チョコチップマフィン
猫野みい汰
律する者
昔っからまあ、言われることといえば「変わり者」だの「一匹狼」だの、そんなもんだ。当然学校ではかるーく虐められるし、先生さえ私を”手のかかる何か”扱い。決して問題児ではない。問題を起こしているのは私ではなく、周りなんだから。だけど、その周りが起こしている問題は私へと、いつも降りかかる。あー今日もクラスで私はぼっち。まあまだましか。ほら、特に何かされてるわけじゃないし?むしろやりやすい。うん。頭で納得はすれど、どこか追いつかない自分の心だってわかってる。けれど人間とは、常に相反する感情を持つ生き物だって、どこかで聞いた。だからこれも生理現象。より強い気持ちの方へと、私は従えばいい。それだけ。なら。無理して、価値観も生きる世界も違う人と馴れ合うより、1人でいる方がよっぽどましだ。学校というこの場で、無理な人付き合いが何かの利益を生むとは、とても思えない。無理な人付き合いが、何か利益を生むのは、せめて社会に出てからかなって。社会に出たら、その必要性があるかなって。でもこの場じゃなあ。まあだけど、周りが見て、感じている世界を、私も知りたいとは思う。見聞を深めることは、私の力になる。生きるための武器に。でも他は余計だ。気の合う友人達と楽に、お互いをちゃんと見つめ合える人達と「大好き!」って言いながら、生きてる方がずーっと楽しい。例えそれが理想論でもね。だから今日も私は、「あなたが壁を作っているだけでは」と、いつか個人面談の時に言われた、ちょっと歳のいった教師の言うことは、聞いてやらない。聞かずに、いつもの友達のところへと行く。”みんな仲良し”は決して正義ではない。この狭い日本における、狭すぎる美徳だ。
「今日の持久走、余裕で最下位だった!もう途中から走れなくて諦めて歩いたわ」
りっちゃんは今日も自由だ。なんていうか、自分らしい、りっちゃんらしい、のかな?私だったら恥ずかしくて、周りの目を気にして、持久走をのんびり歩いてこなすなんてそんなこと、できない。だけど運動が苦手で体力もないというりっちゃんは、今日当たり前にそうしてきたみたいで。すごいなあ。思いながら見つめるりっちゃんの横顔は、その持久走で疲れたのか、大きなあくび顔。りっちゃんは、自由だな。いつも思う。対して私は。
「お疲れ様、りっちゃん」
変に取り繕って笑って、心にない言葉を言う、はりぼてだ。今だって、そうかも。ほんとは私、りっちゃんに”お疲れ様”なんて思ってないのかも。何か不安になりながらでも、私を見て笑うりっちゃんの顔は、言葉は嘘がないように思えて。
「へへ、ありがと」
単純なお礼の言葉ひとつとったって、りっちゃんが言うのと私が言うのとでは、きっと何かが大きく違う。りっちゃんは、虐められっ子なのに。私は、幸い友達に恵まれて、学校では1人の時間を探す方が難しいくらい、なのに。…何でだろう。りっちゃんの方がよっぽど良く見えるんだ。昔から、いつも。
幼なじみの楓は美人だし愛想良いし、相手がかけて欲しい言葉をいつだってよくわかってる。私と違って本当器用。羨ましいくらい。でもあの子、その分気遣いしいなのよね。あと愛想が良いのは八方美人だから。周りばっか気にしていつからか、楓の笑顔は何か取ってつけたような仮面みたい。それは私にもそう。虐められっ子の私に、学校のマドンナの楓の組み合わせなんて、漫画やアニメじゃよくある組み合わせ?そういうの全然読まないし見ないから、知らないけど。「お疲れ」って言いながら多分私の隣を歩く楓は、自分の内に何か、他の違うものがあるんじゃないかって、変に深くを探っている様子で。考えなくたって、いいのに。まあでも、親が厳しいと、こうなるもんか。「警察に捕まらなければ何でもあり」のうちと違って、楓の家はとにかく勉強だの、礼儀だの、とにかく全部に事細かく厳しい。楓とその両親、特に母親とのやりとりを見てるといっつも、楓はどこか窮屈そうだ。…どんなものでも、どこかで、違えるもんよね。厳しい育ちの楓がそうなら、緩い育ちの私だって、同じくらいに。楓が人の目を気にしすぎるなら、私はもっと人の目を気にした方がいい。協調性に欠ける、人生を斜に構えすぎてる。極端な私達は、隣に並んで帰路についたって、ずっと違う世界を見続けているんだ。2人で共に帰り始めた、小学1年生の時から、きっと。
