第17話 昔馴染みの山

「日本百名山を全て登山し切る」


その意気込みとしては良いだろう。


しかし山登りのノウハウがないまま、

いきなりハイレベルなところに突撃すると

それこそ自滅して死にに行くようなもの。


敗北必至なのでしばらくは山学校の講座に通ったり

あるいは登るのに苦労しない、

高尾山レベルの山でも良いので山行経験値を稼ぐことにした。


スクールに行く、学ぶ。

トレーニングと称して地方に赴き、グルメに勤しむ。


地図の読み方やコンパスの使い方、

これらスクールで学んだことがさっぱり頭に入らないが

それでも前向きに取り組めたのは

セルフコーチングで自己肯定感が上がっているから。


「確かに難しいが、自分なら失敗するはずない」

「何をやっても自分は成功する」と。


引き際が悪かったのは今思えば

自己肯定感というものが仇になってしまったからなのかもしれない。


さて、低山ならちょうどいい練習台がある、

と思って思い出したのが神奈川の方にある大山。


ここなら無理のない高さだし練習には打って付けと言っていい。


子供の頃に毎年のように、親に連れられるまま登っていた縁がある山。

山に登りたくないなんて、駄々をこねていたこともあったっけ。


小学校の頃の遠足でも来たことがあったかもしれない。


この山には散々お世話になった、

行きも帰りもグルメの記憶ばかりが蘇る。


帰りに地元の蕎麦屋でたらふく食べたのを覚えている。

山に登るとちょうどいい運動をしたような気持ちになれるのだ。


そんな思い出の詰まった山である、神奈川の大山に

単独で登る時がやってきた。


子供の頃以来なので見慣れた光景なのか

そうでないのかすら区別がつかぬまま登りゆく。


記憶が曖昧になっている今の僕でも「わかる」とはっきり言えるのは

会社で働いている時は心が死んでいるけど

山に登って自然を眺めている時は心が躍っている、ということである。


正味、そんなの比べても意味ないのだろうけど、

会社に与えられた仕事をやっている時より


山を登って自然を見ながら歩いている方が

明らかに生き生きしている。


それはもう「間違いない」と言い切っていいくらい。


行きと帰りでこんな風景をみた、

帰りにこんなグルメを食べた、


そんな調子でやっているのが本当に心地よかったのだ。


子供の頃から登っていた、この大山には

実は私にとってそれなりに大きな意味があった、

と知るのはまた後年の話になる…。

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