短編-毛虫

虚言挫折

駅前には花壇が並んでいて、この炎天下では虫なども梢の隙間で蠢いている。そこを僕は歩いていた。暑さはいよいよ人間に耐えられないほど大気と癒着しては、僕の皮膚を炙る。学校の帰り、こんなにも荷物が重いのは備え付けてあるロッカーに何も置いていないから。重力とそれに耐えることさえままならず悲鳴を上げる自分の細い体を恨んだ。蝉が痛みでも感じているようにじわじわと鳴く。きっと明日の昼には皆死んで、何の音も聞こえなくなっていることだろう。明らかに水分が足りない。今の僕にとって、憎しみや妬み嫉みは贅沢な感情だった。時々、重心がぶれて体がバランスを保てなくなる。道に沿うように並んでいる花壇と地面が直角に交わるその隙間に、黒い地に赤と黄色の斑点が打たれた毛虫が数匹、体をくねらせながら寝転がっていた。気づかずに踏みそうになってしまい、慌てて足を引っ込める。多分この虫を殺した時の気持ち悪さは爪先にこびりついて長く離れないだろう。僕は心まで腐ってしまいたくなかったが、毛虫を殺したことにも気づかずに友達と談笑しながら歩くのは普通だ。毛虫たちは、木から落ちてしまったのであろうことが容易に推察できた。石のタイルは触れただけで指の痛覚がマヒするほど熱くなっているだろう。そんな場所に進んで落ちてくる被虐嗜好的な虫などいない。そもそも虫というものが本能に従って生きている以上、自分から死地に赴くような真似はしないはずだ。僕は彼らが酷く哀れに見えたが、どうしても好きにはなれなかった。それがなぜかは分からない。僕と

あまりに違いすぎるがためかもしれない。かつての共通の祖先にまで遡らなければ共通項を見出すことは難しい。汗は背中にべったりと貼りつき、様々な予感の後ろ暗さを咎めるように冷え始めた。暑さだけが原因で噴き出た汗ではない。さっきの毛虫のためだろう。甚だしく嫌悪しては思い返すくせに、それをどこかで当然だと受け入れてしまっている状態こそ、自分が自分を嫌う最たる要因であった。事実、僕は毛虫以上に僕が苦手だった。校舎内で響く笑い声も、あまりの暑さに揺れ始める街路樹や駅のポスターも、裏庭の換気扇から吐き出されるむさ苦しい熱風も、僕には未だに受け入れられないままでいる。自分の猜疑心や度量の狭さのせいで苦しみが跳ね返ってくるというのは、皮肉ながら当然の報いだった。容認できないということが最大の欠落であると豪語する今世紀及び狭いコミュニティーにおいて、僕ははぐれ者であり、稚拙な非現実に頭まで浸かり切った無思考の賜物と呼ばれて差し支えない。学校では話しかけられないように人目を避けて移動し、家では家族からの不信感を払拭できないまま部屋にこもり、外のどこに行っても人との会話を避けるために、大半の時間をお手洗いで過ごす。笑いものになりそうなそういった振る舞いの数々は、僕の焼け野原と化した自尊心にさらなる爆弾となって常に降り続けていた。電車に揺すぶられ、斜めに射す日光に早く消えてくれと願いながら愚痴のように手の痛みを表出させた。重い荷物のために肩から先が鬱血してしまい、すぐに手の甲が黒を帯びた赤に変色しつつあった。窓に映る目つきは鋭く、町中の指名手配犯のポスターにそっくりだった。電撃のように、死への欲求が脳内から溢れ出すことがあるのを思い出しそうになっている。髪の毛はくしゃくしゃで、よく見ると白いフケが点々と浮かんでいた。さっきの毛虫が黒に赤と黄色なら、僕の頭には黒に白の斑点を持った毛虫が棲んでいることになる。なぜか皮膚は無事なようだった。睡眠欲は日光に飲み干され、直立してつり革を握ったまま、指先の感覚が消えていくのを感じ取っているだけのこの有様からは、生気を微塵も感じ取れないだろう。手汗で指が滑りそうだ。その時になって、アナウンスはようやく目的の駅名を高らかに響かせた。外は涼しくなかった。期待などしていなかったが、だからと言って落ち込まないわけでもない。家は駅から近いが、その少しを歩く意思も削ぎ取られてしまった。階段の五段目に足をかけた途端、不意にあるクラスメイトの表情が頭を通り過ぎた。彼はいつも誰かに上履きを隠されたり、財布の中の金をとられたりしていた。殴られたりするのも当たり前で、背後から蹴られるために背中には靴跡がある。噂では、全裸の写真を撮影されたともされていた。担任をはじめとする教職員は、この彼の意思と無関係に発生する惨事など見ないふりをする程度でいいと判断したようだった。僕はいつも彼に話しかけられずに遠巻きに見ている。気づいたら辿りついていた自分の家のドアノブに手をかけた。というよりも、ドアノブに手をかけたことで自分の家にたどり着いたと知った。屋内の冷えた空気を肌が味わった途端、僕の携帯から着信音が響いた。画面には、知らないメールアドレスからの身に覚えのない連絡が届いた様子が文字の連絡となって表示されている。メールに文面はなく、写真が添付されていた。大勢の中に混じる僕が、下から撮影されている写真だった。これは地面すれすれからでないと撮影できない。メールの送信者は分からないが、撮影者が誰かというのは何となく分かった気がした。

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