「お願い、律子。これ全部頼めるー?」
母親が私に向かって両手を合わせて、軽く頭を下げる。あーまたいつもの?思って私は頷いた。
「あーはいはい。やっとくから早く行きな」
言えばもう、母はさっさと、机の上に準備していたその派手な鞄を手にして。
「ごめんっ、いつもありがとうね、律!」
鞄に見合う派手な化粧、派手な格好。やりきることが出来ず、半端に残った家事を中学生の娘に押し付けて、ピンヒールでボロい木造の家を出る母親。これだげ見れば、ちょっとしたネグレクトかと思われそうだ。けど違う。私達は、男なんて信じずに女だけで生きていくことを決めた。私の父親が、他所に女作って新しい子供を作った、その時から。男ってのは新品が好きなんでしょ。親だって人間だもの、そんなもんよ。ちゃんとわかってる。親にだって人生がある、知ってる。でもどうにも、この口からひとつ出るため息は、けれど。
「…うっし、やるか!」
落ち込んでたって、嘆いてたって仕方ないんだから、私は私の世界を1ミリでも先に、前へ進めるしかない。ハムスターの回し車みたいに、延々同じ場所を回ってる訳にはいかない。バイト漬けの姉と、全く元気に働くばあちゃんが帰ってくるまで、あと2時間。手早く夕飯作んないと!あと洗濯とー、風呂掃除とー…。あ。あと、明日の朝母さんが帰ってきた時のために、簡単な朝ご飯も。どうせまた散々酔って帰ってくるんだから、それにあったやつ。周りから見れば、私達ってきっと負け組。大変とか貧乏とか、そんな言葉が似合うもん。でも私が見る私達は、小さな頃から違かった。
りっちゃん、大丈夫かなあ。今日もお母さん、夜のお仕事って言ってたけど…。片親の幼なじみの生活が気になって、勉強をする頭の中が、ちょっとだけ散漫になる。あ、いけない。怒られちゃう。その瞬間私は反射的にそう思った。幼なじみの、他人の心配なんか、してる暇ない。第1志望に受からなければ、私は。…胸に、強い痛みを感じるのは、気のせいだって思いたい。りっちゃんが羨ましいなんてそんなの、思ってない、思いたくない思うわけない。思っても、いけない。それは色んな意味で。だけど。いつも、お母さんやお姉さん、おばあちゃんと、協力して生きるその姿に、誤魔化したってやっぱり私は憧れる。りっちゃんは幸せそうだ。虐められたって、「あいつら何でいじめなんてするの?」と、毎回真面目に首を捻って。かと思えば、校内の廊下で仲良しの友達数人と、好きなものの話で楽しく盛り上がってるところを見かける。お母さんと、笑いながら買い物をする姿だって。ううん、違う。私、私だって、りっちゃんと同じだけ、かけがえのないもの持ってるじゃない。友達も、家族も、彼氏も習い事も趣味も。勉強だってできる。いっぱいしてきた。家の事ばかりしてきたりっちゃんとは違う。小学生の頃、宿題をいつも忘れてたようなりっちゃんとは。ピアノも、水泳も。家事だって、私だってできる。なのに何で。りっちゃんは、すごいなあ。そう思う気持ちが止まらないんだろう。昔からずっと、むしろ歳を重ねるほどに、強くなって止まらないんだろう。第1志望に受からなければ、恥だと。お母さんからつい最近言われた言葉が蘇る。最近付き合い始めた彼が、私に告白してくれた時、「見た目が可愛いから」と言ったその言葉までも。たくさんの友達が、私といる本当の理由。空っぽなそれ、明確に告げられたわけじゃない。何かを耳にしたわけでも。だけど、私は気がついている。本当はみんな、私を見ていない。見ているのは私をかたどったはりぼてで、笑顔の私の写真が貼り付けられた段ボールで、本物の私はその向こう側。りっちゃんだけが、ずっと見つめてくれているのに。そのりっちゃんさえ私はいつからか、”虐められっ子”で”自分より下”だと、見下していたんだ。気がつけば自分の目からは涙が出ていて、でも勉強をする手は絶対に止めちゃいけない。頭はとっくに、違うことに意識が向いて、そちらに回している。わかってる。わかってるのに、ずっとわからないふりをしてきた。はりぼてだけど物理的に1人ではないことと、本物だけど物理的に1人であること。どちらがより幸せなんだろう?本当に幼い頃、拾ったどんぐり。幼稚園の園庭。その大きさをりっちゃんと2人で、「どっちがおおきい?」と仲良く笑って競ったことを、何か思い出した。
