煌月が十六番の部屋から退出した。その後ろをルナアリスが追う。

「うわっと!?」

 煌月の足に抱き付くように手をついてルナアリスが立ち止まった。

「どうしました?」

「ちょっと転びそうになっちゃって」

「大丈夫ですか?」

 表情が全く気遣っている人間ではない煌月に、ルナアリスは愛想よく笑った。

「大丈夫だよ。考え事してただけだから」

 煌月は表情を変えないまま「それはよかった」と再び歩き出した。

 二人は隣の十五番の部屋へ移動。ここは甲斐の部屋だ。

 甲斐の死体はベッドに横たわっている。矢に毒物が塗られていた痕跡と思われる皮膚の変色が発見された。死後に死体が動かされた形跡は無い。

「矢の刺さった角度から窓の外から撃ち込まれたと考えられる。足場の問題はクリアされたとなると、次は窓の開閉の問題ですね」

 ベッドのすぐ横の大窓を調べようと手を伸ばした瞬間、その手を何かが止めた。思考に引っ掛かったものがある。

「このカーテンは閉まっていた。最初に蹴破って入ったその時から完全に閉まっていた」

 その事実の意味をルナアリスはすぐに察した。

「外から矢を撃たれたとしたら、カーテンが開いていないのは矛盾しているよね? だって被害者の姿が見えないもん。それだと外れる可能性もあるし、ベッドじゃなくてソファーでうたた寝してたら無駄撃ちだよ」

「確かにそうです。甲斐さん達は仲が良いようですので、佐倉さんか北野さんの部屋で寝泊まりする可能性もあります。せめて室内の様子を窺ってからではないと、攻撃に踏み切れないでしょう」

 相手を確認できないと攻撃が出来ない。それは至極当然の事だ

「それじゃあ犯人は何らかの方法で室内の様子が分かったって事かなぁ?」

 ルナアリスの疑問。それは煌月も同じく抱いた疑問である。煌月は思考を加速させてこの疑問の答えを探す。カーテンを凝視しながら暫し考え続けた。

「このカーテンには穴が開いていない。よって矢がカーテンの向こう側から貫通してきたということではない。これは単純な話で、カーテンを外から開けたのでしょう」

「外から開けた? でもこの窓は他の部屋と同じで、数センチくらいしか開かないんじゃないの? 矢は通るだろうけどカーテンをキッチリ開け閉めするのは無理なんじゃないかなぁ」

「それを調べてみましょう」

 カーテンを開けて窓を調べるとルナアリスの予想通りだ。右側が嵌め殺しなので、十六番の部屋と違って開くのは左側だけだ。そこも左側は五センチ程しか開かない。矢の大きさから考えれば、この隙間を通ること自体は可能とみて間違いない。

「ねぇ、外から撃ち込まれたように偽装した可能性はないの? 室内に入った後窓の方に腕を近づけて撃った、というのはどうかな?」

 ルナアリスの意見。煌月すぐに否定した。

「いや、ベッドが窓側にピッタリくっついて配置されています。スペース的にそのような偽装はできないかと。ベッド自体も動かした形跡がないようです。やはり外から撃ち込まれたようです」

