第125話、深夜に探索する者
何とも大人しい森だ、とジュダは思った。
王族の住まう別荘の周りにある森は、王族のプライベートを守るための壁に過ぎない。だから、危険な猛獣の類いが住むこともなく、また侵入することもない。
岬の物理的な壁になっているのが、ランカム城とその防壁なのだ。
ジュダにとって森を歩くというのは、子供の頃を思い出す。
森の雰囲気は好きだ。一見静かに思える夜でさえ、自然は音に満ちている。
耳をすませば、風によって葉が揺れる音が聞こえる。虫がざわめき、夜行性の動物が動く。
天気によってそれらの音にも強弱はある。風音が強く、葉がこすれる音が波のようにざわめくこともあれば、虫がうるさいくらいに音楽を奏でていることもある。時に、獣たちが求愛の遠吠えを響かせることもあった。
対して、音がしない時がある。たとえば雪の日。
雪が降るような季節ならば、そもそも虫たちはいないし、動物の活動も不活発だ。ふだん聞き逃しそうな風の音がよく聞こえてくるが、雪の日は、吹雪でもなければまったくもって静かなのだ。
もちろんよく注意すれば、雪が雪の上に重なる音もする。しかしそれ以外だと、自分の足音がするくらいで、闇の底を歩いているかのような気分になる。
雪は音を吸収する。明け方の冷え込んだ空気の中、しーん、と静まり返った世界は、まるで絵の中の世界に入り込んだかのようだ。
――らしくない。
ジュダは、森の散歩の中で、昔を思い出してしまっていた。まだ老け込む歳ではないはずだが。
どうしてだろうと考え、ふと人間と馴れ合っているからかもしれないと思った。ラウディと出会い、騎士学校にも友人ができて、王族の別荘などにいけば、騎士たちでさえ敬意を向けてくる。
自分が人間の一員にでもなった感覚。スロガーヴに生まれ、亜人たちと過ごし、傲慢な人間たちに敵意を抱いてきた。
尖っていた。いつ人間が手のひらを返してきても、噛み殺せるように牙を研いでいた。それがどうだ。自分の中で、人間もそう悪いものではないという気分になっている。
亜人にもいい人もいれば、悪党もいる。
人間でもそうだというのはわかる。ペルパジア大臣などは、スロガーヴですら差別しない、人間のよくできた人だ。中にはいい人間がいるのも理解はしているし、それよりも悪い奴のほうが多いこともわかっている。
だが、そのどちらでもない人間もまた多いというのが、身に染みてきているというのが実情だった。
たとえば騎士学校で友人ができた、というのもそれだ。それまで友人ができなかったのは、ジュダが自分の周りは敵だという認識を抱いていたからだ。
そしてそれが緩和され、敵がその他大勢に変わったことで、おそらく雰囲気が変わったのだろう。だから、人嫌いなジュダにも友人と呼べるような存在が現れるようになった。
その原因、いやきっかけは何だったんだろうかと考えると、やはりあの男装の王女様との出会いなのだろうと、ジュダは思う。
本来なら宿敵だった。レギメンス、光の一族。母の仇の娘。それが今では、両想いの関係だなんて、運命というのものがあるなら、実に皮肉にできている。
森を進む。段々、空気感が変わっていくのを感じる。おそらく、ランカム城の城壁が近くになってきたからだろう。
この王族の別荘と森を外界から隔絶している壁。侵入を阻む人工物があって、森の動物たちも距離をとっているのだ。
――見えてきた。
高い高い城壁が、さながら国境線だと主張するがごとく、そびえ立っている。上の
哨兵か、あるいは巡回の兵か。下からでは上の様子は見えないが、確かに靴音と金属鎧のこすれる音がする。
別荘側は森で、ジュダもそこから出ていないため、上にいる兵たちは気づいていない。夜の闇に紛れている上に、森の木々が物理的に視界を遮っているのだ。
ジュダは太い木の枝にジャンプして飛び乗ると、一度静止して周囲に溶け込む。かすかに着地の音がしたが、果たして上まで聞こえただろうか。
慎重に気配を探るが、こちらに注意している者はいない。どうやら聞こえなかったようだ。葉の間から、そっと様子を眺める。
壁の上に気配はあるが、見える範囲にはいない。おそらく反対側を見ているのだろう。
好奇心がうずいた。上がどうなっているか、ちょっと見てみたくなる。
果たして、侵入者から王族の別荘を守るだけの警備状況なのか。最近のラウディを狙う事件が連続したことを思えば、もっと緊張感を持つべきなのだが、ランカム城の兵たちにはその自覚があるのか。
貴族の敷地や屋敷に踏み込んできた回数では、ちょっとしたもののジュダである。この手の警備については、少々うるさい。
城壁に沿って、森を移動。警戒の度合いを、まずは少し離れたところから観察。
――ほとんどこっちを見ていないな。
まずジュダが感じたのはそれ。ただそれ自体は、さほど不自然さはない。
そもそも、城壁は外部からの侵入を阻むためのものであり、ここでいう外部とは、王族の別荘側ではなく反対側だ。
こちらは内部という扱いで、侵入者は外から入ってくるものだから、見張るのは当然向こう側になる。
――だが、まったくこっちを見ないというのは、どうなのか。
魔法や能力で姿を消したり、あるいは闇夜に紛れて、ひとたび城壁を越えられたら、後は見られないということなのか。
もしそうなら、侵入者は城壁を突破する方法に注力すれば、後はどうとでもなると考えそうではあった。
「どれ……」
一つ、反応を見てみる。ジュダは地面に下りると、手近にあった石ころを掴み、それを城壁に投げつけた。
石同士のぶつかる音が響いた。もう少し重い石にしたほうがよかったか。軽すぎて、聞こえなかったかもしれない。
『今、音がしたか?』
上で、兵の話し声が聞こえた。もちろん、スロガーヴの聴覚であればこそだ。
『動物か何かか……?』
こちら方向へと近づく足音。ジュダは木の裏に身を忍ばせた。
『見えるか?』
『いや……』
ランタンの光が動き、影も合わせて動く。きちんと光を当てて、確認しているようだ。
『何もなし』
とはいえ、ここまでか。ジュダは見張りの反応を観察し、いなくなったのを見計らい、城壁へと取り付いた。
果たして歩廊はどんな様子か。どれくらいの広さがあって、見える範囲で何人の兵士がいるのか。ジュダは偵察行動を開始した。
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次話は7月5日予定です。
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