「やっほう、楓!勉強頑張ってる?」
そんなことを考えた翌日に、りっちゃんは私の家へとアポなしで来るんだから、神様って意地悪だ。りっちゃんは手作りの、チョコチップマフィンを差し入れに持って、ここへと来てくれていた。私は、りっちゃんの作るお菓子が好きだ。中でもこの、チョコチップマフィンが。りっちゃんは昔から家事が得意で、お菓子だって大抵のものは簡単に作れてしまう。りっちゃんのそんなところは女の子らしくて、私はそこに憧れて。自分も必死に練習したのに、だけどいつも上手くいかないんだ。料理はまだ、何とかなっても、お菓子だけはどうしたって、いつも失敗に終わるの。焦げたり、生焼け、それから見た目が悪いとか、そもそも味すら。「根詰めすぎないでよね!」。明るく笑って差し出されたそのチョコチップマフィンを見ていると、あの頃の悔しい気持ちが、何か、今の私の醜い気持ちを乗せて、悪魔か怨霊のように攻めて来る。受験なんてまだ先だ。だけどとにかく早くから、勉強をさせられている私は、とっくに根詰めすぎている、のかもしれない。わかってる。これも、わかってるけど、わからないようにしてきた。私は中学受験に失敗したから、だから高校受験まで失敗したら、そんなの。失敗なんて許されない、できるわけがない。りっちゃんはいいな。「楓、警察に捕まらなければ、それだけでいいんだから!」と、りっちゃんのお母さんは私にまで、いつかそう言ってくれた。何だか眩しい、勝気な笑顔で。私のお母さんも、そんなお母さんだったら。
「ありがとう」
私の空っぽな言葉と笑顔は今日も絶好調。はりぼては、その背にいる本物の私すら、世界の全てから消してしまいそうな勢い。ねぇ、りっちゃん。
「ねぇ楓」
駄目だ、言わないで。何故かその先がわかってしまうのは、きっと私とりっちゃんが、赤ちゃんの頃からのお友達だから。親友だから。だけど、今だけは。きっと私はりっちゃんのその一言に耐えられないから、そう思うのに。
「大丈夫?」
助けてと、どうしようもなく願ってしまったその時に、りっちゃんがやっぱり当たり前にそう聞いてくれるから、私は固まる。ねぇりっちゃん、助けて。願った心の声は、りっちゃんには聞こえるはずがない。人間にテレパシーだとか、何だとかの機能なんてない。なのにいつだってりっちゃんは、本来は引っ込み思案で人見知りの私が、どこか何かへと消えそうな時に。それくらいつらい時に、そんな私を見つけて正しい道へとそっと、誘うんだから。…ずるいよ…。ぐちゃぐちゃになって、ただ痛いだけの私の気持ちは、何も言葉に出来ずに、涙になった。1度落ちれば止まらなくて、私はりっちゃんの前でひたすら、声を押し殺し泣く。りっちゃんはそんな私に言った。
「…なんて、野暮か!」
明るく、笑顔で言ってくれた。
「大丈夫大丈夫!高校なんて受からなかったとこで、いくらでも人生やり直し効くんだから。」
誰も見てくれない私の、本心を見て言ってくれた。
「何にも上手くいかない時は、何だって上手くいく時よ!何にだってなれる瞬間!」
私にはまだ、難しいけれど。だけどその言葉でりっちゃんが見ている世界を、私も少し垣間見ることが出来た、気がした。「失敗しても大丈夫」と、誰も言ってくれなかった言葉を、そんな世界を、りっちゃんだけは創り出して、認めてくれたような、気が。
その後楓は散々泣いて、でも泣くってエネルギー使うのよね。少し落ち着いてきたところで「チョコチップマフィン食べる?」と聞けば、楓は鼻水と涙ですっかり美人が崩れた顔で、首を小さく縦に振り頷いた。はは、久しぶりに見たかも、楓のその顔。ほんとの、本音の顔。不躾にも面白くて、私はここが他人の家であるにも関わらず「じゃ待っててー」と、楓の部屋を軽く後にする。そうしてキッチンに行き、そこにいるその背へと私は、声をかけた。
「おばさん、お皿とフォークある?あーあと、何か飲み物も」
言えばおばさん、もとい楓の母親は、僅かな間を置いてこちらへと振り返った。はりぼての笑顔をその顔に、セロテープかしら。雑にくっつけて。
「今用意するわ、待っていてね、律子ちゃん」
