第六章 調査その二
1
階段を昇ってくる人がいた。村橋だ。職業病なのか堂々と真っ直ぐにすらりとした足を運ぶ彼女は、二人の元へと近づいてきた。
「どう? 捜査の調子は?」
艶があり軽い口調の村橋に、煌月は淀みのない口調で、
「四割程解明された、といったところでしょうか。現場が密室でこれが中々手強くてですね。まだトリックが解明できていません。当然、犯人の特定にも至っていません」
すぐに進捗状況を答える煌月。その表情には焦りも諦めも苛立ちも無い。堂々と嘘を混ぜて手の内を伏せる策を早速仕掛ける。
村橋は残念そうに肩を竦めて、
「四割も進んだのなら私達よりもずっとマシね。こっちは出口を発見できなかったわ。手掛かりみたいなのも無し。こっちはそろそろお昼だから一旦休もうって話になってね。それで探偵さん達を呼びに来たところなんだけど」
煌月は腕時計を確認した後、
「確かにいい時間です。私達も休憩しましょう」とルナアリスに提案する。彼女も煌月と同意見であった。
ホールに戻ると、探偵と助手と呼びに来た村橋以外全員集まっていた。宝条は大分落ち着いたようで、顔色は若干だが良くなっていた。時計は十二時三十分を少し過ぎたところ。
取り敢えず水分補給をしようと厨房に飲み物を取りに行く。煌月はブラックの缶コーヒー、ルナアリスはスチール缶のオレンジジュースだ。
煌月が席につくと大宮が訊く。
「なぁ白髪探偵、そっちはどうだ?」
大宮が問うと煌月は表情を変えずに答える。
「それなりに成果は出ました。進捗状況は四割といったところですかね」
「四割は解明したってことか。それだと犯人の目星はまだか?」
鷲尾だ。大宮もそうだが彼は見るからに機嫌が悪い。表情にはっきりと出ている。
「ええまだです」
煌月は一気にコーヒーを飲み干した。
「流石に数時間じゃ厳しいですかね?」
佐倉が不安そうな顔を煌月に向けた。
「ええ。もっと時間が必要かと。そちらは脱出口は見つからなかったと聞きました」
「それぞれ思いつく場所を調べたが手掛かりすらなかった。とんだ脱出ゲームだこれは」
竹山も少々苛立っている気配が口調に現れている。脱出口探索組は皆疲れた顔だ。体力的にもそうだが、精神的な部分に少なからず負担が掛かっている事が見て取れる。
「ねぇ、ルナアリスさんは大丈夫だったのでしょうか? 特に死体とか見たでしょうし」
氷川は年端もいかない少女のルナアリスを気に掛けているようだ。
「別に普通でしたよ」
煌月が答えると当の本人は誇らしげに胸を張った。
「お気遣いありがとう。私、法医学を少しだけ学んでいたから平気だよ」
「医学系の大学だったの?」と曽根森が食いつく。
「ううん、専攻は社会学。でも私は色々な学問を少しずつ学んできたの。広く浅くって感じで」
「へぇ、結構博識なんだ。凄いな」
会話が途切れたタイミングで煌月は切り出す。
「皆さんの協力が必要です。実はかなり重要な情報を入手しました」
「おっ? なんだそりゃ」と大宮。
「ダイイングメッセージですよ。羽田さんと木村さんが残してくれました。これです」
煌月はビニール袋を二つ全員に見せた。
手の内を伏せると言っても情報を全く出さないという訳にはいかない。煌月はダイイングメッセージを犯人のリアクションを見る材料に使う。
「ダイイングメッセージっていうのは、被害者が犯人が誰かを教える為に残す物よね?」
「そうです村橋さん。誰の事を示しているのかはまだ分かりません。しかしこれが残っていたという事は、ある可能性が排除できます」
「それは何ですか?」と佐倉が食い気味に聞いた。
「可能性としては、犯人である主催者が我々以外にいて、閉鎖されたこの空間の外から抜け道を通ってきて犯行を行った。所謂外部犯説というものがありました。しかしダイイングメッセージが発見された事で、この外部犯説は否定されます。
ダイイングメッセージは基本的に犯人が誰なのか、個人を特定できたから残す物です。全く知らない外部犯なら残せません。残っていた事自体が否定される理由です。羽田さんと木村さんは正面から矢を撃ち込まれていましたから、犯人の顔を見たのでしょう」