「そうかぁ」と納得したように頷くルナアリス。

 窓の中央にドアについていた物と同じくスライド錠が付いている。大きさはドアのよりも小さい。

「ただ、この窓は施錠状態だったというのが気になりますね。スライド錠が掛かっていましたから」

「ええっ!? それじゃカーテンの前にそもそも外から開けられないよ?」

 翡翠の小さな目が窓を見上げた。

「普通は防犯の問題で、外から開けられないようになっている筈なんですが……」

 この場所は谷に迫り出している事を考えると、窓の防犯対策は考えなくてもよさそうではある。煌月は三十秒程考えた後、

「密室と見せかけて実は外からの攻撃だった。しかしこのスライド錠が施錠状態だった事で、やはり密室だった。

 煌月は五センチ程開いた外への隙間を感情の無い顔でじっと見ている。

「ルナアリスちゃんにちょっとご協力を願いたい」

「勿論いいよ。何をすればいいの?」

 跳ねるような足取りで煌月の隣へと移動した。煌月はスマホを取り出す。

「窓の裏側を調べたいのです。この窓は木村さんの十六番の部屋と違って、全開にはならないようです。ただ現場保全の観点から窓自体を壊したくはありません。

 この隙間、ルナアリスちゃんの手の大きさならギリギリ通れそうなので、スマホを使えば裏側を撮影できるのではないかと思ったのですが」

「なるほど、そういうことならやってみるよ」

 ルナアリスはビニール手袋を脱いだ。

「ではお願いします。落とさないようにしてくださいね」

 スマホは大きな手から小さな手へと渡された。

「オッケー、まっかせてよ。……そうだいいこと思いついた」

 スマホを受け取ったルナアリスは、スカートのポケットから細い深紅のリボン付きの髪留めを取り出した。昨日彼女が付けていた物だ。

「スマホケースにストラップの紐を通せる部分があるでしょ。ここにリボンを通してリング状に縛る。…………これでよし。ここに手首を通せば、もしも手から滑り落ちたとしても大丈夫」

 試しに手を離してみても、手首と繋がったリボンがスマホを宙に浮かばせる。

「これはいいですね。ナイスアイディアですよこれは」

「でしょ?」と翡翠の瞳が自慢気に輝いた。

 スマホを握ったルナアリスが窓の傍で見上げる。

「窓が高いから持ち上げてほしいな」

「抱きかかえる形でいいでしょうか?」

「うん、いいよ」

 煌月は膝を折って「それでは失礼」と背中を向けたルナアリスの小さく細い体を抱え上げる。大きな煌月の手はまるで空の段ボール箱を持ち上げるかの如く、軽々と華奢な体を浮かばせる。お姫様抱っこから上半身を立たせて、自分の左腕を椅子のように座らせる形にすることで、なるべく負担にならないような楽な姿勢にする。正面から見れば大きな人形を抱きかかえる腹話術師に見えるだろう。

「痛くないですか?」

「うん、大丈夫だよ。とっても楽。煌月さんは抱き方が優しいね」

 煌月に身を委ねる彼女はどこか満足そうに頬を緩ませている。

 人形のようなルナアリスを、死体が乗っているベッドに気を付けながらゆっくりと近づけていく。

「スライド錠の裏側をお願いします」

「オッケィ、いけるいける」

 スマホを操作してから窓の隙間へ左手を伸ばす。手首を返したり肘を動かしたりして角度を変えていくと、小さな手はスマホと共に窓の外へと無事に出ていった。スマホをしっかりと持った手を微調整して、目当ての部分に向ける。

