第33話【悪夢】
私と
足元には数えきれない無数のタバコの吸い殻。
どれくらい前から私の帰宅を待っていたの
だろうか。
考えただけでもおぞましい。
「やっぱあの金豚の言ったとおり、記憶は失ってはいねぇみたいだな。そっちの方が都合がいいか」
「......誰ですか、あなたは」
「いまさらとぼけんなよ。俺だよ俺、
茶髪と金髪が混ざったお世辞にも綺麗とは言えない長髪。浅黒い肌に体から染み出るタバコの嫌な臭い。
私たちを道具としてしか見ていなかったあの男が、確かに目の前にいる。
「毎日大勢の人間様に抱かれてたあのゆかりさんが、まさかこんな一般人みたいな質素な生活をしてるとは思わなかったよ」
「やめてください」
「聞かれたら困るよな~? だったら早いとこ部屋に入れてくんない? こっちはこのじめっとした空気の中を二時間も待っててクタクタだっての」
吸っていたタバコを足元に落とし、ダルそうに踏みつける。
「できません」
「あ?」
「家主の許可無く、部外者を入れることはできないと言ってるんです」
相手の顔を見ないよう、震える声で私はなんとか霧津木の申し出を拒否した。
「部外者って......俺とお前の仲じゃねぇか。寂しいこと言ってくれる、な!」
私の横を霧津木の右足が勢いよくかすめ、階段の手すりに当たって金属の鈍い音が響く。
彼は気に入らないことがあるとすぐに物にあたる。出会った時からそうだ。
このままでは相手のペースに呑まれ益々萎縮してしまう。何よりご近所さんに見られるのは私としても非常に困る。
「この近くに小さな空き地があります。そこでお話ししましょう」
「空き地ねぇ......まぁ、話しができりゃどこでもいいか」
気だるそうに了承した霧津木に、私は荷物を一旦置きたいからと部屋に戻らせてほしいとお願いする。
階段を上っていると背後から「逃げんなよ~」の声にも振り向かず、早足で玄関の扉を開け、中に入るなりすぐにぺたりとしゃがみ込む。
私の考えが甘かった――店の常連客に特定された時点でもっと注意するべきだったと、日々の幸せですっかり警戒心が緩んでいた数日前の自分を叱ってやりたい。
だが過去のことを悔やんでも仕方がない。
大事なのは今、この危機的状況をどう回避するかに頭を全集中させなければ。
心臓に手を当て、乱れた呼吸を整えるようにゆっくり息を吸っては吐き出す。その繰り返し。
少し経つと徐々に早かった心臓の鼓動が気持ち和らぎ、頭も冷静に物事を考えられるようになってきた。
「......お、ようやく戻ってきたか」
「......では、まいりましょうか」
戻ってきた階段上の私を、霧津木は薄い笑みで見上げ出迎えた。
住宅街から一本道を抜けると、景色が一変する。
畑がいくつも広がり人通りも少なく、街灯も面積の割合に数が圧倒的に足りていない。
初夏の夕方の空が夜の闇に染まりきるまでにはまだ時間はある。
それまでにはなんとかして霧津木を追い払いたい――。
「短刀直入に言わしてもらうわ。ゆかり、逃げたことはこの際許してやるから、俺んとこに戻って来い」
心許ない防犯用の照明が照らす空き地の中、霧津木が先に口を開いた。
「実は俺さ、いま秋葉原で店長やってるんだけど、思いのほか売り上げが伸びなくてな。やっぱ裏がないとダメだわ」
「前の店はどうなったのですか?」
「閉めたに決まってんだろ。お前ら使って荒稼ぎできたのまでは良かったんだが、警察に目をつけられちまってな。おかげでオーナーにめちゃめちゃ怒られたぜ~」
「......
私のその問いに、霧津木が鼻で笑い、
「知らねぇよ、あんな使えねぇ錬成人間。ノルマ達成のために彼氏の容態がヤバいなんて嘘ついたら、必死んなって体売りやがって。
たかが男一人のために命かけるなんてイカれんだろ。ハハッ」
そう侮辱し、まるで彼女を捨てるように、利用価値の無くなったタバコを指で飛ばした。
――その言葉は、私の中の怒りを
「お断りします」
「......は?」
霧津木の目の色が変わる。
怒りでいつもだったら俯いてやり過ごしてしまいそうな状況も、手のひらに食い込んだ爪の感触が私を奮い立たせる。
逃げちゃ駄目だと――。
「お前さ......自分の立場わかってんのかコラァ! ああッ!?」
「痛ッ......!」
視界が大きく揺れる。右の頬が強烈な熱を持ったように痛い。
気付いた時には私は地面に膝から崩れ落ち、腕は土と埃でまみれ汚れていた。
「誰が行き場の無いお前らみたいな人間もどき拾って、社会貢献させてやってると思ってんだよ......創造主様に造り物の分際で逆らってんじゃねぇよ......!」
「......私たちは、あなたたちの玩具じゃない!」
「黙れつってんだろ!!」
私の体を小突いでいた霧津木の足が大きく振りかぶり、何かを覚悟した瞬間――目の前に人影が現れ、霧津木を大きく吹き飛ばした。
その勢いでバランスを崩し地面を転がった霧津木は、ふらつきながらも頭を振って起き上がる。
「......ッ! 誰だコラァ!!」
「和人さん!? どうしてここに!?」
私を守ってくれた影の正体――それはこの場にいるはずのない、和人さんだった――。
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