「成る程。じゃあ犯人は今この場にいる人間の誰か、ということで確定ですね」
佐倉の発言に操られたかのようにお互い顔を見合わせる一同。疑念が空気を淀ませ、重苦しい雰囲気が満ちていく。
「羽田さんが残した物はこの手帳です。ここの『K』の部分に血が付いているのがダイイングメッセージだと思われます」
手帳の製造元らしき『RAKOIBEN』の文字を指差す。
煌月はビニール袋に入れたままの羽田の手帳を近くの参加者に渡した。回しながら実際に確認してもらう為だ。
「真っ先に思い浮かぶのは犯人の名前の頭文字だが……」
「それ、私も考えたんだ。該当するのは私と煌月さんと大宮さんだよ」
竹山の意見にすかさずルナアリスが回答する。
「確かに俺は小次郎で当て嵌まるが、お嬢ちゃんは違うんじゃないのか?」
「私の名前は天野・ルナアリス・奏(かなで)だから当て嵌まるんだよ」
「あれ? そんな名前だったか? 他の奴はルナアリスって呼ぶから『R』だと思ったぜ」
「正確には『L』なんだけどね」
そのやり取りを聞いていた村橋は足を組みなおして、
「じゃあ犯人は三人に絞られたという事かしら?」
「ルナアリスさんは年齢的にも犯人ではないと思うので、五鶴神さんか大宮さん?」
氷川が煌月と大宮を交互に見遣る。
「五鶴神さんを信じるなら消去法で大宮さんになりそうだけど……」
今度は曽根森が大宮を見遣る。
「おいおい、俺は犯人じゃないぜ」
当然大宮は否定する。
「五鶴神さんの考えはどうですか?」
竹山が煌月に問う。煌月は無表情のまま口を開く。
「今上がった三人を消去法で考えてみます。
まずルナアリスちゃん。年齢と体格的に考えて、凶器と考えられる弓かクロスボウはどちらも扱えないと思います。当然矢を握って突き立てたと考えても無理でしょう。それに加えて腑に落ちないのが一つ。
羽田さんはその手帳に、他の参加者全員の名前をフルネームで書き込んでいました。このことから天野・ルナアリス・奏という名前を記憶していたと思われます。そう考えると血を付けたのが『K』だけなのは不自然かと。手帳を見て頂ければ分かると思いますが、
「つまり血を付けた文字が足りないと?」
「そういうことです。加えて先程の大宮さんもそうですが、彼女の名前は奏ではなくルナアリスという認識の方が強そうです。一文字だけ血を付けるとしたら、『R』になるかと。よって私はルナアリスちゃんを犯人候補から外しました」
煌月は少し間を置いた。この説明に一定の理解は得られたようだ。
「次に大宮さん。これもルナアリスちゃんと考え方は同じで、苗字を現せる『O』に血が付いていません。羽田さんも含めて大宮さんと呼んでいたようですから、真っ先に血を付けようとするのは『O』でしょう」
「ん? という事は俺も犯人候補から外れたって事か?」
「はい、私は外しました」
大宮は安心したようで表情が緩んだ。
「そして三人目の五鶴神煌月。つまり私です。苗字は『G』なのですが、そもそも『G』はこの文字列にありません。なので名前にだけ血が付いている事に、矛盾が無いように思えるのです。よって消去法をすると私だけが残ってしまう。
実はこれが一番の問題です。仮に犯人候補として残ってしまっても、推理と証拠を必要とせずに確実に犯人ではない。そう断言できる唯一の人物が五鶴神煌月なのです。五鶴神煌月が犯人の可能性や証拠と思われる物証が出てきても、それは絶対に間違いなのです」
一本調子な話し振りで自身の無実を語る煌月。他の参加者達の半数が怪訝な顔を向けるが当の本人は全く気にしていない。というか無表情のまま動かない。
「結果、犯人候補は全員外れることになるのでこれは間違った解答になるでしょう」
「では犯人の名前でないとすれば、誰の事を指しているのでしょうか?」
竹山が全員の疑問を口にする。煌月は間髪入れずに、
「もしかすると犯人の名前を示そうとしたが、そのアルファベットの中に無かったのかもしれません。だから別の何かの事で示そうとしたのではないでしょうか。しかし今日初めて会った人間です。名前以外で特定の人物を表せるような情報は殆ど無い筈ですが」
「言われてみればそうね」と村橋。
