援助交際

ふじかわ さつき

援助交際

 いつも見かけるあのヒトは、援助交際をしているらしい。


 どこにでもある商店街に落ちた隕石のようなその存在にいつの間にかそんな噂が纏わりついていた。


 老人たちで賑わうその場所に突如現れた燃えるように赤い髪は、そこに存在しているということを世間に叫んでいるような刺々しさがあった。


 どこにでもいるような格好で出勤する僕は、数え切れないほどいる有象無象の中の一人で、その中で存在を主張出来るほど自分に価値があるとは思えなかった。


 だから、初めてその姿を目にした時からずっとその赤髪の存在が気になって仕方が無かった。


 ある時、商店街を自転車を漕いで通りかかると、赤髪はシャッターの降りている店の前に座り込んでタバコを吸っていた。


 その前を通りかかる老人たちの傍を僕が通り過ぎるとき、ある会話が耳に飛び込んできた。


「あの子、援交してるんだってねえ。」


「らしいわねえ。」


 その会話を聞いた瞬間に、あまりの衝撃に僕は自転車の変速を一番重くして商店街を駆け抜けた。


 その噂は本当なのだろうか。


 勝手に言っているだけだろう。


 でも、もし、本当だったら?


 本当だったら、何なんだろう。


 彼女は、僕にとって他人なんじゃないのか。


 老人たちは彼女が嫌いだからそう言っているだけだろう?


 でも、そう言っている僕は彼女が好きだからそう言っているだけなのかもしれない。


 いろんな考えが頭をよぎった。


 でも、皮肉なことに長く生きているだけあって自分がどう行動すればいいのか、その答えは決まり切っていた。


 翌日、僕は彼女を尾行した。


 彼女はただぼうっとして、煙草を吸っているだけだった。


 なんだ。援交なんてしてないじゃないか。


 胸をなでおろした瞬間だった。


 彼女の前に男が三人現れて、何やら話をしている。


 一人は黒のレザージャケットに、金に染めた髪。


 一人は黒のタンクトップに銀色のパーマヘア。


 一人は柄シャツに黒い長髪を後ろで束ねている。


 見るからに厳つい恰好をした輩だった。


 彼女は彼らについていって商店街の隅にある小さな店の中へと消えていった。


 慌てて僕はその後ろを追いかけて、彼女が入っていった店の名前を見る。


 古びた店の名前は所々剝げ落ちていて断片的に文字が並んでいる。


 L VE HO E S  U A


 その文字を見た瞬間に膝から崩れ落ちそうになる。


「LOVE HOTEL」にしか見えなかった。


 やっぱり彼女は、援助交際をしてたんだ。


 泣きそうになってその場から逃げ出す。


 左右には古い商店街には似合わない高級ブランドをショーケースに入れて店前に出している中古品のショップがいくつも並んでいる。


 それを横目に見ながら必死になって走る。


 ヴィトン、ブルガリ、グッチ、エルメス、ティファニー、プラダ、シャネル、カルティエ。


 彼女が望むのであれば全部買ってあげるから、あんな奴らより僕と一緒にいて欲しかった。


 僕の中で、一つの世界が滅びてしまう。


 そう思うと、無性に虚しくなって商店街の広い道の真ん中で立ち止まる。


 少し考えて、振り向いた。


 ここを、この瞬間を人生の分かれ道にしようと決心する。


 またあの店へと走り出す。


 店の前に着くと、中からは騒音が聞こえる。


 心臓の鼓動のようなその重たい音に思わず尻ごんでしまう。


 でも、彼女を救うと決心した僕を止められるものは何も無かった。


 思い切って店のドアを開けると、すぐに地下へ続く階段が現れて、その奥の扉から叫び声と心臓の鼓動のような音が漏れている。


 僕は勢いに任せるようにして、階段を駆け下りて扉を開いた。


 そこには、スタンドマイクに叫び続ける彼女の姿があった。


 彼女の前には、何人かの人が彼女に向かって手を伸ばしている。


 金髪と、銀髪と、長髪は、それぞれギター、ベース、ドラムを演奏している。


 そのカオスな光景に呆気に取られている僕を、彼女は指さして「君!よく来たね!そこに突っ立ってないでこっち来な!」とマイク越しに叫ぶ。


 その声の衝動に、僕はまんまと動かされて数人の客と思わしき人たちに交じって彼女の前に立つ。


 前と言っても、彼女はステージの上に居て、僕は彼女を見上げる形になっていて、他の客は、「ナナー!」と叫びながら彼女に向かって手を伸ばしている。


 彼女はどうやらナナというらしい。


 彼女は周りを囲む声や、楽器の音に負けないようにマイクに向かって叫び続けている。


 ほとばしる汗、熱狂的な声援、耳の中を通り抜けて体を突き抜けていく音色、叫び声。


 この空間ではそれらすべてを人が望んでいて、一人一人の存在が必要なもののように感じた。


 僕は思わず彼女に向かって手を上げて「ナナ!」と叫ぶ。


 彼女はまんべんなくこの空間を自分で支配していく。


 そこはライブハウスだった。


 彼女は体の底から僕たちに向けて叫び続ける。歌い続ける。


 あの噂は嘘だったし、彼女もその噂を耳にしていたんだと思う。


 彼女は何もかもを吹き飛ばすように歌っていた。


 余りに勢いよく頭を振り回すから、彼女は赤い髪が縦横無尽に乱れる。


 その衝撃と、彼女の叫び続ける歌の歌詞を僕は一生忘れない。


「あの子は、どこかの、誰かと。」


 いつまでもあの地下のライブハウスで彼女は叫び続けている。


「あの子は、どこかの、誰かと。」


 客と、バンドメンバーを巻き込んで歌い続けている。


「みんなで歌うよ!せーのっ」


 そして商店街で渦巻く老人たちのあの噂も途切れない。


 だからこそ、この商店街は生きているのかもしれない。


 彼女と、彼女の仲間と、僕たちファンと、老人たちアンチは今日もその繋がりを確かめるために言い続ける。


「あの子は、どこかの、誰かと、援助交際。」














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