猫又夢日記

@yumasoul

第1話 猫好きの商人

明和元年、まだ江戸の町に大火の起こるその前の事―

私の知人に酔狂なる人物があって、これがあまりにも

おかしげな事なので、近所にも広く知れ渡ってはいたが、

奇才は惹きあうのであろうか。

平賀源内やら杉田玄白らにも通じては

彼らすらもしばし笑わせる狂人ぶりだと聞く。

私も源内氏の魚類図鑑などを一度、この目で

拝謁させていただいた事もあり、

何とも奇妙な方であるとは思ったものの、

かの有名なエレキテルはじめ、何から何まで

あらゆる方面に手を広げられておるの感を否めず、

どちらかといえば器用貧乏な人というふうに思えたもの

だった。

旧知の仲にもかかわらず玄白殿のほうは謹厳実直なお方で

西洋の医学やらにも精通し、外科手術という

人間を刃で切っては、腐った腸などを取り出し、

再び縫ってみせるという神業もこなせる名医であられた。

しこうして、源内氏は武士でありながらも

多方面に手を出し、武士からぬ身なりの時もあったが、

玄白氏は武士というよりも、医師そのものといったような

身なりであられた。

そして私が出会った三人目の男は、これは唐と阿蘭陀とを

行き来する商人で、太った体をした細い目の

穏やかな男だった。

聞けばこの男、舶来品などをお江戸に流通させては

莫大な儲けを得ているらしいが、

この男の妙なところとは―

果たして大の猫好きである上に、商売で得た金を

朝暮なく、ただひたすら猫の研究に注ぎ込んで

いるらしい。

そのうちにあちこちより取り寄せた猫の妙薬など

聞きつけては、猫どもに食させて、

さていかなる反応ありやと

つらつら帳簿に綴る毎日であった。

時には希臘(ギリシャ)の女神の真似事と称しては、

猫たちを台車にくくりつけ、猫戦車なるものを作ったが、

さすがにあの気ままで自尊心も高い動物だけあって、

鞭でたたいて云う事を聞かせる事も出来ないし、

何よりも本人が猫好きなだけに、鞭で叩こうなどとは

ゆめゆめ思わない。

かくして猫戦車はまったく動かぬままで、

人々も「ああ、おかしい!」と手も叩いて通りすがりに

笑い飛ばすし、猫たちはしばられて不機嫌そうな顔で

主人をにらむばかりであった。

これでは仕方がないと思ったらしく主人は、

一人の飛脚を取り寄せた。

はて何を企むのであろうかと見ていれば、

飛脚の腰に何本も紐を垂らし、

紐の先に猫どもの好物たる焼き魚などつけて

彼らの前を走り出した。

これには猫たちも目のいろを変えて、

「いざや待て、昼飯!」の形相で、ついに猫戦車は、

がらがらとものすごい速さで走り出し、主人も

「見よ、これでわしも希臘の神じゃ」と満足げに笑んだが

あまりにもその様子がおかしく、

ただ街道の往来は爆笑ばかりが、

聞こえてくるままであった。

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