ついでにヘリウムガスでも吸った?変に高い声でさ。知ってる。あんた私のこと嫌いでしょ。そりゃそーよ。大事な娘にお世辞にも礼儀正しいとは言えない、どっかの馬の骨。テストはいつも赤点。運動なんて絶対無理。才能?なーんにもない。せめてあるのは多少の根性くらいの、そんな私、なんだから。でも大丈夫、私も楓の母親のことは嫌い。だってこの人の笑顔は。
「はい、どうぞ」
いつも、他人への黒い気持ちで満ちているじゃない。楓と私の分の皿、フォーク、飲み物。それをトレーに乗せて丁寧に渡されて、私もこの人にだけは作った笑顔と声で返す。
「ありがと、おばさん」
楓の仮面はいつだって、周りを気遣うそれに多く満ちているけれど、この人のこれはいつだって、周りを見下すそれに多く満ちているから。いくつになっても好きになれず、私は大嫌いなままだった。
まあでも理解は、する。何年か前から相当考えた。歳を重ねるほど、何かわかった。楓の父親、つまりおばさんの夫は何だったかは忘れたけれど偉い人で、お金持ちな上、なかなかのイケメン。その上生まれた娘はこうも美人かつ優秀。そりゃ、周りなんて下に見えるわよ。見下そうと思わなくたって自然に。それに、そんな優秀な人達を夫や娘に持てば、支える大変さなんて言うまでもない。それこそ、野暮ってもん。理解はする、大変だと同情も。だからってやっぱ好きにはなれないな。繰り返し同じことを考えながら私は。
「こっちのが美味しいかな、チョコチップいっぱい入ってそうだし」
ようやく泣き止んだ楓に、持参した手作りのチョコチップマフィンを、その皿へと取り分けつつ、一人言を言うようにそう呟く。楓はチョコが好きだ。でも、おばさんから「こんな贅沢」と言われて、昔から楓がチョコを食べられるのは何か、お祝いの時とかくらい。それこそ誕生日とか…。いや、くっそ貧乏な私の家でさえ、チョコくらい普通に食べられるのに。当然貧乏なので、すごく安価なものにはなるが。にしたって、楓の家は、おばさんの躾は意味がわからん。「贅沢」って何。そこもまだ理解ができてない。おばさんの言う「うちの楓には贅沢」、その概念とは。また無駄なことに頭を使おうとしたその時。
「やっぱり、りっちゃんはすごいね」
楓が、優しい声でそう言うから、私は手元のチョコチップマフィンから目の前の楓へと、顔を上げた。見れば楓は泣いて腫れた酷い目で、なのにすごく綺麗に、笑ってる。そうして言うんだ、こんな私に。
「私、りっちゃんには敵わない。りっちゃんはずっと、私の憧れのお友達だよ」
こんな、社会の底辺みたいな私に。私よりずっと、ずっと優れている楓が、そう。他でもない大好きな友達である楓に、そんな褒め言葉を言って貰えたことが嬉しくて、私はつい、照れくささからはにかむ。
「…へへ。ありがと」
そうして私の口をついて出たそれはただの、お礼ひとつ。でも、私がさっきおばさんに言ったそれとこれとでは、その中身がまるで違う。本物がいつだって正しいとは限らない。正しいことが正しいとも、限らない。世の中って難しい。でも、今自分の目の前にあるような、こうした楓の心からの笑顔、声、言葉。それらが私は、嬉しいんだ。だってそれは楓が、「今私は楽だよ」っていうサインだから。はにかむ私に楓も照れくさそうに、笑う。私も楓も間違ってなんかない。お互い、どこかで無理して作り物を、絶対やってる。何か、悪い気持ちさえ相手に、周りに抱くことさえある。落ち込む時も傷つく時も、感情のある人間として生きてるんだから、当たり前に。でも、そうありたくないんだよ。暗く、ひん曲がったままでいたくない。現実と理想の距離は、地上と宇宙ほど遠い。ううん、もしかしたらそれ以上かも。だけど理想を追い求めて、「こんな私になりたいな」って思う私達は。青くても、醜くはないはず。楓がもっと、楽に生きられますように。
りっちゃんがもっと、祝福されますように。何かに傷つき、迷ったって立ち止まらない、いっつも急ぎすぎな親友の幸せを、泣きはらしたこの目を1度閉じて、願わずにはいられない。それから熱く重たい瞼を開けて、「いただきます」とマナーを気にせず、楽に呟いて口に含んだチョコチップマフィンは。いつだって優しい、程よい甘さで満ちていた。
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