ヴァイオレット・フィズ⑦

 俺と瀬後さんは紫の部屋を後にして日代の書斎を訪れた。


「どうかしましたか?」


 昨日の一件で少し疲れの滲む日代の顔が扉の奥から覗く。


「ええ、ちょっと。今回の依頼で確認したいことがありましてね。今いいですか?」


 どうぞ、と言って日代は書斎のなかに俺たちを招き入れた。静かな室内には高そうな調度品や本棚が並んでいる。


 俺たちが部屋の中央に置かれたソファに腰を下ろすと日代がその対面に座った。


「神裂さん、確認したいことっていうのは?」

「……コイツを見てもらっていいですか?」


 言って、俺はポケットから細かく砕けたベッドの破片を取り出した。


 一見するとただの木片のようだが、よく見ればその表面に奇妙な紋様が刻まれていた。


 今はバラバラの状態だが、組み合わせればベッドの土台裏を覆うほどの大きさになる。


「昨日の怪物たちの襲撃、あれはアンタの手引きだな?」

「……い、言ってる意味が分からないのですが」


 俺の言葉に日代の表情が強張り、額に汗が浮ぶ。


「コレは俺が寝ていたベッドの裏面に刻まれていたもんだ。さっき確認したが、瀬後さんのベッドにも同じものがあったよ」


 奇怪な図形と紋様を組み合わせたような図柄。


 知る者が見れば一目で魔術を発動させるための儀式陣触媒であることが分かる。


「まさかアンタが同業者魔術師だったとは日代さん。コイツは特定の神話干渉生物を呼び出す為の、召喚儀式の簡易版みたいなもんだろ」


 そして更に効果を高めるために俺達撒き餌を配置した。


 俺は日代を無言で睨みつけるが狼狽えるばかりで口を開こうとしない。


「神裂、日代さんは何を呼び出したんだ」

喰屍鬼グールだよ」


 その言葉に日代の両肩が強張った。


「グールだと?だが、グールは生きた獲物は襲わないだろう。奴らの主食は死体だ」

「普通はな。だがまぁ、あの儀式陣で呼び出されておあつらえ向きに生贄まで用意されてたんだ、襲って殺してその後 喰うつもりだったんだろ」


 俺だってレストランに行って案内された席に極上の料理が並べられていたら何も考えずに食べる。それと同じだ。


 一つ違ったことは、並べられていた筈の料理から手痛いしっぺ返しを食らったことだ。


「おそらく、日代さんは紫の言っているお化けの正体がグールだってことに初めから気付いてた筈だ。だから館の周りにトリカブトを植えたんだ。トリカブトは昔から魔術でも使われるグール除けだからな」


「ちょっと待て。昨日グールを呼び出した本人がグール除けのまじないをしていたのか?」

「植えられていたトリカブトの一部が掘り返されてたろう?ありゃ日代さんがやったんだ、グールの通り道を作るためにな」

「なんでそんな事を?」

「予想はついてるけどな。それも俺から言っていいのかい、日代さん」


 日代は俯いたまま両膝に乗せた手を震わせている。


 どこぞのミステリーでもあるまいし、犯人を前に動機をつまびらかにするなんて俺の柄じゃないが、それでも探偵としてここに呼ばれた以上 仕事の範疇か。


「……チェンジリングだ」


 聞き慣れない言葉に瀬後さんは少し眉根を寄せる。


「グールと人間の契約みたいなもんだよ。人間の子供とグールの子供を入れ替えるんだ。その場合 差し出される人間の子どもは、死体だけどな」


 その言葉に瀬後さんだけじゃない、日代も息を呑む気配がした。


 子ども無くした親がグールと契約することで、差し出した子どもの死体を食べたグールの子どもが、人間の姿に変身する。それがチェンジリングの仕組みだ。


「それじゃあ、本物の紫ちゃんは……」

「随分前に死んでるよ。おそらくあの写真が撮影された直後くらいにな」


 今朝 墓石を調べたときに、土に埋もれた方に紫の名前が刻まれているのを辛うじて確認することができた。


「違うっ‼︎あの子は本物の紫だ‼︎」


 しかし日代は堪えきれない、といった様子で声を荒げるが俺はそれを静かに見返した。


「……違う。入れ替わったのが赤ん坊の頃なら本人に自覚はないだろうが、あの子はグールだ」


 そしてチェンジリングは永続的なものじゃない。この契約には期限がついている。


「もって十年。それを過ぎたらグールの子供はグールに戻る。アンタだって気づいてるんだろ。紫が日光にあたれないのも、普通の食事で満足できないのも、元に戻り始めているからだって」


 日代は反論しようとしたが途中で深くうなだれると背もたれに体を預けて脱力した。


「……紫は病弱な子でした。神裂さんが言う通り、あの写真を撮ったあとすぐ……そのショックで明里まで……あの時の私は普通ではなかった、何としでも二人と会いたい、もう一度紫を抱きしめたい……その一心で、」


 日代は語る、全ての始まりを。


 海外へ頻繁に渡航していた日代は以前たまたま目について購入した古書にグールとのチェンジリングの方法が書かれていたことを思い出した。


 最初はただの眉唾だと思っていたが、藁にもすがる思いで古書に書かれていた内容を実践したらしい。


「なるほどな。それで本物のグールを呼び出したのか」

「……この場所も都合が良かった。森の奥に彼らの住む集落がある、と話していました」

「随分仲良くなったんだな」


 俺の言葉に日代は一瞬 表情を歪めたがそれでも話すことはやめなかった。


「彼らから、チェンジリングの効力が十年であることは聞いていました。でも、赤ん坊の姿で渡された紫は同じ人間としか思えなかった……それから何年も一緒に過ごして、あの子は私にとってかけがえのない、本物の娘になった……それを今更」


「だからグールを退治するよう俺たちに依頼を出したのか?それとも俺たちを生贄に捧げることで、チェンジリングの期限を少しでも伸ばしてもらおうとでも思ったのか?」


「……両方の可能性を考えていました、ですがグールの群れを貴方たちだけで倒せるとは、正直期待していませんでした」


 そこまで聞いて、隣で黙っていた瀬後さんが立ち上がり日代の胸ぐらを掴み上げた。


「瀬後さん」

「黙ってろ神裂。コイツは娘の死体を怪物に差し出したんだぞ、大切な自分の娘の……」


 瀬後さんの瞳から久しく感じていなかった本物の殺意と怒りが滲んでいる。


「貴方だって、娘さんが死んだら同じことをする筈だ……っ‼︎どんなことをしても、もう一度会いたいと思う筈だ‼︎」

「かもな……だが、死んだ人間は還ってこないんだよ。その当たり前を覆して、死んだ娘の身代わりを怪物からもらおうとは俺は思わん」


 その時、俺たちの背後から物音がした。


 振り返ると閉まりかけた扉の間から廊下を駆けていく紫の姿が見えた。

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