気触れかぶれ

小狸

短編


 中学校3年の秋、クラスで、卒業式に向けて日めくりのカレンダーを作ろうという企画が持ち上がった。そこに1人ずつ皆に向けたメッセージを書いていく。担任は朝のホームルームでそれを読んでめくって、クラス全員分を読み終えたその日が卒業式になる、という計算である。


 コロナ禍とは縁のない平成の世であったから、学級閉鎖などは今ほどはなかった。


 当時の僕は、ひねくれ者であった。


 否、ひねくれ者を演じていたかった。


 更に言葉から容赦を奪うと、皆にひねくれ者と思われたかったのである。


 僕は、そこにまあ酷いメッセージを書いた。


 恐らく、皆が書きそうな「皆ありがとう」だとか「卒業してからも一緒だよ」だとか「○○のことは忘れないよ」だとか、そういう「良くあるもの」とは全く逆のことを書いたような気がする。


 クラスにいてごめんなさい、とか。


 馴染なじめなくてすみません、とか。


 自罰的、自虐的なことを書いて――朝の担任を困らせていたように思う。


 当時の僕はそれを読まれて、愉悦ゆえつひたっていたというのだから、今考えても死にたくなってくる。


 そんなメッセージの中で、一つだけ、僕が記憶しているものがある。


 クラスメイトの――名前は忘れてしまったが、彼の一文だ。



「明日の皆は、幸せですか。」



 彼は、決して目立つ方ではなかった。


 それを読んだ担任教師や、僕らは、「気取っている」なんて言い、彼自身も「いやあ、他に思いつかなくて」と笑っていたけれど、今考えると、それほどに重い言葉もない――と僕は思う。


 だって、あれから十余年経った今でも、しっかりと、僕の心に、その言葉は残っているのだから。


 きっと彼は、僕のようなひねくれたい一心で列を乱す者ではなく、初めから同じ列に存在することのできない、だったのだろうと、今になって思う。


 成人式には、彼は現れなかった。


 だから、現在どうしているかは、ようとして知れない。


 ただ、きっと。


 令和れいわの、多様性という言葉で少数派を無理矢理土俵に上がらせるこの世の中、その問いを発したとしても、彼はこう答えるだろう。


 中学時代と、同じように。


 はぐれていても、ズレていても、いびつでも、壊れていても。


「幸せです。」

 

 僕は、そんな彼が少しだけ。


 うらやましくて、ねたましい。



(了)


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