稀代の悪女に名を連ね

真朱マロ

第1話 悪女の名前

 ラヴィニアとは悪女の名前である。


 正しくは、悪女と評された女性の名前を調べれば、当たり前に出てくる名前である。

 歴史書に残された名は数多にあるが、悪女として「ラヴィニア」でページが埋め尽くされた様は、いっそ壮観でもあった。

 

 あるラヴィニアは、正妃を毒殺して、自らも毒杯を賜った側妃だった。

 別のラヴィニアは、皇帝を操り国を傾け、クーデターの果てに首を落とされ愛妾だった。

 違うラヴィニアは、贅沢三昧で国庫を空にした咎で、公開処刑を行われた正妃もいる。

 

 他にも、娼婦から王族の愛妾に成り上がったラヴィニアも居るし、不遇の王弟を唆し王位簒奪を示唆した末に死刑台送りになったラヴィニアも居るし、媚薬や毒を使い貴族社会を腐敗に導いた医師のラヴィニアも居るし、重要な国家機密を色仕掛けで国外に持ち出した女優のラヴィニアもいる。

 こんな風に次から次へと記録は途切れず、自国だけでなく近隣まで含めると、ラヴィニアの名を持つ悪女は膨大な数にのぼっていた。

 

 まさに、悪女といえばラヴィニア、ラヴィニアといえば悪女。

 それもただの悪女ではなく、国家すら揺るがした稀代の悪女である。

 あまりにも多くの悪女ラヴィニアの逸話があふれているため、ここまでくると真偽がどうあれ事件があれば「ラヴィニア」の関与がささやかれるほどだ。

 それは「執事といえばセバスチャン」であり「タマといえば猫、ポチといえば犬」と似たようなもので、合言葉に近い扱いになっている。

 風評被害も甚だしいが、なにしろ実績が歴史書の中にもありすぎて、世の人々の間に「ラヴィニア」の名は悪女として浸透していた。

 

 そういった事情があるので、世間一般的にラヴィニアの名前は忌避されているが、時にラヴィニアを女神のごとく敬う変わり者も存在していた。

 負の側面に目をつむってしまえば、記録に残る「ラヴィニア」は総じて能力が高く、光り輝くほどの美貌を誇り、巧みな話術と知的な頭脳も持ち、華やかで魅了的な存在だった。

 そういった奇人の名付けを受けたのちに、清く正しく美しく育ったラヴィニアは、魅惑的な話術と美貌で自身を妖艶に演出しながらも、悪女の逸話を利用して機転の利く良妻賢母になる率が高かった。

 負の側面を反面教師とした彼女たちは、愛情深く家を盛り立て領地も高度に発展させるので、どん底からの起死回生を狙ってラヴィニアの名を使う者もいた。


 ある晴れた日の昼下がり。

 王城で行われた茶会の席で孤立している美幼女の父親は、まぎれもなく奇人の一人だった。


 不幸なことに出産直後に母親が儚くなってしまい、その不幸をはねのけるほど強く逞しく美しく艶やかな花のように咲き誇れとばかりに、父はあえて強烈な名を選んだ。

 なにしろ、名だたるラヴィニアは錚々たる逸話持ちばかりである。

 高い身分を持つ唯一の跡取り娘となれば、足を引っ張ろうとする有象無象を踏みつけて、自分の足で立ち続けなければならない。

 いずれ迎えなければならない婿の選定はこれからだが、無能だった場合に振り捨てる際にも「悪女ラヴィニア」の名は役に立つだろう。

 立ちふさがる困難と同時に不愉快な輩も、悪女にあやかった強さで蹴散らしてやれば良いのだ。


 そんな想いがあったにもかかわらず、唯一の愛娘の愛らしさにデレデレしていた父は、世間一般での「ラヴィニア」の扱われ方をラヴィニア自身に教えることを怠っていた。

 それ故にラヴィニアは人生初のお茶会が始まると同時に、人生初の逆境に放り込まれた。


 今日は、王子様やお姫様がお友達を探すために開かれた、楽しい気持ちになれる茶会だと聞いていたのだ。

 ラヴィニアは領地と王都にある屋敷の中しか知らなかったので、王子様やお姫様とお友達になれるかもしれないと思えば胸が躍ったし、他の候補の子供たちとも仲良くできたら幸せだろうな、と出会いに胸を躍らせていた。


 けれど、現実はどうだ。

 期待外れなんて、軽い言葉ではおさまらない酷さだ。

 人生初のお茶会なのに、楽しみとは程遠い悪意の洗礼を受け、とめどなく涙を流す羽目に陥ってしまった。

 

 挨拶をする前から、ヒソヒソコソコソと嘲笑と侮蔑の視線を浴びた。

 何度も練習していたから上手にできた挨拶は、媚びて子供らしくないとか王族に取り入ろうとして見苦しいとか、よくわからない事まで言われた。

 なにより、茶会に参加している他の子は母親や兄弟と一緒で、ひとりぼっちなのはラヴィニアだけだった。 


 父親は「前もってお願いしているから、困ったら王妃殿下を頼りなさい」と言っていたけれど、そんな隙は無かった。

 主賓の王族とは挨拶を交わしただけで、頼れるはずの王妃殿下は参加している貴婦人との交流に忙しく、一人きりで参加しているラヴィニアを慮る事もなかった。

 王子殿下は同年代の男の子たちと一緒に歓談していて、王女殿下は他の女の子と一緒になってラヴィニアにちらちらと視線を向けながら嫌な笑みを浮かべていた。

 遠巻きにされポツンと座っているしかないので、寂しい、とラヴィニアは生まれて初めて強く思った。


 侯爵でもある宰相補佐の一人娘として厳しい教育を受けつつも、蝶よ花よと愛されて育ってきたラヴィニアは、8歳を超えても他人の悪意を知らなかった。

 やわらかなウェーブのかかった銀髪も、大きな翡翠色の瞳も、母親似の美しい顔立ちも、ラヴィニアは誇るものであったから、あからさまに「幼い毒花」とか「王族に媚びを売る」とか「娼婦の眼差し」と嘲笑されて戸惑うしかなかった。

 娼婦という職業は文字での知識でしか知らなかったが、まだ八歳の幼い心には辛く響いた。

 母譲りの怜悧な美貌も、幼いながらも人目を引く艶やかな美しさがあり、それが揶揄する周囲に拍車をかけかけてしまう。


 微笑んでもダメ、褒めてもダメ、否定の言葉は論外。

 子供のような振る舞いは嘲笑に変わり、大人に倣えば賢しらだと眉を顰められる。

 言葉を選び間違えないように聞き手に回ってもダメ、挙句の果てには目が合っただけで「誘惑狙いで恐ろしい」とまで言われてしまう。


 そこに居るだけでヒソヒソコソコソと悪口を叩かれることに、ラヴィニアはひどく傷ついてしまった。

 父にも使用人にも愛されて育っていたし、甘やかされた令嬢でも素直な質だから我儘など可愛い範囲で、相手に言い返すような場面に遭遇したのも初めてだ。

 どうやら自分の名前が原因らしいと気が付いてしまったが、それはラヴィニアにはどうしようもない事だから、改善することもできない。


 どうして意地悪をされるのかわからなかったけれど、仲良くできる相手はこの中にはいないとラヴィニアは思う。

 もしも、今日の事はなかったことにして仲良くしようと言われても、信じられない。

 そんな甘言で近寄ってくる相手が居れば、何かしら裏があると警戒せねば、貴族として生きていけない気がする。

そこまで考えて、無邪気にお友達ができると喜んでいた昨日までの子供の自分が、どこかに消えてなくなってしまうのも悲しかった。

 

  少し気持ちを替えようと「お花摘みに」と立ち上がったら、おおげさな反応をされて「はしたない」とクスクスクスクス嗤われてしまった。

 他の子はもっとドタバタと落ち着きのない行動で走り回っていたのに、自分ひとりがあげつらわれてしまうのだから、ラヴィニアは込み上がる涙をグッとこらえて足早にその場を去るしかなかった。


 とはいえ、父親の仕事終わりにお茶会の会場まで迎えに来てくれるし、一緒に帰宅する予定になっているので行く当てなどない。

 とぼとぼと気落ちしたまま歩き、花摘みの場所から茶会の会場の途中の庭園で、ちょっとだけ道から外れて花壇の隅でシクシクと泣いてしまう。

 生まれて初めて「悪女ラヴィニア」として理不尽な扱いを受けて、小さな胸を痛めて涙が止まらなくなったのだった。

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