第3話【名前】
「ちょっとテンチョー。いい加減に買取手伝ってくださいよー」
職場の店長デスクでPCと睨めっこ中の俺を、すぐ横のレジに立つ女性アルバイトの
背中にブルドッグの刺繍が入ったスカジャン、首にはトゲトゲしいチョーカー。明らかに染めたとわかる傷んだターコイズブルーの髪等は本来ならぶっちぎり規定違反なところを、外見とは裏腹に接客技術がアルバイトの中ではずば抜けて秀でているため、特別に許可を出している。
うちは秋葉原のレトロゲーム専門店舗の中では、おそらく最も一日の来客数が多い。
故にトラブルもそれなりに起き、有川さんみたいに若い女性ながらに物怖じせず堂々と丁寧に対応してくれる人物は、店長として大変ありがたい存在だ。
「ん。もうちょっと待ってくれる」
「
「さぁ、どうだろうね」
「何かあるのバレバレじゃないですか」
口角を三日月状に上げ、愛嬌のある表情で俺の頭の上からひょっこり画面を覗く。
『錬成人間は、あなたの心の傷を埋めてくれる、科学が我々に遣わせた宝物です』
国が運営する公式ホームページのトップバナーには、なんとも胡散臭いキャッチコピ
ーが大きく載せられていた。
どうして国が関わるものは、こうもセンスが壊滅的に無いものが多いんだろうか。
中抜きされているのがバレバレである。
「前に錬成人間の同級生がクラスにいたって話、アレしてたのって有坂さんだっけ」
「そうッスよ。小学生の時の、まだ汚れを知らない時代の話しッスけど」
「どんな感じの子だった?」
「私のこと?」
「なわきゃないでしょ。その錬成人間の同級生さん」
「どんな感じも何も、物静かな普通の子っスね。勉強も運動も特にできるわけでもなく。よく休み時間に教室の片隅で一人本を読んでるイメージの」
錬成人間は、過去に”何らか”の理由で大切な人を失った家族に特例として誕生させることが許される、言わば救済措置。
年齢自体に制限がないため、下は赤ん坊、上はやろうと思えば後期高齢者だって可能。
外見は遺伝子レベルで引き継げ、なんと記憶までも移植できてしまうというから驚きだ。
亡くなった人間の遺伝子を培養して生まれるわけではないので、その点はクローン人間とは異なる。詳しいことは専門家ではないのでよくはわからないが。
「いじめとかあった?」
「てんちょー、私がいるクラスでいじめなんか起きるわけないじゃん」
「ですよねー。ちょっと訊いてみただけ」
外見に寄らず、今時の子にしては珍しく真っ直ぐな性格の有坂さん。どうしてこうなった。
「......でも、その子とは中学は別々になっちゃったんですけど、中二ぐらいから登校拒否したとかなんとか。
「登校拒否ねぇ。そのあとはどんな感じ?」
「さぁ? 私も中学入って途中引っ越した関係もあって......」
言葉尻を濁らせ、有坂さんは今買い取ったばかりの商品を狭いバックヤードのコンテナの中、テトリスの要領で隙間ができないよう丁寧に片づけていく。
人は誰もが最初から悪意を持って生まれてくるわけではない。
育った環境により植え付けられてしまった影響が強いと、勝手にそう思い込んでいる。
人と一緒のように見えて、人とは決定的に違う機能面を持つ錬成人間。
善悪の判断が付いているはずの大人の人間社会でも、いじめは平然と起きる。
ましてや子供のいじめは大人以上にタチが悪く恐れを知らない。
学校の授業で錬成人間について学ぶ機会はあっても、未だに錬成人間=スペシャルな能力を持つ、人の皮を被った化け物。なんて誤った認識を持った人間は少なくない。
SNSのニュースでは毎日のように錬成人間の人権問題を扱った記事が溢れ、誕生から30年近い時が流れても、なかなか理解が進まない現状が事態の困難さを表す。
「錬成人間に限らず、次に誰か雇うなら絶対に若くて可愛い女の子オンリーでお願いします。おっさん・おばさんは最初はいいんスけど、後々プライドの高さに苦労するんで」
「俺も一応おっさんの部類に入るんだが」
「てんちょーは別ッスよ。童顔だし、恋愛経験あまりしてなさそうで好感持てるし」
「よーしわかった。今日のこのフロアの買い取りは全部有坂さんにやってもらおう」
「ジョーダンッスよ! 下町庶民の小粋な冗談ってことで許してくださいよー!」
「そういえば髪の毛切った?」
「気付くの遅ッ! もうお昼っスよ!?」
数日前まで肩より少し下だった長い髪は、今朝見たらコンパクトなボブカットに。
あんまりサボっていると思われても、
「おかえりなさいませ。ご主人様」
仕事を終え、家に帰ってきたのは午後9時頃。
その口調でわざわざ玄関前まで来て出迎えられると、疑似メイド喫茶を体験しているようで変な気分だ。メイド喫茶と呼ぶには、狭くて汚部屋手前の酷い惨状だが。
「ご主人様はやめて。ご近所に聞かれたら面倒くさいから」
「ですが私、まだお名前を存じ上げていないので」
これは失念だった。
そういえば俺、昨晩の状況説明ばかりで肝心の名前を名乗るのをうっかり忘れていた。
「遅くなったけど、俺の名前は
「では橘和人様」
「はい」
「お帰りのご奉仕を......」
「ちょーっと待てい」
靴を脱ぎ、部屋に上がった俺の前で彼女は突然床に両ひざを付き、またしても人様の股間に手を伸ばしてきた。なんだこのデジャブ。
「私、何か変なことでも?」
「自覚がないって凄いな、おい。普通はいってらっしゃいとお帰りでこんなことしないから」
「こんなこと、とは?」
「つまり......アレのことだよ」
女性の前で性の話をするのは抵抗感があり、声が
「アレとはなんでしょう?」
「いちいちオウム返ししない!」
「申し訳ございません」
防御した方の手で前髪をいじり、ため息を吐きつつ頭の中を整理する。
今朝も思ったんだが、彼女はいったいどんな教育? 生い立ち? を受けてきたのか。
有坂さんの知る錬成人間は俺たち人間と何ら変わらない極普通の人格だったらしいけど、どうも彼女には節々に機械のような冷淡さが垣間見える。
俺自身も錬成人間とここまで関わったのは初めてのこと。
これではまるで人間にご奉仕するための人形じゃないか。ふざけんな!
「そういう行為はさ、本当は好きな人にだけやる行為なんだよ。むやみやたらに手を出さない。今度やったら家を追い出すから。そのつもりで」
「はい......以後気を付けます」
「よろしく頼むね――
「え?」
「名前が無いと不便でしょ。凛とした雰囲気の中に優しい風が吹く、で凛凪。嫌なら別のにするけど」
「......いいえ。今日から私の名前は凛凪です。こちらこそよろしくお願いしますね、橘様」
「さん付でいいよ。家の中で様付けで呼ばれてたら肩こりそう。それよりお腹空いたでしょ。帰りに弁当買ってきたから一緒に食べよう」
床に落とした弁当の入ったビニール袋を拾い上げ、先にリビングへと向かう。
その後ろを彼女、凛凪さんが立ち上がり、控えめについて来る。
人の性癖? をとやかく言うつもりはないが、事あるごとに男性器を触ろうとする行為は、いくらなんでもやめた方がいいと思う。
間違った倫理観を植え付けた、姿の見えない相手に俺は怒り覚え、凛凪さんの倫理観を少しでも修正してやろうと誓った。
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