【短編】あいのかたち

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あいのかたち

 彼女は雨が好きだった。

 特に夏の、焼けたアスファルトを濡らして漂う温い匂いが好きらしい。泥臭い青春そのもののようだ、と。

 私は、そんな彼女の事が好きだった。


 彼女はガラス細工のような人間だ。

 首元で切り揃えられた髪はサラサラで、小さな顔に大きな瞳と高い鼻筋。日本人離れした美少女だ。

 それでいて元気で運動神経も良い。よく笑い、よく泣いて、よく食べる。

 だから、臆病で誰とも接しようとしない私とは違って、友達が多い。

 時々、嫉妬してしまう。


 けれど、私は彼女にとって一番の理解者でもあった。

『昨日の夜、ハンバーグをつくったの』

『うまくできた?』

 彼女の『言葉』を理解できるのは、私だけ。


 窓を開け、湿気を孕む生暖かい風を受け入れる。

 もうすぐ、彼女の好きな梅雨の時季。

『全然! ちゃんと中まで焼けてなくて、お母さんに焼き直してもらっちゃった』

 教室の隅で笑い合う。


 彼女の『声』を知る者は、誰もいない。

 彼女の『言葉』を理解できるのは、この学校で私しかいない。


 私だけが、彼女を理解できる。

 私にとって彼女は、特別な人。

 私だけの、特別な存在。




 茹だる様な暑い日の放課後。

 私は彼女に連れられ、屋上へ向かった。

 目の前で沈み行く太陽から放たれる、強烈なオレンジ色の陽射しが二人を照らす。彼女のスカートをはためかせる風の温度は、昼間よりマシになった。

 並んでフェンスを握り、眩しさに目を細めて町を見下ろす。

 彼女の肩を小突いて、

『どうしたの?』

 私は尋ねる。

 彼女は照れたようにはにかんだ。夕陽で分かりづらいが、彼女の頬が赤く染まっている事に気付いた。

 彼女は、しばし両手の指を弄ぶ。『言葉』を選んでいるのだろうか。私は待った。

 やがて彼女は――


『好きな人が、できました』


 私は一瞬、理解ができなかった。

 無意識に首を傾げると、彼女はもう一度同じ『言葉』を繰り返した。


『この前、私に話しかけてくれたの。ぎこちなかったけれど、ちゃんと通じ合えたんだ。すごく嬉しかった』


 彼女の顔が笑みに染まる毎に、私の顔が曇って行くのを感じた。


『今度、告白しようと思うの』


 そう話す彼女の両手を掴んで、無理やり振り解いた。


 私は反対した。

 私が知る限りの『言葉』を用いて、彼女を否定した。

 そんなの、続く訳がないと。

 どうせ身体が目当てだと。

 貴女は美人だから。

 貴女が無駄に愛想を振り撒くから。

 だから――


 肩を震わす彼女の姿を見て、我に帰った。

 彼女は拳を握り締めて、唇を噛んで。


『ひどいよ』


 彼女は涙を流した。


『君は、私の一番の理解者だと思っていたのに』


 そうだ。

 私も、そのつもりだった。

 なのに。


『さよなら』


 彼女は私の『言葉』を見もせずに、走り去る。

 殆ど沈んだ陽の光は力を失い、藍色の夜空が冷えた空気と共に押し寄せる。

 星が空を埋めるまで、私は一人、屋上に立ち尽くした。




 翌日。彼女は学校に来なかった。

 全ての授業を終え、帰路に着く。

 焼けたアスファルトが強い雨に叩かれて、温い匂いが立ち込める。


 彼女が好きだと言っていた、泥臭い青春の匂い。


 両手で握る傘を穿つ雨が重い。

 気分と共に下を向いていた視界に、足が映り込んだ。


 立っていたのは、彼女だった。


 傘も差さないで。

 制服を濡らして。

 雨に涙を混ぜて。


 感情をぐちゃぐちゃにして、嗚咽に歪み、汚い地面に頽れる。


 そんな彼女の成れの果てを目の当たりにして――


 私は満たされた。


 傘を捨て、私は彼女を抱き締めた。

 声にならない彼女の泣き声が、私の耳元で吐息となって震え伝わる。


 彼女が涙を流す毎に、私の顔に笑みが広がるのを感じた。

『私の家に行こう。お風呂、貸すから』




 彼女の『声』を知る者は、誰もいない。

 彼女の『言葉』を理解できるのは、この世界で私だけ。


 私にとっても、同じだ。

 私の事を理解できるのも、この世界で彼女だけ。


 私は、彼女が入っている風呂場の扉を開けた。

 驚く彼女の顔も、綺麗だ。

『もう、出るね』

 慌てて逃げようとする彼女の手を掴み、私は強引にキスをした。

 不安に怯える彼女の表情を見て、私は胸に広がる快楽を自覚した。


 もっと、歪ませたい。

 彼女を独り占めする為に。


 私の両手が、彼女の細い首をそっと握る。

 もう、誰にも渡さない。


 この感情を表す『言葉』を、私は知らない。


 だけど。


 大丈夫、安心して。

 貴女の事を、全部、全部、全部――


 大丈夫、わかっているよ。

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