各々考えているのか全員が口を閉じた。手帳が一周して戻ってきたところで煌月は話を切り替える。
「羽田さんのダイイングメッセージからは一旦離れて、木村さんのダイイングメッセージの話をしましょう」
煌月は二枚の硬貨が入ったビニール袋を掲げた。
「百円玉と十円玉です。百円玉の方にだけ血が付いています。順番に見てください」
先程と同様近くの参加者に渡した。順番に回っていく。再び静寂がホールに満ちるが、その静寂を散らせたのは竹山だ。
「そういえば部屋の鍵にはそれぞれ花が描かれていましたね」
「その線で考えるなら、候補はルナアリスちゃんと佐倉さんの二人です」
竹山が言い終わる直前に煌月が被せるように発言した。
「それはどういう事だ?」と鷲尾が首を傾げている。
佐倉も不意打ちを食らったかのように焦っている。
竹山が煌月を睨んだ。煌月が続きを話さないので意見を述べ始めた。
「百円玉には桜が描かれています。その面にだけ血が付いているようです。部屋の鍵に描かれている花の事だと考えると、桜が描かれている鍵を持っている人が犯人ではないでしょうか。それか単純に漢字が違うけれど読み方が同じ佐倉さんか」
「成る程、一応筋が通ってると思う。それで桜の鍵を持っているのがルナアリスちゃんなのね?」
曽根森はルナアリスを見遣る。「そうだよ」と幼い声が返ってきた。
「待ってください。では十円玉はどういうことなのでしょうか?」
氷川が疑問の声を上げた。それに竹山が答える。
「十円玉には『
「私の七番の部屋が鳳凰だよ」とルナアリスが自ら申告した。
竹山がルナアリスを見遣る。それに連動するように他の視線も彼女に集まった。
「でもよ、体格的に凶器が扱えないってんで白髪探偵は犯人候補から外してたよな?」
「だよな。こんな小さい子が六人も殺したりはしないって思うが、どういうことなんだ?」
大宮と鷲尾が互いを見遣る。全員が考え込んでいるのか、ホール内が静かになった。
「佐倉さんだけが犯人だとすると、十円玉の説明がつかなくなる。しかし考え方を変えると一応説明がつきそうな状況が出てきます」
「それはどういう状況だ?」
大宮が控えめのトーンで煌月に割り込んだ。
「そもそも『複数犯』だったケースです。実際に矢を撃った犯人と、それをアシストした犯人がいる場合です。ルナアリスちゃんはアシスト役なら務まるかもしれません。
十円玉がルナアリスちゃんで、百円玉の方が佐倉さん。血が付いていた方が実際に撃ち殺した方、という解釈もできるのではないですか?」
「あー成程。複数犯だったケースか」
「拙は犯人じゃないですよ!」
慌てて否定する佐倉。竹山が疑惑の目を向けているが、煌月は相変わらず人形のように無表情のままだ。
「ただ、捜査した感触だとアシスト役が必要な犯行だとは思えないのですけどね」
「一人でも可能な犯罪だと?」
「可能かと。しかし羽田さんのダイイングメッセージから考えると、どうしても自然な形になりませんね。パズルのピースは嵌っているように見えるが、全体を見ると微妙に完成図が不自然。そんな気持ち悪さがあります」
暫く全員が沈黙した。各々が頭の中で推理と犯人捜しをしているのだろう。
この事件の完成図は煌月の頭に浮かんでいる。犯人も絞れた。しかしその完成図は虫食いのように穴だらけ。そこにどんな形のピースが嵌るのかは分かっているのに、そのピースにどんな絵柄が描かれているのかが不明だ。
容疑者は十人。推理を重ねても全員に『犯人である物的証拠』も『犯人ではない物的証拠』も現状は無い。唯一犯人では無いと断言できるのは自分自身で、ある問題から犯人は一人に絞ることはできた。
この場にいる全員が思案を巡らせるが答えが出ないようだ。時間だけが過ぎていく。重苦しい雰囲気が濃くなっていき、いつしか敵意に近い感情が乗った視線が飛び交い始めた。 誰も口を開かない。その内心に蠢くものは疑心暗鬼の霧なのか、それとも憤怒の大火か。しかしこの中にいるのだ。六人を殺した罪を心の中に仕舞い込んだ人間が――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます