第2話 虹色の薔薇

 寂しさに気付いてしまうと、気持ちが高ぶってポロポロと涙が零れ落ちる。

 庭園の中に満ちた花の香りは甘く優しいけれど、涙で視界がぼやけてよく見えなかった。


 いい加減、涙を止めて茶会に戻らないとお父様に心配されてしまう、とゴシゴシと目をこすったラヴィニアに、横からハンカチが差し出された。

 うつむいて気が高ぶっていたので、ハンカチが差し出されるまで横に人が来たのに気が付かなかったから、ひどく驚いてしまう。

 

「虹は好き?」


 唐突に尋ねられて、パチリと大きく瞬いて顔を上げた。

 知らない男の子が横に居た。

 魔法使いみたいなズルズルと長いローブをまとい、耳ではキラキラと輝く三日月のピアスが揺れている。

 艶々した黒髪と鮮やかな蒼眼が印象的な少年は、線が細いけれど賢そうな眼差しをしていて、ラヴィニアよりも2つ3つ年上に見えた。


「花は好き?」


 少年は流れ落ちる涙に手を伸ばし、ハンカチで押さえるように拭き取りながらそんな風に尋ねてくるので、コクリ、とラヴィニアは小さくうなずいた。

 先ほどの茶会の参加者の顔と名前を記憶から引っ張り出し、該当者がいない事を確かめてから「あなたはだぁれ?」と尋ねてみる。


「エルダリオン・シルヴァンドール。エルでいいよ、お姫様」

「シルヴァンドール様のお弟子様? お姫様じゃないのよ。わたくしはラヴィニア・ドラクロワ」


 王宮勤めの筆頭魔術師であるシルヴァンドールは後進の教育にも熱心で、才能のある孤児を数名引き取って育てていると聞いていた。

 そのうちの一人だろうと思考を巡らせていたら、エルダリオンは手にしていたハンカチをラヴィニアの手に握らせる。


「僕にとって貴族のお嬢様は、みんなそろってお姫様さ」


 そんな風にクスクス笑うので、ラヴィニアもつられて笑ってしまった。

 たったそれだけで不思議なことに涙が止まる。

 今日初めて見た屈託ない笑顔に、心のひび割れが癒えてきた。

 そして泣き顔を見られた恥ずかしさにうつむき、キュッと手の中のハンカチを握りしめる。そっけないほどシンプルな木綿のハンカチは、ラヴィニアにとってはとてつもない宝物と同じだった。


「あの……あのね。本当は洗濯をしてお返しするものだけど、次にお会いできる日が来るかもわからないの。あなたのハンカチを汚してしまったから、わたくしのハンカチと交換してくださる?」


 ドレスのポケットから絹のハンカチを取り出して差し出すと、エルダリオンは困ったように眉を寄せた。

 けれど、ハンカチ交換を申し出るなんて我儘過ぎたかもしれないとションボリするラヴィニアの様子に気付いて、サッと絹のハンカチを受け取ると自分のポケットにしまい、ありがとうと言ってエルダリオンは立ち上がる。


「勘違いしてるみたいだけど、木綿と絹じゃ価値が吊りあわないと思っただけで、別に嫌ってわけじゃないから。お姫様が良ければ、交渉成立」

「ふふ、なら良かった。ラヴィと呼んで、わたくしはお姫様じゃないもの」

「あ~光栄だけど、調子に乗るなって師匠にボコボコにされるから、お姫様の名前は呼べない。代わりに良い物やるよ」


 そう言ってパチリと指を鳴らすと、キラキラと光の粒がラヴィニアの周りに舞い散って集まり、エルダリオンの手の中で虹色の薔薇の花になる。

 生まれて初めて見る魔法に声もなく魅入っているラヴィニアに、満足げな笑みを浮かべたエルダリオンはその手を取って立ち上がらせる。

 ドレスに汚れを軽く払って綺麗になったのを確認すると、複雑に編み込まれたラヴィニアの銀の髪に虹色の薔薇を飾った。

 

「送るよ、会場まで。そろそろ戻らないと、誰かが探しに来てしまうだろ?」


 茶会の出来事を思い出して、ヒクリ、と口元をひきつらせたが、ラヴィニアはコクリとうなずいた。

 どれほど嫌でも、会場に帰らないという選択肢はない。

 それに、例え会場内まで付き添ってもらえなくとも、近くまでエルダリオンが来てくれるなら怖くないと思った。


 茶会の会場までは短い距離だったけれどエルダリオンとの散策は、ラヴィニアにとって今日一番の幸せな時間となった。

 花壇に咲いているどの色の花が好きか、とか、明日の天気がわかる魔法があるのか、とか。二人並んで歩きながら、そんなふうにとりとめのない話をしただけだが、それだけでラヴィニアの気持ちは上向いていく。


 茶会の会場手前にある薔薇のアーチに辿り着くのはあっという間だった。

 ラヴィニアは別れを惜しみながらも感謝を込めてカーテシーを披露すると、エルダリオンは赤くなって横を向いた。カーテシーは目上の者への挨拶であり、最上級の敬意や感謝を伝える方法であることも知っていたのだ。

 つまり、侯爵家のラヴィニアがマナーとしてカーテシーを贈るのは、通常なら王族と公爵家に限られるから、感謝の度合いの大きさに照れるのも当たり前だった。


 素直になれない年齢の少年らしい「たいしたことしてねぇし」といった小さな照れ隠しは風に紛れたが、エルダリオンは長いローブをバサリと後ろに払い、胸に手を当てる魔導士の正式な礼をする。

 丁寧な動作で顔を上げると、彼本来の素の表情でニカリと笑った。


「なにがあったかわかんないけど、自信持てよ。その辺の貴族のおばさんたちより、お姫様の方が大人で淑女だ」


 率直すぎる言葉に、一瞬、胸が詰まった。

 ラヴィニアはクシャリと顔をゆがめ、何とか笑顔を取り繕う。

 先ほどまで泣いていた自分自身と一緒に、お友達との出会いを楽しみにしていた昨日までの自分も、エルダリオンの笑顔に報われた気がしたのだ。


「ありがとう、エル」

「どーいたしまして。じゃぁな、綺麗で可愛いお姫様」


 ニッと楽しげに笑うと片手を軽く上げて、エルダリオンは早足に去っていった。

 遠ざかる藍色のローブが見えなくなってから、ラヴィニアはペチペチと自分の頬を軽く叩いて気合を入れると、薔薇のアーチをくぐった。


 泣いてしまった子供の自分とは、これでサヨナラ。

 まだまだ未熟でも、ここからは大人で淑女のわたくし。


 顔を上げて、堂々と胸を張って席に戻る。

 花摘みからの戻りが遅い事をあてこすられても、ニコリとやわらかな微笑みで「途中の庭園の花が見事で時間を忘れていました」と流した。

 さんざんラヴィニアについて好き放題言ったくせに、茶会に参加したすべての人の名前を正確に呼んでみれば、貴婦人たちの顔色は悪くなった。

 はじめに挨拶を交わして顔も名も晒しているのに、普通の子供同様にすべてを記憶できないと思っていたらしい。


「わたくし、お話した人の名前と顔を覚えるのは得意なのです。もちろん、聞いたお話も忘れないように努力いたしますわ」


 嘲笑と揶揄に染まった空気が完全に消えた。

 親にならっていた子供たちはピンときていないようだったが、その母親たちは違う。

 宰相補佐の父に「嘘をついてもすぐにばれてしまうから、今日の事はそのまま話すつもりです」と言い切ったラヴィニアの清々しい笑顔に、恐れおののいていた。

 ドラクロワ家の正統な後継者が誰であるのか、ようやく気付いたのだろう。


 微笑むラヴィニアは、それから揺るがなかった。

 小さく無防備だった女の子を、悪女に作り変えたのはこの人達なのだ。

 賢しらだと評されようとその姿は貴婦人然としていて、実年齢の幼さを感じなさせないものだったから、嘲笑できるはずもない。

 この先、どんな風に父が行動していくかなんて、ラヴィニアにはわからないので気付かない振りをして流しておく。


 寂しくないと言ったら嘘になるけれど、ポケットには木綿のハンカチ。

 髪には魔法の薔薇がある。


 終盤とはいえ、まだ茶会の途中。

 とりとめのない話が続いたけれど、ラヴィニアは親である婦人たちの集まりの中で、各々の領地の話を聞いて過ごした。


 難しい言葉の意味は分かりづらいが、記憶するのは得意なのである。

 同年代との交流は無理だと割り切って、収集した情報を父に伝えることに目的を切り替えれば、なんてことないのだ。


 エルダリオンとのやり取りを思い出すだけで、顔を上げて微笑む事が出来るラヴィニアだった。


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