレスもすべて、ローズの趣味で誂えたものだ。

 シェリーは仕方なく使っているだけ。

 むしろ使いたくもなかった。


「まあいいわ。フフフ……」


 シェリーが黒い笑いを浮かべていると、ノックの音と共に入室許可を願い出る声がした。

 サミュエルだ。

 侍女がドアを開けると、サミュエルが入室した。


「妃殿下、王妃殿下はお加減が悪く同席なさいませんが、国王陛下が執務室にてお待ちでございます」


「まあ、ありがとうございます。すぐに参ります。サミュエル様もご同席願えますか?」


「ご要望とあらば」


「よろしくお願いします」


 そう言うとシェリーは侍女に申しつけて、加減が悪いという王妃へお見舞いの花束を贈るように手配した。


「それでは参りましょう」


 部屋を出たシェリーの顔は戦場に向かう兵士のように青ざめていた。

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