第13話

 それからの毎日は王太子妃業務など比ではないほど忙しかった。

 母親は寝込んでいるという設定なので、社交界における情報収集はブルーノに任された。

 ブルーノがイーサンの妹であるリリアナと婚約していると聞いたシェリーは、手を叩いて喜んだ。


「いい子でしょう? 学園時代から本当に素直で優しい子だったの」


「うん、イーサンのことは別にして、僕はリリアナと婚約できてとても満足しているんだ。姉さんと同級生だから僕より二つ年上だけど、とても聡明で可愛らしい人なんだよ」


「あら、ごちそうさま。あの子ならブラッド侯爵家も安泰だわ」


 そのリリアナを連れて夜会に出席しているブルーノは、次期ブラッド侯爵として確固たる地位を固めていた。

 シェリーは自分が王宮でジメジメと暮らしている間に、いろいろなことが変わったことに驚きもしたが、後顧の憂いが払拭された思いも抱いていた。


(これで、心置きなく行動できるわ)


 シルバー伯爵家を招いて、今夜は王宮に戻る前の最後の晩餐だ。

 10日という里帰りの間、アルバートからは一度手紙が届いたが、内容は仕事のことが主で、早く帰ってきて欲しいと結んであった。

 最後の方に数行、申し訳程度のお見舞いの言葉を見つけたシェリーは、ふと考えた。

 これほど気遣いができない人だっただろうか。


「もともとそういう人だったの? それとも恋に狂ったから?」


 皇太子妃が不在では、思うように逢瀬の時間が取れないのだろう。

 行間から苛つきが読み取れる。


「そりゃそうかぁ、あれほど好きだったんだものね。それが今は手を伸ばせば触れられるのだもの。そりゃ狂うわな」


 情はあっても愛は無い夫婦だ。

 やっと思いを遂げることができた夫に、シェリーはそれほどの怒りは感じていない。

 抱いているのは『失望』という思いだけ。


「まあ賢王になるなら良いけれど、今のまま愚王まっしぐらなら飛ばしてしまいましょう」


 シェリーのターゲットはあくまでも王妃だ。

 アルバートに思うところはあれど、それはそれというところか。


「あの日の涙はなんだったのかしら」


 そう口に出して自分に問いかけてみたが、答えなど出るはずもない。

 明日の夜空は王宮の自室から眺めるのだと思いながら、シェリーはそっとカーテンを引いてベッドにもぐりこんだ。


「では行ってきます。ブラックをよろしくお願いします」


 ブラックとは黒髪のイーサンを示す隠語だ。

 復讐計画は徹底して秘匿する必要がある。

 ブラッド侯爵一家の最終目標は、王妃の幽閉であり、状況によっては皇太子の交代だ。

 毅然とした態度で王家の紋章が入った馬車に乗り込む娘を、見送った父と弟は顔を見合わせて言った。


「昔のシェリーが戻ってきたな」


「ええ、怒ると怖い姉さんの顔になってましたね」


「我々も気合を入れねばな」


「はい、必ず成功させましょう」


 遠ざかる馬車を見ながら、父息子は心の中で握手をした。

 侯爵夫人は自室の窓から馬車を見送った。

 重篤設定というのも厄介なものだ。

 また離れていく娘を見送ることもできない。

 溜息を吐きながらソファーに座ると、見送りに出ていた責任者(夫)と参謀長(息子)が入ってきた。


「行ってしまったわね」


「ああ、気合の入った顔をしていたよ」


「いよいよね」


「そうだね、シェリーの手腕に期待しよう」


 侯爵はメイドを呼び、お茶の用意を頼んだ。

 

「僕は出掛けてきます。お茶はお二人でお楽しみください」


 二人は座ったままブルーノを見送り、メイドが運んできたクッキーに手を伸ばした。

 ブルーノは一旦自室に戻り、着替えてから出掛けて行った。

 行く先はシルバー伯爵家。

 婚約者に会いに行くという名目なら、頻繫に出入りしても怪しまれることは無い。

 ブラッド侯爵家とシルバー伯爵家は、代々中立派として王家に忠誠を誓っていたが、今は違う。

 王家への忠誠に変わりは無いが、王家なら誰でもよいというわけでは無いという覚悟を決めたのだ。

 守るべきは国であり、国民だ。

 現在の王は頭もよく人当たりも穏やかだ。

 しかし壊滅的に女を見る目も女運も無かった。

 そんな下らないことが引き起こした今回の問題は、彼自身にも責任を問う必要がある。

 その考えに賛同した貴族たちの会合の場所こそが、シルバー伯爵家なのだ。

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