 そのまま少し待つと撮影終了の音が鳴った。ゆっくりと小さな手を引っ込めて室内に戻す。煌月は骨董品を大事に扱うようにルナアリスを優しく床に降ろした。

「よーし早速確認だぁ」

 ルナアリスの小さな手がスマホの画面に触れる。煌月はしゃがんで斜め後ろから画面を覗き込む。同時にムービーが再生された。

「……ここ見て。スライド錠の真裏に小さなレバーみたいなものがあるよ」

 一時停止させてから該当する部分に人差し指を置いた。

「確かに。ここのスライド錠はクレセント錠と違って半回転させる構造じゃない。内部で繋がっていて一体化していれば、外から開け閉めできるかもしれない」

「私が試してみるよ。もう一度持ち上げてくれる?」

「わかりました」と煌月は再び先程と同じようにルナアリスを持ち上げた。

 今度は何も持っていない左手が隙間を抜けていく。

「この位置なら届きそう……届いた。動かしてみるね」

 内側のスライド錠に注目すると、それはゆっくりと動いて施錠状態の位置で止まった。逆の動きをすると元の開錠の位置まで戻った。

「これで窓が外から開け閉めできる事が分かりました。ありがとうルナアリスちゃん。貴方がいなかったらこの事実に気が付きませんでした」

「えへへ、お役に立てて何よりです」

 ルナアリスは煌月の腕の上で誇らしげに小さな胸を張った。優しく床に降ろした後、煌月は手帳にこの事実を書き込んだ。

 その様子を見上げたルナアリスは気が付いた。煌月の表情が僅かに柔らかくなって喜びの感情がほんの少しだけ浮かんでいることに。

「後はカーテンの開け閉めですね。この隙間ならルナアリスちゃん以外の人は、手を入れて動かすのは無理そうですが……」

「でもこれも外から操作できる仕掛けがあるんじゃないかな」

 煌月は左手を口元に当てて十秒考えた後に、

「いや、カーテンに関してはもっと単純な方法ですよ。菜箸とかトングとか、そういう形状の摘まむことが出来る道具を使えばいい。この隙間を通せる大きさの物で、カーテンを外から動かしたのではないでしょうか。波打ってる形状のこのカーテンなら、摘まみやすいでしょうし」

 煌月がカーテンを動かす。カーテンレールに沿って厚めのカーテンは左右に動く。何往復かさせると、さっきは気が付かなかったある仕掛けを発見した。

「このカーテンレール、内側にローラーが仕込まれているようです。これならば少ない力でスムーズにカーテンを動かすことができますね」

「へぇそんな仕掛けがあったんだ。それじゃあこの部屋のトリックは解明だね」

 小さな頭が黒髪を揺らしてカーテンの上部を見上げた。

「トリック自体は解明でいいでしょうが、この部屋には気になる所が一つ」

そう言ってテーブルの上に置かれていたこの部屋の鍵を回収。入り口まで戻る煌月。それに二歩分の距離で付いていくルナアリス。

「この部屋には犯人は侵入していない。けれどもこのドアの補助錠も掛かっていた」

 補助錠は他の部屋と同じような壊れ方をしている。

「普通は補助錠まで掛ける人は少ないような気がします。犯人はより強固な密室に見せかける為に、廊下から補助錠を操作したのかもしれません」

「より強固な密室に……」

 反復しながら指先で小さな唇を何度も小さく叩く。

「密室殺人のメリットの一つは、犯行不可能な状況を作り出すことにあります。要するにどうやって犯行を行ったのかの全容が分らないのに、殺人罪が成立するのか? ということです。

 これ弁護士や裁判官、検察官や法学者等の法律に関わる人達の間で意見が分かれているらしいですよ」

「えっと……。それって密室の謎を解かないと有罪にできない。密室の謎を解かなくても有罪にできるとか?」

「そうです。どうやって密室にしたのか不明という点以外で、犯人を断定できる証拠が揃っているケース。実際に私が関わった事件であったんですよ。その時は関係者達の間で有罪に出来るかどうかでかなり揉めたそうです。

 結局は密室問題を何とかしろって話で、検事が警察と再捜査を始めました。で、お手上げの警察は私に協力を依頼してきまして」

「へぇ~。最終的には煌月さんが解決したんでしょ?」

「何とか密室破りに成功しました。否認と黙秘を徹底されても逃げられないように、出来る限りの事実と情報と証拠を掻き集めました」

 その時の検事とかなり衝突したのだが、それはまた別のお話である。

「犯人の逃げ道を全て徹底的に塞ぐ。他の部屋で補助錠が操作されたのなら、この部屋も犯人が補助錠を操作した可能性を考えるべきです」

 煌月は破損した補助錠を見遣る。蓄積された過去の事件のデータから手掛かりを探す。全く同じトリックは見つからないが、類似する方法ではないかと思考をフル回転させる。

 しかし答えは見つからない。事件解決の重要事項である密室が立ち塞がる。

「この問題は保留で。十四番の部屋がまだでしたね。そこへ行きましょう」

 切り替えの早さも煌月の武器だ。

 煌月は廊下へ出て室内から回収した鍵を確かめる。確かにこの部屋の鍵だ。百合の花が描かれている。

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